STEP 2
「縦列の四人! それがグループね。パイプ椅子を動かして、四角く向かい合ってね!」
『ガシャンガシャン──キーキー』
音が、脳に入る。ぐちゃぐちゃの脳内を、さらに掻き回してくる。
脳が、脳じゃないみたいだ。今、見えている景色も、偽世界の確率が高い。
イスに腰掛けた。でも、しっくり来る場所がなかった。
お尻が、硬さを嫌がっていた。何度も何度も、座り直した。そこに、安定が見つかるまで。
「よろしくね」
「よろしく」
「がんばろうね」
「あっ、はい」
美女グループに、当たってしまった。3人とも、若い女性だ。
視線が、集まりすぎている。3人の目線が一点に、当たったら焦げる。
熱が発生し、この空間で一番の高温な物体になる。きっと、そうだ。
恋い焦がれる訳ではなく、ただの火傷だ。太陽と虫メガネのようなものだ。
美しい人の理想は、とても高い印象。それは偏見気味か。でも、落ち着かなさが増えた。
タスク項目が、また増えた。優先順位の上位に、ランクインされた。
演技の上に、アドリブ会話がいる。その上に、女子との会話が今、追加された。
学生時代は、一度も喋らなかったグループ。それが、イケてる女子グループ。ついていけるか、心配だ。
「私は楓。趣味がね。音楽を聴くこと。ロックとか。パンクとかよく聞くかな」
「あれは、Juicy Heartは?」
「好きだよね。歌詞が繊細で、エロいんだよね」
「分かる。紳士的でありながら、官能的みたいなね」
「うんうん。そうそうそう」
「おにいさんは?」
息は、やや難しくなった。急に、首を絞められたような感覚。こんな機会がないと、一生、交われないから。
また、視線が一気に来た。かわいいと思ってしまった。これが、本能に埋め込まれた興味か。
「知ってます。カラオケで歌ったりします。広く浅くの人間なので」
『コツッ、コツッ、コツッ――』
男性スタッフが、黒いスマホを持って近づく。顔の前で構え、女子3人に向けていた。
「えっ、今度さ。歌ってよ」
黒いシルエットのスタッフの背中。その後ろ姿で、女子への興味を確信した。
「あっ、今歌うんですか?」
下ばかり見ている。目線を上げれば、終わりだ。女子サークルの面接を、受けているようだ。
「そんなこと言ってない言ってない」
夢で泳いでいるみたい。ずっと泳いでいるみたい。心は笑っていた。でも、オモテは無表情だった。
オーディションという形式が、頭から外れていた。話す以上のことは、出来ない。
緊張が、耳も感覚も意識も、遠くさせる。手や足には震えがあった。
この、全身黒の男性スタッフさん。きっと、この人もキャスティング会議に加わるのだろう。そんな勘が、滲んできた。
「面白いね」
「あっ、Juicy Heartの歌詞ですか?」
「違うよ。おにいさんだよ」
「すみません。ボーッとしていまして。あなたのお兄さんが、面白いっていう話でしたか」
「ちー、違うからっ!」
口から息を吸ってばかりだった。吸った空気が、どこに行ったのかは分からない。
どこかで果てている様子もない。溜まっているのか。
音は、耳から入ってきている。でも、その音が持つ意味などは、どこに行ったか分からない。
あのスタッフの女性は、ずっとこっちを見ていた。そして、また笑っていた。
苦笑い気味の、吹き出し笑いだ。相変わらず、かわいい。
「おにいさんは、食べたことある?」
「聞いてませんでした。すみません。何をなのか、教えてもらえますか?」
「くちびるグミ、食べたことあるかってこと!」
「あっ、はい。味が好きで」
「えっ? SNSは関係なしに?」
胸元が開いた服。それを着ている楓さん。ずっと直視できないでいた。床中心の目線だった。
「普通に、食べたわけ?」
「まあ、口にくわえて5分くらい、鏡では見ましたけど」
「変わってるね。絶対、写真とった方がいいよ」
「目的は味なので。それに、世間と繋がれること、何ひとつやってなくて」
「じゃあ、写真撮って私に送りなよ」
楓さんのオシャレ靴までしか、目線が上がらない。でも、そのつま先から、嫌っていないことは、伝わってきた。
黒い服のスタッフが、吹き出し笑いをした。ずっと、こちらにスマホを向けていたことに、今気づいた。
興味を持たれた。そう受け取った。何度か、スマホのレンズと目があった。カメラ目線は、ダメなのに。
『ピーーーッ』
終了らしき、笛が鳴る。変なことを言ってしまった。終わったけど、ドキドキがまだ加速していた。
緊張のドキドキだけではない。女子たちのかわいさに対する、ドキドキもある。きっと、5%は入っている。と思う。