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愛犬のクッキー  作者: Satoru A. Bachman
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 家に戻り、クッキーの首輪からリードを外し、ロープを付けた。近頃、クッキーは硬い物が食べられなくなってきたから、老犬用の流動食を注射針風のプラスチックの容器に注入し、口の中に流し込んでやる。クッキーは美味そうにペロペロとそれを舐めて飲み込んだ。食事の世話の後、僕は両手でクッキーの顔を優しく包み、頬を擦りつけた。クッキーはグーグー…と喉を鳴らしていた。犬特有の臭い。僕は別に嫌いじゃない。昔、僕の母はそれをケモノ臭と言っていた。


 昼前、僕はラレーのマウンテンバイクにまたがって自宅がある安房美船村を後にした。楓川にかかる石橋を渡り、美船の森スポーツ公園と楓町方面へ続く美船電鉄の線路に挟まれた小道を駆け抜け、西木大通りとの交差点を過ぎる。そのそばの交番前に二木隼が立っていた。僕は

「ずんさん、こんにちは」

と言い、手を振った。そのお巡りも

「こんにちは」

と挨拶を返してきて、僕に手を振った。

僕は西木町にあるチェルシーという洋菓子屋に立ち寄った。濃厚なチョコレートの匂いにいざなわれて店に入ると、レジ前のショーケースに焼き立てのスコーンやショートブレッドやケーキが並んでいた。香ばしい匂い。店に入る前は特別甘い物の気分でも無かったが、クッキーモンスターのようにチョコチップのクッキーを2、3枚むさぼり食いたい気もしてくる。輸入菓子が並んだ棚の前へ行くと、キャドバリー、ハーシーズ、リンツなどのチョコレート、ウォーカーズのショートブレッド、メープルシロップクッキーなどがある。3月14日はとうに過ぎ、店のどこを見渡してもホワイトデー向けの商品はもうさすがに見当たらない。僕は数分の間、悩んだ挙句、チェルシー特製の缶入りのクッキーを買った。店員が僕に手渡してくれた紙袋ごとショルダーバッグにしまった。

チェルシーを出ると、楓小学校の前を通り過ぎ、南国めいたパームツリーの並木道を進んで、右手に楓中学校が見えてきて、その先の交差点を右に曲がった。数百メートル先の北に向かって伸びる緩やかなカーブの上り坂を上がれば、そこは楓沼だ。町の最南端にある安房美船村の自宅から町の北端の楓沼まで自転車で20分もかからない。観光客を山の上にある天文台へ運んでくれる美船スカイトレイン・ロープウェイの乗り場のそばの駐輪場にマウンテンバイクを停め、僕はそこから近い楓沼駅へ歩いて行って、駅舎の前で由香を待った。


 「ごめん、お待たせ」

数分遅れて由香が来た。

「おう。久しぶりだね」

「ホント久しぶり。今コロナでヤバいし、私、お爺ちゃんとお婆ちゃんが心配でなかなか出かけられなくて…。ハローワークにも行かないといけなくて」

1カ月ぶりに見る由香の顔はちょっとばかり憔悴していた。目がぱっちりしていて、顎が小さくて小柄な弱った彼女を癒してやりたい。僕はそう思ったが…。

「そっかぁ、前に働いてたファンシー雑貨屋がつぶれてから、まだ新しい仕事見つかってないのか」

「でも、失業手当がもらえるから、しばらくは大丈夫だけどね。卓くんはどう?最近はどうだったの?」

「早くいい仕事が見つかるといいな。俺は特に変わりなくやってるよ。そういえば、こないだも電話に出てくれなかったけど、どうかした?電話しちゃまずかった?」

“こないだ”だけではない。由香とマッチングアプリで秋に出会って以来、この約半年間、電話に出てくれた試しはない。

「あ、私、電話ダメなの」

「世間はコロナ、コロナで騒がしいし、俺たちだって、やっぱ色々あるし、なかなか会えないときだってあるんだから声ぐらい聞かしてくれたっていいじゃん」

「…うん、でも、ごめん、電話苦手なの」

「そっかぁ。大変なときはなんでも話しぐらい聞くし、気軽に俺んちにだって来てよって前から言ってるじゃん」

「うん、今度行く」

またそれか。内気な由香とどうも歩み寄りたいタイミングがいつも合わなくて、デートの前は楽しみでも会ってみると、なんだか興醒めしてしまう。

「ところでチョコくんは元気?」

「うん、元気元気!」

僕はとりあえず話題を変えた。チョコくんは彼女が飼っているトイプードル。

「昨日もチョコと一緒に散歩行ってね、風が強くて、チョコのいつもは垂れてる耳が風に吹かれてすごいことになってた」

由香は楽しそうに愛犬の話をし始め、顔に笑みを浮かべた。僕はとりあえず、これでいい、と思った。少しお互いの雰囲気が温まってから、僕はショルダーバッグからチェルシーの紙袋を取り出し、諸々の事情で遅くなってしまったホワイトデーのプレゼントを渡した。

たわいない話をしながら2人で楓沼へ向かって歩いた。森に囲まれ、太陽の光を反射して輝く楓沼は沼というよりも綺麗な湖といった感じである。ところどころで桜が満開で、普段は一面が緑の景色がピンク色に染まっている。沼の周辺でレジャーシートを敷いて花見を楽しんでいる家族連れや昼間から酔っぱらって騒いでいる若者連中もときおり見受けられた。ロープウェイ乗り場のそばのバイクレンタルの店で由香は自転車を借りて、僕は自分のラレーのマウンテンバイクにまたがり、2人で楓沼のサイクリングコースを走った。

「風が気持ちいいね」

僕は湖と森の景色を眺めながら隣を走る由香に話しかけた。

「うん」

彼女はそう答え、黙る。





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