2回目の転院
まず、私が転職をしている。これは男性だから基本的には
治療に影響はない。ここでは勤めてる会社が大阪→神戸になったと書いておく。
話を戻し妻が転院すると決めた。私もこのままでは時間の浪費と思い同意した。
ここで候補の病院は2つ。
1つ目は大阪の病院
2つ目は神戸の病院
どちらも妻が選んできた病院。特徴は個々に違う。だが神戸の病院は土日はやっている。
一方、大阪は平日のみ。そう、共働きの状態なのでこの平日のみというのは結構つらい。
毎日行く可能性も考えなければならないから。
神戸の方が遠いのは事実だが、休みの日を使う事ができるのも大きい。また、平日も
妻が定時退社すれば距離はあるが受付時間内に間に合う。これが決め手で神戸を選んだ。
正直、この転院でだめならもう後はない。
また、冒頭で記載した私が神戸に勤めているというのもある。何かあれば直ぐにいける。
さて、神戸の病院に転院しいよいよ体外受精を開始し始めたのはあれがくる前の年の1月。
妻42歳、ここでの初めて体外受精をおこなった。
結果、卵子は12個、胚盤胞まで進んだのは8個。
この結果、不妊治療をしている人から聞いたらびっくりの数値だと思う。
そう、妻の体はまだ子供を作れる体と思った。希望はある。
またこの病院、胚盤胞の品質も結構厳しくみるとのこと。この品質は見た目でみる形となる。
品質に関してはネットで検索すれば分かる事なので割愛。
ただ、この品質が良いから妊娠するのではない。見た目だけではまだまだ分からないのが
現状ではあるが目安の1つとはなる。
しかし、ここから先はやはり上手くいかない。そう、妊娠しないのである。
先にかいたペースでおこなっていたが、やはり妊娠しない。時には胚盤胞を
三カ月連続で作る事もおこなったが、上手くいかなかった。
ただ、医者からはもうとれない人に比べたら全然違うと言われた。
これは希望だった。だから私達は行くのは大変でもやめなかった。
この年、妻は再び転勤となり当時住んでいる近くの住所の部署となった。
勿論、受付時間内には間に合うから問題なかったが、定時退社後毎日行く日も
あったため実質通勤2回という過酷な状態であったが頑張ってくれた。
そうこうしているうちにあの春がやってくる。
そう、あのウィルスがきたのだ。