38.失いたくないから
先生に叩かれた。
今まで何度かお説教を言われたことはあったけれど、先生はいつも優しく怒ってくれて、一度も私に手を出したことはなかった。
でも、この頬の痛みは……初めて。
「今の言葉は許容できません。今すぐに撤回しなさい!」
「……先生?」
先生は怒っている。
今までの怒りとは比べ物にならないくらい、すっごく怒っている。
「何が『私のせい』ですか! 貴女が何をしたと言うのですか!? レア様はただ巻き込まれただけ。今回のクーデターは私達王族が下の者を制御できなかったことが原因であり、勇者であることを望まないレア様を召喚してしまったこの国の落ち度でもあります。それを知っていながら私達は、貴女が勇者であることを強要した。自分が悪いだなんて思わないでください」
「…………でも、」
「ここまで言っても自分が悪いと? ならば私は──この事態を招いた罪を償い、死して貴女に謝罪するべきですね!」
何を言われたのか理解できなくて……ううん。理解はしていても本当は理解したくなくて、言葉が出てこなくなった。
罪を償うことも、死んで謝罪することも、私は望んでいない。
先生はどうして……そんな意地悪を言うの?
どうしてそんな簡単に、死ぬなんて言っちゃうの?
「貴女はこの件で責任を感じた。ならば、この国の現状を知っていながら放置していた我々は、貴女よりもよっぽど罪深い。ただ謝罪するだけでは足りません」
「ち、ちがう……よ! フィル先生は何も悪く無いの。だって、先生はずっと頑張ってて、私なんかにも構ってくれて、それで……」
「それなら、っ! それならもう泣き言を言わないで! 次またそんなふざけたことを言い出したら、今度こそ私は自ら、この首を差し出しますからね!」
私が変なことを言えば、先生はその言葉通り──死ぬことを躊躇わなくなる。
それを想像しただけで視界がじんわりと滲む。ここで泣いちゃダメだって分かっているのに、大好きな先生に死んでほしくないから、もしものことを考えちゃって涙が止まらない。
もっとちゃんと先生の言葉を否定したい。
死んでほしくないって、先生は何も悪くないからそんなことは言わないでって、そう言いたいのに……嗚咽が邪魔して上手く喋れない。
「やだ、いやだ……よ……」
「嫌ならば、もうあんなことは言わないと約束してください!」
「えぅ、ひ……く、っ……」
「返事は!」
「ぅ、ん。約束する、するから……死んじゃ、やだぁ……」
両手で涙を拭っても拭っても、止まってくれない。
一度私は、大切な仲間を失いそうになった。
その時にすっごく後悔した。誰かを失うくらいなら私は、誰かのお願いを拒絶してでも私が後悔しない選択をするって誓った。
一度私は、誰よりも大好きな家族を失った。
その時は何もかもが嫌になった。誰かを失うことがこんなにも辛くて寂しくて悲しいことだって知ったから、みんなを守るためなら、私は私ができる限りのことをしたいって思った。
もう好きな人を失いたくない。
それが私のせいだなんて……絶対に、嫌だ。
「う、うっ……ぐすん……うぅぅ…………」
「…………レア様」
赤ちゃんみたいに泣きじゃくる私を、先生は静かに抱きしめてくれた。いつもの先生だ。すごく優しくて、すごく温かい先生の感触。
「申し訳ありません。ついカッとなって、酷いことを言いました。……しかし、先程のは全て本心です。レア様は何も悪くない。どうか、それだけはご理解ください」
「……ん、私も……ごめん、なさぃ。もう二度と言わない、から……もうあんな寂しいこと、言わない、で」
「ええ、約束します」
先生は私を抱きしめ続けてくれた。
私が泣き止むまでずっと、頭を撫で続けてくれた。
「…………ん、もう……大丈夫」
「無理だけはなさらないでください……と、私が言っても説得力はありませんね」
「ううん。先生が心配してくれて、嬉しい。ありがとう」
先生は自分のことを情けないって思っているみたいだけど、そんなことはない。
こんな状況になっても私を見捨てなかった。自分だけ逃げられたのに、その選択肢を一番に捨ててくれた。
どうしてそこまで、私のことを大切にしてくれるかは分からない。
フィル先生が何を思って、何を考えてるのか。契約をしていない相手の心を私は読めないけれど、今まで先生が私にしてくれたことは嘘じゃないから、その感謝の気持ちだけは忘れたくない。
それを忘れちゃったら私は私自身が嫌いになるし、シュリやクロ達にも怒られちゃう。
だから私は先生のことを信じる。
この後どんなことがあっても、先生だけは信じていたいと……そう思う。
少し短いですが、キリがいいので区切ります。
また次回をお楽しみに!