第9話 フレンドシップ
「……熊だ!」
映像を確認したママードが驚きの声を上げる。
熊は大型動物として恐れられてはいるものの、自らの生活圏に関与しない動物を襲う事は少ない。
まして湖の周辺で暮らしていれば魚を豊富に摂取出来るはずで、食生活が満たされていれば仲間内の喧嘩すらしない、熊はそんな動物であるはずなのだ。
「キイィーッ!」
一匹のたぬきが甲高い叫び声を上げる。
恐らく熊に捕獲されたか襲撃されたかしたのであろう。
撫子とベッピーンは咄嗟に映像から目を逸らしたが、それ以上の惨劇は映像に収められる事は無く、再び映像に目を向ける。
たぬきの悲鳴が遠ざかると同時に熊の足音も遠ざかり、各々の隠れ場所から姿を現したたぬきの一団は再びひとつにまとまり、周囲を確認する様に恐る恐る教会の外に飛び出して行った。
映像を見た後、暫し放心状態だった隊員達を横目にパッチ隊長は映像を早回しし、その後もう一度熊が教会を訪れ、何かを探しているかの様に床や壁を傷付けていた事実を確認する。
外はいよいよ本降りとなった雨が教会を叩き始めていたが、パッチ隊長は更にそのまま映像を早回しし続け、雷や地震で時折衝撃を受けて作動したカメラが、雨風で動物の行動の痕跡を洗い流す様子を撮影していた事も明らかにしていた。
「……たぬきが集団行動を始めたり、建物を利用して安全を確保する習性を記録出来た事にも価値はあるが、熊の凶暴化の方が気になるな。何か特別な事情があっての行動だと信じたいが、あの熊が地球の熊の進化の結果だとすれば、環境が改善しても人間は地球には戻れなくなる」
ママードの話を聞きながら周囲を見渡していた撫子は、ベッピーンが何やらソワソワと落ち着かない様子である事に気が付く。
「……そういう事になるな。一般人には知られていないが、俺達の前にも環境調査隊は時折地球に来ていたんだ。現在の様なペットビジネスの調査依頼みたいな副業の無い、純粋な環境調査でな。惑星Zでは栽培や養殖の出来ない素材を育成する為に、一部の人間を地球に帰還させる計画があったのさ」
「……でも隊長、今更地球に戻ったって、イチから開拓のやり直しじゃないんですか?金と人、時間がかかり過ぎますよ。惑星Zの施設だって、10年おき位に改修されているって話だし……」
大和はパッチ隊長の話に口を挟み、人類の地球回帰の実現に疑問を投げ掛ける。
「……今俺達がいる教会は、最後に使われたのが31年前、建立は100以上前に遡るんだ。どうだ?汚い以外に不満があるか?地球の素材と環境なら、30年程度のブランクなら特に問題は無い。インフラもほぼ正常だし、ここのトイレだって使えるんだ」
「え?トイレ使えるんですか?すみません、行ってきます!」
撫子はベッピーンと目を合わせてから大声で叫び、周囲の笑いを誘いながら彼女とともにロビーを出て行った。
「……助かりましたわ。ありがとう、撫子さん」
安堵の表情を浮かべたベッピーンが、手洗い場の鏡の前で撫子に頭を下げる。
「いや、私もトイレ行きたかったし、ベッピーンさん、そういう事言い辛そうだと思ったから……」
目の前の鏡に映る、お互いの姿。
ベッピーンはブロンドヘアーとブルーの瞳、美白の肌を持つとびきりの美人だが、150㎝にも満たない身長にずんぐりとしたZ星人の体型。
一方撫子は170㎝の長身に均整の取れた体型ではあるが、特に美人でも何でもない平凡な顔立ち。
どちらからともなく、自然に言葉が口を突いてこぼれていた。
「……わたくしはZ星人として生まれ育ち、貴女に会うまでは他人の容姿に嫉妬するなんて事はありませんでしたわ。貴女の首から下が欲しいと、毎日無い物ねだりをしていましたの」
「そんな事……私の両親は地球にいた頃から重量上げの選手として期待されていたから、惑星Zに行く前からずんぐりしていたみたい。私とお兄ちゃんはたまたま、重力に強かっただけですよ」
互いにはにかみながら過去を語り、互いに横たわっていた広い河に足を踏み入れて歩み寄る。
「でも、私もベッピーンさんみたいな身体になりたいって思った時があるんですよ。小さい頃から背が高かったから、学校の演劇で魔女とアマゾネスの役しか貰えなかった時!」
「ぷっ……何ですのそれ!」
30年の時を経過しても水が流れる地球の文明に今一度人類が触れる時、より多くのわだかまりが水に流れる可能性を信じてみても良いのかも知れない。
「大和、新しいバッテリーをカメラに付けてセッティングしてくれ。熊はともかく、たぬきが人間の気配を気にせず教会に隠れる程追い詰められているなら、たぬきが新しいペットとして研究対象になるかも知れないからな。映像をコンパニマル社に届けてみよう」
ママードは大和に作業を手伝わせながら、自らも研究資料として音声データを持ち帰る。
「撫子、ベッピーン!雨が止んできた。ロケットに帰るぞ!」
パッチ隊長は大声で2人に呼び掛けて小銃を自ら構え、麻酔銃は大和に預けて帰還の準備を整えた。
たぬきを始めとする小動物の生態観察を可能とする為、教会の入口に小岩を挟み、意図的な侵入経路を設けて立ち去る調査隊。
雨上がりの空の下に虹が浮かび、人工物ではないその美しさに隊員達は暫し見とれながら、ゆっくりとホワーンの待つロケットへと歩みを進める。
「今ホワーンに連絡を入れたが、重力調整にはまだ時間がかかる。帰り道はゆっくり自然を見てもいいぞ」
パッチ隊長の言葉に思わずガッツポーズを取る大和、撫子、ベッピーンの3人。
用心の為に麻酔銃を持った大和を中心に固まりながら、深い林の入口限定で散策を始めようとしたその時、ママードが撫子の肩を叩いて引き留めた。
「ボイスレコーダーだ。動物の鳴き声を分析したいから、動物に会うかどうかに関わらずスイッチを入れて持ち歩いてくれ」
撫子は仕事熱心なママードの依頼を快諾し、大和の手を引いて往路で出会ったリスのいる林を目指して歩みを進める。
「みゃみゃみゃっ!」
その頃ロケットでは、ようやく船内が惑星Zの重力に調整され、狭いシェルターから解放されたジェニファーとみゃ〜ちゃんが互いにじゃれ合っていた。
「可愛いな……俺もねこキューブ、飼おうかな……?」
ホワーンは2匹の仲睦まじい様子を横目に、コンパニマル社から調査を依頼されていた、シニャルドビィ湖のほとりにある小屋の様子をカメラの角度を切り換えながら撮影する。
ダンゴー・ドーデッシュ社長が政府を通さずに直々に調査隊に依頼したとあって、撮影調査の理由については明らかにされなかったが、かつて防衛隊で怪しい任務にも従事した経験のあるホワーンには、ドーデッシュ社長らが地球で商売していた頃の脱税の記録でも眠っているのだろう……という、疑いの嗅覚が働いていた。
とは言え、もし不正な商売の記録があったとしても、もう人類が地球を離れて30年を過ぎて経済的には時効とも言える訳で、コンパニマル社とセコい取引をして稼ぐ気も無く、ベッピーンを通してニクイヨー大統領に報告する程の正義も見出だせない。
ホワーンはこの時、この小屋に地球の運命を変える危険性すら隠されている事に気付いてはいなかった。