第7話 人間がお邪魔しまぁ〜す
「大和、地球では酸素ボンベを切っても大丈夫だ。だが、宇宙服とヘルメットはまだ被っていろ。野生動物からの急な襲撃の可能性もなくはない」
パッチ隊長は搭乗ハッチの前に佇む大和に声を掛け、自らは小型の麻酔銃を構えながらハッチを開けた。
目の前一面に広がる壮大な大自然のパノラマ。
惑星Zにも自然はあるが、人間の生活の為に人工飼育と切り貼りで整えられた自然とは比べ物にならないスケールである。
「……本当だ、ちゃんと息出来る」
大和はヘルメットのフェイスガードを開けて大きく息を吸い込み、パッチ隊長も彼を横目に普段の厳格な表情を解き、柔和な笑みを見せた。
「お前と撫子は体質上、地球の重力の緩さに違和感があるだろうが、俺は最後の地球生まれ世代なんだ。心の故郷は気持ちいいよ」
環境汚染により地球を捨てた人類であったが、皮肉にも地球の癌細胞であった人類が地球から去って30余年の間に地球には自浄作用が働き、大気が人間の暮らせるレベルに回復した事を、パッチ隊長を始めとする環境調査隊は認識していたのである。
「……隊長、何だかひと雨来そうな空模様になって来ましたね。ロケット以外に、俺達の隠れ家みたいなものは地球にあるんですか?」
大和は日射しの翳りを肩に感じて空を見上げる。
相変わらず野鳥達が上空から人間を物珍しそうに監視してはいるものの、この空模様が幸いしたか、熊の様な大型の肉食動物の姿は周囲に見られなかった。
「倒壊していなければ、この先に教会が複数残されている。前回の調査で室内にカメラとレコーダーを取り付けて来たんだ。教会にある程度の振動が来た時にスイッチが入る様にな」
ガサガサッ……
雨風とは明らかに異なる物音に気付いた2人は周囲を素早く見渡し、パッチ隊長は視界に入る草むらに向けて麻酔銃を構える。
手持ちぶさたな大和は宇宙服のポケットをまさぐり、何か動物を威嚇出来そうなアイテムを探してみたものの、出てくるのはお菓子ばかりだった。
「キイィ〜!」
威嚇の声を上げながら草むらからゆっくりと顔を出したのは、1頭のキツネ。
撫子の所有する図鑑で見た事のある、所謂茶色のキツネではなく、銀色の毛並みに黒い耳と鼻、黄色の瞳を持つ銀ギツネ。
ワイルドイケメンだ。
「すげ〜!超カッコいい!」
生まれて初めて見る、ペットや家畜以外の地球産の動物に興奮を隠せない大和。
新宇宙世紀31年にもなって、未だに超〇〇等と言う表現が許されるのか?みたいな詮索に時間を割くのは止めていただきたい。
あなたの人生が勿体無い。
「お前、生きていたのか!カミさんはどうした?」
銀ギツネの姿に格好を崩したパッチ隊長は彼に接近し、接触で病原菌感染の不安が無い宇宙服の手袋で銀ギツネの頭を優しく撫でた。
「……え?どういう事?なんでこんなに懐いてるの?」
あっけに取られた表情でパッチ隊長と銀ギツネを凝視する大和。
パッチ隊長は、銀ギツネをまるでねこキューブの様に手なづけている。
「前回の調査で、怪我をしたこいつを助けたんだ。その時は夫婦で行動していたんだが……」
前回の調査から3ヶ月の間に起きた出来事をそれとなく推測したパッチ隊長は表情を曇らせ、銀ギツネに餌を与える為に宇宙服のポケットからナイフと干し肉を取り出す。
ワイルドな漢の小腹が空いた時の非常食は、ナイフで削り取った干し肉と決まっているのだ。
もう宇宙の意思で決まっているのだ!
顔馴染みのパッチ隊長からの餌を躊躇なく食べる銀ギツネの姿に感銘を受けた大和は、冗談半分に自分のお菓子を彼に分け与える。
……大気圏の重力で潰されたコーンスナックだが……。
大和に対してはまだ警戒を解いていない銀ギツネはコーンスナックを一度はガン無視したものの、その様子を眺めて互いをからかうパッチ隊長と大和の関係性を即座に理解し、干し肉と一緒にコーンスナックをくわえてその場を立ち去った。
「まるで、俺達の言葉が分かっているみたいな行動ですね」
大和の言葉を聞きながら、恐らくもう再会する事は無いであろう銀ギツネの後ろ姿を、パッチ隊長は静かに見守る。
ビビーッ!ビビーッ!
「パッチ隊長からの通信だ!」
ロケットのコックピットで隊長代理を務めていたママードは通信を受け取り、人数分の装備を整えていたホワーン、休息しながら地球の重力に身体を適応させていた撫子とベッピーンも通信に近寄った。
「ママードか?今、ミコワイキの教会前に到着した。道中に大型の肉食動物はいない。だが、空模様が怪しくなって来た。ロケットにホワーンとねこキューブを残して、お前が撫子とベッピーンを連れてこい。頼んだぞ!」
「銀ギツネ見ちゃったぜ!カッコいいし、賢かったよ!」
パッチ隊長と大和の無事を確認した隊員達は取りあえずひと安心し、急ピッチで出発の支度を整える。
「ジェニファー達を教会に連れて行ってはいけませんの?」
ベッピーンは最愛のパートナーを置いていく選択に異議を唱えたが、横からホワーンの説明を受ける事となる。
「シェルターごと運ぶ事は可能だけど、地球の重力はねこキューブには危険だ。シェルターから出せないんじゃ、食事もままならないしな。皆が戻る時までにはロケットの重力を惑星Zのレベルにしておくから、みゃ〜ちゃんとジェニファーは俺に任せてくれ」
「……分かりました。ホワーンさん、宜しくお願いします」
撫子はベッピーンとともに頷き、シェルター越しのみゃ〜ちゃんに手を振って搭乗ハッチへと向かった。
「みゃう〜」
みゃ〜ちゃんは至って普段と変わりなく、撫子を大学に送り出す様に見送っている。
「ミコワイキはシニャルドビィ湖から程無く見えてくる、教会を中心とした観光地だ。人間が地球を見捨てる直前には、ろくでなしどもが建物を荒らしたりして憂さ晴らしをしていたらしい。だが、ミコワイキは教会という性質上、無意味な損壊を免れたんだ。前回の調査から俺達の拠点にしている教会がある。パッチ隊長の連絡からすれば、特に動物による損壊も無い様だしな」
搭乗ハッチが開き、野鳥の群れ、豊かな岩場、林、草原を取り囲む湖が隊員達の視界に飛び込み、撫子は生憎の空模様も何のその、未知なる感動で胸が一杯になっていた。
「地球の景色をゆっくり見たいだろうが、今はそんな暇は無い。教会まで真っ直ぐいくぞ、余所見はするな!」
「オッケーですわ!」
ママードの指示に威勢良く応えるベッピーン。
撫子は早歩きを継続しながら、林の陰から顔を出したリスと偶然視線が合い、思わず浮かべた満面の笑みを慌ててママードから逸らしながら教会へと歩みを強めるのであった。