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生者はわらう  作者: ペングイン
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理不尽な愛憎 1

 その日は、朝から最高の日だと思っていた。

 料理当番が妹で、少しだけ多く寝れたこと。面倒な数学の授業がなかったこと。久しぶりに親父が帰ってきていること。いつもよりずっと寝起きの気分がよかったこと。朝の占いが1位だったこと。あげれば結構出てくる。


 とはいえそんな気分も長くは続かなかった。

 物理とかいうやつの小テストでひどい点数を取り、先生に残ってプリントをやるように言われたのである。朝の占いなんて信じないとこの時心に決めたほどだ。


 そうして四苦八苦しながらプリントを何とか終わらせて帰るころには結構遅くなってしまっていた。あのくそ教師ができるまで返さなかったせいでもある。

 俺は夜が嫌いだ。日没には家に帰りたいし、一人で夜道を歩くとか、肝試しなんてまっぴらごめんだ。


 端的に言うなら、俺は自分が霊感が強い方だと知っている。

 夜になるとわらわら湧いてくる小さな呪詛を吐くだけの悪霊なら最近は少ししか気にならない。

 だが、少ししか気にならないと言っても気になるのだ。精神が削れるといえばいいのだろうか、とにかく嫌なのである。


 ということで、俺はこの日を最悪の日認定することに決めた。これならば授業で数学があるほうが気が楽だった。


 そう心に抱きながら、周囲に知り合い…できれば一緒に帰ってくれる人がいないかと見渡して、彼女を見つけたのである。松下砂絵里、偶然にも同じクラスの美少女。同じクラスといわず、男子ならだれもが彼女とのラブロマンスを期待しているだろう。もうちょっと下世話な話をすればあのおっぱいもんでみたいとか、そういうことを考えている人もいるかもしれない。俺もそうだった。


 とはいえここで声をかけられるようなコミュニケーション能力は持っていなかった。結果として俺が選択したのは下校する一生徒として少し離れた現在の距離のまま後ろを歩き、目の保養とすることである。

 言葉にしてみるとストーカーのようだが、さすがにそれは言い過ぎというか否定する。単純に道が同じというだけだ。彼女がいてもいなくても俺はこの道を歩いている。多少スピードを落としているという事実は認めるが……。


 さて、そうして少しばかり離れて歩いているとはっきりとした形を持ったそれがふらりふらりと後ろから歩いてきたらしい。

 それは俺の様子から彼女の見た目に誘蛾灯の蛾のごとく引き寄せられていると悟ったのか、俺に忠告するように語りかけてきた。


「おまえ、おまえ、あいつはダメだ。最悪最低の悪女だ。あの見た目に騙されちゃいけない。あいつのせいで俺は、俺は……あのくそアマァ!! 俺がどれだけあいつに貢いできたか、俺がどれだけあの女のために行動してきたかわかるか! それをなんだ、襲われそうになった? 少女売春を考えていただろう? ふざけるな!!」


 それは黒い靄のようなものがほとんどだったが、わずかに人らしい外見を取り戻しつつあった。もはや俺に声をかけたという事実すら忘れて、彼女、松下砂絵里への恨み言をひたすらに叫ぶ。


「法律ってのは疑わしきは罰せずが原則だよなぁ!! そのくせ俺の言い分は無視して、証拠もまともにそろえずに俺を犯罪者呼ばわりで、あの女をただの被害者扱いだぁ!? マスコミ共も許せねぇ!! あいつらのせいで会社はクビになるし、近所の連中からは性犯罪者扱いだ!! あれもこれも全部あのアマが悪いんだよ!!!」


 いつしかそれははっきりとした形を持ち、涙を流して叫んでいる。近所中に響き渡りそうな声だったが、まるで変化はない。その代わりのように風もないのに木々がざわめき、街灯が明滅する。


「呪ってやる! 呪ってやる!! 呪い殺してやる!! 俺の恨みを知れ! 俺の嘆きを知れ! お前が日常を謳歌するなんて俺が許さない!!」


 その声と共にそれは消える。代わりのように人々の喧騒と車のエンジン音。いつしか俺たちは人通りの多い通りにまで出ていたのである。



 悪霊について俺が知っていることはいくつかある。

 まず、やつらはよほど力が強くない限り俺以外の人には見えていない。そこそこ強いと見える人が出始めているようだ。

 そして、強い奴ほど相応に思いが強い。悪霊とひとまとめにしたが、それはそんな風に彷徨うやつは負の感情によって支配されているからだ。未練があれば彷徨い、その思いの強さに比例して強くなり、現実の世界に干渉できるようになる。


 とはいえ、実のところ俺にできることは何もない。見えるだけだからだ。あとついでに会話もできるが、可能というだけで不可能である。正確には言語的な障害はないが会話としては成り立たない。

 精々警告するだけ。とはいえ俺もそう優しいわけではない。結局のところ触れないことこそ最良だと思っている。とはいえ、先ほどの言葉には少し妙なところがあった。


「俺、あいつがそんな事件にかかわったことがあるなんて聞いたことないぞ?」


 さすがにそんな事件にかかわったことがあればここ数年の内だろう。それなら俺が覚えてなくても学校で誰かが知っているだろうし、あんな有名人なら噂としても一切流れていないなんて思いにくかった。これが恨まれるようなこと…あれからしたら裏切りだろうか? そんなことがあったのなら誰かはきっと覚えているのに……。

 その疑問は妙に脳の片隅に残ってしまっていた。



「親父、この辺でここ数年の間に少女売春とかのニュースなんてあったっけ?」

 夕食の席、久方ぶりの家族三人での団らんの場で俺は唐突に親父に尋ねていた。

「どうした突然。」

 親父は唐突な俺の質問に困惑していた。だが、息子の疑問にはとりあえず答えるつもりなのかすぐに返してくれる。

「ここ数年は聞いた記憶がないな。出張が多いからはっきりと言い切れるわけじゃないが、奈央がいるんだ。覚えているはずだ」

 そういって俺や妹へと雑談交じりに話題が変わっていく。俺はそれに適当に返しながら、さらに疑問を持っていた。


 悪霊は、めちゃくちゃ強い奴を除けば、それほどその場所から離れるというわけではない。精々徒歩や自転車圏内だ。となればあの悪霊はおそらくあの周辺の人間だろう。

 さらに言えば、悪霊は基本的に嘘をつけない。誤解などはあるが、嘘をつくことは根本的に不可能だ。何せその内容こそが彼らが今そこにある理由なのだから。

 この二つから考えると、嘘はないが内容に疑問が残る。それがどうにも致命的な矛盾のような気がしてどうにも気持ち悪かった。






 ――恥ずかしい。


 ひたすらに恥ずかしい。穴があったら入りたいとはこのことだ。タイムリープができるなら間違いなくやるし、タイムマシンがあればあの時の俺をぶんなぐって正気に戻してやりたい。

 一体どこの誰が呪われているだの悪霊だの聞いてまともに対応するというのか、しかも信用もくそもない同学年というだけの俺を相手だぞ? それこそ俺が彼女だったらとりあえず正気を疑う。


 俺は自室のベッドの上でゴロンゴロンと転がりまわる。


 そうやってこの気持ちを向ける先を見失って悶えているが、俺にはやはりあれが見える。

 前よりもその怨念は強く、濃くなっているのがはっきりとわかってしまう自分が憎い。俺にできることなんてもう何もないと思うのだが、それでも見えてしまう以上どうしようもない無力感に苛まれる。

 目の前に危険とわかっているものがあり、明確な破滅が迫っており、言葉で伝えてもどうしようもなく、それを解決する手段がないという無力感。きっとこの後彼女が不幸な目にあったとき、俺はきっと彼女の死を悼むというよりは、自分が何もできなかったことを悔やむだろう。



 ――これで彼女が本当に嫌な奴だったらよかったのだ。


 あの告白まがいの騒動の後、彼女は本当に俺のために何も起きないようにと手を尽くしてくれた。ありもしない過去をでっちあげ、俺なんて言う顔見知り程度の相手のために騒動を収めてくれたのだ。もしも「気持ちわる」とか言って散々に罵倒してくれたり、陰で俺を笑ってくれた方が気分的には楽だった。

 だが同様に、俺の不信感は大きく強くなっている。


 本当に彼女があの男性に手を出して、しかも相手を嵌めて見捨てるような真似をするだろうか?

 少し紙に整理しよう。そう思って俺は机にノートを広げる。


 まず、あの亡者の言い分だ。

 貢ぐとかいろいろ言っていたが、何らかの関係にあの亡者と彼女、松下砂絵里はあったはずだ。おそらくは個人的なつながり。男のほうが交際関係と勘違いしてしまったのかもしれないが、少なくともプライベートに二人きりで会える相手であろう。児童買春なんて言葉はお互いの意思で会っていなければ早々出てこないはずだ。

 そして、何らかの原因で警察に検挙され亡者は逮捕。松下は「襲われそうになった」などの発言をしている。実際に襲おうとしていたとか、合意の上だったのかとかそういう問題は後にして『そう見ることができる状態』にあったことは間違いない。

 そのあとあの亡者は言い分を聞いてもらうこともできずに犯罪者呼ばわりで、おそらくはニュースとなって近所にも会社にも知られ、社会的死を迎える……。亡者の発言を100%信じるなら恨むのもわからなくはない。


 さて、この言い分を信じるとすれば松下の性格はこうだ。

 細かな理由は不明だが相手をその気にさせていいように扱い、通報や逮捕などの危機的状況下では即座に切り捨てることと、自分が『弱者である』という一点を利用して周囲をだまし、現在ではそんな過去を知られることもなく高校に入学して学校生活を送っている……。


「いや、さすがに無理だろ」


 あの亡者がこの街に居るということはおそらく彼女もこの町出身だ。引っ越してきたという話も聞かないし、同じ中学だったという人は何人も知っている。そんな状態でこんなわかりやすい『傷跡』を口にしない善良な生徒ばかりではないだろう。人気者は人気者であるがゆえに敵も多い。


 となれば、そんな世間を騒がせた『傷跡』つまりはあの怨念が語るような事件はなかったということになる。これは決定的な矛盾だ。単純に考えればこれはつまりあの怨霊が『嘘をついている』というだけで解決する。


「いやいや、それもなぁ……」


 シャープペンがここで止まる。単純で簡単な矛盾の解消方法。『怨霊が嘘をついている』というのはどうにも考えにくい。

 何せ死んで、恨んで、殺したいと願ってああなったんだ。その根源となる部分をちょうどそこにいただけの俺に、わざわざ嘘をつく理由がない。理性的ではなく狂気に染まっているがゆえに『嘘をつく』という理性的で合理的な判断ができるなんて思えない。

 彼女のことを信用し始めているくせにこう思うのはあれなのかもしれないが、俺は根本的にあの怨霊の言葉を信用しているんだ。


「だー! わかるかこんなの!!」


 なんでも貫く矛と絶対に壊れない盾の勝負の結果を予想しろと言われている気分だ。意見が決定的なまでに食い違っている。折衷案など存在しない。必ずどこかに事実との乖離が存在するはずなのだが……それがどうにも見つけられないのだ。

 ペンを投げ出し、ベッドに転がる。わからないものはわからないし、理解できない以上何をしても無駄だ。考えてわかる類の問題ではないんだろう。一つ大きく息をつき、眼を閉じるとそのまま俺の意識は深く深く沈んでいった。




 ――そう、俺にその理由が判断できず、彼女が俺の警告を無視して生活する。それが意味するのは一つだった。


 朝、俺は閉じようとする瞼をこすりながらリビングで朝食をとっていると、そのニュースがクラスのメッセージアプリに流れた。


『松下さんが昨晩路上で倒れているところが見つかって、今は病院で意識不明らしい』


 カランカランと持っていた箸が転げ落ちていく。予想できたはずだった。俺が決定的な矛盾を前に投げ出してから三日だ。あの悪霊が事を起こすのに十分すぎるほどの時間があったともいえる。

 いや、むしろ死んでいないのが救いだ。殺されなかった理由はわからない。きっとあの悪霊は殺すつもりでやったはずだ。発見が速かったのか、力が足りなかったのか、理由は定かではない。わかることはただ一つ。


 ――次は、ない。


 ただそれだけのシンプルな答えだった。

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