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第4話 変調

九月二十五日、水曜日。

この日の朝、カフェテリアで、サラが本日の連絡事項を高らかに告げた。


「平和的な協議の結果。バトルの種目は、『スペード』たっての希望で、ブレイクダンスとなりました!」

交流戦の発表から早五日。すっかりおなじみとなった光景に、速水はうんざりしていた。


というのも…毎朝、毎朝、運営から何かしらの平和的な決意表明があるのだ。

言っても、昨日もおとといもその前も、単に『今日も頑張りましょう』と言う感じだったので、今日のはまだ内容があるだけマシだ。レオン曰く、これは運営が飽きるまで、だいたい一週間ほど続く…らしい。


今回の交流戦は、ジャックはジャック、五番は五番。

それぞれ同じ番号の相手と戦う事になるようだ…。


速水は、熱の籠もった『何としても勝たないといけません、世界平和のために我々―』と言う合唱を、左手で頬杖をついて聞き流しながら、少し右を向き。


「ファ…」「なあ、レオン」

大あくびしたりして自分と大体同じ様子のレオンに、退屈そうに尋ねた。

レオンがこちらを向く。

「ん?何だ?」


「交流戦って、どの部屋でやるんだ?」

ここには速水がまだ入った事の無い大きめの部屋が、幾つかあった。

そのどれかだろうか?


「ああ、違う。外だ。運営が連れてってくれるんだよ。目隠し付きで。その都度違うが、まあ、そこそこ有名なハウスだったりする」

レオンはそれなりに楽しげだ。アメリカ人なら分かるのだろう。


「へぇ?楽しみだな」

速水も口元を緩めた。


「…お前、脱走とかするなよ」

何故かレオンにそう言われた。


「『スペード』は前日こちらに到着、一日逗留予定です!」

その間も運営が説明を続ける。


「客は地下一階に泊まるんだ。時差の調整らしい」

レオンが言った。

「あそこは運営のオフィスかと思ってた」

「ああ、オフィスはこの裏だ」

運営のオフィスは地上だったようだ。

確かに、土地があれば地下である必要は無い。

そもそもなぜ下へ向かって掘ろうと思ったのか。何かのこだわりか?普通に上に向かえば済むだろうに。

ものすごく隠れたいとか、周囲の森を保護する為とかか──?速水は適当な事を考えた。


「世界平和の為に──」

つまりトラブル回避のため、スペードとの食事時間はずらされ、移動後まで顔を合わせることは無いらしい。


その後、全員に交流戦までのスケジュール表が渡された。

渡したのはそれぞれの世話役だ。

「サンキュー、エイブ」

ノアが背の高い、細身の男に言う。

やはり他の世話役もパンストをかぶっている…。


「サンキュー…、えっと、良い服だな」「…、ありがとうございます」

速水もエリックから受け取った。


周囲を見ると、絵札四人には世話役がそれぞれ一人ずつ。

それ以外のメンバーには八番・九番・十番の三人に対し一人。

残り二番から七番までに一人だった。

こういう所に待遇の差があるようだ…。


ちなみに、欠番はいつの間にか新しい人間が入っていた。

片方は若い黒人で、おそらく二十代前半?

もう片方はヒスパニックだろうか、十五歳くらいに見える…。

どちらも男だ。彼等は二ケツからのスタートなようだ。


それに伴って、多少順位の入れ替えがあったらしく、速水がカフェテリアに入った時、丁度アメリアが掲示を見て「見て見て!すごい、一気に七に上がったわ!」と喜んでいた。

速水も「良かったな」と言っておいた。

彼女は速水にそう言われ、嬉しそうにしていた。

キャシーは十番のまま据え置きで、ベスに愚痴…、遠回しな皮肉?―を言っていた。



■ ■ ■



「…どうだった?」

その日、ラストランに戻って来た速水に、レオンが神妙な顔で聞いた。


レオン達は合同ワークで午後からずっとブレイクダンスの練習をしていて、先程ラストランを終えた所だ。

練習といっても、二人ずつで組んでひたすらバトルするのだ。

番号が近い者同士、また上や下とも。


速水だけは別メニューで、それに参加していなかった。

彼は指定されたワークの成績を、『スペード』との交流戦までの一ヶ月で、レベル7まで上げないといけないのだ。

彼が合同ワークに参加するのは、約二週間後の十月七日からだ。


「セーフ」

速水は言う。

セーフと言うのは、レオンと速水の間ではペナルティ無しと言う意味だ。

「あと今日の分は全部上がった。…この分ならホントに二週間でいけるかも」

「!全部上がったって、本当か?嘘ついてないよな?」

レオンが確認する。

「はぁ?何言ってんだ」

速水は不満そうだ。


「いや、今までペナルティが当たり前だったから。信じられん」

レオンは言った。

実は、ここ数日は全く平穏な日が続いているのだ…。

つまり速水はクリアまたはランクアップばかりしている。


昨日の射撃-自動拳銃リトライはランクアップはこそ出来なかったが、882ポイントを取って危なげなくクリアしたし、ブレイク『B-11』は一発でランクアップ。

──これは速水がサラに言って昨日の予定にぶっ込んだ物だ。本来は来週のハズだった。

どうやらレオンにワークの内容を聞いて出来ると思ったらしいが…サラに指定された中にブレイクは入っていないし、失敗すればペナルティなので、リスキーな事をする…。


そして先日、その他C~Fも、Dの『ヴォーグ』以外は全て落とさず1000を取って3へと駒を進めた。

上がれなかったヴォーグも、700ポイントはギリギリで取った…。だと?


確かにしっかり対策は教えたが…未だレオンは速水の報告が信じられないらしい。


「まだどれもレベル2とか3とかだろ」

速水は少し不機嫌になった。

ワークの内容はどれも入門、基礎練習ばかりだ。


ちなみに一回のワークはレベル1~7までは三時間。

8~15までは一回が四時間になる。

…サラはその点を考え、レベル7までと言ったのだろう。


つまり、先日速水が落としたB-10、パワームーブは上手くすれば四時間で済んだはずだったのだ。

まあ、その次1000は取ったが。


「あれ…。そう言えば、俺たち、ハヤミが踊るのまだ見てないよね」

ノアが呟く。

「ん?」

レオンはノアに言われて初めて気が付いたようだ。

「あ」

速水も気が付いた。そういえばそうだ。

ワークはレベルが同じ者でまとめてする事もあるらしいが…、基本的にマンツーマンだ。

レオンが速水をいまいち信用していない様子なのは、そのせいかもしれない…。


だったら見せれば良いのだと速水は思った。

レオン達のブレイクにも興味がある。レオンは外では一応プロのクランパーだったらしいが、ブレイクもB-15まで行っているし、当然かなり出来るだろう…。

ノアは全く未知数だ。そうだベスも呼ぼうか?

「じゃあ、今から?」

速水は言った。

「でも、終わった後は、いつもすぐ引き上げだし」

ノアが言う。

「ふう。何の話?」「おつかれ」

ベスが走り終え、こちらに近づいて来た。

ノアはタオルとドリンクを渡し、意識は一旦そちらへ向く。


「引き上げって…二人とも、まだ体力あるだろ?いつも練習とかしないのか?」

速水は聞いた。

「俺はたまにやるぞ」

レオンが言う。

「ノアは?」

「俺はあまり。っていうか練習ってそんなに要る?」

ノアがこちらを振り返って言った。

聞くと、ノアは平常時、ワーク以上の練習をあまりしたことが無いらしい。

もちろん交流戦の間際や『フェスティバル』が近い時や、凄く苦手な物があるときは例外だと言った。


「どっか空いてれば使えるはずだ。聞いてみろ」

レオンが速水に言った。

「分かった。サラに聞いてみる」

さっそく速水は内線を取った。


「ああ、ハヤミだけど。サラを。………、サラ、頼みがある。今からレオン達と居残りで練習したいんだ。空いてる部屋とか無いか?…、え?2階B室?…ああ。オーケー。ありがとう」

速水は微笑んだ。サラにはすでにかなり世話になっている。


「あいつ…、サラ狙ってるんじゃ無いだろうな」

レオンがその様子を見て言った。

「案外、サラの方がまんざらでも無かったりして?結構ひいきしてるよね」

ノアもニヤニヤ笑って言う。


「?さ、行くぞ。ロック開けたってさ」

「じゃあ、行こうか。まあ、…暇だしね。ベス!行くよ」

ノアはやや乗り気らしい。


「ベス、明日は負けないから。覚悟してね」

「―はいはい。──え?」

ノア達の成り行きを見守りつつ、絡んでくるキャシーと話していたベスは、ちょっと目を見開いた。そして控えめに噴き出した。


「え?…ベスも来るよね?」「キャシーはどうする?」

ノアと速水が言う。

「あら―?」

キャシーも何かに気付いたらしい。


「おい、お前ら…飯は?」

それを代弁してレオンが言った。

「「あ」」

速水とノアはすっかり忘れていた。


顔を見合わせる二人を見てベス達は大笑いし、さらに夕飯で散々ノアをからかい、ノアはもう良い来るな!といきなりヘソを曲げた…。

その結果、速水はレオンを入れた男三人で下に降りる運びになった。


■ ■ ■


二階、B室。


そこに速水は初めて入った。

場所的には、ランニングルームの隣。ここは硝子張りのランニングルームと違い、全く中が見えないようになっている。

ワークに必要の無い部屋はロックが掛かり、入れない。


「ここは競技会とかフェスティバルとかの練習用。合同ワークでも使う」

レオンが扉を開けて言った。

「なんだ、スタジオあるんだ」

速水は部屋に入った。くるりと見回す。


舞台、まあまあ広いフロア。音響設備。


「何だ、あるんだ!音原は?」

彼は目を輝かせた。

「こっちだよ、CDがある」

速水はノアの方に駆け寄った。


壁に備え付けられた棚に、CDやレコード盤がぎっしりと収まっている。

「この端末にもデータが入ってるが、これは時間外は使えない」

レオンが備え付けられた端末を叩く。


「あ、これ!…おお…、でどうするんだ?」

速水は子供のようにそれ手にとって見る。

「今日はこれで流そう」

レオンはロッカーからコンポを持ち出し苦笑した。


「なんだ、あるんなら、もっと早く来たら良かった…!どれでやる!?何踊る?」


…こいつ、本当に速水か?


速水のいまだかつて無いほど嬉しそうな様子に、ノアとレオンは面食らった。

「お前大会では、何踊ったんだ?」

「ええと、課題曲なら多分ある。あった。ジェームズ・ブラウンの…」

速水が探す。

「あ、それ知ってる!」

ノアが言う。

「あとジャックと出た時のは…DJ・W・ヒルトンの…あ、あった!」


「ハヤミって、B-BOYだよね?」

「ああ。メインは。でも即興で色々やる」

速水はとん。とん、と軽く跳ねた。その動作は軽やかだ。


「バトルする?」

それを見て、ノアも乗って来たようだ。

「オーケー!じゃあやるか。レオンは審判な」

速水が言う。

「レオン、適当にかけて!」

ノアも言う。

「ってなぁ。メジャーなので良いか?」


ここにある曲は、どれもノアが昔から良く踊っている曲だ。

ブレイクダンスを踊るときにかけるブレイクビーツも、もちろん有名どころは用意されている。


外でプロだったレオンから見ても、ノアはブレイクダンスもプロレベルだが、速水はどの程度のレベルなのだろうか。

そこでふとレオンは気になった。

「おい、速水お前、他に大会は?」

「?」

速水は首を傾げた。

質問の意味が分からなかったらしい。

「お前、だって今十七歳だろ?ジャックと優勝したのが十六だろ?それまでに幾つか大会に出たのか?」


ダンスを、特にブレイクダンス、ヒップホップ―、それらをやる人間は、とにかく早熟だ。

五歳くらいから始めて、才能があればすぐに天才と呼ばれ。十一、二歳にでもなれば、大会の優勝、入賞を幾つも経験する。

プロになるなら、場数を踏むのは大切だ。


ショウビズの世界で食っていくにはもっともっと多くの経験、最低でも名のある世界大会での優勝―、実績、人気が必要だが、まさかそれまでに大会に出たことが無いという事は無いだろう…。


「それか…どこかのチームで踊ってたのか?」

レオンは言った。

あるいはその可能性もある。

ソロで無ければ、速水は有名、又は無名なチームのクルーで、たまたまジャックの目にとまった。

と言うのも自然だ…。


「ああ、そういうことか」

そのさわりだけで速水は納得したらしく、苦笑した。


『え?今まで大会出なかったんですか?一つも?』

『―、それはすごく遅いね』


彼はいくつかの企業との契約の際に、よくそう言われていた。

ジャックの友人達にも、必ずと言っていい程、大会出場経歴を聞かれた。


「俺はジャックに会うまで大会出るとか、考えた事も無かった。あ、一回、十歳くらい?にダンススクールで内輪のトーナメントに出たけど。その時は別に出ただけで、入賞もしなかった。日本じゃ普通だと思うけど、他じゃ、遅咲きだってよく言われる」


この世界、ダンスの上手い奴はごまんといる。

みな実力伯仲の状態であるからこそ、無名と有名の差が大きいのだ。


「そうか…。ま、日本はそうなのかもな」

レオンが聞いた話だと―、速水はジャックと組んで世界大会で優勝した。

毎年四月に行われる、かなり有名な世界大会だ。

ジャックはその大会の常連で、生ける伝説と言われるほど有名なプロだし…、それで無名だった速水も一気に注目されたのだろう。

それまで大会に出なかったというのが不思議だが、確かに、それなら十六でも遅くない。


だが、彼はその翌年一人で出場し、準優勝している?


って―、ちょっと待て。レオンは再生ボタンを押そうとして指を止めた。


「おい。待て。速水、先に踊れ」

「?先攻か。分かった。早くしろよ!」

速水はすぐにでも踊りたそうだ。


「…ジャックと出た時の、優勝した踊りできるか?」

「そりゃ出来るけど、さっきのアルバムの頭の曲だ。でもアレは二人用の振りだけど、アレンジは?」

速水は気づいていない。


「そのままでいい」

「…」

ノアは、気が付いたようだ。

「ノア、大丈夫か?」


「レオン、俺…」

ノアが心配そうに言った。


ノアは、四歳でここに入り―、もうずっとここから出たことが無いのだ。


「大丈夫だ。ノアはハヤミにも負けない…はずだと思う。俺が保証する」

実際、ここのレベルは高い。

そんじょそこらのプロが入って来て、全くついて行けないと言う事もある。


レオンも幼い頃から天才と呼ばれていたが…ここに入った当初はかなり苦労した。

ここの七番以降のメンバーは、十八歳当時のレオンより上だろう。

ノアはレオンと並び、ここのトップだし、過去の交流戦でもかなり上のクラスだ。


ここはダンスの精鋭を育てるスクールでもある。むしろそれが主だ。

10からは合同で戦うし新曲はかならず踊らされる…。


しかし。速水は、…踊りたくて踊っているのだ。

外の世界で。自由に。

プロの世界で。すでに──。


…それで、運営は速水を攫ったのか。


速水を踊らせる前に気が付いたのは、僥倖だ。


「―じゃあ、かけるぞ」

レオンは厳かに言った。


「ああ」



──そこに居たのは、知らない人間だった。


エントリー、フットワーク。

パワームーブ。


技だけなら、ノア、ベス、レオンも同じくらいは出来る。

踊りも、負けない自信はあるし、実際、実力は伯仲しているはずだ。


だが──決定的に違う。

違いすぎる。


そして、フリーズ、…フィニッシュ。


「―凄い」

ノアが言った。


「ふう。…」

速水は、浮かない顔をしている。

「良いじゃないか。どうした?」

レオンは控えめに褒めた。まさかこいつがこれほどのモノだとは…。


「…外に出たい」

速水は、そう呟いて──、涙を流した。


「外に出たい…」

彼はガクリと膝を付いた。


「俺、こんな狭いところに居たくない…。むりやり変な授業して、―俺はなんでこんなトコにいるんだ!?外に出たい!!出て、出て、踊りたい!!」

速水は床に伏せて泣いた。


彼にとって、ダンスは人を喜ばす為にだけある。

機械相手に、得点を稼いだり、ペナルティを避けるために頑張ったり。そういう物では絶対無いのだ。

もっと、自由で、でも苦しくて、でも楽しくて。

皆が喜んでくれる―!!広い世界の。ステージの。


「もっと練習しないと、遅れる!!全然駄目だ!!こんなトコじゃ何も出来ない!」


「ハヤミっ、おい落ち着け!!」


レオンが暴れる速水を抑えようとするが、何を言っても速水は出せ出せと叫び続けた。

ノアはそれを呆然と見ていた。


■ ■ ■


変調があったのは、その翌日だった。


「ふぁ」

レオンは目を覚ました。今日も合同ワークか。

まあ楽と言えば楽か。


あの後、レオンが殴って、ようやく落ち着いた速水と部屋に戻り。

速水はさっさと寝た。彼は一言も喋らなかった。

まったく、どこまでガキなんだ。

レオンは溜息を付いた。珍しく今日はまだ寝ている。そろそろ時間だ。


「…、おい?起きろ」

レオンは声を掛けた。

「…」

反応が無い。すねているのか?

「?おい、起き…、げっ」

レオンは顔を覗き込んで、げっ、と言ってしまった。


速水が、ベッドの中で頭を抑えて、しんどそうにしている。

…どう見ても熱を出している。


「おいお前…」

レオンは舌打ちした。どんな軟弱だよ!

「悪い。エリック呼んでくれ。頭痛薬もらう…」

「分かったよ。ちっ。ワークは休めないからな」



「ハヤミ…あなた大丈夫?顔色悪いけど」

朝、二階のランニングルームで走った後、ベスが聞いて来た。

「…何とか」

「ペナルティ喰らうなよ」

「…何とか」

レオンの言葉に速水は同じ言葉を返した。


「ねえ、ハヤミどうしたの?風邪?」

ノアが速水でなく、代わりにレオンに聞いて来た。

「風邪か、知恵熱か。全く。とんだ子供だ」

「でもダンスは凄い…。レオン、俺、今日から居残りする。ハヤミに負けたくない」

ノアは言った。

「まあ、負けてるって事は無いぞ?」

レオンは言った。実力は同じくらいだ。

「俺は勝ちたいんだ!」

ノアは怒って出て行った。



「…ハァ…」

そして速水は、何とかその一日をペナルティ無しで乗り切った。

乗り切っただけで、ランクアップは出来なかった。

どさっとベッドに倒れ込む。


「大丈夫か?」

「…何とか」

また速水は同じ事を言った。



■ ■ ■




そんな事もあったが、速水は翌日には回復し、順調にランクを上げていった。

しかし。九月三十日、月曜日。


「…」

レオンはうんざりしていた。

速水に肩を貸し、二人は部屋に戻ってきた。


「いって…」

速水はベッドに倒れ込んだ。


「お前、座学は相当駄目だな」

レオンが心底呆れた口調で言った。

今彼が言っているのは、今日の音楽の座学1に関する事だ。


今、速水の主なペナルティはほぼ、ゲテモノ──ことウルフレッドによる、下品で暴力満載なスパルタナイフ講座になっている。

…もちろん、これは異例の好待遇だ。運営はとにかく必死らしい。

下手に速水にペナルティを課してへばられるより、どんどん上に上がって貰って、そしてあわよくば交流戦に勝って、実績を作りたいのだ。


しかし、ゲテモノっぽくても実は人間。ウルフレッドにも当然休みはある。

月、水、木、がウルフレッドの定休日だった。

彼はレベル10からの選択ダンス、―キングタット、C-walk、タップダンスを教えるトレーナーなのだが…。

レオンは、あえてそれを選ぶ奴は少ないし、結構暇なんじゃないかと言っていた。



「…」

速水はおもむろに起き上がって、キャップを脇に置き、靴を脱いで、ベッドの上に正座した。

そしてベッドサイドに立つレオンを悪い目つきで、本人的には神妙に見上げる。

実家が茶道の家元なので、彼は説教と言えば正座だと思っている…。


速水が座学を落すのは二回目だった。

一度目はウルフレッドにナイフを教えてくれと言った日。九月二十三日の月曜日。


速水はもはや、強引にサラを巻き込んで、自分の好きなようにカリキュラムを組み、ダンスの科目については、今も着々とランクを上げている。


Bブレイクは加減しているらしく、11のままだが、その他は5、4、5、4。

時折ペナルティは受けるが、皆が驚くほどのハイペース。


あと五日で彼が勝手に宣言した二週間なので、それは無理かも知れないが…この分なら本当に一月経たず7まで行くだろう。


これにはレオン、ノア、ベスも驚いた。確かに傾向と対策はみっちり教えたが…。

速水は意外に、ダンスの素養がある奴だったのだ。


…駆け出しとは言えプロだから当然かも知れないが、てっきりレオンは出来るのはブレイクダンスだけだと思っていた。

速水が言うには一応、子供の頃から、家の近くにあったダンススクールに通っていたらしい。そこで一通り教えて貰って、後は独学とか、ジャックに基本を教わったのも結構ある、そう言っていた。


「―で、なんでそこまで出来て、音楽の座学1がサッパリなんだよ。サボりか?」

レオンは溜息を付いた。


「…さぁ?」

速水は見上げたまま曖昧に笑い、レオンの長い足で蹴飛ばされた。

「いって!」

「さあ、じゃない。教養はともかく、基本リズムとか、メロディーラインとか、裏拍とか。あと楽譜起こしか?まあそれはお前には無理かも知れないが──そんなの簡単っていうより、初歩の初歩だぞ?お前、それ無しで今までどうやって踊ってたんだよ!」


「…どうって、別に、そのまま。それに、音楽座学とか音楽教養はサラが言った中に入って無い。…まあ、やるけど!やるって!」

次は首を絞められたまま、速水は言った。


ちなみに月曜はまとめて座学の日で、他に語学、数学、スポーツ医学などもある。

そちらはさほど問題無いらしい。

語学は、速水は英語ができるので他の言語を──興味があったスペイン語を選択したが、それもまずは初歩のつづりから。

数学1は、日本なら小学生一、二年レベル。ダンス馬鹿や子供も学ぶので難易度は低めだ。


しかし今週から開始予定だった、スポーツ医学はまだ始まっていない。


今朝エリックが伝えたこの変更は、それより音楽の『お勉強』をもっと頑張れと言う運営の声に違いない。

おそらく速水の点数を見た運営が、急遽音楽の座学、音楽の教養を増やし──まあその結果が久々のペナルティだった。


「…今日は何ポイント取った?前より上がったか?」

一週間前、医務室から戻り目を覚ました速水から聞いた点数を、レオンは思い出したくない。

音楽1と音楽教養1。

「116と…32ポイント」

速水は少々項垂れた。

もちろん、700でクリアだ。


レオンは天を仰いだ。ほんの少し上がったが…もうこれは駄目だ。絶対的に無理だ。


何で月曜はウルフレッドが休みなんだ…!

速水より、速水の世話するレオンがそう思っている。…運営やリンチ役の紙袋も、こんな馬鹿の為に出勤とは気の毒に。

先週わざわざ部屋まで運んでやったのを、レオンは心底後悔している。


「次は落とすなよ!!いいか、ダンスくらい死ぬ気でやれ!!!…ハァ…」

レオンはもう役立たずのトレーナーよりも、俺が教えた方が早いんじゃ無いか?とさえ思っていた。


「…そうする」

速水はエリックにわざわざ頼んだ日本製のシャーペンを持ち、日本製のノートを開いた。

まだ彼はベッドの上だ。


そして速水はノートに一、二行ほど何か書いた後、よし、と言ってそれをパタンと閉じた。

「ヤレよ」

「もうやった」

「うそつけ。ふざけてるのか」

レオンはノートを速水から取り上げた。

バラバラと乱暴にめくるが、やっぱり、余白が多い。こいつ、紙を無駄に使うタイプか?

どれもページの半分ほどで取るのを止めている。

レオンは日本語が読めなくて苛々した。ページを速水に向け開いて指を差す。

「読んでみろ。ここ何が書いてある?」


その様子を見て速水は首を傾げた。


「…レオンは日本語、勉強しないのか?」

そして逆に尋ねれらた。

「…もう知るか!」

レオンは匙を投げ、ノートを床に投げ捨てた。


それでも一応拾って気にするあたり、レオンは面倒見が良い。

「ちっ…お前、一応プロだったんだろ?勉強しなかったのか?」


「したけど。そんなに好きじゃ無かった…、っていった!」

速水はノートで頭を思いっきり叩かれた。


■ ■ ■


翌日。

月が変わって、十月一日の火曜日となった。交流戦まであと二十日。


「ハヤミ、今日も行く?」

その日のワーク後ノアが呟いた。


今日はレオンはまだ来ない。

…と言うか、昨日の一件があるので来ないかも知れない。


「ああ。ノアは?できればちょっと見て欲しい」

速水は答えた。

「え、俺?どうしようかな。まあ、暇だから付き合うけど…」

「サンキュー。ああ、サラ―、今日も…」

内線を取ったら、もう開いています、と言われたらしい。




「ホント良くやるよな…」

そしていつものB室で、ノアは少々呆れつつ踊る速水を見た。

今日はノアは指導兼、見学をするつもりだ。


しかし速水は余程のダンス馬鹿だ…。きっとサラ達も呆れている。

が、皆に…特にノアに良い影響を与えているのは間違い無い。

エースになってから、居残りなんてしたこと無かったノアがやる気になっているのだ。

レオンも、ベスも珍しく『スペード』に勝つ気で居る。


──やはり、絵札が四人そろうと何かが違うのかもしれない。


エイブラハム…ノアの世話役は、速水の来週からの合同ワーク参加が楽しみです、と呟いて、ノアも是非頑張って下さい、とにこやかに言っていた。


けど──、何だろう?この感じは。

ノアは首を傾げた。


ブレイクでは無い。今、速水はヴォーグを練習している。

今まであまりやったことがなかったらしく、少々手こずっているのだ。


ヴォーギング、またはヴォーグは、簡単に言うと、時折目線や動きを止め、雑誌の表紙のようなポーズを取ったりするダンス。振りはスピード感があり複雑だ。動きはまるでファッションショー。かなりキザっぽいダンスとも言える。このダンスは複数で踊る事も多いダンスだ。

複数で踊ると複雑な動きが綺麗に揃い、様になる。

速水のソレは下手なわけでは無い。どうかと聞かれたら上手いと言える。

だが、大人数で合わせたら―?


「速水ってさ」

「…?」

速水が踊りながら、ノアに目線を向ける。


「結構、リズム音痴じゃない?」

ノアは言った。


「…っ!」


痛いとこを突いたらしい。速水が曲の途中で固まった。


「あ、気にしてた?あははっ!」

ノアは大いに笑った。

「…、…」

速水は二の句が継げないようだ。

「別に、ヘタじゃないけど、間の取り方が変わってるから…、合わせたら浮くだろうね。個性的っていうか?まあ、ブレイキングなら一人だし良いのか?…、そう言えば、ジャックと二人で、ブレイクやったんだよな?どうだった?」


速水が、すっかりずれてしまった曲をカチ、と止める。


「どうって、別に、ジャックが曲選んで、俺が適当に…動き決めて踊った」

「え?あの振りを考えたのって、ハヤミ?ジャックじゃ無いの?」

「ジャックは、お前がやってくれって言った…」

速水はあまり話したくない様子だった。

ノアはふうん、意外。と呟いた。


「ノアは、…ジャックと親しかったのか?」

速水が聞いた。

「うーん、ジャックがいた頃、俺はまだ下の方だったけど、結構可愛がって貰ったかな…。ほら、ジャックはとにかく優しいから。ベスも、レオンも、良くコーチして貰ってた」

ノアが、楽しげに語る。


速水の覚えて居るジャックも、確かに普段は激甘だった。

だが、一度ダンスとなると──。

「思い出したくない…」

速水は呟いた。あのタコめ。四時間睡眠、あとは一日中踊り続けるとか、ザラだった。

ブレイクだけじゃ潰しが効かないからと、習ったっきり忘れかけていた色々なジャンルも踊らされた。それも、武者修行と言う名の酷いスパルタで。

ジャックは顔が広く、教師には事欠かなかった。

…そのおかげで今ついて行けているとも言えるが。まさかこうなる事を見越していた?

だったら余計腹が立つ。


「ねえ。ハヤミは、どうしてダンスを始めたの?」

ノアがコレがずっと聞きたかったのだ。と、言わんばかりな調子で言った。


「…母親が、日本舞踊やってて…かな。三?…いや四歳くらいから始めた」

速水は答えた。

「へえ、四歳。ニホンブヨウって?どんなの?」

「歌舞伎って分かるか?何かあるかな…無いか」

ここには日本の曲も少しはある。

速水は棚への方に移動し、近い物が無いかぱっと見上げたが、ありそうも無かった。


「カブキ?…ううん。ゴメン分からない。俺、四歳でここに来てから…本当に交流戦くらいでしか、外に出たこと無いんだ」


それを聞いた速水は不思議に思った。

ここに居る者は、皆、契約を交わして入るらしいが―。


「ノア、お前、どうやってここに来たんだ?契約書はあるよな?家族は―?」

速水は振り返った。

言って、聞かない方が良かったかもしれない、と思った。


ノアが皆を『ファミリー』だと言うのは―。

ノアにとっては。まさにここのメンバーがそうなのだろう。


「…いや」

速水は目を伏せて、そらした。

その動作で通じたらしい、ノアが苦笑した。

「別に良いよ。俺、四歳まで教会にいて…。そこにいきなりスカウトが来たんだ。契約書は十歳で貰って。ペナルティもそれから」


ノアはよいしょ、と腰を下ろし、手元のボトルを眺めた。

「…俺だって、外に出たいよ」

その声は少し沈んでいる。


速水はノアから少し離れ、立ったまま壁にもたれた。

その後、ノアに目線で促されその場に腰を下ろした。ノアは会話がしたいらしい。


「俺、ハヤミがうらやましい。―外って、楽しい?」

ノアが隣の速水を見る。

きっとここよりは楽しいんだろうな、そうノアの目が言い、きらきらと輝いている。


速水は、彼になにか外の話をするべきなのだろうが──。

そう、例えばダンスの話とか?


速水は前を向いた。

「──、ノア。きっと踊れれば、同じだ。外も、ここも。──けど、どうせなら、広いところで踊りたいよな」

彼はそう言って、颯爽と立ち上がった。


「何か…そうじゃない。…まあいい。ハヤミって…。はぁ…ダンス馬鹿なんだな」

ノアも立ち上がる。速水の答えが気に入らなかったらしい。


「あ、そう言えば、レオンは?まだ来ないな」

馬鹿と聞いて速水は思い出した。


「今日は来ないだろ。32ポイントとか、さすがに馬鹿すぎ。…あんまり迷惑かけるなよ」

「ああ」

馬鹿と言われ速水は苦笑した。話はもう方々に広がっているらしい。


その後、ノアが軽くタップダンスを踊った。

見ているだけのつもりだったらしいが、軽く身体を動かしたくなったらしい。


カタカタ、カタと小気味良い音がする。

ノアは今、丁度皆が嫌がるタップダンスを習い始めたばかりだ。

絵札になるにはこうした追加の点数稼ぎが大切らしい。


全てがレベル10に到達したら選択出来るダンス、その内容はほぼ全てのダンス網羅していると言っても良いくらいだ。

もちろん、ポールダンス、ベリーダンスなど、女子専用のメニューもあるが。

速水はターフダンスまであるのに驚いた。


「まあ、こんなもんかな。でもタップって簡単だよね」

ノアは呟いた。

速水はそんな事は無いだろ、と思ったがノアにしたらそうなのだろう。


ノアは素晴らしい音感と、リズム感。抜群の身体センスを持っている…。

レオンもぽつりと呟いて居たが、十六歳でこれなら、天才という種類の人間だ。

何より、存在感と華がある。


その後も踊り、十一時半ごろには切り上げ、部屋に戻る。

廊下は明かりが二つ飛びに減っている。


「ノアは凄い。レオンもそうだけど…ここ、確かに外よりレベルは高い」

戻る途中、速水は呟いた。


これだけダンスばかりやればそうなるのだろう。

才能のありそうな人間をスカウトしているようだし。

「そうかな」

「ノアはもし出られたら、プロになるのか?」

「まあ、暇だから、なってもいいかな…出られたらの話だけど。っていうかここ出たら、ネットワークから一生仕事貰えるんだよ?自動的にプロ。知らなかった?」


そして世話役はマネージャーになるらしい。

…監視役の間違いじゃないかと速水は思った。


ノアが言うには、だから皆、厳しくても入りたがるのだと言う。

速水には理解出来なかった。


「ここはまあ、ちょっと落ちこぼれてるけど、別の大陸じゃ、入る為にオーディションするんだって」

「は!?何で?」

速水は耳を疑った。こんな所に?わざわざ?

ヤバいペナルティとかあるのに?


「?別のトコって、…その話、何処で聞いたんだ?」

そして不思議に思った。

ノアはここから出たことが無いはずだが…時折かなり内情に詳しい。

レオンも、ベスも同じくだ。

「ああ。レイが教えてくれたんだ。結構昔の話だけど。昔はペナルティって言っても、朝までダンスレッスンだったんだって。今はトップが変わって、ちょっと変な感じらしいね…趣味悪いよね。ったく。じゃ、お休み」

レイとは、速水が自殺させてしまった老人だ。


「ああ」

ノアを見送り、速水は思い出した。



…あの日、アメリアが部屋に訪ねて来て。

アメリアは、まっすぐな金髪。はっとするようなブルーグレーの大きな瞳。そして見れば見るほど幼い、まだ十三歳の少女だ。

喪服のつもりなのか、黒いスモックを着ていた。


速水は当然、彼女にあやまった。


──まさか、こんな事になるとは思わなかったんだ。

──お祖父さんには、君にも、申し訳無いことをした。


実際そうなので、そう言うしかない。


しかしアメリアは。静かに首を振った。

『お祖父さんは、あなたにお礼言ってたの。やっと覚悟が出来たって…』

『…』

この少女はなぜここに居るのだろう。つらい事が多いのでは無いか…?


『君は、どうしてここへ?』

速水は聞いた。

契約は、一応は自由意志なのだろう。彼女の母がクイーンだったから、なのだろうか?


『私は…私が出られたら、おじいちゃんもいっしょに出て良いって条件で入ったの。お母さんは止めたけど…、プロになりたいから。ほとんど勝手に』

『…それは、すごいな。若いのに』

速水は言った。


『若いからなの。早く始めないと、この世界じゃやっていけないから。ねえ、ハヤミって本当に誘拐されたの?いきなり?外でプロだったて、ベスから聞いたけど』

アメリア興味津々と言う様子で聞いて来た。

キャシーは速水がアマだと勘違いしていたと言う。


いかにも無邪気なその様子に、速水は微笑んだ。


『まあ、駆け出しだったけど。活動始めようとした途端に、これだ。全く隼人が心配する…と思うけど、この組織の様子じゃ、色々上手くごまかされそうだな…』

『ハヤトって?フレンド?ブラザー?』


アメリアはごく普通の子供だった。

それを言うなら、ノアだって。


そして、速水は覚悟を決めた。

やってみようと、それだけだが。

そして彼にとって『やってみる』と言う事は、とことん我が儘を通す事でもある。



■ ■ ■



部屋に入ると、レオンは風呂だった。

速水は丁度良いので座学の復習をする。教わったことを思い出す──。

そしていつもの様に、レオンが風呂から上がる前に切り上げた。


「なあ、レオン」

「なんだ?」

速水はなぜここに来たのか、レオンに尋ね、その上で。

「契約って一人一人、結構違うのか?」

そう聞いた。

「ああ…。まあ、大抵、餌ぶら下げられるんだよ。…別に俺は大したこと無いから言うけど…、行方不明になった、ブラザーを探してる」

レオンはそう言った。

「ブラザーって…大きい方か?」

「ああ」

つまりは兄だ。


「兄貴もクランパーだったんだ。アマだったけど…。すごいダンサーだった。俺は兄貴に憧れて、クランプ始めて…運良く二人して映画に出して貰ったり、その後も監修したりして、二人で楽しくやってた。―けどある日いきなり…まあ今は、お前みたいに攫われたのかもって思うが──。…とにかく見つけたくて。親父を問い詰めてここに来ちまった」


レオンが速水の頭を乱暴にかき混ぜる。

やや恨みつらみが籠もっているようだ。


「ふうん。そうなのか。意外にまともだな」

速水は言って、レオンに本気で小突かれた。


「契約か…」

レオンにもあったのだから、皆それぞれ、ここで踊る理由があるのだろう…。


──ノアにも?

「ノアの理由って何だろう」

速水は首を傾げた。

四歳と、かなり幼くして入ったのだが…。十歳で提示されたのが、よほど良い条件だったのか?それとも強制で断れないのか?

「おまえな…、あまり詮索するなよ」

レオンは呆れ気味だ。


「分かってる。俺には関係無いし」

速水はシャワーを浴びるために立ち上がった。


…踊る理由なんて、人それぞれで良い。


■ ■ ■


そして十月六日の日曜日。


速水はいつも通りに、B室を借りて踊っていた。

今日は安息日なので皆は踊らない。


…ここの生活にも大分慣れて来てしまった。

交流戦まで、あと二週間。この調子なら、すべてランク7まで行けるだろう。


『外って楽しい?』

ノアの問いには適当な事を言ってしまったが…速水にとっての安息は、踊っている事なのだ。

…ひたすら踊れば、周囲の、余計な雑音も気にならない。


「ふう」

汗をタオルで拭く。

ノアは、ダンスが嫌いでは無いのだろう。

踊っている表情を見れば分かる。ベスは、速水が来てから楽しそうにしてるのよ、と笑っていたが…。


ドアがノックされた。


「?開いてる」

速水は首を傾げた。



「…失礼します」

入って来たのは、サラだった。


■ ■ ■



「サラ?何か用か」

速水は聞いた。


「新譜です」


「ああ…、ありがとう」

CDの入った紙袋を受け取る。

そう言えば、頼んであった。

試しに言ってみただけだが、まさか本当に用意してくれるとは。


「…お話が」

ドアを完全に閉め、サラはそう言った。声を潜めて。



「あなたを逃がす手はずが整いました」


「──!?」

速水は目を見開いた。今、何と言った?サラを見る。


「私は、純粋な組織の人間ではありません。ある場所に所属する者です」

だが、所属は話せない。彼女はそう告げた。

「…な…」

「私は、あなたを保護するよう、そこから命令を受けていました」

サラが、静かに語った所によると。


グローバルネットワーク、その会員の上の方。つまり上客に、速水の身を案じている者がいる。

その人物が、速水の契約に横やりを入れていた。罰則規定はその為に付けられた。


「あなたを攫えと指示したのは、ジョーカー。ネットワークのトップです。あなたが私の所へ来たのは偶然ですが、内密に報告し、ようやく…。明日、朝食時、カフェテリアで。もちろんここにいる全員が保護されます」


「…サラ、この部屋、大丈夫か?」

速水は言った。

全員とは、思い切った事をする。

しかも明日とは…何となく、焦りすぎな印象を受ける。その計画は大丈夫なのか?

速水はそう思った。


「ええ。盗聴器その他、確認済みです。カメラはありません」

「サラ、俺は良い。仮にここで一生を終えるとしても、誘拐されたのが馬鹿だったんだ」

速水はそう言った。

そもそも、あの刑事にまんまと騙されたのがいけなかったのだ。

自己責任とさえ言えるかも知れない…あの刑事も、ネットワークも許す気は毛頭無いが。


「何を言っているんです…!」

サラは窘めた。


その時には速水はもう他の事を気にしていた。

俺が偶然、ここに来た──?サラのいる?


「サラ。俺が言うことじゃないのかもしれないが…、そのジョーカーってのは、やっかいな──」

相手なのか。


そう言おうとしたとき、バチ、と音がした。

「!?」

明かりが、消えた。


「…っ」

サラが、出口を確認する。ロックが掛かり開かない。ガチャガチャと音がする。

「サラ?」

「時間が無いんです!あなたたちが下に移されると言う情報が入りました。ああ、もうやはり…っ、ばれてっ、クソっ」

サラが自動拳銃を懐から取り出した。速水には音で分かった。


扉には窓も無い。防音も兼ねているからだ。


「あなたたち?アンダー?」

速水はサラに問いかけた。

「ここの上位四人です。ここは、ただのスクール。アメリカ各地に幾つもある―、『フェスティバル』に勝てば出られるというのは、都合の良い嘘です。今のジョーカーは、地下ダンスで世界の実権を握ろうとしている、危険な人物です!」


「ダンスで実権…って」

なんだそれ。

速水は今更だが思った。


しばらく、速水とサラは入り口を張っていた。

しかし、何も起きる気配が無い。


「ただの停電…なわけないよな」

速水は溜息をついた。

「ええ。我々を朝まで閉じ込めるつもりでしょう」

サラはそう言った。

朝まで…速水は最悪な気分になった。


「サラ、誰が俺をここから出そうとしたんだ?」

とりあえず座る。相変わらず何も見えない。


「言えません…ですが、…、…申し訳ありません」

サラは口をつぐんだ。


速水は何となく、分かった。

おそらくサラは、こういうことに不慣れなのだ。緊張しているのが伝わってくる。

だからといって速水が慣れている訳でも無いが。


「いや。…サラはどうして運営に入ったんだ?」

「…私は、ここの出身でした。…平和な時代の。あなたの協力者とは、元々、私的な繋がりがあって…。…それも調べられていたのでしょうね…。申し訳ありません」

サラの声は震えている。


「そうか…。前のジャックじゃ無いよな」

「ええ。彼ではありません」


その後、闇の中でサラとほんの少し、雑談を交わした。

ペナルティをどう思っているかと聞いてみたが、仕方が無いと言われては、それこそ仕方無い。

速水は、この組織からいつか出られるのだろうか──、そんな事を考えた。

ヘタしたら、本当に、一生?


「隼人どうしてるかな…」

速水はそう呟いた。


彼は頻繁に隼人を思い出すが、何の事はない。他に友達がいないのだ。

父、兄、祖父とは絶縁状態。

一緒に茨城の別邸で暮らしていた母と祖母は、すでに他界。

それからそこも飛び出して、ダンスばかり。

親しいと言えるのは、珈琲の師である磐井と、死んだジャック。

そして親友の隼人。…本当にそれだけだ。


ジャックが死んだ今、隼人は、速水にとって余計に特別な存在となっていた。

小学生の時に出会い…、それからの腐れ縁。もうほとんど兄のような感じだ。

別に本当の兄や家族が嫌いな訳では無いが…。


だが、幾ら特別とか言ってみても、所詮は他人。いつかは離れるだろう。

今でも隼人のバリスタ修行とかで、良く離れてるし。末永く友人でさえあれば良い。

老後とか、あいつと一緒に将棋でもできるような?


…我ながら閉じきった、狭くて酷い人生だと思う。

けど一人でも、俺には踊りがある。

言いかえれば踊りしか無い。


寄る辺もなく、ただ踊るだけ。

…滑稽だ。


「なあ、サラ…」

何となく速水は落ち込んで、サラに話かけてみたくなった。

彼女は見た目はクールだが、案外そうでも無いのか?



「え?」

サラに声をかけた速水は、顔を上げた。

ぱち、ぱち。

と電気が付いたのだ。

時間にして、停電から十五分ほどか?


「ただの停電だったのか?」

「…分かりません。ハヤミ」


サラは、速水の手をしっかり握った。

「明日、上手く行くかは分かりません。駄目な可能性も高いでしょう。…ですが、ですが…っ。あなたが地下に落とされても、必ず我々が救い出します」


速水はさっきから、サラが泣いていたのは知っていた。

…声をかけた方が良かったのだろうか。速水には分からなかった。


「どうか、ご無事で…」

サラが言う。


「サラも。…いつか、珈琲をごちそうする。俺、バリスタでもあるんだ」

速水は言った。微笑むしか無い。


笑わなければ、泣くしかないから。



■ ■ ■



「レオン、さっきここも停電したか?」

その後、部屋に戻った速水はレオンに停電があったかと聞いた。


「ん?いや別に無かったぞ。何だどっか停電したのか?」

レオンはそう言った。

停電はB室だけだったようだ。


レオンはベッドに寝そべり、速水が作った語学用のノートを眺めていた。よほど暇なのだろう。

速水はそれを取り上げて、机の上に置いた。


「B室にサラと閉じ込められた。ほんの十五分?くらいだけど」

「へぇ。良かったな」

レオンはおかしな事を言った。

速水は首を傾げた。

「全然良くない。…なあレオン」

速水はレオンに明日の事を言うべきか、少し考えた。


「レオンはここから出たいと思うか?」

そして遠回しな事を言った。

不自然な停電…明日の計画は上手く行かないかもしれない。


「そりゃ、…まあ、契約では、出る時に兄貴の消息を教えて貰えるらしいが…。色々複雑なんだよ。まだ先は長いってな」


ふとレオンが起き上がり、真剣な顔でこちらを見た。


「そうだ。…一つ、お前に言う事がある」

「何だ?」

速水は首を傾げた。


「俺たちは、まあ、中々悪く無いダンサーだと思う。上には上が居るだろうが、お前も生意気な事を除けば一応、戦力になる」

「…交流戦の話か?」

速水は言った。

「いや。まあ、そんなトコだ。それで、その先、俺たちが『フェスティバル』に勝って外に出ることになったとする。が、実はそれで終わりじゃない」


速水は、レオンの言わんとする事が分かった。

レオンは…やはり知って入って来たのだ。


「『アンダー』ってやつか?」

速水は言った。

「―、お前、何で知ってる?」

レオンが怪訝そうな顔をした。

「さっき聞いた。俺たちが、もうすぐそこへ行くことになるかもって…」

速水は靴を脱いで定位置にそろえ、ベッドに座った。


一方のレオンは信じられない物を見る感じだ。

「お前、…マジで落としたのか?サラがそんな事話すなんて!」

そう言った。


速水は帽子を取った。

「多分、もう避けられないと思うから言うけど──」

洗いざらい話してしまおうか。

速水には速水の知らない協力者がいて、サラはその知己だったと言う事を…。


だが…外の世界、ジャック、隼人、磐井、サラ、アメリア、ノア、ベス、レオン。


「…やっぱり止めた。なんか疲れた」

速水は向きを変え、ぐったりと枕に顔を埋めた。


色々な事がありすぎた。


…彼は以前の、開けたようで閉じた世界に、ずっといたかった。

近しい者だけと関わり。踊って…彼等が喜んでくれる…それだけで十分だった。


けれど、ジャックが死んでから、誰かの為に踊って。

踊って。休まず踊って。とにかく踊って。

そして気が付けばこんな所に…こんなだだっ広い世界に来てしまった。


なんか、すごく疲れた…。


「おい?」

レオンの声がする。

速水はちらりとレオンを見た。…別にレオンは嫌いじゃ無い。

ノアだって、ベスだって、アメリアだって。

気まぐれにナイフで速水を苛める、ゲテモノことウルフウッドだって嫌いじゃ無い。

所詮そう言う感じだ。

つまり──それ以上はもう関わりたくない。

もちろんサラもその中、一括りに入っている…。


速水は枕元に置いた帽子を少しいじる。黒くて、つばの裏が赤い。

この帽子、ジャックがくれたんだっけ…。


「ジャック…あいつ、どうして死んだんだ。事故だと思ってたけど。ネットワークとか…」


うつ伏せたまま、息を長くはいて目を閉じる。

一瞬、脳裏を過ぎるのは一年前…あの光景。血まみれの…。


笑わないと、泣いてしまう。


思考が働かない。あえて働かせない。

今日も踊って良かった…疲れて眠い…。


「おい…、俺の話を」

「どのみち、明日になれば分かる。俺たちが出られるか、そうじゃ無いのか…」



レオンが何かを言いかけたが、速水は四時に起こしてくれ、と言って意識を手放した。


〈おわり〉



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