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第14羽 MD ⑥ラストステージ(前編)


四月四日。日本。


庭園と呼ぶ方がふさわしいような庭を持つ広い屋敷の門前で、中年の男達が門前払いを食らっていた。

インターフォンでは越しでは無く、直接対峙をしている。


「宗雪さま、…お願いします、どうか」

訪ねて来た男達は五名。全員スーツ姿だった。先頭の男は地べたに膝を付き頭を下げている。


「……」

それを無言で見下ろす和装の男性がいる。

藍色の着流し姿で、足袋と草履を履き、同色の羽織を身につけている。

彼の背後には体格の良い使用人然とした男が控えていて、こちらは灰色の和服を身につけている。


着流しの男は、他人に冷たい印象を与える男だった。

背は高く、年齢は二十代半ばに見える。

しっとりとした黒髪が額をよけて耳の前にかかる。白い肌、やたら整った顔立ち、細い眉、人並み外れてきつい目つき。


彼は速水朔の父親、速水宗雪だった。

若く見えるが、襲名からもう二十年余り。

見た目が若過ぎるせいで、良く長男と間違われるのが密かな悩みだ。


この者達は…『いい加減、息子さんの捜索願を出して下さい!』と頭を下げに来た刑事達、では無い。


宗雪はきつい目で、頭を下げる男達を一別した。

男達は萎縮した。


――直接対峙してやっているのをありがたく思え。

そう言わんばかりの目だった。


「峰山さん。片付けておいて下さい」「はい」

宗雪は穏やかに微笑み、使用人に言ってきびすを返した。


幾度か物音がして、しばらくして使用人が追いついてきた。

この庭は無駄に広い。屋敷からここまで十分はかかる。

「……塩は撒いたか?」

宗雪は穏やかな声で言った。

「はい」

使用人の峰山が頷いた。


「それで、――あの間抜けはどこにいる?」

宗雪がぽつりと呟いた。

「出雲さんは、今は沖縄に…」


「呼び戻せ。用が出来た」

真剣な表情で命令する。

「はい」


「……お待たせしました」

宗雪はまた、穏やかな表情を浮かべ、座敷に戻る。

隙の無い動作で正座し、客人達に中座したことを詫びた。

心の内で『茶席でなかったので、玄関まで出たが――やはりまた茶室に籠もるべきか』等と考える。


「昨今はこのあばら屋にも来客が多く、嬉しい限りです」

宗雪が微笑んで言った。

来客達もほっとしたように微笑み返す。男性二名、スーツ姿の女性が一名。

五十代半ばの年長の男性記者と、若いカメラマンの男性、そして編集者の女性だ。


彼等は茶道雑誌の特集記事を書くために来ていた。

宗雪は終始穏やかなまま受け答え、昼から続いた取材もそろそろ終わりだ。


「なるほど興味深い……。良い記事になりそうです。そういえば、今度、ぜひ息子さんの取材をさせて頂きたい、と思っているのですが…」

「…出雲、ですか?」

宗雪は言った。

「ええ。出雲さんは去年の水月賞を受賞されて、華道界からも注目されていますし。いかがでしょうか。先代はまだ早いとおっしゃっていますが、彼の全国行脚は有名ですよ。ただ、こちらとしても、あまりはやし立てるような記事にはしたくないので、実現するとしても、まだむこう、十年は先かもしれませんが…」

男性記者が控えめに言った。十年、というのは襲名後云々の話だろう。


宗雪は微笑した。

「取材に関しては本人に任せてありますので、どうぞ上手く捕まえてみて下さい」

「ええ、そうしますか。ですが、息子さんは今はどちらに?」

「さあ、どこにいるのだか…逆に聞きたいくらいですよ」

宗雪は小さく溜息を付いて見せた。


その後、宗雪は男性記者と、息子達に関するお決まりのやりとりをした。

「出雲さんなら、心配はいりませんよ、身を固めれば落ち着くでしょうし…」

男性記者がいつもの世辞を言った。

速水宗雪の父、つまり先代の家元はこの雑誌で連載を持っていて、毎月原稿を取りに編集者が来る。

その関係で、この家の跡継ぎである『速水出雲』が若くして茶道界の風雲児と目されている事もよく知っている。


わびさびの本質は才能で決まる物では無いが、茶の湯というのは不思議な物で、時折天性の才能ある者が生まれる。

――茶の天才が到達する境地は常人には計り知れない物がある。

天才が興したと言われる宗雪の流派は、元々そうした者が生まれやすいのだが…。


『速水出雲』はわずか十五歳で全ての茶事の修練を終え、二十歳を過ぎた頃には自ら茶事の采配を振るうようになった。

そして次第に、ゆっくりと。彼が誰の目に見ても明らかな傑物と分かるようになった…のだが。


―風雲児というか、むしろ、異端児というか―。

親の宗雪からすれば、頭痛と溜息しか出てこない。

一体、誰に似た?


「ああ、そういえば、…ご次男の朔くんは、どうされていますか?」

男性記者が言った。

「朔、ですか?」

宗雪は少し眉を動かした。

祖父の代から交流を初めて十余年。初めてこの話題を振られた。

この男性記者は、速水朔がブレイクダンサーになった事は知っている。

速水朔が昔から療養しあまり人前に出なかったことも。出雲と並び、色々、噂のつきまとう子供であったことも。


…速水家が茶道の家元であるだけに、一文書くにしても許可が要るのはやっかいなところだ。


宗雪は、また微笑む。

「次男は今は海外で頑張っています。自分で選んだ道です。やり遂げるまで、帰って来るな、と言ってありますよ。…生き残れるかは、本人次第ですが」


「…時期尚早、という事ですか。では、本日はこれで失礼します」

男性記者は心得た様子で言って、帰って行った。


■ ■ ■


宗雪は冷めた茶を飲み干した。


…この島国には独特な文化があった。

伝統と言ってもいい。


ネットワーク云々もやっかいだが、こちらも面倒だ。

速水朔が誘拐されて早二年。いい加減、方々で噂になっているのかも知れない。

…宗雪が門前払いにした連中も、噂を聞きつけて来たのだ。

あの記者も素直に、御許が速水の行方を心配している、と言えばいいのだが、どいつもこいつも…。


「どうも、お久しぶりで」

雑誌の記者達と入れ替わりで、警視庁の宇野宮大介が訪ねて来た。


「…またお前か」

宗雪はいい加減うんざりしていた。来客の多い日だ。

しかも宇野宮警視は記者と違い、アポ無しだ。


「峰山。あれを」「はい」

宗雪は峰山に文箱を持ってこさせ、障子を開け放ち、宇野宮を座敷に置いて一人庭を眺めた。

「潮目が変わるな……。宇野宮。土産だ。それを持って行きなさい」

宗雪は庭を見たまま言った。

「はあ。…先輩、これは?」

宇野宮が座敷で茶を飲みながら、蒔絵の文箱に不思議そうな目線を向けた。


「捜索願だ」

ごほっ、とむせ込む音が聞こえた。


■ ■ ■


『存分に探して、無事に連れて来てください』

と言う宗雪の言葉通りに、行方不明者、その中でも凶悪犯罪被害者として警視庁に「速水朔捜索本部」が設置された。

と言っても五十余名ほど。この規模の事件にしてはかなり少ないが、ネットワークや異能がらみの事件は外に漏らせない。これが限界だった。


宇野宮達は会議室の一つを占拠していて、宇野宮のテーブルの背後には時代遅れのホワイトボード。プロジェクターもあるが自由に書き込めるので、結局これが一番早い。ホワイトボードには宗雪直筆の捜索願が張られ、周囲には慣れないと判読できない文字で沢山書き込みがされている。これ以外に資料は無いし、手帳を出している者もいない。へたくそな文字を書いたのは宇野宮だ。


「という訳で、これが念願の捜索願だ。これで一応、大義名分が出来た」

宇野宮が言うと、ようやくか、やれやれ、という声が上がる。

本当は捜索願は無くても良いのだが…、速水の父親が納得していなければ、警察は表立って動けない。

問題の速水朔は現在、カナダのエリー湖、ピーリー島の研究施設に監禁されている。


約二ヵ月後の、六月一日。

ピーリー島でダンスパーティーがあり、そこに各国のエンペラーが招待されていると言う。

…ジョーカーの事だから、速水も間違い無くそこに絡むだろう。


ネットワークの横暴にはいい加減日本警察も黙っていられないが、ネットワークは巨大すぎて、人身売買としての立件は不可能。しかも海外という最悪の条件だ。

いっそ速水朔本人を連れて来て、自分は誘拐されましたと公に証言して欲しいが、まだその時期ではない。

ではいつになったら――と各方面からせっつかれているのだが、日本には日本の事情があり、準備もある。

そもそも下手にネットワークに喧嘩を売るのは自殺行為だ。

間違い無く現在の首相、警察上層部そのほか色々な首が、物理的に飛ぶ。


速水の事情に関しては、宇野宮は多少は同情していた。

速水のスポンサーは相変わらず『速水朔は生きて帰って来ればいい』というスタンスなのだが、宇野宮としてはなんとか彼を無事に帰国させたいところだ。

速水を騙してしまった手前、そうしなければ命が危ない。


「後は救出の名目か。ま……切り捨てやすい者に被せるか」

宇野宮は言って、溜息を付いた。


■ ■ ■


会議の後、宇野宮はホワイトボードの文字を消し、捜索願いを懐に収め、廊下に出た。


「お疲れさんです。これ、珈琲です」

先に出ていた部下の一人が宇野宮に珈琲を手渡した。これはいつもの事だ。

ありふれた黒髪に縁の赤い伊達眼鏡。ありふれた紺色のスーツ。二十歳はたちそこそこの若者だった。


部下は自分の分をさっさと空けて一気飲みをする。

「ふう。今回の件、上手く出来たら、俺達はまた昇進でしょうね。全く、年嵩連中の言う事は当てにならない。上に行けば楽できるって聞いたのに、最近急にやる事増えてるじゃ無いですか。…速水サン、無事ですかね?」

軽い調子で笑った。


「あ。んじゃ、俺は今から出ます」

ちらりと腕時計を確認して部下が言う。

「ああ。適当にやってくれ」

部下は缶をゴミ箱に入れ立ち去った。あれで仕事が出来るので、任せておけば問題無い。

宇野宮は方針と連絡だけのお飾りだ。

有事の際にいたら良い、面倒事は全てこちらに。つまりそういう役割だ。


…宇野宮と速水の父、速水宗雪は旧知の仲だった。

宇野宮は、まさか自分がネットワークに利用されるとは思っていなかった。


あの夏の日、妹の奈美が攫われたと分かった時。

宇野宮は愕然とした直後、速水宗雪に連絡し泣きついた。

その後で宗雪の指示に従って、向こうの要求通りに速水を誘い出したのだ。


宇野宮は頭を掻いた。もう二年前になるが……情け無いったらありゃしない。

…喫茶店で速水に睨まれた時も、大いに焦った。

宇野宮は既に速水朔が誰かに『宇野宮と宗雪が知り合い』だと聞いていたのかと思ったのだ。

喋りそうな人物には複数心当たりがあった。

後日、それに関して宗雪に尋ねた所、宗雪は話してはいないと語った。


代わりに部下に尋ねたところ、あの時速水は、「宇野宮、ダイスケ…って、確か」とつぶやいたのだという。全く、空恐ろしい若者だ。


「……っと」

珈琲缶を傾けながらメールチェックをしていると、携帯が振動した。

着信相手を見る。先程とは別の部下だ。宇野宮は一応出た。

「……なんだ?――――ああ。そうか。後で話を聞いて、報告してくれ」

宇野宮は適当な返事をした。何の変哲もない報告だ。このくらいで良い。

だが指示が上手く伝わらなかったらしく、聞き返された。

「はあ?違う、エリックじゃ無い――話を聞くのはオトガワ教授の方だ。他には報告は無いな。切るぞ?」

通話が終わり、宇野宮は溜息を付いた。空になった缶を捨てる。


…想定外の出来事なんてそうそうある訳は無い。

…ただ、希によくあるそれが、人の一生を大きく狂わせる。


かつて言われた言葉を思い出し、宇野宮はまた溜息を付いた。


■ ■ ■


四月十日。チャス・ゴールディングは報告書を読み、テーブルを叩いた。


彼は六十過ぎで中背…といっても平均よりやや低い程度。

中肉中背の年相応にがっしりしたと言える体型。

やや白髪の交じり始めた金髪、整えられた髭。グレーの目。そこそこ見られる顔立ち。

服装はありきたりな、黒の、だがどこか趣味の悪いスーツに赤色のネクタイ。

時計は金でネクタイピンも金。左手の薬指と、中指に太めの指輪をはめている。


サングラスの下には、左目から額にかけかかる大きな傷跡がある。

……この傷はサク・ハヤミにアンダーで付けられたものだ。

失明には至らなかったものの、一体どうしたとマスコミやパパラッチに騒がれ、煙に巻くのに苦労した。

休暇中の事故と言うことにして片付けたが……この傷は高く付く。

ゴールディングはネットワークの上位会員で、アメリカ国内のプロジェクトをまとめる立場にある。


……報告書の内容は、アメリカ、ユタ州のとあるハウスに関するものだ。

この施設はアメリカ国内の最重要施設だったのだが、副主任のエリックが逃げ出す際に、一番重要な『装置』を物理的に破壊していた。

この報告を書いたのはプロジェクト主任のエリザベス。

添付資料には機械の修繕にかかる費用と、それに必要な時間が記載されている。


修繕費用はかるく見積もっても五億から十億。

修理期間は急いでも半年から一年……。


プロジェクトは現在、その拠点をカナダのピーリー島に移している。

ピーリー島のハウスには全ての装置と研究データのバックアップが残っている為、ユタ州のハウスがなくても研究には支障無い。

エリザベス主任も今はピーリー島に詰めていて、今回の報告書で、該当の施設はもう潰して構わないと言ってきているのだが、アメリカとしては、それはしたくない。

ユタ州のハウスが使えないとなると、国内で使える『装置』があるのは現在建設中の一カ所だけになってしまう。

そうなると、今この最終局面で。大きく遅れることになる。


「くそっ!!!」

ゴールディングは報告書を派手に破り捨て、さらに机を叩いた。

カナダ政府が大喜びで研究成果や、その後の利益をかすめ取る様が目に浮かぶ!

わが国が、どれだけの時間と金をかけたと思っている!?


はらわたが煮えくりかえる思いだった。

プロジェクトの成否は、アメリカとゴールディング自身の未来に直結している。

――それだけは絶対に阻止しなければ。


現在、プロジェクトはカナダのピーリー島を無期限に借用している。

……美しく、のどかな島を借すにあたって、カナダ政府は一つ条件を付けた。


『ワイン畑は潰さないこと』


要するに、カナダ政府はアメリカの惨状を見て島一つで済むなら安いと考えたのだ。

カナダ政府はさらに「この島をやるから、わが国には入ってくるな」という条件もつけた。

……プロジェクトが欲しいのは自然保護区の部分だったので、ジョーカーは快く了承した。

そして現状、ネットワークはカナダにはノータッチ。

それがいつまで続くか不明だが、そのあたりはのジョーカー次第と言った所か。


ネットワークの最終目標は世界平和。

それに一番必要なのは、歌やダンスではなく、プロジェクトの成果だった。

……レシピエントの能力には無限の可能性がある。国家の利益は、全てにおいて優先される。


ゴールディングの周囲はダンスだ歌だと騒いでいたが、元々彼は踊りに興味などなかった。他の『メンバー』とのつきあいで顔を出す程度だ。

しかし付き合いで見たとあるショーの後、直属の部下がふとした『懸念』を伝えてきた。

たった一言だったが、その一言で十分だった。

ゴールディングはサク・ハヤミという日本人ダンサーについて徹底的に調べた。


そして古いリストに残った名前を見つけた。

チャスの勘が告げていた。コイツは大当たりだと。ジャパンの医者はこういうつまらない事をよくする。


何も無理強いする事は無い。国家の為だし、ジャパンとは関係も大変良好。

「我が国の、栄えあるプロジェクトの一員として迎えたい」そう言えばいいのだ。

ゴールディングがハヤミを説得してしまえば、上手く行くはずだったのだが……説得は失敗し、事態はさらに予測不可能な方向へと進んでいった。


主任の正体が、ハヤミのチームのエリザベスだったことは、実に不愉快だ。

国内のプロジェクトの関係者は皆、あの女一人に手玉に取られていた。


もちろん政府も黙っていない。

エリック、エリザベス。この両名を拘束しようとした矢先、エリックは逃げ、エリザベスは協力を申し出た。

エリザベスは今のところは協力的だが、あの女は腹の内に何を隠しているか分かった物ではない。

カナダに拠点のある状態で研究成果が発表されてしまえば、アメリカ国内のプロジェクトは確実に頓挫する。それを阻止するために、どうしてもあの女を始末して、サク・ハヤミをこちらに取り込む必要があった。


完全なレシピエントが一人いれば、それだけで圧倒的な切り札になる。

現にネットワークはルイーズという女一人で、ホワイトハウスを牛耳っているのだから。


「――」

ゴールディングは悪態を付き、パソコンを立ち上げた。

ダンスパーティーにはもちろんゴールディングも招待されている。

……サク・ハヤミのステージがあるのだから当然だ。


彼はその前に、研究の状況も見に行くつもりだった。


■ ■ ■


――同日。深夜。

業務を終えた主任は私室でパソコンに向かっていた。

画像通信の相手は、チャス・ゴールディングだ。


主任は先程入浴を終えたばかりで、バスローブ姿に濡れ髪という艶やかな姿だった。

赤い髪は少し伸びてきている。パソコンの近くには珈琲の入ったマグカップが置かれていて、少し薄い珈琲からは湯気が立ち上っている。


『それで、その後の状況は?報告が雑すぎる!』

ゴールディングは画面の向こうで怒鳴り、主任はボリュームを下げた。


「あら、じゃあ、直接来ればいいんじゃない?」

主任は微笑んで言った。ゴールディングがまた怒鳴る。


「それとも忙しいのかしら?じゃあ直行便を手配するから、またいつでも見に来ると良いわ」

『――ちっ』

ゴールディングが、そんな事より報告をしろ!と怒鳴った。


『……シャドーを抑える方法は分かったのか?』


「ええ。分かったわ」

ゴールディングの言葉に主任は頷いた。


「レシピエントの能力開発では、次のステージに上がるのを阻むように、シャドーが出現する」

主任は、歌うように言った。

画面の向こうでゴールディングが苛立ち顔で頷く。


今までのケースでは、ステージを進めようとする度にシャドーが出てしまうのがネックだった。

「――シャドーは表人格を守る為にそうしているのだけど。これはシャドー自身が意識している場合とそうでない場合があるわ。大半は表の人格を守ろうとして、『無意識』に出てきてしまう。……けれど、私のように、好きな時に出て、自由に行動できるシャドーも存在する」


『……』

「意識しているシャドーを持つのは、私の他には、ハヤミ、ルイーズ、アビゲイル。今のところそれだけしかいない。彼らの持つシャドーは人知を超えた存在で、色々な事を知っているけれど。ほら、私達はとても扱いにくいでしょう?だから私は直接ジャックに聞いたの」


『私達は貴方ほどレシピエントについて詳しく無いから、ハヤミの負担にならない方法を教えて欲しいの。そうしないと、ハヤミが壊れてしまうわ』


「――ってね。彼は快く教えてくれたわ。一昨日レコーディングも終わって、あとは実験するだけ」

主任は微笑み、マグカップを口に運んだ。


『そんな方法で、本当にヤツを抑えられるのか?』

ゴールディングが言ったので、主任はクスクスと笑った。

「……その為の実験よ?もちろん、まだ彼以外に応用はできないないけど。それも私達やハヤミが頑張れば何とかなるかもしれない。ようやく光が見えてきたわ!!これで、プロジェクトは飛躍的に進歩する。そうなれば、世界平和は目前よ。じゃあ、出資の件はよろしくね」


『チッ。分かった。だが我々を裏切ったら、ただでは済まない。視察は明後日だ。用意しておけ』

ゴールディングが低い声で言って、通信は一方的に切れた。


■ ■ ■


「……ぐ…」

速水は身じろぎをした。


今彼は歯医者で使うような椅子に座わっているのだが……悲しい事に両手、両足には枷がはめられている。自由な感覚は聴覚と、嗅覚だ。指も動かせるが手首はしっかり固定されている。


速水は冷や汗をかいていた。もちろん、恐怖からだ。速水だって怖い物は怖い。

……今朝は食事抜きだったので、嫌な予感はしていた。

暇なので筋トレをしていたらここに連れて来られ、拘束され、目隠しをされ三十分以上の放置が続き、現在だ。いい加減疲れたし、訳が分からなくなってきた。


周囲に鳥は……いないようだ。

研究者の話し声が聞こえる。


速水の側には二名くらい?研究者がいて事務会話をしている。少し離れて機械を操作する者が三名か四名?

ベス……主任はどこに?いないのだろうか。


速水は歯ぎしりした。

「外せ…!!」

口は塞がれていないので、喋ることは出来る。


「それはできないな」

誰かが言った。こつ、こつ、と何か堅い音がする。


急に頭を掴まれ、引っ張られた。

「!?」

速水の頭が左横を向く。


「元気そうだな」

その声には覚えがあった。

……この声は、ノアと速水を攫ったオッサンだ。


「お前は。そうだ、ノア……!ノアは何処だ?」

速水は口に出した。


「おい、ノアは?」

「私はチャスだ。そう呼べ」

一方的に言って来た。

速水は自分に名前を明かすなんて相当なバカだと思った。

絶対、後で報復してやる……と思ったが。そう言えば既にアンダーで殴った後だった。

目は結構重傷だったはずだ。だがそれとこれとは話が別だ。これから速水が何をされるかによって、どの程度のダメージを追加するかが決まる。

というか、何かするならさっさと始めろ。待つなら部屋でも良かっただろうに。

準備ができたら自分の身が危ないのだが――段取りの悪さに辟易した。


「チャス……か、分かった。あんた。ノアを何処へやった?」

試しに名前を呼んでみる。あえて名を明かすと言う事は呼んで欲しいのだろう。名前で呼んだ方がノアの事を聞けるかもしれない。

速水は、白い部屋に押し込められて以来、ノアに会っていない。ここに来て三日程か。


「始めろ」

ゴールディングはノアに関しては答えず、指示を出した。


数人がかりで、頭に何かをかぶせられた。

コードの付いたヘルメット??鉄製なのか、やたらでかくて頭が重たい。

幾つか配線がつながっているようだ。その後で耳を塞がれた。


周囲の音が聞こえなくなった途端、突然聞こえて来たのは、大きな音だった。

「!!!うあっ!!?」

速水は飛び跳ねた。


「!!?????」

速水は突然の事に混乱した。

ヘルメットじゃなくて―ヘッドセッド――!?ゴツイやつ!?そこから音が聞こえる。

「なんだコレ!!おい?」

耳を塞ぎたいが、手も足もしっかりと固定されていて動かせない。速水は頭を振った。

音が大きいが――これは何かの音楽だ。


「ぅ……ぐっ」

耳と、脳みそがむずがゆい。口を押さえたいが手は動かない。

音楽――速水は歯をくいしばり吐き気にそなえた。


……速水は、幻聴に加え、おかしな音感の持ち主だった。


なぜか楽曲限定で、余計な音が重ね合わさり響きが変に聞こえる。

速水が曲を聴くと、どれも曲と呼べない多重の不協和音に聞こえてしまうのだ。


声は普通。アラームなども至って普通。

日常生活に支障は無いが、グラスを叩き合わせた音が微妙に変に感じたり、クラクションが変に聞こえたり。電車の到着音は普通に変だったりする。


ダンスに関しては拍やリズムは取れる。曲の出だしも、終わりもズレない。

ノートに楽譜を書き出し、タイミングを予習をすればほぼ完璧。

ジャックと練習しまくったおかげで、苦手だった即興もなんとかコツを掴んだし、今では全く外れてはいないと思う。


歌や声は普通に聞こえるし、歌の上手い下手もちゃんと分かる。

だがその上手い歌には、『それでいいのか?』と言う酷い伴奏が付いている。


――昔はこんな風じゃなかったのに。速水は良くそう思った。

エリックは治ると言った。だから薬を飲んだのに!治らなかった。


初めは、雑音が時折混じる程度だった。元々、速水は音楽が好きだった。

小学四年、三ヶ月ほどの入院の後から一気に悪化し全ておかしくなった。

……速水は踊れくなり、ダンススクールを辞めた。

音が歪んでしまう、そういう病気はあるらしいし、これも幻聴の一種だろうと思ってあきらめていた。


「っ……ぐ……」

――がんがんと大きな、曲と呼べない、歪んだ高音、低音。全くかみ合わないクソッタレなハーモニーが続いている。

幼児か何かが、自分は出来ると言ってめちゃくちゃに弾いたみたいだ。一人や二人じゃない。百人、千人――?


……気分が悪い……。

頭が痛い……。めまいがする。耳がずきずき痛む。吐きそうだ。

ひどい音って暴力だよな。


速水には今流行っている曲がどんなメロディーなのか、何故流行っているのか、本当に良い曲なのか。

これが曲なのか。それも、もう分からない。


その状態が十分以上続き、十五分経った頃には速水はグッタリし始めた。

「……うるさい!ボリュームを下げろ」

何度も言ったが、大音量でひたすら続く。気が狂いそうだ。

そして、どうやらこれは『マイナスの曲』だ。とても嫌な気分になってくる。

急に世界が回り、速水は意識を失った。


「――おいちょっと音がでかい!こんなにでかくなくていい!」


えっ?と速水は思った。


今の声は誰だ?


速水ははっとして、意識を取り戻した。

……今のは俺か?

気絶していたのかもしれない。うわごとだったのだろう。


「おい!なんでこんなの聞かせるんだ?酷い音だ……!」

速水は言った。若干ボリュームが小さくなっている。

それでも、気分は最悪で、嫌になってきた。


……嫌だ、嫌なんだ。

……もうこんな酷い音、聞きたくない。頼むから。やめてくれ。

……まともな曲を返してくれ。

何年もずっと。幾度も思っていた事を繰り返す。


――でないと、踊れない。


「頼む、やめろ……」


「そろそろか」

白衣を着た、研究員の一人が言った。


研究員が速水の右腕を消毒し、腕を押さえ、注射した。

速水は一瞬、身じろぎをした。

「このまま維持して、薬を投与。慎重に」

「椅子を倒すぞ」

ゆっくりと椅子が倒される。研究員は速水の左腕を消毒し、静脈留置針を刺して、血管内にカテーテルを挿入後、点滴のチューブに接続。点滴チューブのつまみを調整し、時間をかけ、少しずつ安定剤を投与する。


――速水はぐったりとしている。

速水は一度気絶して、意識を取り戻した。その時の脳派はジグザグに揺れていた。

今の波形を見る。順調だ。

一瞬シャドーが現れたが……他の数値を見ても、今はサク・ハヤミがメインになっている。


ゆっくりと数値の変化を見守りながら、頃合いを見計らって、別のパックを接続し、投薬を開始する。直後にグラフが大きく弧を描く。誰もが息を潜め、言葉を発しない。


その後、点滴チューブの投薬部分に一本目の濃縮薬を注射をする。

じりじりしながら辛抱強く待つと、画面の振れ幅が小さくなり、微弱なまま安定する。

ここで二本目の投与に入る。二本目は一本目の注射器よりもさらに細く、投薬量も少ない。

テーブルには同じ物があと五本用意されていた。


程なく、別の画面の数値が高くなり、そのまま維持される。他の数値も全て非常に高いレベルで並んだ。

研究員はほっと息を付いた。

「……よし、一旦止めろ。もう十分だ。間に合に合いそうだ。本当に良かった……。装置につなげ」


研究員達が、わっと、会話を始める。

「やはり。この音を使えば、シャドーは力を抑えられるようですね」

「半信半疑でしたが、こんな方法が」「実に興味深い」


速水はぴくりとも動かない。


「よし、運ぶぞ」

「慎重に移せ」

ストレッチャーが用意され、速水はそちらに移された。


「ゴールディングさん、準備が整うまでは時間がかかりますが、どうされますか?」

指示役の研究員が言った。

「どのくらいかかるんだ?」

ゴールディングが尋ねた。

指示役の研究員は作業をしていた研究員に「どうだ?三日くらいか」と尋ねた。

作業をしていた研究員がチャスの方を向く。

「ええ、それくらいはかかります。我々は交代で現状を維持します」

「やはり――だ、そうです。ですがこの様子でしたら、期日には間に合うでしょう。ノアも見て行かれます?」

「ああ」

ゴールディングは頷き、運ばれる速水や研究員と共に部屋から出て行った。

■ ■ ■



再び目を覚ました速水は、どこかにくくり付けられ横になっていた。

刺すように頭が痛む。

不快音の流れるヘッドセット、さらに色々な物を体中に取り付けられていて、腕、手首は体に沿うように、足も固定されていて、ほとんど動かせない。体が冷たい。


ぎぃぎぃ、というカラスのような鳴き声が聞こえる。

これは本当はあるはずの無い……幻聴?


いや。本当に、鳴き声が聞こえていたんだ……。

だって近くに、カラス?が本当にいる。


速水はその気配を感じていた。


ちゅんちゅん、ケタケタと。鳥のさえずりも聞こえる。

――あ、今、肌に鳥の羽が触れた。


つまりこれは……速水の頭が作り出した幻想では無い?

速水は本当に、普通の人には聞こえない、確かに存在する鳥達の声を聞いていた?


ありえない。と速水はその考えを打ち消した。たぶんコードとか、布が擦った感触だろう。

震えが止まらない。今も見知らぬ鳥が肩に止まっている気がするとか、気のせいだ。

……やっぱり俺は狂ってるんだ。

『大丈夫ですか、速水サン……!』

だって、さっきから、ジャックの声も聞こえる。

――ジャックが速水の耳元で囁き、速水を覗き込んでいる気がする。


ジャック……。

速水は唯一自由な口を動かした。


「俺は、死ぬかもしれない」

視界は……目を開けているのに、真っ暗だ。

女の泣き声が聞こえた。

『大丈夫?ハヤミ……ごめんね、ごめんね』

ベス?


――急に頭の中にドラム缶をぶち込まれたような衝撃が走って、ハヤミは絶叫した。

「いっ…、っう!ぁああああああああ!!」


「シャドーが!」「まずい!」

「薬を――増やせ!早く!!」


『じゃあ、カラスが鳴いたら、帰りましょうね』

『スズメは?鳴いても平気なの?』


「ぎやぁああああああああああああ!!」

速水は叫んだ。


『カッコウが鳴いたら雨が降る…。まあ、助かるわ』

『大丈夫よ。どっちも同じ。どちらも、朔、貴方なの』

――、母さん?


『だからジャック。貴方は安心して、眠っていなさい……』


■ ■ ■


『あ゛ぁああああああああああああ!!あぁああ゛あ゛ぁああ!!』

研究員達が、細長い板の上で暴れる速水に投薬する。


「やめて!おい、やめろよ!!」

ノアはその様子を別室で見せられていた。ぷつ、とそこで映像を切られた。

切ったのはベス――主任だ。

「――ノア、彼はこれで、完全なレシピエントになるわ。貴方はどうする?」


ノアは歯ぎしりをしてベスをにらみつけた。


「……お前等は狂ってる!!いや、エリザベス!お前は狂ってる!!」

自分の前に置かれた薬を投げつけた。


「ハヤミを離せ!ハヤミを自由にしろ!!」

この部屋にあるのはベッドとモニター、机だけだ。

「じゃあ――代わりに貴方が、どうなってもいいのね」

主任が言った。

「っ。ああ、もういい!!――いや、良くない!!……クソッ」

ノアはベッドを叩いた。

主任はクスクスと笑った。

「私は貴方のそういうところが好きよ」


「ふざけるなよ」

ノアは主任を睨みつけ、彼らしからぬ低く強い声で言った。

ギリギリと歯を食いしばる。ノアは強く強く拳を握った。


――ハヤミ。

スクールで出会った、異邦人。

何から何までノアとは違っていて、けれど面白くて。

彼は色々な事を知っていた。曲がまともに聴けないのに、ダンスは凄い。

憧れていたわけではない。実力は互角だ。次は、絶対に勝ちたいと思っている。


「……あいつといて分かった事は、嫌なやつに嫌なまま従ってても、ろくな事にならないって事だ!」

ノアは吐き捨てた。今までの自分を捨てる気で。


「分かったよ。こんな腐った世界、俺が変えてやる。お前等が嫌がる方向にな!!」

「――それでこそノアね」

「……チッ」

ノアは舌打ちした。机に残った薬を手のひらに収める。


「……楽しみだわ」

主任が微笑んだ。


■ ■ ■


気絶と覚醒を何度も繰り返し、速水はもはや自分の意識がどこにあるのか、それすらも分からなくなっていた。

……何もかも、真っ白だ。


これは夢だろうか、現実だろうか。それとも悪夢なのか……?


――急に、真っ暗になった。


「うわっ!」

――突然、速水はその暗闇に放り出された。

暗闇に膝をつく。

暗闇の中を、風が強く吹いている。風は速水を通り越し、吸い込まれるように、速水の向こうへドンドン流れていく。

音はしない。真っ暗だが何かある――視界が生きている気がする。


風が止まり、逆風で速水の髪が乱れた。速水はうるさい髪を押さえた。


ひらめく物があった。

なにかいる。

今、なにか、髪のような物がひらめいた。


とにかくその「何か」を映そうと、速水は暗闇の中で目を凝らした。

大きく開いた速水の目に、同じような物が映った。


「……え」

速水は目を丸くした。少し向こう。赤くて丸い何か。

――瞳だ。


人がいる――?


誰かがこちらを向いて、立っている。


■ ■ ■



「――っ!」

速水は目を開けた。


しばらく、ここは何処だ、自分は誰だと考える。

まぶしさに瞬きを何回も繰り返すと、ようやく周囲が見えてくる。意識もはっきりしてきた。

ここは……どうやらどこかの白い部屋だ。

急には起き上がれずに、身じろぎをする。速水は寝心地の悪い板の上で寝ていた。

拘束されていない。体は自由だ。


二重人格……!


速水は動揺した。左右を見て、焦って起き上がる。

急に起き上がったらめまいがして、また横になり、そのまま動かずにいた。


……本当だったんだな。あれが……。


速水は横になったまま考えた。

速水が見たのは、速水によく似た、赤い目の誰かだった。おそらくあれがシャドーというヤツだ。

そいつは速水に、一方的に、一気に話しかけて来た。

速水はそいつの声を耳で聞いた気がしない。

頭に直接響いたのか、記憶しただけか。言葉が重なって聞こえた。


『まて。こっちにくるな』

『お前のものを返す』

『だから、あ』


そこで途切れた。言うならもっとちゃんと言え、と思ったが、こちらも急に訪ねたのかもしれない。

自分だから当然なのかもしれないが、あの会話だけで何をしろ、と言う意思は伝わってきた。


――お前の物を返す。だから、踊れ。


速水は自分の手のひらを見て、握った。


「……」

シャドーの言いたいことは判ったが、理由はわからない。

ただの励ましか――唸ってみても反応は無し。

そう言うときは、動くしかない。


悲しくないのに涙が出そうだ。


「オ、……あー。アー、――おい、誰かいないのか!」

速水はにじんだ涙を気力で抑え、発声をした後、大声で人を呼んだ。

うっかり日本語を使っていたので、英語でもう一度呼ぶ。

分厚い扉が開き、バタバタと研究員達が入って来た。


「シャドーに会った。何でもいい。曲を聴かせろ!ミュージック!!」

速水が訴えると、研究員達は顔を見合わせた。


釈然としないような、気が進まない気持ちがある。

けれど、突き進むしかない。少なくとも、今は。


〈おわり〉

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