第9羽 地上 おまけ 速水の犬
ネットワークはその名の通り、本部の機能を持つ場所を無数に存在させている。
必要な人員がその都度ジョーカーに呼び出され、その国で奉仕する。
ここはNYの、そんな本部の一つ。
今このビルにいるのは、丸ごと、ジョーカーに呼び出された運営達だ。
そして、地上二十五階──。
ウルフレッド・ミラーはオフィスでくつろいでいた。
ウルフレッドは最近ようやく、かねてからの大仕事を一つ終えた所だ。
そしてそうなれば、当然、昨日も今日も明日も暇だ。
彼は珈琲を飲み、鼻歌を歌いながら、ナイフと鞭の手入れをしていた。
ウルフレッドは、最近あった事を考える。
──もう二週間経つのかしら。あの子達が外へ出て。
元気でやってるかしら?
せせら笑う。
…かつて、ジョーカーは自分の息子をとあるスクールに預けた。
その息子は、ジョーカーが心底崇拝していた女性の子供、らしい。
彼は『俺は近づく事すら出来ない―俺が近づいたら彼女の子供が汚れてしまう―、だから教会に、莫大な寄付金と共に預けた』と言っていた。
世界の平和の為に。
──彼女の為の間違いじゃ無いかしら。
ウルフレッドはそう思った。
ウルフレッドから見たら、つまらない女だったが、ジョーカーにとっては違ったのだろう。
ジョーカーはその子供を、ダンサーにすると決めたらしい。
理由は単純。過去の自分の夢を実現させて欲しい、そう言う事だ。
出る時の契約は?と聞いたら。
『彼女の子供はそんな所で死なない』…そう言っていた。
そしてウルフレッドは、そのスクールに赴任する事になった。
めんどくさい、と文句を言ったが、世界の平和の為と言われたら、しっぽを振るしか無い。
ウルフレッドは心底ジョーカーを飼い主と認めていたし、ジョーカーもそのつもりだろう。
家畜として生きてきた彼には、ソレが心地よいのだ。
──家畜というのは、要するに傭兵と言うことで、ウルフレッドは世界平和の為に人を殺しまくった過去を持つ。
フランス外人部隊、中東、アジア、アメリカ。勲章も貰ったが、そんな物はゴミだ。
友情、仲間、そんな物は、生きるか死ぬかでは意味を成さない。
犬、犬で良い。犬でありたい。
それが幸せ。
世界が平和になったら、もっと幸せ。
ダンスで、出来るの?まあ、凄い。
彼の思考は限りなくシンプルだった。
ハヤミ──サク?ああ。ジャック?
ノアを見守る成り行き中で出会った、やっかい者だ。
ジョーカーが直々に、コイツをノアの居るスクールに入れろと言ってきた。
踊っている動画を見せられた。ブレイクダンスの大会らしい。
…これは、駄目ね。
ウルフレッドには一目で分かった。
速水はまちがいなく、イかれた部類の人間だ。
大勢の観客は誰も気が付いていないが、ウルフレッドには分かった。
しかし、己の主人たるジョーカーだけは気が付いていて、ウルフッレッドは満足だった。
欲しいのは、適当な答えじゃないのよ。
欲しいのは、世界平和と。
「──?」
世界平和と──?…しまった!!
■ ■ ■
とある、地下。
―。
「お前、再教育が必要だな?」
ジャックは笑った。
―。
「大丈夫、そのうち楽にしてやる。エリックは、お前が犬みたいで気持ち悪いって言った。…大当たりか。感謝しないとな?」
ジャックは笑った。
…欲しいのは世界平和と、──強い主人。
■ ■ ■
「ふー…」
速水は地下の一室を出て、一階に上がり溜息を付いた。
慣れないことはするものじゃ無い。
「…、…」
レオンが、そんな速水を遠巻きに見る。…まるで悪魔でも見る様な顔つきだった。
ここはレオンのホームの一階ロビーで、レオンの怖そうな仲間達が数名いる。
が、皆、無言だ。
「ハヤミ、お前、…」
その中で唯一、レオンが恐る恐る、速水に話かける。
結局徹夜した速水は帽子を外す。
…あまり見てて気持ちのいい物では無い。
「…レオン、昼何にする?適当でいいか?―あいつ、もうあっさり寝返った。腕も立つし、これから対ネットワーク防御は全部任せれば良いな」
彼はそう言って、ホームのキッチンへ消えた。
レオンはたじろいだ。
…速水は、見た目は全く普通の少年…いや、幼い青年なのだ。
だが、その『手口』と来たら。
「…サドウのイエモトって、ギャングなのか?」
今は銃も暴力を捨てクランプを愛する、レオンの仲間の一人がそう言うくらいだ。
しかも、本人には言えず、仲間にぽろっと漏らすだけ。
速水は、何をしたのか──。
速水にしてみたら…ただ単純に、仲間と一緒に、捕まえたガスマスクになりすまし、緩みきったザル警備をかいくぐり、ビルを水面下で必要な部分のみ気づかれずに制圧。目的のウルフレッドを眠らせて。袋に入れて連れ去って、そのまま地下でがんじがらめに拘束して監禁。そしてちょっと適当に考えてもらった薬で「再教育」。
…さあ、エリックに感謝しよう。
限りなくシンプルだ。
このシンプルな計画は、実行する気になるかが一番の問題だが…。
幸い速水には金があったし、ナイフも銃も一応使えた。格闘はそこそこ。
そもそも速水にナイフその他を教えたのはウルフレッドだし、自業自得かもしれない。
ウルフレッドにとって得なのは、新しく強い飼い主が見つかったと言う点だ。
そして速水は今、レオンの目の前で、何事も無かったかのように食事をしている。
「やっぱり、和食が一番だな」
とか何とか言いながら、嬉しげに味噌汁を飲む。
「忘れてた…」
レオンは、速水を見て項垂れた。
…コイツはジャックだった。
〈おわり〉