七六話:開花まで、あと――
「総護様が仰っていた『あいつらは天才だからな』という言葉の意味を私は理解していたつもりでしたが――」
薄暗い道を高速で疾駆する二人を観察しながら、青髪の男は自身が感じたことを素直に口にする。
「――まさか半年でここまで成長なさるとは。正直、驚きを禁じ得ません」
男――【彼方の賢者】が感想を述べた直後、二人の少女が走る通路の反対側から鉄の猪が姿を表す。
「ブゴッ」
およそ三メートルはあるだろう体躯の猪。その巨体は敵を発見したことにより、猛る本能のまま躊躇無く迎撃を選択して走り出す。
「ゴフォォォォッ!!」
まさに『猪突猛進』。
そのまま直撃すれば確実に重傷か致命傷を負うだろう。
獰猛な野生を感じながらも、少女達の行動に迷いは無い。
一瞬の意思表示により作戦が決定し、行動する。
走りながら茶髪の少女が僅かに速度を落としたことで、自然と黒髪の少女が先頭になる。
双方ともに減速することなく、また避ける気配もなく走り続けているため、衝突までにさほど時間はかからなかった。
数秒後の激突で跳ね上がったのは黒髪の少女――ではなく鈍色の猪。
「……ブフッ?」
必殺の体当たりをかました猪は、何故か空中を駆けていた。
なんだこれは? 敵はどこだ?
生まれて始めての体験に思考が追いついていない猪。バタバタと足を動かしても地面に触れる気配が無い。
そんな猪の無防備な右腹部へ、途轍もない衝撃が襲いかかる。
「ゴ、ヴォッ!!??」
重く響くのは丈夫な骨が砕け、内蔵が破裂する音。
凄まじい一撃により吹き飛ばされた猪は壁面に叩きつけられ、めり込む。数回ビクビクと痙攣し、動かなくなった。
控えめな音とともに着地した少女は猪の方へと体を向け、絶命を確認した後で左脚の魔術を解除する。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫っ」
短いやり取りを交わした二人は、再び走り出した。
もうすぐゴールへと辿り着くだろうという予感を抱きながら。
**********
「――お二人とも、素晴らしい成長でございます」
青空の下。もう見慣れた森の中。
荒い呼吸で仰向けに寝そべっている詩織と陽南へ、【彼方の賢者】は心からの称賛を送る。
しかし、二人には言葉を返す余裕は無い。
「半年前であれば容易く蹂躙されていたであろう絶対的な脅威に今では抗い、生き延びることができるようになっているのですから」
たった今持ちうる全てを使って【怪獣】の模倣体と戦い、生き抜いた二人に余裕が生まれるまで、もう少し時間がかかるからだ。
「これも全て自身の才能に胡座をかくことなく、努力を積み重ねた結果でございましょう」
この期間で、詩織と陽南は劇的な成長を遂げていた。
一つ、魔力と気力をかなり繊細な領域で制御できるようになったこと。
――それは『魔気並操』――魔力と気力の同時操作――の会得という形で表れ、戦闘時でも難なく『魔気並操』を行えるようになっていた。
一つ、魔力と気力の総量が増えたこと。
――ギリギリまで消費して回復させることをほぼ毎日のように繰り返したことで、二つの力の総量が約二割ほど増えていた。
一つ、〝身体強化・烈〟の会得。
――気の量が増したことや制御する技術が上昇したことで、肉体がより高純度の気力の使用に耐えられるようになり〝身体強化〟の質が向上したこと。
これらが二人の修行の成果だった。
今回のことの発端は、詩織の思い付きから始まる。
問、『魔力と気力の操作技術を効率よく上げるにはどうするべきか?』
詩織的回答、『『迷宮』で鍛えればいんじゃないかしら!!』
思い立ったが吉日と言わんばかりの勢いで【彼方の賢者】を呼び、陽南も含めて色々と説明をしてから、彼女達は生活の大部分を迷宮内で過ごすと決めた。
当然最初から順調だったわけもなく、開始してから数週間は悲惨な状態だった。
精神が狂いそうな時もあれば、実際に狂った時もあった。
乙女として、人として有り得ない痴態を晒しても【彼方の賢者】が正気へと戻す。
歩くことさえままならず、まともに動けぬ日々が続いたこともあった。
これまでの人生では考えられない狂った環境に身を置き、それでも鍛錬を続けた。
――辛い。
その言葉が浮かぶ日もあった。しかし、二人は諦めなかった。
総護が歩む道を一緒に歩きたかったから。
同じ景色を見たかったから。
重荷になりたくなかったから。
支えられるだけは、守られるだけは嫌だったから。
――かくして、二人の努力は実を結びつつあったのだ。
「……結局、一回も勝てん、かったけどね〜」
ようやく喋ることができるようになった陽南が、言葉を絞り出す。
「そう、ね。全然、足りない、わね」
同様に詩織も目元の汗を手で拭いながら、独り言のように呟いた。
『一五分』
この時間が、二人揃って【怪獣】の模倣体を相手に抗える時間だ。
彼女達にできたのは巨大な腕をなんとか逸らし、攻撃やその余波を必死に避けて、魔術を用いてどうにか翻弄するだけ。
言うなれば、なんとも不格好な悪足掻き。
総護のように傷を与えることはできず、ましてやあの巨体を突き破り倒すことなどまだまだ無理だ。
無論、最初からから模倣体を倒すことが二人の目標だったわけではない。
それでも、胸中の『悔しさ』を隠すことなどできなかった。
「――確かに、私が作り出した模倣体は本物には及びません。何故ならば、私達の誰も【怪獣】の全力を知らないのですから」
まるで『何もできなかった』かのような二人に、過去の惨状を知る賢者は言葉を紡ぐ。
「しかしながら、戯れに世界を滅ぼす力を持った存在を相手に、仮に数分といえどたったの二人で時間を稼ぐ。これがどのような意味を持つか、お分かりでしょうか?」
優秀な魔導師の団体を、各国の精鋭と呼ばれた軍隊を、数秒と経たずに蹂躙していったのが【怪獣】なのだ。
「その時間で世界規模では何万、何億という命を救う可能性があるのです。もしお二人が過去でその力を振るっていたのならば、『英雄』と称されていたでしょう」
――半年。
たったこれだけの期間で詩織と陽南が飛躍的に成長するなど、【彼方の賢者】は予想すらできていなかった。
(……お二人がこのまま成長なされば、あの『力』を掴むことは十分に有り得るでしょう)
来たる日の為に戦力の増強は必須なのだから、彼女達には是非とも進歩してもらわねばならない
だから【彼方の賢者】は二人の背を押した。
「自信をお持ちください。これならば総護様も再挑戦をお認めになるかもしれません」
その瞬間、詩織と陽南は――勢いよく飛び起きると【彼方の賢者】へと詰め寄った。
「はや扉を!!」
「出してっ!!」
「しょ、承知いたしました」
――ガチャッ、バタンッ。
「……これは、もう少し言葉を選ぶべきだったのでしょうか?」
時既に遅し。
【彼方の賢者】の声だけが虚しく、造り物の木々へとぶつかり消えていく。
**********
勢いよく扉を潜り抜けた詩織と陽南は、達成感と喜びなどがごちゃまぜになった――いわゆるハイテンションと呼ばれる――状態で帰宅する。
「「ただいまっ!!」」
「おぅ、おかえ――」
「「〝魔気合一〟について話があるの!!」」
「――りぃあっ!? ちょ、ば、掴むなっ、揺らすんじゃねぇ!!」
突然の襲撃に、鍋を持っていた総護はたった今作り終えた中身をこぼさないように必死で耐えたのだった。




