六七話:愛娘
ある日の午前中、詩織と総護は動きやすい普段着で一軒の民家までやって来ていた。
場所は住宅街の方面ではなく、集落の外れにある小高い丘の上。白を基調とした外観の変哲もない二階建ての一軒家。その玄関先。
――ピンポーン。
……。
…………。
………………。
「反応がねぇな?」
「二度寝、してるしら?」
住人がいるはずなのだが、今日はまったく元気な返事が返ってこない。しっかりと施錠してあるので外出したわけでもないだろう。
「はい、合鍵」
「あんのかよ」
「当たり前じゃない。鍵も無いのに、いつもピー助がどうやって入ってると思ってたの?」
「こう、魔術でガチャガチャっと――って思ってたけどよ、こりゃメンドイな。複雑だし、正規の手順じゃねぇとぶっ飛ばされるわ」
「自分の家なんだから、ドクターも防犯対策は手を抜かないわよ」
「そりゃそうだ。つっても、無断で入ってくるヤツなんざいねぇだろうがな」
鍵を受け取った総護と詩織はドア越しに近づく小さな気配を捉えた。同時に、
――トタタタッ、ガチャッ。
「あ〜〜っ!! そーご、しおりっ」
――軽快な足音を響かせ、幼い女の子が勢いよくドアを開け放つ。
「おはよっ!!」
満面の笑みを二人へと向ける黒髪の女の子。
「おはよう、アーファちゃん」
「おう、おはよう」
「ぴーすけは?」
「あいつは今日は休みになってなぁ、その代わりの俺らだ」
「へ〜、そうなんだ〜」
女の子の名前はアーファ。
ドクターの一人娘であり、今年で四歳になるそうだ。
「ねえねえ、きょーはなにをおしえてくれるの?」
「そうだなぁ、この前はピー助から何教えてもらってたんだ?」
「あかさたなっ」
「ならぁ、今日は『はまやらわ』だな」
「はみゃわらわっ!!」
アーファのパッチリとした大きな瞳が好奇心で開かれる。舌足らずなのも愛嬌だろう。
さて、どうして詩織と総護がドクターの家に来ているのかというと――単純にピー助が動けない状態になったからだ。
休日を心ゆくまで、それはもう大いにエンジョイした結果、現在は二日酔いで潰れているピー助代わりに二人はドクターの家に来たのだ。
ちなみに厳正なじゃんけんの結果、陽南が看病係となった。
「はひふへほ、っと。ほい、まずはこいつに似せてやってみな」
「は〜い」
総護のお手本を見ながら、真剣な眼差しでリビングのテーブル上に置かれた紙に鉛筆で書いていく。
幼いにも関わらず正しく鉛筆を持てているのはドクターの教育の賜物なのだろう。
アーファは総護の存在など気にも止めず、一心不乱に書いていく。
(もう形になってんじゃん、すげぇな)
総護は正面に座って見ていたが、数分間もするときちんとした平仮名になっていく。
「どお?」
「上手い上手い。すげぇなアーファは」
「ほんと!? やった〜」
ワシワシと頭を撫でられアーファは諸手を挙げて喜んだ。それから気を良くしたアーファは再び鉛筆を手に取り、書き始める。
四歳とは思えない集中力で取り組み、あっという間に『はひふへほ』をマスターするのだった。
「なぁ、パパがいっぱいいるってのは、どうなんだ?」
小休憩のタイミングで、総護は少し前から気になっていた疑問をぶつけてみた。
「こう、誰が本物か分かんなくなったりしねぇのか?」
ドクターとアーファは親子だ。そこは何も変ではないがドクターが大量に存在しているという状況は、普通に考えれば異常である。
今朝もアーファは父親と顔を合わせているはずだが、その父親は複製であり、本物はついこの前どこかの集落へ行ったきりなのだから。
「ん〜? パパは、パパだよ?」
しかし、アーファの返答はあっさりしている。
「きょうのパパはね、パパだけどちがうの。でもね、ちょっとまえはパパだったよ」
「見分けられんのか、すげぇじゃん。つっても家族だし、当然っちゃあ当然……かぁ?」
アーファには父親の区別ができるらしい。しかも曖昧な判断などではなく、明確に理解できているようだ。
「かんたんだよ〜、パパはねあったかいいろなの。でもほかのパパはつめたいいろなの」
「色、なぁ。どこらへんに色が見えるんだ?」
「ぜ〜んぶっ」
「なるほど、なぁ」
「――もしかして、魔力を見てるってこと?」
人数分のお茶とお菓子を持ってきた詩織
「多分、そういうことなんだろぉよ」
はたして自分はどうだろうか、と総護は考えてみる。
厳十郎や鳴子の複製が大量にいたとして、四歳児の自分が本物を正確に見抜くことができるだろうか。
(……いやぁ、無理だな。分かんねぇってんなもん)
確かに『魔力視』は初歩の魔力運用法だが、最初は資質で見え方が大きく分かれるものだ。
少なくとも総護には六歳の時点でも『特徴を見分ける』なんて芸当はできなかったのだから。
「チビっ子にしちゃあ持ってる魔力が多いしな。さすがはドクターの子供、将来は大魔導師とかか?」
ドクターの天才的な頭脳や才能を受け継いでいることが大きいだろう。このまま順調に成長すればどうなるのか。
母親のことは分からないが、少なくとも優秀な【魔導師】になることは確実だと思われる。
「だいまおーし?」
コテンと愛くるしい動きで首を傾げるアーファ。
「か、可愛いっ!!」
それは『アーファたんを守り隊隊長』を自称する少女の心を射抜くには十分だった。
「わわっ。しおり、ぎゅ~好きなの?」
「ええ、好きよ。アーファちゃんとのぎゅ~は大好きになったわ、今っ!!」
「あはははっ、かみがくすぐったいよ〜」
アーファを抱きしめながら頬ずりをする詩織。鼻先を髪が撫でるように動くためくすぐったいらしく、フルフルと顔を振りながらアーファは笑う。
(可愛いが大渋滞してんなぁ。いやぁ、眼福眼福)
歳の離れた姉妹のように戯れ合う二人を横目に、そんなことを思う総護だった。
**********
勉強の後は外でドクターから魔導を教えてもらったと言っていたアーファと三人で水遊びをして、家に戻り遅めの昼食を食べ、今は食後に絵本を読んでいた。
「ふ、ぁ〜〜」
どうやらアーファは眠くなったらしい。
「ほら、んな場所で寝ると風邪ひくぜ?」
「ん、ぅ」
「そいじゃあ俺、アーファ寝かせてくっから。片付けは置いて休んでていいぜ、戻ったらやっからよ」
「別に片付けまでやらなくてもいいから。私も来た意味無くなっちゃうし、一緒に寝ててもいいわよ?」
「そうか? んじゃちっと仮眠してくるわ」
「ええ、分かったわ」
アーファを抱き上げながら総護は二階へと上がり、ベッドへと寝かせる。
それから総護もその横で目を閉じた。
いくらか時間が経ったと思われる時、総護は誰かが近付く気配を感じた。
「ん、ぉ?」
「あ、起こしちゃったかしら?」
「いやぁ、ちょうど起きた、とこだなぁ」
「まだ三〇分も経ってないから、もっと寝てていいわよ?」
意外と時間が経っていなかったようだ。
「お前は、どうすんだよ?」
「私? 私は総君とアーファちゃんの寝顔をじっくり眺めてるから、気にしなくていいわよ? フフフッ、それだけで我が永廻の歯車の回転数が加速し始めるというものだよ」
キリッ、とキメ顔で答えた詩織。
「なら全員で寝りゃあ、みんな休憩できんなぁ?」
「え? ちょっ――」
普段ならツッコんでいるだろうが、半分寝ている総護はむしろベッドへ詩織を引きずり込む。
腕を取られ、腰を掴まれ、瞬く間に詩織は総護の横へと収まった。さしてベッドが揺れていないのは、技術の無駄使いと言えるのかもしれない。
「くぁ〜〜、つーわけで、一緒に寝ようぜぇ?」
抱き枕が欲しかったのか、本当に一緒に寝たかったのか。どちらにしろ丁寧に腕枕をされ、抱きしめられている詩織は逃げ出せる状態ではなかった。
「……近い、わ」
至近距離で感じる総護の温もり。吐息の音。自身の鼓動。
とても寝られる状況ではなかったが、下手に動けばアーファが起きてしまうかもしれないので、詩織は大人しくすることに決めた。
「むぉ、ん」
(ふふ、鈍いんだか鋭いんだか)
空いている手で総護の頬を弄りながら時間を潰していたが、動けないのも段々と辛くなってくる。
それに、そろそろ夕飯の買い出しにでかける時間だった。
(さて、どうやって抜け出そうかしら)
身体を少しづつ動かしながら、あることを思い付く。
「ねぇ、総君、起きて」
「ん〜、もうちょい、三分ぐれぇ、寝かせ――」
詩織は半分寝ている総護が口にする戯言を物理的に、でも優しく止めた。
「――目、覚めた?」
優しくも強烈な目覚ましだと、詩織は自身を持って思った。もっとも――耳まで真っ赤になっている自覚もあったが。
「もっかいしてくれりゃあ、覚めそうな気がすんなぁ」
「そう? じゃあ――」
再び感じた柔らかい感触と今にも茹で上がりそうな詩織の顔を見てから総護は起き上がる。
――その後、買い出し中もなかなか目を合わせられない詩織だった。
間隔が空きすぎてしまった……。




