三二話︰同じ者
「どうですか? 落ち着きましたか?」
「……どうにか」
外套を脱ぎ、仮面と手袋を外した総護は女性――ユランの淹れた二杯目のハーブティーを椅子に座り飲んでいた。
「くくく、あの程度で困惑するんじゃあまだまだだなぁ」
「いやいや、誰だって困惑すんだろ……!?」
いまだに笑っている厳十郎を総護はソーサーへゆっくりとカップを置きながら睨む。
「そうだ、総護君。お菓子はいりますか?好きな物を食べて下さい。い〜っぱいありますから」
「あ、ありがとうございます」
ユランが持ってきた山の様なお菓子からチョコレートを一つ取ると、食べながら総護は思考する。
ユラン・グラシニア・最上。
今総護の前で穏やかな微笑を浮かべている美女こそが世界魔術連盟の頂点――【長】らしい。
世界魔術連盟事態の情報があまり出回っていないので、そのトップともなれば更に情報が無い。
連盟の魔術師・魔法使いですら見た事が無い者達のがほとんどの為、『本当に存在しているのか?』と言われているが、
「――? どうかしましたか?」
「いや、このチョコ美味しいっスね。どこで買ったんですか?」
「本当ですかっ、よかったです。それはベルギーの――」
(――まさかこんな美人だとはなぁ)
総護の質問に嬉しそうに答えている女性だとは、想像もしていなかった。
だが、そんな事よりも総護が衝撃を受けたのは、自身との関係だ。
(……俺の『もう一人の婆ちゃん』ってマジかぁ)
――家族。身内。
それがユランに【正体不明】としての仮面を外し、最上総護としての姿を見せている理由だった。
しかし、その情報と共に更に爆弾――いや、核兵器を投げつけて来るのが最上厳十郎という老人だ。
「――だいたい情報量が多すぎんだよっ!! あと一〇人いるだぁ!? ふざけんなよ!? なにハーレムかましてやがるクソジジイっ!! 何様だてめぇは!? あぁ!?」
椅子から立ち上がり、厳十郎を睨みつける。
「うるせぇなぁ、最上厳十郎様だぁ。何だ、羨ましいかぁ?」
「〜〜〜〜っ、この、野郎っ」
自慢げに反応する厳十郎に、イラつく総護。
すぐ側で、何故か嬉しそうに二人のやり取りを見守っているユランの事などもはや眼中に無かった。
総護にとってユランの存在だけでも衝撃的だったのだ。
しかし、鳴子とユランを除きまだ一〇人いると厳十郎は平然と言ってのけたのだ。
冗談だと思った。だが、ユランもそれを認めた。
そして、何より証拠を突き付けられた。厳十郎の過去の記憶という証拠を。
ユランの魔術によって空中に映し出された映像には、若かりし頃の厳十郎がいた、鳴子がいた、今と変わらぬユランもいた。
一人の青年と仲睦まじい一二人の多様な女性の姿が確かにあった。
「……しかも、婆ちゃんと血が繋がってねぇとはな。まぁ当たり前の話だけどよぉ、俺は完全に人間だしよな」
その上、鳴子と総護の血は繋がっていないという事も。
その事実から総護は鳴子の暗示によって意識を背けさせられていた。
その暗示をユランによって、先程解かれた。
少し考えれば分かりそうなものだ。
総護に魔力、気力は有れど――神の証たる『神力』は宿っていないのだから。
しかし、疑問にすら思わなければその答えには辿り着く事は出来はしない。
「――はぁ」
総護は一つ溜息をつくと椅子に座り直しカップの中身を飲み干す。
「――で、これで全部かよ?」
「いや、こっからだなぁ」
「……まだあんのかよ」
先程までとは打って変わって厳十郎の雰囲気が真面目なものとなる。
「なぁ総護。お前、武者修行に行ってみる気はねぇか?」
「いつ、どこに行きゃいい?」
即答だった。
「いや、『行く気があるか』って聞いてんだが――」
「――俺が『行かねぇ』って言うと思ってんのか?」
真っ直ぐな瞳が厳十郎を貫いた。
「『強く』なれるんなら、俺はどこだって行ってやるよ」
(……愚問、だったなぁ)
厳十郎からしてみればまだまだ未熟。
――だが、己の孫はやはり『強き』を求める者であった。
「んで、どこに行けって?」
「今風に言やぁ『異世界』だなぁ」
「あ、そう。いつから出りゃいい?」
「――『試験』を越えられたらなぁ。儂は『調整』に入るからよぉ」
「っ、分かった……」
(『試験』、『調整』……? それに今の緊張感は、一体なんでしょうか?)
ユランが一瞬だけ感じたヒリついた空気。だが疑問に思った途端に霧散してしまう。
「ユランさん、もう一杯いいっスか?」
「遠慮せず、好きなだけ飲んでください。……私の事は『お婆ちゃん』とは呼んでくれないんですね、悲しいです」
嬉しそうに答えたユランだが、一転して悲しげな雰囲気となる。
「い、いやぁ、流石にそれはちょっときびしいっスねぇ」
「ふふっ、冗談です。気にしないでください」
「……冗談には見えなかったんスけど」
ユランは笑いながら慣れた手つきでカップへと注いでいく。
そこから暫し、会話に花が咲く。
学校は楽しいか、友達はどれほどいるのか、好きな物や嫌いな物はどんな物かなど、ほぼユランから総護への質問が主ではあったが。
ちなみにユランと総護が初めて会ったのは総護がまだ赤ん坊の頃だったらしい。総護の記憶に残っている訳が無かった。
それ以降は写真などで総護の成長を見ていたらしい。
「楽しそうでなによりです。ところで総護君、ガールフレンドはいますか?」
「へ? いやぁ、いないっスよ」
「では、好きな人はいますかっ?」
(いや、あんたの方が楽しそうじゃねぇかよ)
先程までの会話よりも今のユランの方が確実に輝いている。とても楽しそうだ。
「い、今んとこいないっスね」
「なんだぁ? 詩織ちゃんと陽南ちゃんは違ぇのか?」
「ちょっ」
またもや爆弾を投下していくこの老人。
「いや、あいつらとはそんなんじゃねぇからっ!!」
「総護君、人を好きになる事はとても素晴らしい事ですよ?」
ユランのとても柔らかい声が総護の耳に入ってきた。
「感じる世界も、見える世界も、恋をすれば全てが変わります。かつてゲンが、私の世界を変えてくれた様に」
過去を懐かしむ様に優しく左手の指輪を撫でるユラン。
「もし想い人がいるのなら、伝えられるうちに正直にその気持ちを伝えた方がいいと私は思います。お婆ちゃんからのアドバイスです」
「……っ」
ユランのアドバイスの意味を総護はすぐに理解できた。全くもって彼女の言う通りだ。
総護の場合――次も必ず会えるとは限らないのだから。
「総護、一つ教えといてやる」
「……なんだよ」
ユランの横で菓子を食べていた厳十郎が総護へと声をかける。
「お前は儂と同じ、例外なんだぜぇ」
「……はぁ?」
厳十郎の言葉の意味が総護は分からなかった。
「国はお前のちょっとした要求ぐれぇなら、喜んで聞き入れてくれるだろぅよ、――繋ぎ止める為によぉ」
「俺を『繋ぎ止める』……?」
「まぁ、難しく考えるこたぁねぇ。儂が答えみてぇなもんだからなぁ」
それからハーブティーを一口飲むと、
「――後は、全部てめぇの覚悟しだいだ。ま、理解が得られればだがなぁ、くくくく」
笑いながら、そう続けた。
(……俺の『覚悟』、でも、それは……っ)
落ち着かない思考、揺れ動く心。
ユランと厳十郎と分かれ帰宅してからも、総護の心はずっと揺れ続けていた。
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「帰らないのですか?」
総護を見送ったユランは椅子に座りいまだお茶を飲んでいる厳十郎に声をかける。
「なんだぁ? 帰って欲しいのかぁ?」
ニヤリとした厳十郎の声が返ってくる。
「いえ、そういう訳ではないですが……」
ユランは厳十郎は総護と一緒に日本へ帰るものだと思っていただから、厳十郎が残っている事に疑問を感じたのだ。
「さぁてとぉ、やるかぁ」
伸びをして椅子から立ち上がる厳十郎。そしてユランへと向き直る。
「ユラン、ちっとこれから手伝ってくれねぇか?」
「『手伝う』? 何をですか?」
「さっき言ってたろぉ?――」
ユランがあまり見たことがない顔だった。
期待と少しの不安、喜びと少しの恐怖。
自信家でいつも堂々としている厳十郎からは考えられない、感情だった。
「――『試験』の『調整』だぁ」
ユランが厳十郎の言葉を本当の意味で理解するのは、もう少し後だった。
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