三〇話︰巨城の猫
『で、結局どこに向かってんだ?』
灰色の外套を纏い、フードを被った仮面の人物が五歩前を歩く老人に尋ねる。
「【夜を歩く者達】の本部だ」
草履を履き青い着流しを身に着けた老人――厳十郎が質問に答える。
「まだ行ったことなかったろぉ?」
『まぁ、行く必要がなかったからなぁ』
今度は肌の露出が全く無い仮面の人物――総護が厳十郎の問に答える。
二人は現在、濃霧に包まれた森の中を歩いていた。
事の発端は詩織と陽南の両親から感謝された後。
念の為という事で鳴子の知り合いの医師がいる病院へ行っていた陽南と詩織が帰ってきた後。
『今度きちんとした物を渡すから』と言って去っていった二つの家族を見送った、更に後。
夕方まで総護は自室で新しい『お守り』の作成に取り掛かっていた。
苦戦しながらも、どうにか納得のいく術式を組み上げた時、厳十郎から『ついて来い』と一言だけ言われたのが始まりだ。
厳十郎が行先などを言わずに総護を連れ出す時は決まって『裏』絡みの用事がある時だけだった。
なので今回もいつもと同じ様に総護は【正体不明】としての仕事着に着替え、何も聞かずについてきたのだが、
(……こんな場所に跳ぶとはなぁ)
数メートル先さえ見通せない視界の悪さに、何も変わり映えしない景色。
総護はこの地に転移した瞬間に気が付いた。
――これは〝結界〟の内部だと。
侵入者を幻惑させ方向感覚や位置感覚を狂わせる濃霧と木々。
しかもこの濃霧には魔力を散らす効果がある様で、違和感を感じた総護が試しに放った〝水弾〟が一瞬でただの水となる。
『なぁ、まだ着かねぇのか?』
総護の体感時間で少なくとも一時間は『不思議な森』歩き続けている。
しかも、ただ真っ直ぐに。
「さぁな」
『……なんだそりゃ』
そんな総護の疑問に厳十郎は気の抜けた返事を返す。
「儂ら専用の道らしいからよぉ、多少時間がかかるのは仕方ねぇんだ。まぁ、もうすぐ着くはずだぜぇ」
『……? まぁ、着くならいいけどよぉ』
厳十郎の言葉に少し引っかかるものがあったが、もうすぐ着くという事で総護はすぐに意識を仕事用に切り替える。
それから厳十郎とたわいもない世間話をしながら歩いていると木が少なくなり、徐々に霧が晴れてくる。
「ほれ、着いたぜぇ」
前を歩いていた厳十郎が立ち止まり、振り返る。
(ここ、かぁ。つーかすげぇな、おい)
現れたのは、白亜の巨城。
城門がある訳ではないが西洋らしい造りの城だ。巨大で神秘的な雰囲気を発する巨城。
城総護もつい見入ってしまう、その――壁面に刻まれている膨大で精緻な術式に。
総護が知らない術式も数多く使用され、構築された術式。もはや、芸術的と言っていい程のものだった。
「おい、いつまで眺めてやがる。行くぜぇ」
城を見上げる総護をよそに、厳十郎はスタスタ歩いて行く。
急いで厳十郎の後をついて行き、城の大きな入り口の扉を通り抜けるとすぐに広間へとたどり着く。
城の大きさからしてそれなりの数の魔術師などがいると思っていたが、総護の予想に反して誰もいない。
「あら、貴方が入り口から直接入ってくるなんて珍しいわね?」
直後、誰もいないにも関わらず女性の声が空間を震わせる。
「よぉ、久しぶりだなぁマーシー」
「ええ、久しぶりねゲンジュウロウ」
いや、いた。
広間の最後方のカウンターの上に黒い魔女帽子を被った白猫が一匹。
煙管を咥え、人間のように足を組んで座っていた。
「あいつは部屋にいるかぁ?」
「『今日は外出しない』って言っていたから、いるはずよ。何、連絡もしないで来たの?」
「ああ、ちっと用事ができてなぁ」
白猫は流暢な日本語で近付く厳十郎と会話をしていた。どうやら知り合いのようだ。
(日本語喋れる妖精猫か、なかなかレアじゃね?)
妖精猫。
人語を理解する知性を持ち、古くから魔術師達の使い魔となる事もある妖精だ。
(……待てよ、『魔女帽子』に『煙管』に『白猫』ってどっかで聞いた事があるような ―――っ!?)
『マーシー』と呼ばれた妖精猫の正体が分かった瞬間、総護は〝認識阻害〟を解き、すぐさま膝を着いて頭を下げる。
「貴方らしいわね。――あら、ようやく出てきてくれたわね」
『貴女を前に姿を隠していた無礼、どうかお許し下さい、王妃』
もう遅いかもしれないが、ここからは失礼のないように対応せねばならない。
――種族が違うとはいえ、眼前に座っているのは紛れもない『王族』。
「その謝罪、受け取りましょう」
『……感謝致します、王妃』
跪く総護を、白い妖精猫は銀の双眼で見つめる。
【魔煙王妃】
その名が世界魔術連盟より贈られた、妖精猫の王その第一の妻である彼女の字名。
――『猫』に列なる者達の序列第二位。それが彼女の立場である。
世界魔術連盟の所属ではないが、その実力は夜天位階上位の魔術師に劣らないと言われている、紛うことなき強者だ。
「初めまして、私の名前はマーシー・シャーマイン。よろしくお願いするわ、恥ずかしがり屋の魔剣士さん?」
『……お初にお目にかかります。最上厳十郎の弟子、【正体不明】と呼ばれております』
人間よりも小さな体躯ではあるがその威厳のある佇まいや立ち居振る舞いからは高貴な気配が、その声には上に立つ者としての自負が、確かに感じられる。
『この様な姿、不敬である事は重々承知しております。しかしどうかご容赦いただきたい』
仮面を身に着け素顔を隠し、外套を纏い身体を隠し、肉声すら発していない。
今の総護の姿は目上の存在に対して敬意を払っているとは言い難い。
『戦いに身を置く者ではありますが、まだ『日常』では『一般人』として生きたいのでございます』
だからこそ総護は、正直に嘘偽りの無い本心を語る。
――普段は『普通』の生活を送りたい、と。
「その不敬、許しましょう。まぁ、【世界最強】の唯一の弟子なら仕方が無いかもしれないわね、素性がバレたらどうしたって周りが放っておくはずがないんだから」
『勿体なきお言葉。重ねて感謝いたします、王妃』
「でぇ、話は済んだかぁ?」
感謝を告げる総護の横から厳十郎が会話に割り込む。
「ゲンジュウロウ、気の短い雄はモテないわよ?」
「ハッ、誰に言ってんだぁ?」
「……貴方には言っても意味が無かったわね」
マーシーは一度溜め息を吐いてから、改めて総護へと声をかける。
「【正体不明】、貴方は私達の臣下でもないんだから、これからはそんなにかしこまらなくてもいいわ、私が許します。だから立ってちょうだい?」
『貴女がそう仰るなら、……分かりました』
「フフ、素直な雄は好みよ」
そう微笑んだマーシーは二足でその場に立ち上がり、総護と厳十郎の後方へ向けて口からフゥッと煙を吐き出す。
(〝転移〟か?)
煙が床に円を、文字を、形成していく。
「はい、準備出来たわよ」
「わざわざ悪ぃな」
(はっや。てか、目的地ここじゃねぇのか?)
約一、二秒で完成したのは、〝転移〟の魔法陣。
霊脈から力を汲み上げずに発動させるその魔力量、魔法陣の完成速度は彼女の実力を如実に表していた。
「機会があればまたお喋りしましょう、【正体不明】?」
『はい、その時はよろしくお願いします、王妃』
マーシーに向かって総護は頭を下げる。
「そんじゃあ、行くぜぇ」
そして総護と厳十郎は再び、跳んだ。
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