二話:祖母
七月一三日午前五時一二分。
朝の稽古―――端から見ればただの殺し合い―――を終え帰宅した総護はまず、傷の手当てをしてもらうために祖母の部屋に向かった。
「婆ちゃんいるか?」
「いるよ、入っておいで」
襖を開け部屋の中へ入ってきた総護の姿を見た瞬間最上鳴子はすこし驚いたような顔になったが、すぐさま事情を察したのか呆れ顔になった。
身長約一五五センチ。白い頭髪や顔や手に刻まれた少なくない皺から、彼女が生きてきた人生の長さを感じることができるだろう。慈愛に満ちた黒い瞳と常に少しだけ上がっている口角から形作られる柔らかな微笑みは、彼女の優しさをこれ以上ないほど雄弁に物語っている。それに今身に着けている青い浴衣は彼女の落ち着いた品位をより際立たせていた。
「はぁ、なんて格好してるんだい。お爺さんも年甲斐もなくはっちゃけて、何してるんだかねぇ」
ちょっと待ってなさい、と言って鳴子は治療の準備を始めた。
現在総護はパンツ一枚しか身に着けていない。その上全身余す所なく細かい切り傷だらけという状態なのだから鳴子が呆れるのも無理はない。
「ホントだよあのジジイ、途中からいきなり稽古のレベル上げやがって。しかも最後にゃ【技】まで出しやがって、んなもん俺に見切れるわきゃねぇっつーの」
「その切り傷から察するに【千刃】あたりかい?まだ総護ちゃんには防げないわねぇ」
―――――最上十刀流。
それは厳十郎が創り上げた我流の剣術。総護が知っているのは壱ノ剣と呼ばれる一刀流から、拾ノ剣と呼ばれる十刀流まであること。対人や対集団はもちろんのことだが、それ以外を想定したものも存在するということ。
そしてその【技】のどれもが必殺の威力を持っているということだ。
総護は厳十郎の戦闘を稽古以外で見ることが少なく、戦闘が始まったとしても厳十郎が強すぎて【技】を出す前に終わってしまうため、今まで見る機会が無かった。
だから今朝初めて見たのだ。厳十郎が長年鍛え、磨き、高めてきた剣技の極致、その一端を。
「でも稽古のレベルを上げたってことは総護ちゃんもしっかり強くなってるってことだろぅ?お爺さんが壱ノ剣を使うぐらいなんだから」
「ん~~確かに成長してるとは思うけど、全っ然強くなってるきがしねぇんだよなぁ」
総護はこの十年で厳十郎を筆頭に人間とは思えないほどの強者としか戦っていない。
そう総護は通常レベルの格闘家などど戦ったことが一切無いのだ。比較対象が初めから『人間を卒業していたり』、『化け物に片足突っ込んでいたり』する達人ばかりのため、総護は自分の強さを正しく理解できていない。
―――――既に自分が人類最高レベルの強さであるということに。
(まったく、自覚が無いってのは恐ろしいねぇ)
朝から呆れてばかりの鳴子であった。
「………はぁ、そうかい。それじゃあ準備できたから、ホラこっちおいで」
総護は言われた通り部屋の中心で鳴子に背を向け胡座をかいて座る。そして鳴子も座り傷薬―――ではなく右の人指し指を総護の背中の心臓がある場所に当て目を閉じた。
直後に指先が淡い緑の光を放ち始めドクン、ドクンと総護の鼓動に合わせ全身を包み込んでいく。
そして一分後には全身の切り傷が綺麗に消えていた。
「相変わらずスゲェよなぁ【神力】って」
「そりゃ【神様の力】だからねぇ。大体のことはできるよ」
そもそも【神力】とは万能の力の素であり、【神力】自体は何かに変化する力しか持っていない。例えるなら無色透明な絵の具のようなものである。
だから神力にイメージを与えることによって初めて、世界を神の思うがままに書換える力を発揮する。
何故鳴子がそんな【神力】などというものを使用できるかというと―――
「さっすが元雷神様だなぁオイ」
「もうほとんど力は消えてしまったけどねぇ、傷を治したりするぐらいはまだできるよ」
―――元神、それもかの有名な雷神である。
今は雷神の名と力の大半を次の雷神に受け渡したのでほとんど失ってはいるが、それでも多少の【神力】はその身に残っている。
だが多少であったとしても【神力】自体が人には無い膨大な神秘や奇跡を秘めていることに変わりは無い。
「イヤイヤ、何が『傷を治したりするぐらいは』だよ。俺と爺ちゃんの稽古する場所毎回創ったりしてんじゃん」
「一時間と少ししか保たない仮初めの世界だからねぇ、世界の環境も限定されてるからそんなに難しくはないんだよ」
「……ムズくはねぇかもしれねぇけど十分スゲェよ、だって元々司ってたの【雷】だろ?」
「簡単な世界を創るぐらいならどんな神様だってできるんだよ。でもこの世界クラスのモノは創造神みたいな《創造》を司っている神しか創り出せないけどねぇ」
でもまぁ、総護ちゃんやお爺さんがいた世界レベルのモノを創ることができる神様はそうは多くいなかったけどねぇ。と笑う鳴子に総護は、
「………バアチャンッテマジスゲェンダナ」
力をほとんど失っているにも関わらずそんな芸当ができる祖母に対して思わずカタコトになってしまう総護であった。
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