一〇話:客観的視点から
時刻は総護が鍛錬を終え風呂場へと向かっている頃、厳十郎は家の縁側に座り夜風を浴びながら一人で酒を飲んでいた。夜空には雲が少なく、囓られた様に欠けた月がよく見える。
「今夜はいい月夜だなぁ、程良く風も吹いて涼しいしよぉ」
厳十郎がお猪口を口に運び酒を少しずつ美味そうに飲む姿は着ている紺色の甚平も相俟って意外と絵になっていた。
「まだ飲んでいたんですか」
しばらく肌を撫でる様に吹き抜けていく風を楽しんでいた厳十郎へ背後から声がかかる。もちろん鳴子である。
「ん?まぁたまにはいいじゃねぇか。どうだ、婆さんも飲むか?」
「いいんですか?では、一杯だけ」
「オウ、ほれ」
浴衣に着替えていた鳴子は厳十郎からお猪口を受け取るとその左隣に腰を下ろした。そして交互に酒を注いでいく。
「お爺さん、今日もお仕事お疲れ様でした。遠いし大変だったんじゃありませんか?」
「なぁに移動は婆さんから貰った《転移符》使ったし、依頼自体もすぐ終わっちまったから全然大変じゃなかったなぁ。歯応えがなさ過ぎてつまらねぇ依頼だったしよぉ」
「そうなんですか?でも、良いことはあったみたいですね。あら、意外と飲みやすい」
「んん?何のことだぁ?」
優しく微笑みながら鳴子はお猪口に口を付ける。厳十郎のが飲む酒にしてはクセが無くマイルドな味わいの酒だった。
何気なく外した視線をもう一度厳十郎の方へ向けると、少し不思議そうにしていたので思わず笑みが零れる。
「ふふっ、とぼけたって丸わかりですよ。一体何十年夫婦でいると思ってるんですか?」
「参ったなこりゃ、婆さんにゃ全部お見通しってかぁ?」
「全部ではありませんけど、お爺さんのことなら大体は分かっているつもりですよ」
「クハッ、流石は儂の嫁さんだなぁ。ほぼ当たりだよ」
「ほぼ当たりですか、まぁいいでしょう。それで、何があったんです?」
完全に当てることが出来なかったからか少し悔しそうな鳴子だったが、話の続きが気になるので右隣の厳十郎に会話の続きを促す様に尋ねる。
「なぁに、馬鹿弟子の成長がほんの少し嬉しかっただけさ」
そう言う厳十郎だったが表情は少し嬉しいぐらいの表情ではなく、かなり嬉しそうだ。だが、そんな事を指摘すれば絶対に否定するのは分かりきっているので鳴子はそのまま聴き続ける。
「精神面はまだ未熟だが、戦闘技術や気の扱いはそこそこのレベルにゃなってる。魔術の方も婆さんの教え方が良いから並の魔術師程度には扱えてるしよぉ」
「ハァ……どうしたら『そこそこ』なんて評価になるんですか?」
呆れた様にため息を吐きながら鳴子は厳十郎の評価を訂正していく。
「いくら途轍もなく手加減した状態とはいえお爺さんとほぼ対等に渡り合っているんですよ?接近戦の腕前は少なく見積もっても確実に世界トップクラス、気の総量や操作も一流と言ってもまったく問題ないんですから」
話の合間にいつもよりハイペースで酒を飲んでいく鳴子の頬は段々と朱くなっていく。
「それに、魔術に関しても『並』なんてことは絶対に有り得ませんからね。術やイメージの正確性、精密な魔力操作なんて熟練の魔術師顔負けですよ。あの子が作製したこの《お守り》もハッキリ言って異常ですからね」
そう言うと厳十郎に見せつける様に懐から一個の《お守り》を取り出した。一見するとよく見かける交通安全のお守りの様に見える。
「ん~、防御系の術式か?というか婆さんいつそんなもん貰ったんだ?儂ぁ貰ってねぇぞ」
「お爺さんには必要ないと思ったんでしょうねぇ。なんせこの《お守り》の中の和紙に刻み込まれているのは結界術式なんですから、ちなみに詩織ちゃんや陽南ちゃんも持ってますよ。それよりも問題なのは刻んである術式ですよ」
鳴子は厳十郎に刻んである術式を細かく説明していく。
「まず、この中の和紙に刻んであるのは結界術式です。そして結界術式に追加で『持ち主の危機的状況において自動的に発動』する術式、『発動時の位置を特定し術者の携帯電話へ転送』する術式、『常時空気中から魔力を取り込み続け、術者がいなくても維持し続ける』術式が組み込んであるんです」
「ほーう、そいつぁスゲェなぁ」
説明を受け感心する厳十郎だが、その言葉からはあまり感情が感じられなかった。
「……すごい?」
「んぁ?」
―――きっと普段の鳴子ならさほど気にはしなかっただろう。
だが、現在の鳴子は体内にアルコールを取り込み続け現在、計七回鳴子の手に持つお猪口の中身消えている。いくらお猪口とはいえ続けて飲んでいけばそれなりの量となる。
しかも鳴子は酒に強いとはお世辞にも言えない体質のため、理性と言う名のブレーキの効きが少し甘くなってしまい、簡単に言えば――キレた。
「『すごい』なんて一言で片付けられる代物じゃありませんよ!!『自己判断術式』も『自己展開術式』も『永続魔力吸収術式』も超高難易度の術式なんです!!その上『空間認識術式』も総護ちゃんが自分で改変して携帯電話と《お守り》を霊的に結び付けて発動位置を特定出来るんですよ!?結界も大抵の物理的・魔術的衝撃を相殺できるんですよ!?」
普段の鳴子からは想像出来ない速度と声量で次々と言葉が繰り出され、流石に厳十郎も焦る。
「ちょ、ちょっと婆さんおち」
「―――私は十分落ち着いています!!」
「……いやぁ全然落ち着いてねぇよ」
厳十郎でもキレた鳴子を止めることは出来ないようで、もはや鳴子は止まらない。
「『並』の魔術師には構築すら出来ない術式なんですよ!?お爺さんは総護ちゃんに対して過小評価が過ぎます!!あの子もまだ十五歳なんです、それなのに毎日毎日命を削る様な鍛錬や実戦ばかりであの子が怪我をしていない日がありましたか!?まともに睡眠時間を確保し始めたのだって一年ぐらい前からですよ!?」
肩で息をしながら厳十郎を睨みつける鳴子だが、途端に悲しげな表情になる。
「……あの子が強さを求める理由は知っているつもりです。ですけど、もういいんじゃないですか。もう十分強くなったじゃありませんか」
鳴子の悲痛な表情に対して困った様に頭を掻く厳十郎。
客観的に見ればたしかに、最上総護という少年は強い。
戦闘という分野において彼を上回れる人間はほんの一握り、【世界最強】などの実力者のみだ。また怪異や異形などの魑魅魍魎が相手であっても後れを取ることもほぼ無い。
年齢を考えれば驚異的としか言いようがない戦闘能力だ。当然ながらそれを手にするまでにはまさに〝地獄〟と表現しても問題ない壮絶な鍛錬があった。
骨折や内蔵破裂は当たり前、腕や脚が吹き飛んだことも数えればきりが無い。臨死体験も二〇回目以降からは数えていない。
およそ人間が負うことのできる負傷を一通りは経験しただろう。
その都度意識があれば総護が、無ければ厳十郎が鳴子の作った《治癒符》を使い怪我を治し、傷を癒やした。
魂が肉体から離れかけた時は、厳十郎が魂を肉体に叩込むという荒業をやってのけ、命を繋いだ。
睡眠時間も日に三〇分程度しか取っていなかったが《治癒符》に魔力を流し続け、肉体を癒やしながら寝ることで平均的な睡眠時間と同程度の休息を取ったことにしていた。
学校に通い始めてからも変わらず帰宅してからは命がけの実戦と鍛錬の毎日。
この過酷な一〇年を経て少年は強者たりえる強さを身に付けた。
「たしかに、あいつぁ強くなった」
ならこれ以上鍛える必要はないでしょう、という鳴子の言葉がその口から発せられることはなかった。何故なら―――、
「だがなぁ、まだあいつが求める程の強さじゃねぇんだ」
「―――っ!?」
―――まだまだ全然足りねぇんだよ、と厳十郎が続けたからだ。
「なぁ婆さん、総護が強さを求める理由を知ってるって言ったよなぁ?」
唖然としている鳴子に厳十郎は問いかける。
「……守るため、でしょう?」
それは最上総護の原点にして、今も変わらぬ決意。
「そう、あいつぁは『守りたい』んだよ。家族や友達、知り合いの連中なんかが悪意や理不尽で傷ついて欲しくねぇのさ、それこそ自分の親父みてぇにな。」
「知っています、知っていますとも。ですけど私が言いたいのは」
「じゃあ婆さん、どんだけ強くなりゃ守り抜けると思う?例えばあいつ一人だけしか動けない状態で多数の人間を敵や理不尽から守りきる為には、どんだけ強けりゃいい?」
厳十郎は鳴子の言葉を遮ると、再び問いかける。
始め厳十郎の質問の意味がよく分からなかったが頭の中で反芻していくうちに質問の意図が見え、ハッとした表情を浮かべた鳴子は厳十郎を見る。
「それは総護ちゃんが言っていたんですか?」
「ああ、今あいつが目指してる『目標』だぁ」
「無茶苦茶ですよ、『一人で何もかも守り抜く』だなんて。そんな事が本当に可能だと思っているんですか?」
「少なくとも今のままじゃ無理だわなぁ。目指してるもんは遙か彼方だからよぉ」
厳十郎の総護に対する評価が低いのは目指している目標が果てしなく遠い場所にあることが分かっているからだ。
現在の総護では実現不可能な夢物語だが、厳十郎はいずれ可能性は出てくると思っている。
「だからあいつはまだまだ弱ぇんだよ。儂は総護の事を過小評価しとるつもりはねぇよ、事実を言ってるだけだ。ま、儂が昔から『弱ぇ弱ぇ』言い続けたせいでちょっとした勘違いが生まれてんのもあるんだろうがなぁ」
「まったく、今の言葉をもう何年か前に聞きたかったですよ。それにあの子の自己評価が低いのはやっぱりお爺さんのせいじゃないですか」
「儂は事実を言っとるだけなんだがなぁ。それと、その内馬鹿弟子の自己評価は修正するつもりではあるぞ。あいつをそろそろ次の段階へ上げてやるつもりだからなぁ。いつまでも自分を弱いと思ったままじゃ謙遜が過ぎるからよ」
「だからそうなってしまった原因はお爺さんなんじゃありませんか」
胸の内を吐きだしてスッキリしたのか鳴子はまたお猪口を次から次へと空にしていく。それを横から眺める厳十郎もゆっくりと酒を口へと運んでいき、先程までとは打って変わって和やかな空気が戻ってきたようだ。
「そう言えば今、『次の段階』と言いましたか?」
「おう、魔力も気力も儂に比べりゃ全然まだまだだが、あいつもそれなりにコントロール出来るようになってきたからなぁ。魔気――」
「――ちょっと待って下さい」
突如として鳴子の纏う雰囲気が急変する。まるで厳十郎にふざけるな、とでも言いたげな表情の鳴子。一体今の会話の何処に地雷があったというのか。
(儂ぁ今はなんも婆さんの機嫌を損ねるようなこたぁ言ってねぇハズだぞ?……多分)
「ん~何かあったのかぁ?」
平常心を心掛けながら鳴子へ会話を投げかける。鳴子の眼光は先程よりも鋭くなっており、不機嫌そうな雰囲気が増していく。
そして二秒後鳴子は口を開くと、こう言った。
「お爺さん、ヒック。いつの間にヒッ、二人になったんでヒッ、すか?ふざけるヒッ、のもたいがいにヒック、してくらさい」
「……婆さん、待ってろ今冷たい水持ってくっからよぉ」
どうやら完全に酔っ払ってしまったらしい鳴子には厳十郎が二人に見えるらしい。このままでは酔った勢いで電撃を浴びせられかねないので厳十郎は避難のついでに水を持ってくることにした。
この数分後厳十郎のお仕置きから無事生還したピー助が酔った鳴子の電撃を食らってしまい、翌朝少し焦げた状態でが庭の隅から発見されるのだった。




