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剣響都市ラストリア

作者: 古癒瑠璃

『剣響都市ラストリア』


O wonder!

How many goodly creatures are there here!

How beauteous mankind is! O brave new world

That has such people in't!


 ああ、不思議なこと!

 ここにはなんて素敵な人達がいるんでしょう。

 人間はなんて美しいんでしょう。

 素晴らしい新世界。こんな人々が住んでいるんですもの!


『夏の夜の夢』より――


 山々は白く染まっていた。遠く、峰の霞んで見えるのは雪が降っているためである。

 山からは細い糸のように儚くたなびく一本の筋がみえる。急峻な崖に挟まれた谷間を細く縫うそれは道だ。山越えを安全に行う為の唯一の公道がそれである。無論、周囲は雪に囲まれ谷を吹き下ろす風は厳しいと言うよりも圧力と言って差し支えない。拒み、拒絶する一種の壁である。

 そのような、道になれた人間だろうと近寄ることを躊躇う天候と状況の中、歩く人影が一つある。

 人影は、長身痩躯のその身を、毛皮の縫い付けられた外套に体どころか顔の大半までも覆い隠している。人影は、最早呼吸すらも難しい吹雪の中を、倒れ込むようにして一歩一歩を踏みしめ進むと、やがて谷間を抜けた。

 一転して風は止み、崖に覆われていた天上に空が望む。

 雲間から射し込む陽光に、外套の帽子を取り去ると中から現れたのは黒髪の長髪に、どこかあどけなさを残した黒瞳の相貌。

 青年はその場で太陽に向かって両手を突き出し一伸びすると、積雪の穏やかになった道をゆっくりと歩き始めた。

 青年の名をクバ=イットウという。


 †


 "剣響都市ラストリア"――中央大陸であるアスベルグより西に位置する西方大陸ヴァンルブルクの中央に位置するその都市は個性的な特色を持っていた。

 西方大陸には三つの王国が存在する。

 北東に位置するサン・アルジャントリア。

 西北に位置するグラントライヒ。

 南方に位置するレグノ・ド・ラーヴァ。

 それぞれが二千年以上もの昔から存在する由緒正しき王国であるのだが、ほぼ連合国家とよんで差し支えないほどに密接な関係に三国はある。国家成立の当初から仲が良かったわけでは無論無い。太古の歴史をひもとけば三国の間に戦争の歴史が絶えた試しがなかったほどである。

 常に争いあうような関係にあった三国の関係が一変したのは、戦争が硬直状態に陥り比較的穏やかな日々が続いたある時に、とある王がしたという一つの提案がきっかけだと伝わる。

 それは戦争を行っていた三国が共通して好み、奨励していた剣術の大会。三国が別々に行っていたその大会を合同で一カ所に集まって行わないかという提案であった。

 紆余曲折のちに、三国の中心に当たる都市で大会が行われる事となったのだが、その大会の優勝者はあろう事か三国の外から訪れた異邦人であったという。異邦人は、大会の褒賞として三国の姫君と己の連れ合いだった一人の"魔剣族"の少女との結婚を望んだのだと歴史は伝える。

 後に、才覚を発揮し三国を頂く王となったその人物を"ラストリアの英雄"と後世は称する。

 彼の英雄が統治した時代より現在に至るまで、三国の中立地であり剣術大会を開く舞台でもあり続けるその都市の名を、剣戟の響き合う都市――"剣響都市ラストリア"と呼ぶ。



 クバ=イットウは途方に暮れていた。大陸の北東であるサン・アルジャントリアの港に降り立って後、剣響都市ラストリアへと続く道を道なりに歩いて既に数日。一番の難所である山越えは果たしたものの、吹雪の中で地図をさらわれたのが痛かった。


「分かれ道だ……」


 道なりに歩いて暫く。森の中で分かれ道に唐突に差し掛かったとき、イットウは果たしてどちらに行くべきか指針を持ち合わせていなかった。右に行くべきか、左に行くべきか。

 そもそも、全くの土地勘を持ち合わせていないイットウにとって、目的地であるラストリアが今の一からどちらの方角にあるのかすらも定かではない。

 結果として勘で左を選んでから――既に数時間。頭上にあった太陽が既に沈もうとしている。


「こ、心細い……!」


 周囲は深々とした森である。イットウにはなじみのない針葉樹林が立ち並び、見たこともない草花が道端に生い茂っている。幸いなことに道は馬車がすれ違えるほどに広い為、変に鬱蒼としているという事はないが、自分が言ったいどこへ向かっているのかずら分からずに森の中を歩くのは心細いことこの上ない。

 せめて日が沈みきる前にどこか、休憩できる場所を探さなければとイットウは足早に歩を進める。

 野宿は野宿でも、まさか道の真ん中や道端で堂々と眠る不用心を晒すわけにも行かないからである。ここいらは治安が比較的良い方なので野盗などの心配はないとアン・アルジャントリアの港で聞いてはいるが、全くいないわけでもない。ましてや、野盗でなくとも道端で眠る旅人を見かけたら魔が差すという事だってありうるのだ。

 そういう訳で、雨風を凌げるとは言わないまでも、せめて人目につかず出来うることなら近くに水源のある場所を求めて歩くこと暫く。


「お?」


 イットウは突然、道の開けた場所に出た。正確には得物を飲み込んだ蛇のように円形に道が膨らんでいる、と言うべきか。どうにも森に人の手の入った形跡もあり、人為的に広げられた空間のようだった。

 おそらくは道の途中、馬車などを休めそのまま宿泊するための停車場の様な場所である。

 その馬車を留め置くためと思われる広場には、一つのテントがあった。作りは比較的しっかりとしているが簡易な物ではなく、数十人は入れると言うほどの大型で円形のテントである。


「ゲル……っていったっけか、こう言うテントは」


 自分の育った土地では見かけなかった形式のテントに、知識から遊牧民族が使用しているというそれを思い浮かべた。聞いていたものに比べると質素とも言える飾り気のなさだが、そういう物もあるのだろうと一人納得する。

 ともあれ、ここにテントがあるという事は近くに人が居る可能性が高い。


「とりあえずはゲルを訪ねてみますかね」


 と、心細さに急かされるようにイットウはゲルの入り口へと立ち寄り――布製の扉にノックなどをすべきなのだろうかと少し考えてから、以前、遊牧民は大らかな気性で客人を喜んで歓待する文化があるものだ、というのを伝え聞いたのを思い出し――扉の前から声を掛けるという基本的なことに思い至ることなく、扉を開け放った。

 瞬間――目があった。


「ごめんくださ――――ぁ?」

「――――。」


 目があったのは白に近い桃色の髪を持つ少女である。気の強そうな切れ長輪郭をした青い瞳を湛え、鼻梁は至極整っている。肌色が多い。そして驚くほどに白い。なだらかな胸は決して主張することなく慎ましやかだが、生意気な凹凸が白い布地のおくに感じられる。華奢な腰回りに下腹は確かな筋肉の周りに女性らしい柔らかな脂肪がついていて、思わず唾液を飲み込まずには居られない魅力に満ちている。細く華奢な印象の下にしっかりとした鍛錬の痕跡。足回りも鍛え込んでいるのだろう、尻肉は確かに持ち上がり、健康的な魅力がある――女性らしいまろみを帯びているのは、過剰な鍛錬を抑制する精神と知識の持ち主だという証左だ。その証拠に太ももからふくらはぎに至るまでの曲線は筋肉によって歪に膨れあがることなく、骨格に沿って肉付いており、瞬発筋と持久の均衡が取れている。それを今にも覆わんとする黒いタイツは、その肉体美を余すことなく強調するだろうことは想像に難くない。

 周囲には、そんな少女が他にもひしめいている。

 目があった少女に対して、イットウはただ静かな動作で黙礼すると覗き込んでいた扉から身をひいた――引こうとした。

 が。こちらが足を引いたその体裁きに瞬間で反応したた少女がこちらの腕をつかんでゲルの中へと引きずり込んだ為にそれは出来なかった。

 無言でゴロゴロとテントの中に転がりこんだイットウが、腰をついたまま体を起こすと頭上に何か布状の物が舞い降りてきた――タイツである。

 なるほど、タイツを履きかけのままでは瞬発的な動作は難しいから、咄嗟に上に蹴り上げたのかと妙な納得をイットウは得た。得たついでに、正座を組んで誠意を周囲に示した。頭にはタイツが載ったままである。


「――して」


 タイツに覆われた視界の中、見あげれば辛うじて先ほど目があった少女だと分かる。すっと墨を流したかのような長い睫が細めた瞳を彩っている。口元には微笑み。音もなくゆっくりと開けられた口は、肌が白いからか不自然なほどに赤く見えた。


「なにか、申し開きはあるかしら」


 少女の手には一振りの剣が鞘に収められたままに握られている。それがしゃなりと独特な音を立てて抜き去られた。

 周囲からも同様の音が複数重なり合って聞こえてくる。

 イットウはその音を聞いて、素早く動作した。最早一刻の猶予もない。

 自分がしたのは、紛うことなく不慮の事故だが、どう考えても未必の故意――即ち偶然からの覗き行為に他ならない。

 ならば、自らが取り得る行動はただ一つと、イットウは諸手を膝の前にしっかりと揃えるとゲルの床へとたたきつけ――


「ありがとうございました――――ッ!」


 ――深々と頭を下げ、お礼を叫んだ。



「――で。事故だったと、そういうのねアンタ」


「ふぁい」


 倍以上に膨れあがった顔でイットウはそう答える。盛り上がったこぶの一つ一つが覗き行為に支払った対価だった。

 あれから、女子の集団に袋だたきにあったあと、気が済んだ彼女たちにゲルの外へとたたき出されてから暫く。着替え終わった彼女たちが外へ出てくるのと入れ替わるように、中へと引きずり込まれ今に至る。

 正座して座るイットウの正面に立つのは件の少女だ。白を基調に赤で装飾を施した清潔感のあるブラウス状の衣装に白銀色の少し大きめな胸当てを装備している。大きめの小手は脇に挟んでいる。下は先ほど頭上に舞い降りてきた黒タイツに胸当てと同色のすね当てとブーツ。そして動きを邪魔しないようにか、膝上丈の赤色のスカートといった装いである。


「みちにまよっていたところ、てんとをみつけたので、ひとがいるんじゃないかな、とおもい、よろこびいさんでとびらをあけてしまいました」


「そう。中から人の気配がしなかったのかとか、そもそも話し声が聞こえてたんじゃないのかとか、周囲に男連中も居たはずだとか色々突っ込みたいところがあるのだけれど――まぁ、嘘をついているようじゃないし信じて上げようじゃない」


「ありがとうございます、ありがとうございます――ッ!」


「ただし次は潰すというか――根元から削ぐわ」


 何をでしょうか、とは土下座しているイットウには怖すぎて聞けなかった。


「それで、あなた、これから道案内が欲しいんだっけ」


 イットウは顔を上げてそれに頷く。


「けんきょうとしらすとりあをめざしてまして」


「あなた、それ道、反対よ? サン・アルジャントリアから来たんでしょう?」


「ちずをなくしまして」


「ああ、それで森の分岐点を逆に……ってそれにしたって普通は真逆には来ないでしょう。自分の国の方角と照らし合わせたりしなかったの?」


「このたいりくにはじめてきまして」


「あなた、外から来たの? それで土地勘もなく――って港で道案内を雇うなり行商人に同行するなりしてくればいいじゃない。なんでしてこなかったのよ」


「きもちがたかまりまして」


「新天地に来て、はしゃいじゃって我慢ならずに港を飛び出してここまで歩いてきたと……? ――あなた、控えめに言って馬鹿じゃないの?」


「もうしひらきもございません」


「はぁ……まぁいいわ」


 嘆息をついて、少女はイットウに近づくとおもむろに右手を振り上げ――静かに頭の上へと振り下ろした。こつんと、手刀が当たる感触。


「これで、一応は覗きのことは許して上げる」


 イットウは思わず少女を見あげ、


「め、めがみ……」


「どんだけよ」


 もう一回手刀が振り下ろされた。今度は先ほどよりも痛かった。


「それで、道案内って事だったけど――道案内するには問題ないわ。剣響都市ラストリアには私たちも向かうから。――ただ用事が終わってからって言う事になるのだけどそれでもいいかしら?」


「もごもご……と、用事?」


 手刀の衝撃でずっと違和感のあったアゴ周りがかみ合ったのか、正常になったろれつで返事を返す。


「そ、用事。私たちだってなにも遊びでここに来ている訳じゃないのよ――カタフィギオ剣理養成学校って知ってるかしら?」


「カタフィギオ……ああ、よく知ってる」


 イットウは少女に告げられた言葉を頭の中で反復する。

 カタフィギオ剣理養成学校――それは剣響都市ラストリアに設けられた唯一の学校機関であると同時に、三国中立の育成機関でもある。各国の共同出資によって運営されるこの学校は、基本として『騎士候補生』が学を納める場所であるとしている。これは古くからの伝統がそのまま今に残された結果であり、現在は騎士に限らず幅広い"国家に益のある人材"の育成を行う教育機関として機能している。

 基本は十二歳からの六年生で、更には研究生としての四年。その上に専属の研究機関がありそちらへの就職の斡旋も行っている。

 入学方法は貴族枠、選抜、般試(一般試験)の三枠が存在しており、それぞれに貴族からの推薦枠、各国の学校機関からの選抜枠、そしてその二つから漏れた人間と、そもそも対象外だった人間に挑戦権の与えられる入試枠である。

 広く門戸を開き、学内では身分差無く平等に勉学に勤しむ。聖域(カタフィギオ)の名を冠する学校は最大の特徴として生徒達に一つの技術を徹底的に叩き込み、競い合わせることを目的としている。

 それこそは学名にも謳われる"剣理"――剣術などの武術と魔法技術を合理の元に運用する戦闘思想――である。

 カタフィギオ剣理養成学校とは、ウィスタリア剣理大会と呼ばれる大陸三国合同で行われてきたかつての剣術大会――そこへ出場する可能性のある人材の育成をこそ最大の目的とした、身分を問わぬ養成学校である。


「私たちはそのカタフィギオ剣理養成学校の生徒な訳だけど、まぁ、技術があれば、それに対する要求も稀にあるわけ」


「なるほど、剣理の腕前を買われての用事ってわけか」


「そ。この辺りに普通の人の手じゃ終えない害獣が出たって事で、その駆除が私たちの用事。だからそれが終わってからじゃないとあなたを街まで送れないわ」


 少女はイットウへ瞳を向けると軽く小首をかしげた。その後でもいいか、と暗に訪ねているのだ。


「かまわない。そんなに急いでいるわけでもなし、地図もなく森の中を進むよりは全然いい」


「よっし。じゃあ、とりあえず用事が終わったらってことで」 


 告げると、少女はこちらへ右手を伸ばしてきた。掌を上に差し出す形で眼前に突き出された腕に沿って視線を上げると、少女は笑みを浮かべる。


「ラヴィニア=アッカードよ。ラヴィニアでいいわ」


 差し出された手を掴み立ち上がると、視線を合わせて告げた。


「イットウ――クバ=イットウだ。好きに呼んでくれ」


「そ。ならイットウ。短い間だとは思うけれど、よろしくね」



 ラヴィニアに続いてイットウがゲルを出ると、既に外にはそれなりの人数が集まっていた。先ほどは気づかなかった男連中も女子と同数程度いる。みんな軽装ながら胸当てにすね当て、ガントレットなどをしっかり装備している。紛うことなく剣理使い(エクェス)の装いだ。


「みんな、準備は整ってる?」


 ゲルを出て来たラヴィニアに注視していた一同が頷きを返す中で一人の大男が前に出てくる。

 頭部以外の全身を黒色の甲冑に身を包んだ、いかにも重装備といった呈の筋骨たくましい男である。


「お前が最後だ、ラヴィニア」


「そ。という事は男子連中もみんな準備が整っているって事で良いのよね、ウーデゴーア」


 大男は厳つい顔をわずかに頷かせると、両手を組んで頭一つ以上も低いラヴィニアを見下ろすようにして告げた。


「どこかの間抜けに覗きにあった女子連中とは違うからな」


 男子女子双方の視線が思いがけずイットウに集中する。イットウは視線をそらして鳴らない口笛を必死にかき鳴らして素知らぬふりを返していた。内心は全力で謝り続けている。


「そ。見張り番もまともに出来ないようだったから心配したんだけど杞憂だったみたいね」


 ラヴィニアはラヴィニアで腕を組み、見下ろしてくるウーデゴーアの巨体をしっかとにらみ返している。眉根を寄せ、軽くした顎を突き出している風なのはもしかしなくてもメンチを切っているのだろうか。イットウはと言うとその様子に胃が痛い思いで口の中に謝罪の言葉を並べ立てていた。


「ふん。先手は俺たちが貰う。お前達は手を出すな」


 数瞬のにらみ合いの後にウーデゴーアはそれだけを告げてラヴィニアに背を向けた。

 森の中へ彼が立ち入ると男衆がその後についていく。後に残されたのは女子とイットウだ。

 憤懣遣る方無いと肩をいからせたままウーデゴーア達の立ち去った後を睨み付けるラヴィニア。イットウが周囲を見れば女子の大半も同じ様子で苛立ちを森へぶつけている。


「なんか……すんません……ほんと、すんません……」


 どう見ても自分が原因でしかなく、立場のないイットウは情けなく呟きを漏らす。

 その余りの哀れさにか、失笑が周囲に重なる。やがてくすくすとした笑い声へとそれは変わり、


「ほんと、あの男連中もこれくらい可愛げがあればねー」


「毎度のことだけど本当に本当に業腹だわ」


「男だけで固まって動いて、衆道にでも目覚めてんのかってーの」


「それは――アリね」


「「え」」


 といった愚痴大会に変わっていく。ばらばらと森へと立ち入ってく女子達は通り過ぎ際にイッセイの背中や腹を叩いていき、


「覗きはもうすんなよー」


「まぁ事故なら仕方ないし、役得役得だよ」


 と一々声を掛けていく。暫くして顔を上げればラヴィニアがそこに居た。


「次にやったら――」


 彼女はゆっくりと親指を首の辺りで水平に横切らせると、通り過ぎた辺りで急激に下にたたき落とした。


「――結ぶわ」


 何をとは聞かなかった。イッセイは温かくなった心に氷の刃を射し込まれた思いでかたかたと頷くのみである。


「――それで、貴方はどうするの」


 と、ラヴィニアから問いかけが来てイッセイは我に返る。


「どう、っていうと」


 そこでイッセイも気が付き周囲を見渡した。当然のことながら自分達以外に誰も居ない。つまるところ、自分達についてくるのか否かと彼女は尋ねているのだ。


「ま、ここにいた方が安全は安全だとおもうわよ? 今回の相手は(コノート)だっていう話だし」


(コノート)……」


 呟き、頭の中でかつて見たその姿を思い返す。大きさはピンキリだが、最大でも、自分達の腰ほどの高さもない害獣だ。四本足で歩き、鋭い牙を突き出しながら敵対する対象に猛然と突撃を仕掛けてくる。餌の取れない時期になってくると得物を選ばず人間だって襲い始めるから、おそらくは今回もそれなのだろうとイッセイは当たりをつけた。

 そしてそれならば、と一つ頷く。


「俺もついていくよ」


 言いながらゲルの脇に避けていた荷物から一本の刀を取り出す。通常の倍はあろうかという長い柄が特徴の刀である。雪道では杖にしようにも、雪が柔らかすぎて当てにならないと荷物にくくりつけていた物だ。刀袋も取り外すと中から現れたのは――


「鉄鞘……?」

「ああ。珍しいか?」


「初めて見たわね、鉄鞘。重たいんじゃないのそれ」


「それなりには。慣れるとそうでもない」


 装飾も最小限の質素な鉄鞘を腰に据える。


「さぁ、行こうか」


「ええ」


 だが、イッセイとラヴィニアが森へ立ち入ろうかとしたその時だ。

 幽かな違和感に二人は足を止めた。


「今の、聞こえた……?」


「……自信はないけど」


『あぁぁ――――――ッ!』


 確認し合っている間に今度ははっきりと聞こえた。

 悲鳴――続いて森の中で喧噪が奔る。剣の鳴る音に炸裂音。魔法の使用された証だ。


「――行くわ。私から離れないで」


「ああ、よろしく頼むよ」


 †


 森の中はさながら祭りの最中にあった。色とりどりの炸裂が暗がりを彩り、様々な音が重なり合って合奏となり祭りを囃す。

 炸裂の再現に、雷、氷結――様々な現象の再現を魔術(セイズ)が引き起こしそこら中で弾け飛んでいる。

 だがその中心にいる"化物"はそれを意に返さず、木々をへし折りながら野を往くがごとく駆けている。

 その走路の上、弾かれ飛ぶのはなにも木々だけではない。


「がぁぁ――!」


「あぁ、あぁぁあ足が……足がぁ!」


 化物を足止めしようと立ちふさがっていた男子生徒や、それを援護していた人物に至るまで走路にいた尽くが弾かれ飛ばされている。化物にぶち当たったものたちとて通常の人間ではない。剣理を収め、自己強化の術を磨いた剣理養成学校の生徒達である。並みの(コノート)の突撃程度、正面から押しとどめる力は有しているのだ。

 だが、誰一人としてその(コノート)を――化物を押しとどめることの出来る人間はいなかった。

 ウーデゴーアはその様子を間近で眺めながら自問した。


「なんだ――これは」


 この様子は、なんだ。少なくとも自分の知る(コノート)ではない。観察すれば、見慣れた毛色とは断じて異なる。何より、その表面を奔る、光り輝く紋様はなんだ。そんな特徴を持った獣の話など自分は聞いたことがない。


「なんなのだ、一体」


 剣理養成学校の一クラス。男子生徒が総出で掛かって全く歯牙にも掛けられていないこの光景はなんだ。

 ウーデゴーアは西北に位置する王国、グラントライヒの出身だ。入学は選抜。家柄は普通よりも下と言ったところ。父も母も工事現場や工場で働くような労働階級の家の出だ。ウーデゴーアの家は彼以外にも五人の弟妹を持っている。貧しい家に六人もの子ども。ウーデゴーアは生まれてこの方両親が休暇らしい休暇を取ったのを見たことがなかった。勤勉な国柄もある。ウーデゴーアの家は当人も、また両親も絵に描いたようなグラントライヒ人気質だ。真面目で実直。仕事に忠実で、身を粉にすることを厭わない。そんな家の出身だからこそウーデゴーアは学校へ通い誰よりも努力をした。少なくとも、自分にできうる限りの全ての努力をしたという自負がある。その甲斐あってカタフィギオ剣理養成学校の選抜枠に滑り込み、剣理養成学校に通うという栄誉を勝ち取った。

 将来は、親も――そして弟妹達も、身を粉にして働く必要のない余裕のある生活を送らせたい。その一身で学び、鍛えてきたこの身、この剣理だ。周囲の誰よりも努力し、実際優れているという自負はある――だが、周囲の男子生徒達の実力も良く理解している。しているのだ。


「う、ウーデゴーア……逃げろ……こいつは――コイツは情報と違う。俺たちの手に負える奴じゃ……」


 今倒れ伏したのは、ウーデゴーアがクラス内で自分に次ぐと思っていた男だった。他にも、自分と同程度か、自分には及ばないまでも一芸に秀でた物など様々――その誰もが木っ端と散らされているこの光景は一体何か!


「う――」


 ウーデゴーアは目の前に怪物の迫るのを見た。最早、化物でも(コノート)でもない。怪物――人類に害為す存在である。


「――ぉぉぉおおおお!」


 ウーデゴーアの得意とする魔法は偽装(レウプリカ)――予め定めおいた概念(レウプリカ)情報を引き出し、現象の再現を為す魔法。その中でも、ウーデゴーアは"岩石"の再現を行う概念(レウプリカ)使い《レプリカンター》である。


「阻め瀝青(れきせい)――拒むは万暦の巌!」


 ウーデゴーアは偽装(レウプリカ)にこめられた概念(レウプリカ)呪文(ロック)を外す。両手に装着された巨大な籠手を突き合わせると、次に大地へと叩き付け――


「天下万壁の――これぞ岩鉄山(がんてつざん)!」


 ――呪文(ロック)の完成と共に概念(レウプリカ)は解放され、幻想は形を持って現象の再現を為す。

 ウーデゴーアの前に築き上げられたのは鉄の泰山。

 ウーデゴーアの再現しうる限りにおいてもっとも堅牢な"岩石"の再現である。

 大地から突き上げるようにしてウーデゴーアの正面に展開された鉄の岩石はその圧倒的質量によって地面にめり込み怪物の正面に立ちふさがる。

 如何な生物とてこの鉄の泰山を越えるに能わず、生物で有る限りにおいてウーデゴーアの身長よりもなお厚い鉄の壁を突き破ることは敵わない。もとより世界の法則は物理という制限の元に完成されており、生物を織りなす機巧が鉄を突き破るという暴威を許しはしない。

 ――だが、それを超越するからこその怪物。

 そして、ウーデゴーアはその時、知るよしもなかったがもとよりこの化物は、そも怪物という範疇に収まらない。

 その正体をこそ、幻想種。人々の想像が織り上げ、世界に産み落とされた虚構を半身とする存在に他ならない。

 なればこそ、幻想種はその身を生物の範疇に留めるを良しとせず。

 然して、その無造作な突撃は――


「ば――かな」


 ――万人を阻む鉄山を粉砕しウーデゴーアを吹き飛ばした。



「なによ……この状況は」


 送れて到着したラヴィニアが見たのは周囲に男子生徒が倒れ伏す阿鼻叫喚の地獄絵図である。時間さで到着していた女生徒は然程巻き込まれて居ないのか、その介護に当たっている。


「ラヴィニア! ちょっときて!」


 介護していた女生徒の一人に呼びかけられラヴィニアがそちらへ向かうと、そこには甲冑を砕かれ大量の鉄くずに埋もれるようにして倒れるウーデゴーアの姿があった。片腕が変な方向へとねじ曲がり、頭からも血を流しているが意識はしっかりと持っているのか駆け寄ったラヴィニアに視線をすぐに向ける。


「ウーデゴーア、何があったの!」


「ラヴィニアか」


 尋ねるラヴィニアの声が響いたのか顔を顰めてからウーデゴーアは応答する。


「あれは……あれは(コノート)なんて可愛い物じゃない。遙かに巨大で、遙かに強大な怪物だ。全身に光る紋様を発していて、突進だけで俺の鉄山を砕いてきやがった」


「鉄山を――」


 ラヴィニアは周囲を見渡して絶句した。同じクラスと言うだけあってウーデゴーアの実力はよく知っている。あの鉄山に授業中の稽古で苦しめられたことは一度や二度ではない。正面切って破ることは未だに一度も叶えたことはない、万人未踏の大鉄塊である。

 それを砕くほどの実力となると、なるほどこの自尊心の高い男が素直に怪物だと称する訳だ。


「撤退だ、ラヴィニア。あれは――あれは悔しいが俺たちの手に負える怪物じゃない」


「そう――ね」


 と、ラヴィニアがその提案に頷――こうとしたときだ。


「――いや、少し遅かったみたいだな」


 ラヴィニアの傍らに立っていたイットウが不意に呟き、しゃがむと同時に鉄山に埋もれていたウーデゴーアを一息に引きずり出した。

 余りの乱暴な扱いに折れた腕が干渉した痛みも相まってくぐもった悲鳴を上げるウーデゴーアだったが、文句を言う前に投げ棄てられる。


「あなた、一体何をして――」


「――来るぞ」


 その扱いをさすがに咎めようとしたラヴィニアの言葉を制止する形でイットウは言葉を被せた。ラヴィニアの見つめる先、イットウの瞳は遠く森の奥へと向いている。

 ただならぬ様子に周囲で看護をしていた女学生も、うめき声を上げていた男子学生ですらも静まりかえる。異様な静謐の中――みしりと、木々のへし折れる音が聞こえたのを皮切りにその静寂は破裂する。


「――みんな、撤退! 可能な限り全力で逃げなさい!」


 反射的にラヴィニアが指示を出したのが早いか否か、森の奥で木々が破砕し、文字通り吹き上がったのに合わせて、生徒達は一斉に逃げ出し始めた。介護していた女学生は男子学生に肩を貸し、比較的怪我の少ない男子生徒は重傷者を二人で担ぎ上げる。

 ウーデゴーアがその巨体を三人で担ぎ上げられて行くのを見送りながら、前方に迫り来る暴威を前にラヴィニアとイットウはその場を動いていなかった。


「――あなたも逃げて良いのよ、イットウ。わたし、護りきれる自信がないもの」


「ラヴィニアは逃げないのか?」


 お互いに声を掛け合い、互いを見合わせる。


「わたしは、ほら、みんなが逃げる時間稼ぎとかそういうのよ。こう見えて、クラスの代表を背負っているの。優秀な生徒には責任が付きまとうものなのよ」


 言いながら肩をぐるりと回すラヴィニアの姿は、なんだかこれから殴り込みに行くかのような気楽さで堂に入ったものだった。なるほど、この女子、いつもこう言う動作で誰かに喧嘩売ってるんだなと暗に察するイットウである。


「だからほら、あなたも私なんかに構わず逃げて良いのよイットウ――かっこつけて死んだら元も子もないじゃない」


「いやなに、簡単な話なんだよラヴィニア」


「なによ」


 二人の眼前、暴威はもうすぐ其処に迫りつつある。ラヴィニアは返しながら静かに愛用のフランベルジュを抜き去った。柄も入れると自分の身長にほぼ匹敵する長物である。炎の形状をした波打つ刃が特徴的な、見た目にも優美な刀剣をラヴィニアは自然体で構えている。

 対してイットウは刀を抜き去らず、腰に鉄鞘を差したままでいる。長さは鉄鞘の段階でラヴィニアのフランベルジュより若干短いが、柄の長さも入れるとやはり長物。それを収めたままとは抜刀が得手なのかともラヴィニアは思考の片隅で観察する。

 怪物を前に、最早逃げようのなくなった頃合い。視界を遮る大木が吹き飛んだ瞬間に、イットウは告げた。


「暗い森の中を来たから――帰り道が分からないんだ」


「――この、馬鹿ぁぁ!」


 叫びと同時に怪物が二人の前に姿を現し、そのまま走り抜ける。咄嗟に左にイットウ、右にラヴィニアが飛び退けそれを避けた。

 特徴的な光る紋様が暗がりに残光を刻んで奔る。その異様にラヴィニアは思わず驚愕の声を上げる。


「なによあれ――!」


「――精霊殺しだ」


「はい――?」


「精霊殺し――森の獣が間違ってにしろ偶然にしろ偶に精霊を殺してしまうことがあるんだが、そうすると精霊の呪いが掛かって偶にあんなことになる!」


「なんでそんなこと知ってんのよ!」


「じいちゃんが物知りで山に入るときよく聞かされてたんだ!」


 二人は走り抜けた怪物――精霊殺しの方へ向き直り、森の中を駆けながら言葉を交わす。


「精霊は本来この世の生き物じゃない。半分を別世界に置いてきているような曖昧な生き物だ。それを殺し、呪われるという事はその身もまたこの世の物じゃなくなるってじっちゃんがいってたっけ」


「なによそれ――じゃあ、半分くらい幻想種……ドラゴンみたいなもんってことなの、あれ?」


「昔の伝説で英雄が(コノート)に襲われたりするのをみてないわーさすがに(コノート)はないわーって思ってたけど、あれだと思うと納得しないか」


「うんまぁ、あれは割と死ぬわね」


 だろう、と納得を得たところで精霊殺しも転進が終わったのか、こちらへまた迫ってくる音がして二人は足を止める。


「いいわ。半分以上が空想上の怪物だろうがやれることもやることも、どちらも変わりはしないんだから」


 フランベルジュを左手に携え構え、ラヴィニアは森の奥を睨み付けるようにして言う。既に魔力は励起され現象再現の魔術(セイズ)は準備万端と面持ち。


「聞くけど、ラヴィニアの得意技って……?」


 それを傍らから眺めつつ、一応の確認をと尋ねるイットウにラヴィニアは高らかに答える。

 それは自らを勇気付ける、存在の宣言を持って為された。


「――万象ひれ伏す我が魔術(セイズ)こそは、全ての根源にして世界の産み手」


 ラヴィニアの手に携えられたフランベルジュに光が灯る。白色に近い桃色をしたラヴィニアの長髪が光に煽られるようにして靡き、舞う。


「我こそは炎の剣理使い(エクェス)にしてラヴィニア=アッカード」


 続く高音は空気中の酸素を急激に消費し、周辺の空間を歪め熱する光球の出現。

 それに伴う大気の擦過と燃焼音!


「我が魔術(セイズ)こそは――全ての終端にして森羅を焼き尽くす世界の終わり手!」


 姿を現した精霊殺しの突撃に対して、ラヴィニアはその渾身の一撃を合わせ剣を振り下ろす。


「見なさいイットウ――これこそが私の得意技」


 宣言と同時、剣身を砲塔に炸裂するのは――


 「森羅焼滅す理の螺旋光ディ・ラーヴァ・アモーレ――!」


 ――螺旋を描きて奔る炎刃! 万物を等しく焼き滅ぼすその熱量は、瞬間的には彼の鉄山をも溶かしうる大火力。所々にプラズマをも帯びるそれは、原子結合すらも藻屑と化す終焉の焔である。

 瞬間的に膨大な光量によって照らし出された森は、一瞬その隅々までをも白昼と変わらず描き出す。

 直撃した精霊殺しはその身を一瞬で炎の塊と為した。膨大な熱量の照射は突撃する怪物を押しとどめ、灼き尽くさんと猛威を高らかに世界に謳う。この世に現れている限り、例え幻想すら焼滅する炎の再現は精霊殺しを確実に食い荒らす。


「やった――」


 だが。如何な幻想も焼き尽くす炎であろうと、万物森羅を焼滅する熱量だろうと。

 ――精霊の呪いを殺せはしない。


「ラヴィニア――ッ!」


 イットウは叫ぶと同時に傍らにいて炎を照射し続けていたラヴィニアに抱き付き引きずり倒した。その勢いのままに、木々の倒れ伏す地面を回転し続ける。


「ちょ、なにをするのよ――」


 余りの出来事に、反射的に怒鳴り声を上げようとしたラヴィニアだったが、頭上ギリギリを炎の塊が通過していったのに瞬間絶句する。

 通過した精霊殺しはさすがに無事ではないのか、特別太い幹を持つ大樹にぶち当たり停止する。

 しかる後、突き刺さった牙を抜き去ってこちらに向き直ろうとしていた。


「き、危機一髪……」


「み、みたいね……」


 イットウが引きずり倒してくれていなかった場合のことを考えて、ラヴィニアは背筋に冷たい汗のドット流れるのを感じた。精霊殺しを押しとどめきれず、突進をもろに喰らうところだったのだ。


「で、次はどうする」


 倒れていた地面から起き上がりながらイットウが尋ねる。差しのばされた手に捕まりながらラヴィニアは立ち上がった。


「無いわよ、次なんて。あれが精一杯だもの」


「もう一発は」


「暫くは無理ね。少なくとも朝が来るまでは」


 つまりは、ラヴィニアの知る限りにおいてあの相手を打倒する術は尽きたという事に他ならない。まさか朝まで逃げ回り続けるなんてことが可能な相手だとは到底思えなかった。何より、自分の魔力が回復するまでの間に、果たして相手も回復しない保証などなどないのである。

 相手が幻想種を名乗る以上は、通常の理とは別の領域で回復する文字通りの怪物だと思うより他ない。つまるところ、自分達に残されたやるべき事は、速やかな撤退である、とラヴィニアは考えていた。

「まぁ、時間は十二分に稼いだしあとは――」


 本当にそれでいいのかとか、自分達に任された用事を果たせず戻ることが正解なのかとかは意識の外に置いておく。不可能可能で言ったら間違いなく不可能なのだから仕方がない。現実はままならず、思い通りにならないからこそ足掻くのだ。こういうことだってよくあることだと、自分にラヴィニアは強く言い聞かせ。


「――あれを倒したら、その、なんだ」


「は――?」


「もしかして、あの女の子達も覗きをしちゃったこととか全部チャラにしてくれるだろうか」


 逃げるだけ、と続けようとした言葉をなんだかあり得ない言葉が聞こえた物だから思わず飲み込んだ。


「倒すって、あれを?」


「ああ」


「あんたが?」


「うん……そのつもりなんだけど」


「……魔術(セイズ)は?」


「得意じゃないな」


偽装(レウプリカ)言霊(フサルク)もだめ?」


偽装(レウプリカ)は少しだけ。あとは純粋な剣術くらいだ」


 割と問題外だった。論外である。


「あんた……それであの怪物を倒すっていうの? 鉄鞘で殴り倒すの?」


「いや、違うんだが――ああもう、ラヴィニア。答えてくれればいい」


 イットウはまっすぐにラヴィニアの瞳を見つめる。思わず、ラヴィニアが背筋を只してしまうほどに良い瞳を決してそらすことなく、イットウは告げた。


「――どうだろう。チャラになるだろうか」


「そんなの――」


 決まっている。あんな怪物倒したらどうなるかなんてそんなの――。


「――そんなこと出来たら覗き所か何でも言う事一つくらい聞いて上げるわよ! それこそクラスの女子全員でね!」


 できっこないんでしょうけどね、と。ふんっと鼻息も荒く顔をそらしながらラヴィニアは言い放つ。

 それを聞き、イットウは小さく「そこまでは要らないんだが」と呟いてから頷いた。


「ああ、それならやってみる価値もあるかな」



 クバ=イットウは果たして、こちらへ向き直ろうとする精霊殺しの前に一人で立っていた。腰には相変わらずの鉄鞘に収められた刀が一つ。ラヴィニアに頼み込んだことはただ一つ『決して自分の前には立たないこと』のみ。


「さて、出来るかなっと」


 イットウの背後に下がったラヴィニアが不信と不安と――僅かな、ほんの砂粒一つくらいの期待をこめた視線をイットウに送る中、当の本人は酷く緩い気分でいた。

 思考の大半を占めるのは、精霊殺しへの怖れでも畏れでもなく、果たして今から行おうとする行為を十全こなせるかという心配のみ。

 できるかな、できないかな、などと気楽に口の中で転がしながらイットウはこの日始めて構えを取った。

 腰に差していた刀を鞘ごと抜き取ると右手で保持して垂直に構える。左手を柄に、右手を鍔元に。この変則の居合いの型こそクバ=イットウの収めた剣術の型に他ならない。

 出来るか、出来ないか。イットウの中に疑念はそれしかない。何しろ、長い船旅から大陸に降り立ってから一度も稽古をしていない。自分の体が鈍っては居ないか、剣理が鈍っては居ないか。それだけがイットウを締める心配事である。

 精霊殺しがこちらを向いた――イットウは視線を彼の怪物と交錯させる。怖れなく、畏れなく。対象を、ただの斬撃対象として認識する。

 タイミングは一度きり。外せば二度目は存在しない、ただの一度の雲燿の瞬きのみ。その寸暇。その須臾をこそ己は斬り裂く。

 一方の精霊殺しは生物として残された思考の中で、一つの疑念を持っていた。即ちこの目の前の生物は何者なのかという疑念。こと、この呪いに身を犯されて後、自分の前にこのような瞳をして立ちはだかった生き物が居ただろうかという疑問である。

 精霊殺しは数瞬、自分の記憶を漁るも答えは否――このような生物に心当たりは無いというもの。自らの前に立ちはだかる物はすべからく幻想の前に怖れを――あるいは畏れか、憧憬を抱いて立ちふさがる。

 だが目の前の生物は、こちらをもしかして――そこいらの木と何ら区別することなく認識してはいやしないか。生物としての幻想をこの身に宿す怨念の塊である自分を、まさかそこいらの物言わぬ植物と同一に見下ろすその視線。

 こちらに一切の脅威はなく――ただ為せるか為せまいかという己に問いかけ続けているその視線。

 精霊殺しに残された(コノート)としての本能が告げる。それは屈辱以外のなにものでも有りはしないと。動物は、視線で語り合い視線で殺し合う生き物だ。そのような――どうでもいいものを見るような視線をこちらに向けると言う事は、即ち喧嘩を売って居るも同然だ。

 先ほどの炎に焼かれたこの身は万全にはほど遠い――だが、眼前の瞳を轢殺するには十二分すぎる。この身の渾身を持って不愉快な視線を殺す。精霊殺しは決意を固め、万物を轢き殺す猛進の一歩を踏み出す。

 イットウはその動作を見て取ってから――瞳を閉じた。感じるのは己が左腕。そこに封じ込められた一つの概念(レウプリカ)に他ならない。

 ――かつてこの世界には魔剣族と呼ばれる種族がいたという。あらゆる武器、防具の祖となった伝説の種族。その種族は一であると同時に剣であり槍であり盾であり斧であり、即ち武器防具の全てであったと語られる。現代においては死せる魔剣と呼ばれるかつては魔剣族だった力持つ魔剣が幾振りか現存するのみが、その存在を感じられる縁である。魔剣族の武器防具の持ちうる力はあらゆる魔法、あらゆる技巧を越え、あらゆる現象の再現をも凌駕したと語られる。

 即ち、世界改変のその力。望む形に世界を塗り替える最強の幻想概念(レウプリカ)

 ――イットウの左腕には一振りの魔剣の概念(レウプリカ)が眠っている。


「――告げる」


 精霊殺しは駆けだした。初速をして全力全開。先ほどまでの突進に比べて速度は優に二倍を超える。生物としての耐久限界を超えたまさしく幻想種にのみ出しうる速度。幻想だからこそ許される光に迫る物質の超突撃。瞬間的に周囲の大気は摩擦で燃え上がり、精霊殺しはプラズマの塊となる。だが、先ほどの現象再現ならばまだ知らず、こと、自然の物理現象で有る限りにおいて幻想を傷つける事は敵わない。幻想を塗り替えるのは、それを越える幻想のみ。一の想像だけが幻想種を打倒しうる唯一の方法である。想像限界の突撃が迫る中、イットウは力のある言葉を発す。


無頼(ぶらい)斬り裂く其は無刃(むじん)

 無明(むみょう)散り行く其は無間(むげん)


 閉じていた瞳を開く。眼前。精霊殺しのイットウに到達するまで瞬きの間もなく――しかし。


「――魔剣照覧。

   黒白(こくびゃく)――」


 その絶対的瞬間を――


「――――夜天光(やてんこう)!」


 ――一刃が切り裂き奔る。



 ラヴィニアが目にしたのは、夜天に輝く星の光だった。

 イットウが瞬間すらも斬り裂く速度で居合いを抜きはなつと、その剣閃に沿った特大の斬撃が走り抜けたのだ。

 それは間違えようもなく、地に現れた星の意志。あらゆる現象を凌駕する、世界を塗り替える最高の奇跡。

 この世に存在し得ぬ幻想にすら手を届かせる、魔剣の御技に他ならない。

 ラヴィニアがその光景に息を呑み、嘆息を吐き出すその間に事の全ては終えられた。

 真っ二つ木切り裂かれ、光と消えゆく精霊殺し。

 イットウが振り抜いた剣尖の先、倒れ往く木々の数々。

 成し遂げた張本人は、音もなく鞘に刀を収めるとラヴィニアの方を振り返った。

 そのまっすぐな瞳に思わず胸を高鳴らせ――


「――これで覗きはチャラだ」


 思わず、足下にあった木片を全力で投げつけた。

 ぽかーんというなんだか冗談みたいな音を立てて、それはイットウの頭に当たり、精霊殺しを前に怖れる素振りすら見せなかった青年は、それこそ嘘みたいに簡単に気絶した。




 斯くしてこの一件には蹴りがついたわけだが、最後におまけが一つある。精霊殺しを倒した後、倒れたイットウを担いでそのまま剣響都市ラストリアへと送り届けた我々一行は、医療機関へイットウを押しつけると心身の疲れと報告義務からすぐさまカタフィギオ剣理養成学校へと向かった。

 そこで諸々の手続きを終えた我々を待っていたのは熱いシャワーにお風呂に、ごはんに、ぬくぬくとしたベットである。

 ラヴィニアはその心地よさに心より浸りきり、眠っている間は全てを忘れた。

 翌日、学校が通常通り授業を初め、怪我人の分だけ少なくなった教室におはよーと登校し、やがて始業の鐘がなり教師が入ってきたところで問題が発生した。

 正直なところ、なんでも言うこと聞いてやるは言い過ぎだったために、このまま合わずにやり過ごそうと思っていたのがラヴィニアの正直なところである。

 だが、奴はあろう事かもう一度現れた。


「この学校には珍しいことだが転入生を紹介する――」


 教師の言葉に伴われて表れたその人影。なんだか気の抜けたその表情。殴りたくなる絶妙なその相貌。


「クバ=イットウ――――――――ッッッ!!」


 その姿を認めて、ラヴィニアは渾身の叫び声を上げたのである。

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