第二章 竜殺し
「君には、生きて...ほしいの!」
あの日を、憶えている。
身体中の血液が煮えくり返って、初めて人を殺した、あの日を。
こんな俺を愛してくれた、ただ一人の幼馴染みが死んだあの日を、思い出した。
俺は死にたくなかった。だから、死なずに済んだ。
けれど、死んだ。あいつは、盗賊に刺された。
土を固めた田舎特有の地面を赤く染めて、苦しげに俺を見上げて、口を開いた。
頬を熱い涙が流れるのも、視界がぼやけるのも、身体中の血が熱を持っているのもわかった。だからこそ、俺は、あいつの腹からナイフを引き抜いて、首筋を掻っ切ったんだっけな。
そのまま刺しておけば死なずに済んだのかもとも思った。だが、俺はそのあとに村を出て、色々あった。
俺は、紹介された宿のふかふかのベッドの上で、過去を思い出していた。
俺のすべてを変えた、あの呪いの様な温かな一言を。あの、温かな二人分の返り血の感触を。
たまに思うが、この言葉が無ければ、俺はどんな人生を送っていただろうか...。
もしかしたら、死んでいたかもしれないし、もしかしたら、もっといい人生を送ったかもしれない。
でも、それを不自由だとは思っちゃいないし、正直なところ、アストリアに一目惚れせずに済んだのだって、彼女の言葉が心に残っていたからだと思う。
段々と眠くなってきたな...まだ日は高いが寝てしまおうか...
思い始めたその時、上下に付き揺らすような、強い衝撃が俺の体を襲った。
地面が揺れるのは慣れていたが、下に落とされるような衝撃は初めてだ。きっと、地下だから、ということだろう。
部屋を見回すと、物が床に散乱していた。地震か?思って立ち上がった瞬間、再び衝撃に襲われる。
俺は、体勢を崩して床にへたり込んだ。地震ではない。明らかに。小さな振動が断続的に来て、時折大きな衝撃が来るなんて地震ではありえないことだからな。
扉が強くノックされ、振動に耐えつつ俺が鍵を開けると、宿の女将が血相を変えて叫んだ。
「すみません!急いで防御区画まで逃げて下さい!」
「防御区画...?」
なんだそりゃ?と質問する前に、女将は早口で説明してくれた。
「これは、五十年に一度、発生している天災のようなものなんです。で、それから身を守るためのシェルターで構成された空間のことです」
つまり、俺は五十年に一度の天災に巻き込まれたってのか。ああ、本当にツイてねえ。
俺が自分の不運を嘆いている内に、女将はどっかに行っちまった。
こうなりゃ、自分から死にに行った方が幸運な気がしてくるな...。
そう思って俺は、宿を出て、人々が「この世の終わりだ!」とか「まだ死にたくない!」とか言いながら走っていく方向の反対...つまり、地上を目指して走りだした。
ああ、俺は何をやってんだろうな...。いつか、酒場でしがない傭兵たちに話してやれば、きっと笑いが取れそうだ。
もっとも、生きていたらの話だが。
俺は、地上に繋がる階段を上って、扉を開けて日光の当たる地上へと出た。
次の瞬間、俺は異常なほどの熱気に包まれた。いや、それよりも、目の前の光景に、立ち尽くすしかなかった。
「なんだこりゃ...」
まさか、これが高層化できない理由だとでもいうのか...?いや、そのまさかだろうな...
いくら上手い表現を探しても、見つからない、そんな景色だった。強いていうなら、地獄か。
建物は熱でただれていたり、爆風でレンガが崩れていたりで、無傷な建物は見渡しても、どこにもなかった。
また、崩れた建物に火が回り、辺り一面火の海になっていた。
そして何より、空を、巨大な赤い炎竜が飛んでいた。
ワイバーン種...恐らく、その中でも大きな部類だろう。両翼を広げて十五メートルってところか。
俺は、さらに近付いてみようと、建物が少ない大通りに出た。
そこには、この国の軍隊と思わしき戦車部隊が縦にずらりと並んでいた。俺も資料として戦車について調べたことがあるが、この戦車は、高精度砲を装備した名車だ。
つまり、この戦車たちは、あの炎竜に対する一斉射撃を行って退治しようという考えなのだろう。
戦車たちは、一斉に主砲を持ち上げ、炎竜を狙った。次の瞬間、空気を切り裂くような爆音と、二十メートル以上離れているこちらにまで爆風に俺は一歩後ずさりして、上を向いた。すると、竜が居ない。
落下したのか?いや、だとしたら衝撃があるはずだ。それに、空中には爆発時の煙が発生していない。
そんなことがあり得るのか?常識的に考えて、あれだけの大きさの炎竜が、戦車との距離は五十メートルもなかったにも関わらず、炎竜の死体はどこにもない。そこにあったのは、両翼を広げ、戦車隊の側面に回った炎竜のみで、次の瞬間、戦車が煽られて吹き飛んだという事実のみだ。
戦車が空を飛ぶ?あり得るわけがない。五十トンを超える車体を爆風のみで宙に浮かせる?
「冗談じゃねえ...!」
この世に生まれたときから不運だとは思っていたが、まさかこんな異世界じみた現実を見せられるとはな。
俺は、立ちすくむほかなかった。空を見れば、二機のジェット戦闘機が、炎竜に対して至近距離からミサイルを撃ち込み、機銃掃射を行った。
だが、機銃の弾丸は全て、表面の鱗に弾かれ、ミサイルも鱗を焦がした程度で、瞬く間に二機は叩き落とされ、無価値な鉄くずと化した。
そして、この短時間で四十人あまりを死に至らしめた炎竜は、俺の存在に気付いたようだ。
二つの巨大な双眸で俺をきっちりと捉え、右翼を持ち上げた。
今まで生きてて幾度と死の危機を感じてきたが、ここまでの危機を感じたのは初めてだ。
俺は、血の気の引いた体を必死に動かして、大通りを曲がるという考えに至らず、まっすぐ走り続ける。
その間に、ズボンのポケットを漁ったが、何一つなかった。ここまで自分の危機感の低さを後悔したのは久々だ。しかし、同時に俺が金属からでないと錬成が出来ないような二流錬金術師じゃなくてよかったと思う。俺は、炎竜に向き直って、シャツの上に羽織っていたオーバーコートを脱ぎ、それを宙に投げる。そして、空に向けた手を握り締めて、頭の前、斜めに引いた。
のんびりと帰路を歩いていた竜殺しは、突如大きな影が自宅の方向から近付いてきて、空に目を向ければそれが五十年に一度現れるという炎竜だということに気付くのに、国民ほどの長い時間は要しなかった。
国民が慌てふためき防御区画へと逃げていく中、竜殺しは、帰路を急いで自宅へと戻る。
玄関の門を開けて、下駄箱の上に乗っている両刃剣を手に取って、先ほど炎竜が向かっていった街へと再び走った。
きっと、陸軍も、空軍も、海軍も皆全力で迎撃するだろう。けれど、それに意味は無い。
資料によれば炎竜の鱗の強度は戦車の頑丈な装甲に負けるとも劣らずらしく、また、その敏捷性も目を見張るものだと言う。つまり、有効射と成り得るだろう軍艦や戦車の砲弾はそもそも命中しないし、戦闘機程度の攻撃力では意味がないということだ。だから、人々は唯一の攻撃手段を考えた。それこそ竜殺しだ。
竜を殺すためだけの一家に生まれた娘。彼女らは、竜を仕留められずに、今まで十二人が死んだ。
竜殺しは、街に付いたが、資料通りの惨状に絶句した。
「全員、防御区画に退避済み...か。満足に戦えそうだけど、僕の方が満足じゃないな」
竜殺しは、自分の剣を見て、自嘲気味に笑う。この剣は、「聖剣」でもなければ「魔剣」でもない。
決してこの剣を嫌っているわけではないし、愛着だってある。けれど、「ただの両刃剣」なのだ。
恐らくこの剣では竜の鱗は貫けないだろう...けれど、けれど翼の、鱗の無い部分を狙えばチャンスはある。
ひっくり返って炎上する戦車。原形をとどめていない戦闘機。ここから海は見えないが、きっと軍艦もやられているだろう...。
竜殺しは、決して、その死を無駄にしたくはなかった。きっと、国民は知らない。
自分たちの一家は、国民の知らないところで王族としての地位から追放された、「真の王族」だということを。
そして「真の王族」が竜殺しとして選ばれたのは、国王からの嫌がらせだったということを。
だからこそ、国民を守りたいと誓ったのだ。王よりも、民を大切にしたいと思ったのだ。
誰からも本来の自分を認識されなくても、それでもいいのだと。役目を果たし、愛すべき民が生きるなら、それで、ただそれだけでよいと、竜殺しは、そう思ったのだ。
竜殺しは、大通りに出た。次の瞬間、あり得ない現実に目を疑う。
目の前で、男が、今日出会ったばかりの男が、炎竜と戦っていた。いや、正確には攻撃を避けているだけだが、それでも異常だ。
竜殺しは、剣を抜いて、男に逃げろと言いたかったが、残念ながらそんな余裕は無さそうだった。炎竜が天に上り、男を睨み付けた。
もし、これが一家に伝わる資料通りならば、男は上半身と下半身がお別れすることになるだろう。
男は、短時間の関係だったが人が良かった。だからこそ、救いたかった。
竜殺し...アストリア・エーデルワイスは、右の、まだ火が回っていない崩れた建物に向けて駆け出し、建物に飛び乗り、その勢いで、更に飛んで、男の後ろに着地する。