呪文:四字熟語
*1
私はトレジャーハンターだ。今、お伴1人と共に伝説の秘宝が眠るという西の果てにある洞窟を目指している。
「姉御。少し休みましょうぜ。」
後ろからお伴の呼ぶ声がいつもより低い地べた近くから聞こえてきた。振り返ると背に負っていたはずの大荷物を道に放り出し力なくへたり込んでいる。
-やれやれ。
こいつときたら都と比べて美しいと呼ばれたこの私と一緒に旅が出来ることだけでも光栄に思うべきところ、すぐ音を上げる。最も私の荷物も全部―2人分の旅道具すべてを背負っているのだから無理なからぬことではあったが。
「仕方ないわね・・・。」
右手の魔法の杖をお伴に向かって軽く上げるといつもの呪文を唱えた。
―焼肉定食!
途端。醤油に漬け込まれた牛肉が焼き上がる香ばしい匂いの湯気が立ち込める中、お伴が力強く立ち上がった。
そう私は魔法使いなのだ。呪文はすべて四字熟語。但しこの魔法は、ただ四字熟語を数多く覚えれば良いというものではない。四字熟語の内容理解はさることながら、呪文を掛ける相手の知識、経験、力量、趣味等を一瞬にして見抜き、相手に最も効果を及ぼすと考えられる言葉を選び抜く-洞察力が最も重要となる。反面、四字熟語を覚える程増えていく付随知識は弱点になる。使える四字熟語が豊富ということは、相手から掛けられる呪文も多いことも意味する。誠に厄介な強弱表裏一体の魔法なのであった。なお、今回のお伴は単純な男で非常に判り易く、特に回復呪文(彼の大好物でもある)の掛かりが良くて道中とても助かっていた。ただ一度あまりに疲労困憊していたので上級呪文「酒池肉林」を使った際はべろんべろんのデレンデレンになってしまい、違う意味で使い物にならなくなってしまったが。
―さてと。
私は前方、目的地の方角に目を凝らした。濃い霧の中にある目指す西の果ての洞窟には「白き魔法使い」と呼ばれる門番がおり、秘宝を目指したトレジャーハンターがここ数年だけでも10人近く犠牲になっている。
-或る者は命を落とし、或る者は行方知れずに。また或る者は洞窟から無事還って来たものの、正気を失っており二度と日常生活に戻ることは出来なかった。
肝心の秘宝の中身は「白き魔法使い」に固く守られているため全く判らない。ただ、そこまでして守り続けているものだ。よほどの価値があるに違いなかった。
*2
-一撃必中。
突然、パシャパシャとストロボ閃光が洞窟内を一瞬明るく照らすと共に洞窟の奥から黒く鋭いものが飛んで来た。秘宝が眠ると云われる洞窟に入って10分も経っていない。とっさに身をかわすと左後方の洞窟の壁にそれ程大きくないが硬く尖った槍の様な物体が幾つか当たる乾いた音が響いた。
「白き魔法使い」の手下か。飛んで来た方向を見ると動きやすそうな濃色の服を着て度の強そうな眼鏡を掛け、出っ歯で首からカメラを下げ、手にはマイクを持った三流ジャーナリストのような風体をした男が洞窟の中央にふらふらと立っている。一撃と言いつつ何撃か、必中と言いつつ全く当たらないところがこの男の性根を表している。
私は腰を落とし、両腕を揃えて前に伸ばし両掌の中に魔力を込めて唱えた。
―針小棒大!
その声と共に私の手の間からコバルトブルーに輝く小さな針が無数に飛び出し男に向かって飛んでいく。飛ぶにつれそれはみるみる大きくなり電信柱より巨大になって男を貫き、男の姿は巨大な針山の陰に隠れ全く見えなくなった。
小さな針が電信柱より大きくなるとはなんて誇大な。-この男のために泣いた者が数多くあったに違いない。
洞窟に入ってすぐにこのような手達が現れるとは。この先の困難とラスボスの「白き魔法使い」の力を想像すると私は身震いが止まらなかった。
*3
蛇やら蜘蛛やら、いやそれ以上の、文字にするのも忌まわしい出来事もあり、省略するが言葉では語り尽くせぬ数々の困難を乗り越え、私はついに「白き魔法使い」と対峙していた。薄汚い白衣にぼさぼさの白髪頭の老師。目指す秘宝はすぐ目の前に-。私は今まで得た情報や知識、経験等を元に練りに練ってきた必殺の呪文を放った。
-厭離穢土
ご老体にはこれが一番効く。・・・と全く効いているように見えない。一体どうなっているのか。焦った私は次の呪文を繰り出した。
-血池地獄
この間、本当に久しぶりに休みを取って行った別府温泉の光景が目に浮かぶ。
灼熱の真っ赤な池にガポンガポンと噴き出す気泡が次々と弾ける様を。硫黄のクサイ臭い、熱い湯気すら間近に感じる。
が、イメージ出来ているのは私だけの様だった。「白き魔法使い」は平然としている。
逆に「白き魔法使い」から呪文が放たれた。
-佳人薄命。
生気が奪われ、全身の力が抜けていく。ああっ、色白で目鼻ぱっちり。美しい私の命はやはり儚い・・・。
じゃなーい!
さすが「白き魔法使い」。私の弱点-私の美しさを。もとい自意識過剰なことを完璧に見抜いている。このままではヤ・ラ・れ・る。
こんなとき、お伴のサポートがあればその隙に体勢を立て直すこともできるのだが。
が、お伴の姿が見えない。大方、とっくに逃げてしまっていることだろう。こんなことになるんだったらもっと優しくしてあげればよかった。
なぁんてことを考えていると。
「白き魔法使い」は私の気持ちの乱れを見逃してはくれなかった。
-注意散漫。
呟くようでいて、強い魔力を感じる。
戒めの警策で背中を打たれる衝撃が、電撃となって脳天まで突き抜け、堪え切れず私は膝から崩れ落ちた。くうっ。どんな四字熟語でも知っている自分の頭脳明晰さが憎い。耳を塞ぎたくなったが、そんなことをしても無駄である。呪文は音ではなく魔力を通じて直接伝わってくるからだ。
*4
数合の呪文の打ち合いで私は心身共にボロボロになっていた。バッチリ決めて来たおしゃれな服は破れ、お気に入りの魔法の杖も折れてしまった。髪は振り乱し、化粧も落ち、汗と泥に塗れ、ひどい顔になっているに違いない。一方、「白き魔法使い」は初めて出会ったときから何も変わらぬ姿で闇の中にゆらりと立っている。
一方的な負け試合だ。が少し判ってきたことがある。
-彼は興味がかなり偏っているのだ。相手を観察し、鋭く分析することにも長けているし、呪文の知識も豊富だ。しかし決して相手に興味を持っているわけではない。それどころか、自分が興味がないことにはまるで無頓着。自分の心身の老化や余暇の過ごし方なんて勿論、興味ない。全てを捨て、ただ一途に自分が目指す真理を追い求める。-そう冷徹な科学者のように。
攻め手が見えてきた。
-暗黒物質
さっき叩きつけられたとき肋骨でも折れたのか囁くような声しか出ない。
でも今は、これが精一杯。
しかし、今まで息をつかせぬ連続技で挑んできていた「白き魔法使い」からの攻撃が止んだ。
やがて。
「ぬううう・・・。」
煩悶する声が。
今までにない反応だ。やはり科学者。しかも物理系と見た。
ここが勝負どころだ。
-才色兼備。
この私が負けるわけがない。自分自身に呪文を掛ける。力が漲る。まばゆいばかりの光に包まれ服に杖おまけにお化粧まで元より綺麗になって甦った。
右腕を一杯に前に伸ばして新品同様になった魔法の杖を「白き魔法使い」に向ける。
-この呪文に全てを掛ける。
宇宙定数!
ありったけの魔力を込めて思いっきり叫ぶと「白き魔法使い」の姿が蜃気楼のように歪んだ。
「ああ。ああ。」
深く懊悩する声が漏れる。
悶絶している。
やがて斥力によって引き裂かれるように霧散した。
恐ろしい敵だった-。
荒い息をようやく整えると私は洞窟の奥に向かってゆっくりと歩き出した。
深い霧が晴れてゆく。洞窟に掛けられていた深遠魔法がゆっくりと解けているのだ。おどろおどろしかった風景が見慣れた、近代的な建物の中のように変化していく。
同時になんだか嫌な予感がしていた。途中で出会った三流ジャーナリスト風の魔法使い。どうやら彼があることないこと噂にして振りまいていたのではないか。「白き魔法使い」は単に自分の研究の邪魔をされたくなかっただけ。伝説の秘宝というのも私が好きな金銀財宝ではなく、私にとっては何の値打もない宇宙の謎に挑む観測機器、いや宇宙の謎そのものなのではないかという・・・。
やれやれ。
私は思った。トレジャーハンテングに無駄足は付き物なのだ。