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Elsaleo ~世界を巡る風~  作者: 馬鷹
第八章 『再会と旅立ち』
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第九十七話




 闘技場で繰り広げられるマリア達とヘイムの戦いは、マリア達が先手先手で攻めてはいるものの、それが致命的なダメージを与えられた様子はない。

 タウノの放った水龍によって地面に叩き付けられ、大の字で寝転がっていたヘイムだったが、何事も無かったかのようにゆっくりと起き上がる。


「んじゃ、今度はこっちから動いてみようか」


 そう言って身体を軽く動かすヘイムだが、その表情は最初と全く変わりなく、本気で戦う気になったという風ではない。

 だからと言ってマリア達が気楽に戦えるかと言えばそんなことは無く、キルルキとしてもそう易々と行動させるつもりはなかった。腰に着けたホルダーから一枚の符を取り出し、短い詠唱で符術を放つ。


「符源バクオオクバクロロク」


 符を地面に押し当てると、キルルキの足元からヘイムに向かって地面が波打つ。次第にその波が大きくなったかと思うと、何かの顔のように形取り、ヘイムを丸呑みしようと大きく口を開く。


「そいつで俺を喰おうってのか、甘いなっ」


 だがヘイムは両手で持った巨剣を横一閃。開いた口から後頭部までを切り裂き、そのままもう一回転して宙に舞う土の頭をキルルキに向かって弾き返した。

 そこに立ち塞がるのは、後衛を護衛する役割のイーリス。土頭を防ぐように剣を横に向けて構えると、ワードと共に氷を生む。それは今までのように剣先に伸びる氷柱ではなく、全員を庇えるほど大きな半円形の氷の盾。


 土の塊は傾けられた氷の表面を滑り、誰も居ない場所へと外させる。


「符源オルツキセンマードクガン」

「【――】シーカウツベッケイ」

「【――】エアフシュルクトーガ」


 ヘイムは巨剣を手放すと、三人の攻撃を跳び上がって避ける。その跳躍力は一瞬で天井にまで到着し、身体を反転させて天井に足を着けると、再びマリア達を目指して蹴りつける。戦いが始まってから初めて自ら動いたヘイムの動きは、一瞬見失ってしまうほどに速い。

 しかし、天井まで高かったのが幸いし、降りてくる動きは察知。イーリスがマリアを抱えて、全員がその場から飛び退く。その間際、キルルキが発動させた符を地面に落とした。


 それは先ほど使ったのと同じ、地面を沼に変えて敵を捕縛するというもの。上から落ちてきたヘイムは、何もしない状態で膝近くまで沈んだ巨体が、今度はすっぽりと頭まで沈んでしまう。


 だが、術者であるキルルキはそれを見て、自分たちが走る地面の奥底を睨みつけた。あの沼の深さは精々ヘイムの腰辺りまでしかないのだ。


「地中にいますっ」


 短い警戒の声を聞いたタウノが、術印を左手に描き詠唱を飛ばして魔法を発動させると、地表に薄い霜が降りて地中まで氷らせていく。そして全員がその場で足を止め、声を漏らさずに耳を澄ませる。


 するとシャリシャリと氷を削る音が微かに響き、それはマリア、イーリスの方へと近づいていた。二人は目線で会話をすると、イーリスが左手で再びマリアを抱きしめ、右手で持った剣の切っ先を地面へと向ける。


「『氷柱よ貫け』」


 そして一気に地面を貫き、反動を利用して二人は離れた場所に着地する。

 その後、地中から土で汚れただけで傷一つ無い腕が突き出し、地面に突き刺さっている氷柱を掴んで思いっきり握り潰した。


「うわ、脆……って氷だったのか。通りで冷たいと思った」


 土の中から顔を出したヘイムを狙い、タウノとキルルキの二人は偶然同じ魔法を選択し襲い掛かった。今まで水、氷、土、火属性の魔法で攻めていたので、今度は風属性魔法である。


「【――】ウィンドランクライオ」


 それは雷轟く風の渦が宙をうねりながら、対象に向かうというもの。それが二人の中ほどに現れたヘイムを襲い、左右から渦が地面ごと抉りヘイムの身体を地表へと引っ張り出した。


「このままっ」

「分かっています」


 二つの渦の回転はどちらも左回転。左右から挟まれれば捩れとなって、中央にいるヘイムの身体を引き千切ろうとする。

 それに対してヘイムは、広がりそうになる身体を縮ませて耐えていたのだが、何かを思いついたのか、両腕を横に広げて渦の中に突っ込んだ。


「うおおおぉぉーーー」


 そして、渦の回転とは逆に腕を回転。人力で作られた風の渦は、タウノ達の放つ竜巻を押し返していく。


「非常識なっ」

「……ッ」


 そして押し返されたのは渦巻く風だけでなく、中に轟いていた雷もである。即座に飛び退いていたキルルキは問題ないが、毒突いていたタウノは両腕に軽い火傷を負ってしまう。


 さらにヘイムが動く。その先は負傷したタウノではなく、マリア達の中で一番強いと感じたキルルキ。その方が楽しめると思ったのだろう。

 当然、キルルキは迎え撃つ準備を整えていた。とは言っても、防御用の符を手に持つだけで済むのだが。


「符源ゴフウガンシュショウク」


 符術の発動と共に、飛び退くキルルキの周りを薄赤い幕のような物が覆いかぶさった。

 一見すれば単なる半透明な布がヒラヒラと動いているようにも見えるが、幕の外側の温度は灼熱のマグマにも匹敵する。それがキルルキの移動に併せて、常に周囲を舞っているのだ。


「そんなもので何が出来るっ」


 ただ、やはりと言うべきか、罠だと警戒する気が全くないヘイムは躊躇すること無く殴り掛かった。すると拳が赤い幕に触れた瞬間に裏返り、そのままヘイムに覆い被さる。


「くっ」


 だが、苦悶の声を上げたのはキルルキ。ヘイムは灼熱の温度など気にも留めず、殴りつけた手を引っ込めることなく、そのまま襲い掛かったのである。

 今ヘイムが纏っている外側の幕は熱を持っていないが、今までのように華麗な動きが出来るほど、近接戦が得意と言うわけでもない。キルルキは表情を歪めながら、腕で顔面を庇いヘイムとの距離を取ろうとしていた。


「キルルキさん、跳んでッ」

「……ッ」


 マリアの声とほぼ同時にキルルキが跳び上がった瞬間、追いかけ合う二人の足元にあったはずの地面が忽然と消え去った。

 マリアの声を特に意識していなかったヘイムはそのまま地中に落下。幾度目かの振り抜いた拳は地面を穿ち、地上に居るキルルキにも爆風と巻き上がった土が襲い掛かる。


「――】プレシャーズスクラウ」


 そして、タウノが両手を地面に着けて放った魔法は、街全体に揺れを引き起こし、マリアが作った穴を狭めていく。周囲の大地を動かし、地中に落ちたヘイムを圧迫しようとしたのだ。

 しかし、周囲は所詮土。幾ら圧が掛かろうとも『ヘイムが殴り飛ばせば容易に脱出出来るだろう』と考えたキルルキは、閉ざされる穴に一枚の符を放り込んで符術を発動。


「うわっ、何だこれっ」


 両手両足を広げて地面を支えているヘイムに、灰色の粘々とした液体が纏わり付き、それが次第に黒く変色して固まっていく。身体の自由を奪われては、タウノの魔法を堪えることが出来ず、大きく開いていた地面はヘイムを飲み込んだまま堅く口を閉ざした。


「符源フノロエンバクトウトウノマツ破邪の結界」


 ただ、これで安堵することなく、キルルキは今までとは違う中身の入った封筒のような二枚合わせの符を、両手で拝むように挟み詠唱を唱えた。

 そして符を破けば、中には小さな丸められた円柱の紙がいくつも入っていて、それがフワリと浮き上がり闘技場の隅々に拡散する。


「破邪の簡易結界を張る準備は終わりました。ただ、正規のやり方より効力は薄く、耐久力もほとんど無いので、持つのは発動させて数十分といったところでしょう」

「それなら早めに決着をつけるか、長期戦も考慮して支点を強化した方がいいですね」


 四人は一旦集まり息を整える。回復薬を飲み体力や魔力を回復。キルルキは身体の各所に分けて所持していた符を整理して、取り出しやすい場所に強い符をまとめておく。

 彼らの表情は、この戦いの厳しさを伝えるかのように硬く険しい。


「支点の強化は難しいだろう。今の私達は代わりになるような魔道具を余り持ち合わせていない」


 元々闘技場には下見に訪れていたのだ、戦闘の準備が完全に整っている訳ではなかった。もちろん、街中とはいえある程度の道具は持ち合わせていて、普通の戦闘であればもっと余裕を持って戦っていられるだろう。

 だが、今戦っている相手は普通の相手ではないのだ。


「なら、次で決めなきゃだね」


 マリアの言葉に全員が力強く頷く。


「発動のタイミングは隊長にお任せします」

「僕ですか?」

「詠唱に時間が掛かるでしょう」


 自分はそれほど掛からない、そう受け取ったタウノは多少腹が立ちはするものの、実際その通りなので特に何も言わず他の二人に視線を送る。マリアもイーリスも特に異論もなく、結界を発動させるタイミングはタウノに任せることになった。


 そして、大きな地震とも思えるほどに大地が揺れる。


「私が注意を引きます」


 キルルキは三人から少し離れ、タウノは長い詠唱に入り、マリアとイーリスはタウノを護れるよう少し前に出る。

 誰もが注視しているのは先ほどヘイムを閉じ込めた地点。だが、変化があったのはそこではなく、選手が戦う円いリング。地面の揺れが治まりつつあるのと反比例して大きく揺れ、更には徐々に浮き始めていく。


「ヴァイジエアエッジ」


 タウノを除いた三人が同じ魔法でリングを切断しようと試みる。ヘイムの姿はリングの影に隠れて確認出来ないので、もし本人ではなかった場合を考えて、視界を遮る魔法は放ちたくないのだ。

 しかし、魔法が着弾するよりも早くリングは空へ急上昇し、下から見上げれば中央にヘイムの姿。跳び上がって四人の居場所を確認すると、どちらにも当たりそうな位置に向かってリングを投げつけた。直接当たらなくても、壊れた破片が飛べばいいという考えである。


「ウオオォォオオリャアアァァァーーー」

「こっちだっ」


 いくら魔法より詠唱が短い符術とは言え、強力な威力のある物はそれなりの詠唱が必要で、高速で接近するリングよりも早く発動させることは難しい。キルルキは詠唱を続けるタウノとマリア達に視線を送りながらも、一人その場から移動する。


「『氷柱よ貫け』」


 だが、マリアとイーリスは背後のタウノもあり、逃げ出すことは出来ない。先ずイーリスが三人の前に大きな氷柱を作り出し、それをマリアが土で被い強度を上げた盾を作り出す。

 その間、キルルキは威力よりも速さ、閃光で目を眩ませるなど妨害を行い、ヘイムの意識を自分に向けるように幾つもの符術を使う。


 そして、右手に持った杖を上に掲げるタウノの合図。


「符動発現、破邪の結界」


 先ほど中身を散らばらせた封筒のような符を握り、キルルキが印を結ぶと、先ほど散らばった紙が光だし地面に線を描く。以前、アイナ達がラザシールに対して使った物と同じ結界である。


 結界が発動するとヘイムは右手を握り締め、僅かな状態の変化を感じ取った。


「ん、何だ?」


 そして、全員による一斉攻撃。


 タウノが発動させた魔法は水の刃。ヘイムの頭上に刃先が白く輝く巨大な刀身が現れ、地面などまるで存在しないかのように切り裂く。それは一撃ではなく、何度も何度も襲い掛かっていた。

 それを操っているのはイーリスで、彼女はその場で剣を振るう。普段ならタウノ自身の杖に掛けて操るのだが、イーリスの方が適任であることと、彼女がヘイムに効きそうな攻撃魔法を扱えないこともあって、任せることにしたのだ。


 そしてマリアは螺旋を描く大中様々な大きさの土の塊が、四方八方から何度も何度もヘイムを襲い、宙へと舞い上がらせる。彼女も回復、補助魔法を得意としているので、そこまで強い攻撃魔法は使えない。


 最後にキルルキだが、彼の指と指の間には幾つもの符が挟まれ、用途ごとに様々な符術を使いこなしていた。

 風を吹かせてヘイムの位置を修正したり、爆発を起こして他の仲間の魔法ごと吹き飛ばすことも。当然、水の刃も土のドリルも復活すると知った上での行動である。


「最後ですッ」


 そしてタウノの絞り出した声に合わせて水刃が振り下ろされ、地中に埋もれたヘイムに幾万の棘が生えた土壁が圧迫し、最後にそこを中心に巨大な爆発が起こる。爆風は四人を吹き飛ばし、半壊状態の闘技場の崩壊を更に加速させていく。


「どう、ですか」


 そう尋ねるタウノは、魔力を回復させる薬を飲みながら起き上がる。これは気付け薬や興奮剤のような物なので、一度に大量摂取してしまうと精神に悪い影響をもたらしてしまう。だからこそ、普段から持ち歩いている数も少なかった。


 誰もがヘイムの埋もれた地面を眺める。視覚だけでなく音や気、魔力の流れなど五感を使って敵の状態を探っているのだ。それでも相手の様子が分からないのは、ヘイムを完全に倒したからなのか、細かな変化にも気付けないほど全員が疲労しているのかである。


 そして、その答えは直ぐに分かった。


「グアアァァァ」


 光が瞬いたと思った瞬間、普段からは想像もつかない悲鳴をキルルキが上げる。

 声が聞こえてそちらを振り向いたマリアが見たのは、右腕の肘から先を切り落とされ、苦痛から表情を歪め両膝を地面に着けたキルルキの姿。切り落とされた腕からは止め処無く血が流れ出す。


「キルルキさんっ」

「やっぱり少しはやってくれないと――」


 そして、地中から平然と何事も無かったかのように現れたヘイムの右手には、いつの間にかあの巨剣が握られていた。先ほど置いていた場所をタウノが横目で確認すれば、当然無くなっている。いつでも呼び出せるということなのだろう。


「って、もしかして邪魔だった岩をぶった切った奴に当たった? ついてないなぁ」


 傷口に符を何枚か宛てがい治療をするキルルキと、地面に転がっている右手を見て、ヘイムは残念そうに呟く。その言葉は怪我したキルルキにも向けられていたが、何より一番強い人物を削ってしまった自分自身にも向けられていた。


「一旦引きます」


 口にしたのはタウノだが、それは誰もが考えていたこと。何より符術によってか流れ出す血は止まっているものの、キルルキを早く治療しなければならない。


「いやいや、それはダメでしょ。障害が勝手に逃げ出すとか無いし、乗り越えられないじゃないか」


 だが、最初から変わらず戦闘という心構えではなかったが、ヘイムにマリア達を逃がすつもりは無いらしく、殺気の篭らない眼差しは四人を一人一人順に巡らせ、その中の一人で止まった。

 ヘイムが巨剣の切っ先を標的と定めた人物に向けた瞬間、先ほどと同じ光が切っ先から伸び、一直線に向かうその先は――


「マリアッ」


 マリアの姿。

 しかし、既にマリアはその場から動いていた。一番弱い自分が狙われる可能性が高い、と考えていたのもあるが、何よりもずっと嫌な予感がしていたのだ。切っ先が自分に向けられた時には、既に動き出していたのである。


 動き出しの早さもあり、真っ直ぐに伸びる光の通り道からは外れることが出来た。


「おぉ、じゃあこれは、どうだ?」


 だが、その言葉と共に突然空中で光が曲がり、マリアの後を追いかける。『かわせない』マリアの脳裏に最悪の状況が過ったその瞬間、神風の如く決意に満ちた風が吹き荒れた。


「やらせるかッ」


 光とマリアの間に割って入ったのはイーリス。

 光が何なのか分からない状態では危険もあるので、左手でマリアを庇いつつ、右手の氷柱をまとった剣で光を受け流す。受け流せたことで光に触れることがこの時に分かった。


「皆さん急いで――ッ」


 しかし、崩れた天井を退かし退路を確保したタウノが振り返って見た光景は、光が突然獣の姿に変わり、大きく開いた口でイーリスに襲い掛かる瞬間。

 咄嗟にイーリスがマリアを突き飛ばして遠ざけ、光獣は無防備に開いた彼女のわき腹に噛み付く。地上を走る獣ではないので、身体の向きは自由自在である。


「姉さんッ」


 キルルキの腕が切り落とされた光。最悪の光景を想像し顔を青くしながら必死に呼びかけるマリアの耳に、小さなうめき声が聞こえてくる。


「ぐっ、大丈夫、だ」

「これだとそんな物か。なら……」


 ずっと構えていた巨剣を地面に突き刺したヘイムは、次の攻撃方法に少しばかり頭を悩ませる。

 そして、剣の動きに呼応するように獣の姿が掻き消えると、イーリスの脇には大きな穴が現れ、そこから血が流れ出していく。獣によって持ち上げられ、何とか身体を立たせることが出来ていたイーリスは、傷口を押さえながら倒れ込むことしか出来ない。


「姉さんっ」


 マリアは急いでイーリスの治療を行う。

 キルルキに続いてイーリスも重傷を負い、一刻も早く逃げ出さなければならないが、あの魔族が簡単に逃がしてくれるとも思えない。タウノが焦燥感に駆られる中、現状には似つかわしくない声が辺りに響く。


「隊長、マリア様と団長を頼みます」

「……キルルキ」


 それはキルルキの、普段通り冷たく冷静な声。彼が何を考えているのか、タウノには手に取るように分かった。

 キルルキはヘイムを引き付ける役割をしようと言うのだ。片腕を失い、満足に戦えない状態であるにも関わらず。マリアを、巫女を逃がす為に。


 タウノとしても、そんな状態のキルルキを残して逃げることなど出来ない。しかし、彼はグウィードの代わりとしてマリアやイーリスを護る必要がある。理性と感情の揺れ、その均衡を破ったのはイーリスだった。


「私も、残る。やられっぱなしは本意じゃない、からな」


 イーリスの本意は『マリアを護る』ただそれだけだった。妹分に負担を掛けまいと、嘘を言っているのだ。そしてそれは誰もが知っていること。

 ニヤリと笑って見せたイーリスの表情からは血の気が失われていく。逃げるのに足手まといだと、自分で判断したのかもしれない。


「ダメだよ姉さんっ、早くちゃんと治療しないとっ。それにキルルキさんも、みんな一緒にっ」


 涙が零れ落ちながらも、マリアは必死にイーリスの治療を続ける。エンザーグとの戦いでグウィードを治療することが出来なかった。その時からマリアは回復魔法の習得に励んでいたのである。

 しかし、何事にも限界はある。戦闘中の簡単な治療では輸血も出来ず、傷口がまた開いてしまう可能性もあるのだ。


 そんな三人から少し離れた場所にいるキルルキは、チラリとヘイムに視線を送る。

 ヘイムはまだ何か考えているのか、眉を顰め腕組みをしながら何事かブツブツと呟いていた。その様子を見て視線を地面に落とすと、静かに目蓋を閉じ、一歩一歩マリア達に近付いていく。


「隊長、人には向き不向きがあります」


 突然流れを無視したような話題に三人がハッと振り向く。重要なことを話そうとしているのだと分かるからだ。


「私は周囲から好かれるような人間ではない。総括長には、私よりも貴方の方が適任だと秀院も認めたからこそ、貴方が総括長に任ぜられたのです。もっと自信を持って下さい」

「ダメだよ、キルルキさん」


 秀院が認めたという事に驚くタウノに対し、キルルキは柔らかく笑う。それはタウノ達が始めてみる彼の笑顔だったのかもしれない。だが、遺言とも取れる言葉にマリアは涙を流す。


「こういった教育は副団長の仕事なんですが、マリア様も団長も隊長も、身内で固まり過ぎです。もっと周囲に目を配って下さい」


 指摘された点にはそれぞれ思い当たるところがあるのか、微かに表情を歪める。

 巫女になって日の浅かったマリアは、まだグウィードからそういった教育を受けてはいなかった。巫女の業務に慣れてからと考えていたのだろう。


「巫女との協力の件、最初から聞かされても秀院は完全に反対はしなかったでしょう。彼らも世界が滅んで良い何て考えるわけ無いんですから」


 そう聞かされたところでマリアはもちろん、タウノもイーリスも半信半疑である。しかしそれも仕方ないとキルルキは思っていた。考え方というのは少しずつ変わっていくもので、他人からいきなり言われた所で受け入れるはずもないのだ。半分信じただけマシというものである。


 キルルキには他にも言いたいことはあったが、背後でヘイムの動く気配を感じ口を閉ざす。まだまだ成長していくと思うからこそ、伝えたい、そして殺させる訳にはいかなかった。


「話しは終わったか?」


 四人の静まった間に話しが終わりと思ったヘイムが話しかける。マリア三人はハッとそちらに視線を送るが、キルルキは背を向けたまま懐から一枚の符を取り出す。


「あぁ、符源ゴフリュウクショウウラ」

「……っ」

「待って、キルルキさんっ」

「くっ、私も――」

「皆さんの成長を楽しみにしています」


 風の膜が残ろうとしたイーリスを含めた三人を包み、先ほどタウノが作った退路へと吹き飛ばす。当然、それを邪魔するように空気の弾丸が後を追うが、キルルキの脇を抜けたところで何かにぶつかり、明後日の方向に進路を変える。

 そしてキルルキがゆっくりと振り返れば、腰を軽く落として右手を突き出したままのヘイムの姿。


「わざわざ終わるまで待っていたのか、馬鹿なのか」

「何か真剣そうに話してたからな。逃げ出さないなら待っとくさ」


 構えを解いて空気が読めると胸を張るヘイムだが、それはルヲーグによく注意されているからでもある。もちろん、そんな事などどうでも良いキルルキは、眼差し鋭くヘイムを睨み付けた。


「今回の行為は重大な条約違反だ。貴様はそれを理解しているのか?」


 その言葉にヘイムは軽く目と口を開き驚きを示した後、楽しそうに笑った。


「へぇー、ダナトから人間はほとんど知らないって聞いてたんだが、お前は知っている側の人間なのか」

「こんな事を仕出かせば、魔界や天界を敵に回すぞ」

「俺達が人間界を拠点にして三界の戦争かぁ、それも面白そうだな」


 事情を知っていると伝えても変わらない態度。やはり今回の魔王襲来は異例であることを確信する。


「魔界側の選定も厳しくなったと聞いていたんだがな」

「俺達はそこんとこ知らないからなぁ。興味も無いし」


 話しは終わりだ、と地面に突き刺していた巨剣を引っこ抜き、切っ先をキルルキに向けた。先ほど自身の右腕を切り落とし、攻撃方法を変えてマリアを襲った光を思い出したキルルキは警戒を強める。


「お前を倒した後はさっきの三人を追わなきゃな」

「そんな事をさせるとでも?」


 両者の表情から互いの感情が伝わった。キルルキは警戒と決意を強め、ヘイムはこの場に一人残った相手に彼なりの敬意を評している。

 天井からパラパラと破片が落ち、崩壊の進む闘技場。キルルキはヘイムとの距離を一気に縮められるタイミングを計りながら、ジリジリと間合いを詰めていく。


 そして、その瞬間が来た。

 天井が崩れ、人一人を余裕で隠せそうなほど大きな破片が二人の間に落ちて来たのだ。ヘイムからキルルキの姿が一瞬隠れる、それと同時にキルルキが駆け出し、ヘイムは光の剣を伸ばす。


 光剣は落下する破片を呆気なく貫通し、キルルキを貫こうと直進する。だが、キルルキは右腕をかざすと結界を張った。血止めの為なら治療用の符一枚で済むのだ。先ほどマリア達の追撃を打ち落としたのも結界符の一つで、他にも何枚か仕込んでいたのである。


 しかし、結界は光剣の太刀筋を僅かにずらしただけだった。が、役割としてはそれで十分、左太股の半分ほど切り裂かれたが気にせず、光を掴んで更に踏み込む。


「――」


 キルルキは雄叫びを上げていた。自分でもいつ以来か思い出せないほど久々の声は、喉を潰しそうになるほど太く雄雄しい。対するヘイムは接近するキルルキを弾き飛ばすことも出来たが、それをしなかったのは余裕、油断というものなのだろう。


 踏ん張ることすら難しく、倒れこみながらも右腕を上にかざして結界を発動。

 そして、強く握り締められた左拳をヘイムの心臓目掛けて振り抜いたそれは、必殺の一撃ではなくただ指向性を強める為。自らの意識がそこに集中しやすいように、確実に標的を巻き込むように。


「符爆アインス」


 短い詠唱はどのような状況に陥っても使える為の最終手段。全身に仕込んでいる符全てが輝きを増し、キルルキの魔力を必要以上に吸い上げて暴走を始める。

 魔力で連なった符は、ヘイムの光の剣が霞むほどの強い光を放つ。それは先ず結界の中で渦巻き、結界の次には天井を破壊して天にまで昇り、さらには周囲に爆発が広がり闘技場も街も吹き飛ばしていく。


 それは命の力、命の輝きだった。






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