第九十五話
その日、ダムスミリィはお祭り騒ぎであった。二日後に権威ある大会が始まるということもあり、街全体が華やいでいたのだ。
しかもそれだけでなく、大地の巫女マリアが開幕式典の挨拶の為に、この街に訪れるのだということを知らされれば、住人や旅行客、大会参加者が喜ばないはずもなかった。
「ようこそ御出でくださいました」
マリア達の動向を調べていたのだろう。マリア達が街にまでやってくると、歓迎の式典とまではいかないが、通行整理がされ遠巻きに大勢の人達が集まっていた。
街の代表は公務中ということで、代わりに出迎えたのはちょっとふっくらとした三十代後半の女性。彼女の後ろから現れた女性たちは、マリア達に花束を手渡していく。
「市長の秘書を務めております、モニファと申します」
「モニファさんですか。何でも市長を公私共に支えておられるとか」
事前に情報を持っていたキルルキの言葉に、モニファは微笑みを浮かべて頷いた。
そして、周囲の喧騒も大きい中、モニファは少し離れた場所に待機させてある馬車へマリア達を促す。
「こちらへどうぞ、宿泊施設までご案内させて頂きます」
花束は渡してきた女性たちにそのまま渡し返し、周囲の声に手を振って応えながらマリア達は馬車まで移動する。
馬車は黄金がふんだんに使われ煌びやかというよりも、程よい装飾により落ち着いた気品さと剛直さで、どちらかと言うと馬車よりも、体格の良い二頭の白馬の方が目立ちそうである。
マリアは馬車に乗る前に民衆へと振り返り、一礼をして手を振りながら乗り込んだ。
民衆の爆発のような歓声は、馬車に乗ったことで幾分抑えられたが、それでも鳴り止まない歓声にモニファが頭を下げる。
「申し訳ありません。本来ならこのような事はせずに、マリア様方の御気に召すまま街を見て頂きたかったのですが」
困ったように笑うモニファや市長は、この様に出迎えるつもりは無かったのだ。依頼をしておいて出迎えないというのもどうかと思うだろうが、旅を続けていたのだから、巫女も街に入って一息吐きたいだろうという考えである。
もちろん、マリアは自分の好きなタイミングで屋敷に向かえる方が良い。ただ、これがイヴの場合なら屋敷で寛ぐ方が良いので、結局は人それぞれである。
本来は開かれる予定の無かった出迎えを行ったのは、何か不味いことでも起こったのか、マリアは表情を引き締めて尋ね返した。
「何かあったんですか?」
「それが、マリア様を一目見ようと街の入り口に人が集まりすぎまして、通行の整理も兼ねてこのような式典を行わせて頂きました。大会も近いとあってか、多少浮かれているようです」
式典で挨拶をしてもらう為に呼んだ巫女を、出迎える為の式典である。
そのような事をする状況になった民衆の行動を、地元の恥を晒しているようで恥ずかしいと思ったのか、モニファは困ったように笑いながら窓から外を眺めた。そこには馬車が動き出しても途切れていない人の行列。マリア達の到着予定日を知らせていたのが、裏目に出てしまったのだろう。
「若い人達も多いですね」
釣られるように窓から外を見たタウノは、巫女をずっと見ていたいのか馬車と競争したいのか、人垣の向こう側で元気に走って追いかけている、三人組の少年達の姿を見かけた。
少年とは言ってもマリアと同年代ほどで、それが彼だけでなく人垣の中にもチラホラと見かけるのだ。普通なら学校に通っている時間帯である。
「あの子達は修学遠征中の学生ですね。三ヶ月ほど一クラスで隊商を組んで、教師引率の許旅をしながらお金を稼ぎ、訪れた街の歴史や文化を学んでいるんですよ。この街にも毎年来てくれています」
「へぇ、面白いことをしますね」
レオ達と同じ学校の卒業生であるタウノは、初めて聞く授業内容に驚きながら、外を眺めて学生達に視線を送った。
遠征を学び、お金を稼ぎ、自分の身を守る。大抵の学校はそれをギルドの依頼をこなさせる事で、生徒に教えることが多いのだ。課題として運送の依頼を受けるように、などである。
修学遠征のことを聞けば、驚くと予想していたのだろう。モニファはもったいぶることなく、タウノの学校とは違う教え方をする理由を説明した。
「我が国同様、彼らの国も国連に所属していませんから、ギルドは無いんですよ」
「あぁ、それで」
ギルドがある国と無い国とでは、教育方法が違ってくるのは当然のこと。タウノは納得がいったと頷く。
そして、仕事のことは後ほど市庁で話すことに決め、今は軽い世間話をしながら馬車は街が用意した宿屋にまでやってきた。幸いと言うべきか当然と取るべきか、予約されていた宿は気遣いも行き届いている高級宿。そこで、マリア達は一息ついてから市庁へと向かうのだった。
会談の場は市庁の貴賓室。というよりも、台所からトイレや浴槽などが揃った、一つの家と思えるような部屋だった。これは盗聴されない為に、この部屋で大体の事を済ませられるよう考慮した結果である。
この部屋に居るのは市長であるヤヤンと、妻で秘書のモニファの二人だけだった。
マリア達が部屋に通されると立ったままヤヤンが出迎え、モニファはマリア達をソファーに座るよう勧めた後、お茶の用意をする為に一旦その場を離れる。
「ようこそ御出でくださいました」
「盛大に出迎えていただき、ありがとうございます。何とか式典には間に合いました」
出迎えの言葉が、夫婦で全く同じだったことに内心微笑ましく感じながら、マリアはヤヤンと握手を交わしソファーに腰掛けた。
そして、ヤヤンがマリア達の前に書類を置いて、モニファが戻ってきて紅茶を全員に出してから話しを進める。
「それではお手元の資料をご覧下さい」
机に置かれた資料をマリア達が手に取って確認すると、そこには式典が行われる日までの予定と、式典当日の予定、マリア達の観覧席や入り時刻などが、数枚に分かれて書かれてあった。
「マリア様には、二日後に行われる式典の開会式で挨拶をお願いします」
式典までの予定はマリア達には関係なく、書類も一応用意しただけで、ヤヤンが手に取ったのも当日の予定表である。
マリアが挨拶をするのは、式の終盤。予定表に『仮』と書かれてあるのは、旅をしている以上予定通りには進まず、彼女たちの到着が遅れた場合に備えてだろう。まあ、例え式典に遅れたとしても、マリア達が大会の終わりまでに到着さえすれば、挨拶は行われていただろう。
そして、予定表を見ながら男性陣がより細かな予定を立て、女性陣はマリアの挨拶文を考える。その最中、上手く文章が思いつかなかったのか、何度か小首を傾げていたマリアがヤヤンに話しかけた。
「ヤヤンさん、明日闘技場を下見に行っても大丈夫ですか?」
彼女は実際に話しをする場所、施設を見ておきたかったのだ。
式典や大会のための準備は終わっており、ヤヤンにも断る理由がなく快く承諾をする。しかし、この決断が今後どのような結果をもたらすのか、当然今は誰も知るはずが無いのだった。
◇
その日の夜、修院に定時連絡をする為、一人キルルキが抜け出した後。マリア達はイヴ就きの修員と話しをする為、宿の一室に集まっていた。
話す内容が修院に隠していた事だけに、キルルキには聞かれたくないのか、いつ帰ってきてもいいよう別室を借りている。一つの机を三人が囲み、机の中央には転がらないよう紫色のクッションの上に水晶が置かれてあった。
『それではイヴ様の提案をお伝えします』
今までも何度か通信は行っており、話している修員はこれまでと同じ人物である。話し相手が変わらないように、と気を使っているのだろう。
『魔城へ辿り着くまでは魔法を無効化させる、魔障の霧の中を進まなければなりません。ですので連絡を取り合うのはその前になろうかと』
「確かにそうですね」
その辺はマリアも知っていることで、即座に頷いてみせた。
今修員と話している水晶も魔道具であり、転移魔法なども使うことは出来ないのだ。しかし、手っ取り早い昔ながらの方法がある。
『ですので、前回の巫女様方の為に創らせたものの、魔王軍によって使われることなく破壊された転移装置。その跡地で一度落ち合うことにしては、とのことです』
今は小型化された転移装置も昔はかなり巨大で、話に出た代物は一軒家ほどの高さと大きさがあった。イヴはそこを待ち合わせに利用しようと言うのだ。
ただ、転移装置はその前の世代で奇襲を成功させ、その後魔王軍に破壊されたもっと巨大な跡地もある。イヴがあえて小さい方を選んだのは、レオ達の事を知ったからだろう。
「それが確実でしょうね……ただ、もし不測の事態で連絡が取れなくなってしまった場合、いつまで待っておくべきか決めておいた方が良いかもしれません」
イヴの提案に納得して頷いてみせるタウノだったが、最悪の想定というのはいつも立てておく必要があり、当然その事はイヴも想定している。修員は強く頷き口を開いた。
『それにつきましても、一日朝晩に私共に通信を入れ、これが二日間途切れた場合、こちらから皆様へ連絡を入れます。そして、それから一日通信が入ることが無ければ、無視しても良いのでは、とのことです』
「その通信を入れた時、貴方が出るの待って話す必要は?」
『ありません。こちらに繋いだかどうかは記録しておきますので、この水晶に魔力を注ぎさえすれば終わります』
待つのが三日だけと聞けば短く思うかもしれないが、魔王討伐の大事な作戦活動中に三日も通信を入れることすら出来ないのなら、それは最悪な状況の可能性も高い。
問いかけたイーリスは他の二人に視線を送る。その提案を断る理由も無く、二人とも同意を示すように頷く。
そして、マリア達から他の巫女に聞きたいことを伝え、修員との短い通信は終わろうとしていた。
「誰だッ」
しかし、その通信が切れるか切れないかという所で、イーリスが部屋の出入り口に向かって声を張り上げ、素早く椅子から立ち上がりドアを開く。
そこに居たのは、逃げようとも隠れようともしていないキルルキの姿。ドアの前に立っていた以上、話を盗み聞きしていたのだろうが、イーリスから逃げられないと悟ったのか、立ち姿は堂々としたものである。
「密かに何かをやっているとは思っていましたが、まさかそのような事を話していたとは」
そして、イーリスの脇を通って部屋の中に入り、集まっている面子の顔を見た後、机の上に置かれた今は何も映っていない水晶を最後に見やる。
「定時報告の時間じゃ無かったんですか?」
「今日は先方に用事があるようでしたので、後日改めてということになっていました」
つまり何時もの様に部屋を出て行ったのは、不審な行動を取るマリア達を探る為に一芝居を打ったということだ。そうとは知らず、騙されたタウノは舌打ちを鳴らす。
だが、舌打ちをしたいのはキルルキも同じ気持ちだろう。
「巫女による共闘ですか……全く、私たちの立場も考えて頂きたい。この事は次の定時に報告させてもらいます」
呆れたようにため息を吐き出したキルルキは、マリア達の言い分を聞こうともせずに部屋を出て行こうとする。しかし、その行く手を遮るように立ちはだかったのはイーリス。
「確かにキルルキやうちの修員を無視して、話を進めたことはすまないと思っている。だが、敵が強大である以上、こちらも――」
「分かりました。そちらの言いたいことは、明日の定時で修員も交えて話をしましょう」
いろいろと考えたいのだろう。キルルキはいつも以上に無表情で、冷たく見える眼差しをイーリスに向けると、最後に軽く頭を下げてから部屋を出て行った。今度はイーリスが止める暇すらない。
まるでキルルキが冷気でも発していたかのように、彼が立ち去った後も部屋は静かに冷え込んでしまったかのようである。
黙っていたことも後ろめたく、また説得しなければならないのが、堅物で頭の良いキルルキということもあって、マリアは気落ちして俯いてしまう。特にエルザ達が各巫女の協力を取り付けただけに、これで失敗してしまったらと考えてしまうのだ。
「大丈夫だマリア、私たちで説得してみせればいいんだから」
「姉さん」
そんなマリアを励ますように、イーリスが笑ってみせる。
「私がお前との約束を守らなかったことがあるか?」
優しい笑顔でも不敵な笑みでもない、ちょっと冗談めかした、彼女には珍しい笑顔である。その表情通り冗談なのだろう、マリアもイーリスが求める答えを分かってクスクスと笑う。
「うん、何回かね。でも大丈夫、私姉さんを信じてるし……それに今回は私もきちんと話してみる」
「そうですね。彼とはしっかりと話しておく必要があるでしょう」
三人は明日、キルルキと修員を説得しようと心に決め、伝えるべき要点や言いたい事をまとめてその日は眠りに就いた。明日ダムスミリィに、そして自分達に苦難が待ち受けるなど思いもしないで。
◇◇◇
翌日、明日の祭典を待ち望むかのように晴れ渡った青空の下、一人の大柄な男がダムスミリィへと足を踏み入れた。旅人か冒険者か、いずれにしても己の武器はおろか、何の荷物すら持っていなかった。
「ようやく着いたー」
今の天気と同じように晴れ渡った笑顔を、厳つい顔に浮かべて豪快に笑う。よく見れば着ている服はボロボロに汚れ、顔も泥だらけ。旅をしていたにしても酷過ぎる格好である。
そして、周囲から遠巻きに見られていることなど、お構いなしに笑っていた男は一息吐く。
「だがっ、俺は迷ってなんかいない。何故なら俺の進んだ後に道が出来る、そう俺はいつでも前へと進む男だからだっ」
グッと力強く握り締めた拳で、天を貫くように振り上げた。最早何を言っているのか、周囲で聞いている人には分からない状態である。
「そうだ、俺はこんな事をしに来たんじゃなかった。闘技場を見に来たんだ」
そして目的地に向かおうと街の入り口へと進むが、武装した兵士が行く手を阻むかのように男の前に立ち塞がる。
「こらこら、そこの君。順番はきちんと守ってもらわないと。ちゃんと最後尾に並んでから、身分証を提示するように」
マリア達が来ているということで、普段以上に厳重にしているのか、街の入り口で警備している兵士は全員武装しており人数も多い。
祭典が近いということに加え、マリア達が来ているという事も聞いたのだろう。街へ入ろうとする人達は多く、兵士が指し示した先には長蛇とまではいかなくとも、そこそこ長い行列が出来ている。
自分の前に立ち塞がる兵士と長い列を見て、男は不可思議そうに眉を顰めていたが、納得がいく答えが浮かんだのか、軽く何度も頷いた。
「これはあれか、ここを進みたかったら俺を倒していけという奴か」
何故そんな結論に至ったのか、目の前に居た兵士も周囲の人間も分からない。
だが、例え男が屈強な肉体を持っていようと、闘技場参加者のゴタゴタを何度も抑えてきた兵士達。警戒はしながらも、冗談だと受け流していた。何故なら男から殺気や、戦う気配が全く感じ取れなかったからである。
しかし次の瞬間、ドンという重い物が地面にぶつかる音と微かな揺れが辺りに響く。
「いいぜ、俺を止められるなら止めてみせろっ」
それは剣、巨大な大剣。屈強な男の倍以上は大きく、四、五メートルほどの大きさで、鞘もなく装飾もない、剥き出しの鉄の固まりかのような巨剣である。どこかから呼び出したのか、先ほどの音の正体は先端が地面にめり込んだ音だった。
「なっ、貴様抵抗しようというの――」
慌てて臨戦態勢を取ろうと飛び退いた兵士だったが、それでも巨剣の範囲内である。
見た目も重そうな巨剣を片手で軽々と頭上に掲げ、剣の重さだけを利用するかのように、特に足を踏ん張ることも力を入れている素振りすら見せず、ただ振り下ろす。
だが、その一撃によって兵士は姿を消した。
正しくは兵士は振り下ろした剣の衝撃波に飲み込まれ、門の入り口や街中の家と一緒に吹き飛んでしまったのだ。
剣を振るったのではない。ただ振り下ろした、ただそれだけ。にも係わらず、有り得ないほどの被害。
「きゃあああぁぁぁぁぁーーーー」
「うわぁああぁわあああぁぁ」
男の突然な暴挙に辺りは騒然となり、街に入ろうと並んでいた人々は、悲鳴を上げながら散り散りになって逃げ出す。
「貴様ァ、今直ぐ武器を捨てろっ」
「て、抵抗するなっ」
衝撃波の通り道に居らず助かった兵士達は、腰から下げていた剣を抜いて構えるが、地面にめり込んでいる巨剣と比べれば、脆く頼りなく思えてしまうだろう。
兵士には怒りで表情を歪める者、逃げ腰で他の兵士の影に隠れる者様々だが、男は兵士の集団を見てはいても、一人一人は見ていない。気にする程の人物がいなかったのである。
「俺は進む。誰も俺を止めることは出来ねぇよッ」
今度は両手で巨剣の柄を掴むと、男の身体がぶれる。それは剣を振るったことによる物ではなかったが、兵士達が見た最後の光景であった。
恐怖からかまとまって立ちはだかっていた兵士達を薙ぎ払った一撃は、横に振るうことで腕の力も使い、先ほどまでの散漫とした衝撃波は鋭く形を成していた。外からの進入を拒む石造りの壁や門は広範囲に吹き飛び、家々も横に並ぶ二軒、三軒まとめて破壊されていく。
砂埃が巻き起こる中、男は剣を地面に突き刺した。
「ごほごほ、ちょっと埃っぽい街だな。まあ、闘技場とかあるし、そんなもんか」
そして、砂塵の中から姿を現した男には、角が生えていた。太く天を貫こうとするような、捩れた二本の角が側頭部辺りから生えていたのだ。しかもそれだけでなく、皮膚には青色の鱗とそれに覆われた尻尾まで生えている。
「……魔族」
逃げ出し、遠くから様子を見ていた人々の口からこぼれる声。それは男の耳に入っていただろうが、彼は人を殺す目的でこの街を訪れたわけではない。
男は自分を窺う気配に気付きながらも、そちらに視線を送ることなく身体を起こし、顔を上げて街中の何かを探し始める。
「闘技場はあっちか……」
闘技場は他の建物よりも高く、門の外からも場所は分かる。ただ、それは外観が分かっていればの話で、単に男は壁のように高い物が見えて、それだと直感しただけだった。
だがそれは正しい。
男はその方角に向かって、両手で握り締めた巨剣を地面など気にせず振り下ろす。今までで一番腰を据えた一撃は、先ほどまでとは比べ物にならないほど巨大な衝撃波が、文字通り街を縦断する。
離れた場所は風圧によって弾き飛ばされ、少しでも衝撃波に触れれば巻き込まれるように吸い寄せられ地に押し潰される。
当然家々は崩れ落ち、偶々その射線上にいた人々は年齢や男女問わず、跡形もなく消え去った。
「おっしゃぁぁーーー」
建物や地面が崩れた跡を駆ける男は、人々の助けを求める声や苦痛の叫びを一切無視して突き進む。
だがそれは、逃げ惑う人間を楽しく見ているからではない。彼にとって人々の叫びは、木々のざわめきや虫や動物の鳴き声位にしか思っていないのだ。だからこそ、意図せずに無視をする。
そして、男は闘技場の前に立つ。石を積み上げて創られた巨大な建造物は、女神降臨よりも前の時代の物とされており、重要建築として世界遺産にも認定されていた。
しかし今は、男の放った衝撃波によって建物は大きく裂かれ、内側へと崩壊を始め見るも無残な姿に変わってしまっている。
「……んー、ボロイ。まあ、古い建物っぽいし、こんなもんか。男も大事なのは中身だからなっ」
自身が意図せず壊し、積み上げられた石が地面に流れ込むよう重なり合った場所が、闘技場への入り口と思ったのか、男はその石を片手で押し出しながら入っていく。当然、上から新たな石が降り注ぐが、全く気にした様子は見られない。
「ほぉー、中はこうなって……ん?」
男は闘技場の中央、吹き飛ばされることも巻き込まれることもなく、既に臨戦態勢に入っている人達を見つけてニヤリと口元を緩める。先ほどの兵士達と違い、今度はそこに立っている人間をきちんと認識したのだ。
「なるほど、最後の障害はお前たちか」
そこには明日の式典の為、闘技場の下見に訪れていたマリア達の姿があった。