第九十四話
マリアが人知れず嫌な予感に身体を震わせていても、それをレオとエルザが知る術などあるはずも無く、ヘルヴィを加えた三人はスターシナトのあるディベニアにやってきていた。
レオとエルザがここを訪れたのは、大陽の巫女バネッサ達と一緒に旅をしていた頃である。そして、レオが一人で散策した時にヘルヴィを感知した事から、彼女がこの街に訪れていたのもその時期だった。
「懐かしいなー」
以前訪れた時から数ヶ月しか経っていないにも係わらず、エルザは懐かしさに胸を振るわせるが、そう思うのも仕方ないだろう。ラザシールやミレイユとの戦い、前世の故郷に立ち寄り、レオから魔王の真実を聞くなど、密度の濃い日々を過ごしていたのだから。
街に入ったエルザは何かを探すように、周囲をキョロキョロと見回す。
「ジャンニさんと初めて会ったのもここだよね。その時は名前知らなかったけど」
「あぁ、バネッサ達と雑貨を買った時か」
「うーん、残念。今は居ないのかな」
前に店を出していた場所を中心に、軽く街中を見て回ってもジャンニの姿は無く、行商人らしく今も旅をしながら商売を続けているのだろう。
昼食は軽く済ませているが、少し小腹の空いた三人は手近なカフェに入った。今日は天気も良く、店員に一声掛けてからテラスにある椅子に腰掛ける。
「ここにはスターシナトがあるだけあって、情報も沢山集まるわね」
テラスにいる他の客だけでなく、雑多な通りを行き交う人々の声も耳に入る。それだけでなく、店員もいろいろな情報が自然と耳に入っているのか、大抵の事は聞けば教えてくれるのだった。
もちろん三人が気になるのは、今代の巫女達の動向。魔王のことも気になるが、普段と変わらない街の様子では、何を聞いても得られる物は無いと思ったのだ。
「マリアはダムスミリィに向かってるのかぁ」
「私は前も行った事が無かったけど、エルザちゃんは何回か闘技場に訪れてたわよね」
三人が囲うテーブルの真ん中には、注文した小さくカットされたサンドウィッチ。それを摘みつつ、昔話にも花を咲かせることにしたのである。
「古くて格式ありますからね。権威ある大会とかも開かれてますし、私の戦い方もあってか結構お呼ばれしてました」
腕組みをしながら昔のことを思い出すエルザの表情は、非常に楽しそうであり満足した様子。彼女も伝統と歴史のある闘技場が好きなのだろう。
「今回の旅が終わったら、一緒に遊びに行きませんか」
「あら、いいわねぇ」
そんな華やかとは言い難い女性陣の会話には入らず、レオは噂程度でしかない巫女の情報をまとめていく。別れた時と場所から考えて、どの巫女の旅路も問題は無さそうだ。
まあ、もし仲間の誰かが抜けるような事になれば、グウィードの時のように様々な噂が広まっていることだろう。それが無い内は無事の証拠でもある。
「皆、順調に進んでるようだな」
「私達もね」
レオが感心しながら頷いていると、エルザがニヤリと笑う。
元巫女からの返事を探していた彼らも、ディベニアに着くまでに一つの目星が付いていたからだ。
ヘルヴィは荷物から巻物を取り出す。巻き取りながら読み進めていったそれは、紐を解けば読み進めていた途中から読むことが出来る。ただ、目星を付けていたのは少々前になるので、付箋のあるところまで戻ってから読み上げた。
「『一羽だけなら野猿の上を優雅に飛んでおりましたが、猿が山に戻ったようですので、今は毛づくろいをしながら羽を休めているようです』」
読み終わっても誰も何も話さず、周囲の喧騒だけが耳に届く。それを破ったのはレオ。俯きテーブルの何も無い一点を見つめるエルザに視線を向けた。
「……猿?」
「ウキィィーーッ」
エルザは猿のような奇声を上げて、サンドウィッチに手を伸ばしては口に運ぶ。その様子を見たヘルヴィは、悪戯した子供を見るように優しげな眼差しをエルザに送った後、テーブルに置いた巻物にも同じような視線を送った。
「エルザちゃんってカルリ一族だったでしょ。あそこは木の上で生活をしているから、そんなあだ名を付けたのね」
そこで一旦口を止め、苛立ちを隠さないままガツガツと頬張るエルザに視線を戻し、思わず頬を緩めながら「ただ――」と言葉を続ける。
「クラリサちゃんも、一番最初にエルザちゃんを本気で怒らせてからは、気を使って全然言わなかったの。当時のエルザちゃんは凄く実家のことを嫌っていて、口にもしたくないって感じだったし」
昔話を掘り起こされ、エルザは頬張っていた物が喉に詰まったのか、咽込んでしまう。それでも片手で胸を叩きながら、もう一つの手でヘルヴィを止めようと必死にバタつかせる。
しかし、そんな事をしても関係なしと話しは続く。と言うよりも、むしろエルザが慌てているのを、楽しんでいる節すら見て取れた。
「一度怒らせたあだ名を使ったって事は……あぁ、例の文章のか」
「そうなの、私も驚いちゃった。エルザちゃんが自分から『守人』って使ったんだもの。クラリサちゃんも、一族との蟠りがとけたと思って、嬉しくなったのかもしれないわね」
そう言って二人は必死にアイスティーを飲むエルザに視線を向けた。わざとらしく怒って見せているエルザは、本気で怒っていない証拠でもある。レオは「やっぱり仲が良い」と改めて思うのだった。
そして、何とか落ち着いたエルザは咳き込みすぎて涙目になったまま、話題を変えようと試みる。
「でも、クラリサっぽい人が居るのってカカイ王都でしょ。今大丈夫なの?」
カカイの王、ライナスが魔者に殺され成り代わられていたことは、既に周知の事実。そして、ライナスから遠ざけられていた前王の息子ノアが即位、彼の決断で神聖樹を聖王国に返還することになった。もちろん、賠償金なども含めてである。
これは話題を変えるために急遽口に出したのではなく、前々から思っていたこと。そして、それはレオ達も同じ考えであり、エルザの話題に乗って一様に考え込む。
「聞こえてくるだけでも、かなりゴタゴタしてるみたいだしな」
「余り長居はしない方がいいかもしれないわね」
「やっぱりそうした方が良いよね。……でも、それより問題なのが」
エルザはレオの写した巻物に書かれた、今のクラリサと思わしき人物の名前を見て眉を顰める。そこには見覚えのある家名。気のせいかとも思ったが、所在地と合わせれば否応無しにでも予想が正しいことを証明している。
情報提供者が今住んでいる国の名はカカイ王国。そして名前はパスクアラ、パスクアラ・ララインサル・カルレオン。アイナ、ピアと同じ家名である。
◇◇◇
転移装置でカカイ王都に跳んだ三人だったが、ここに来て感じたことは想像していた以上に空気が重苦しく、他人を警戒しギスギスしているということ。街を出歩く一般市民は少なく、かわりに武装した兵士が見回りをしている姿を良く見かける。
「何だか重々しいな」
彼らは魔者が再び入り込まないよう警戒しているのだろうが、その警戒は不審者や街の外だけでなく、何故か一緒に警邏している仲間の兵士にまで及んでいるようだった。
レオ達は空気や雰囲気でそのことは理解していても、何故仲間まで警戒しているのかは分からないまま、書かれてある住所へと向かう。
そこには巨大で長い塀に囲まれた屋敷。王都にある以上、大きすぎて場所を取ってはいけないと、広さよりも玄関に着くまでの造りにお金を掛けているようだ。
小さいながら水の吹き出る噴水に、馬に跨り剣を掲げる騎士の像。木々など植物はその二つを際立たせるように整えられている。カルレオン家が代々騎士の家系というのも影響しているのだろう、繊細さよりも無骨な印象を受ける造りである。
「うん、ここにクラリサは居ないよ」
家を見て早々に身体を別方向に向けたエルザは、少々不機嫌そうである。
しかし、レオもこの屋敷に元巫女の一人が居るということを感じられるので、そんな嘘を吐いたところで意味はなかった。
「……分かる癖に何言ってるんだか」
「だってずっこくない? 何でこんな凄いお屋敷に、ってかアイナがお姉ちゃんでピアが妹とか羨ましい」
レオに詰め寄るエルザは、そんなどうでも良い事を力説している。
そんな二人を他所にヘルヴィが門の脇に埋め込まれた、来客を知らせる魔道具に触れる。普通、家内に来客を知らせれば良いだけなので、外に音が鳴る必要は無いのだが、ここのは鐘を鳴らしたような低い音が辺りに響いた。
『はい、どちら様でしょうか』
魔道具から聞こえてきたのは、比較的若い男性の落ち着いた声だった。
「ヘルヴィ・サンプサと申します。本日は四聖会より出されていた御触れの件につきまして、パスクアラお嬢様にお話を伺いたく参った次第です」
『畏まりました。確認致しますので、少々――お嬢様?』
向こうで何かあったのか、男性の声が途切れると、代わりに女性の声が微かに漏れ聞こえてくる。大声で喚き散らしている訳ではないので、声質的に良く通る声なのだろう。
そして、それほど待たせることなく、再び男性の声が聞こえてきた。
『お待たせ致しました。只今、門を開きますので、そのまま玄関先にまでお進み下さい』
両開きの門が敷地内に向かって自動で開き、三人は言われた通り砂利の敷かれた道を進む。右手に像を左手に噴水を見ながら、道に沿って左にゆったりと曲がれば、重く厚そうな黒光りする玄関の扉が見えてくる。
全員が扉に近付く前に一旦足を止めて、屋敷を見上げながら感嘆の声を漏らす。
「うーん、アイナとピアの立ち振る舞いで分かってたけど、やっぱりお嬢様だな~」
「カルレオン家は他所に自分の領地があるから、ここは本国に用事がある時にだけ使う家だと思うわ」
「今は王都に務めるアイナさんと、王都の学校に通うお嬢様が使ってるってことか」
三人が家とそこに住む人物について思い思い話していると、ガチャリと重い鍵を外した音がしてドアが開き始め、何故かエルザがゴクリと喉を鳴らす。
そして、完全に扉が開いた先に居たのは、胸元まで伸びる金髪の後ろ髪を軽くウェーブに掛け、横髪は縦に巻いている少女。自信と自我の強さを示すように、少し釣りあがった目と挑発的に輝く青い瞳は、一同を見回したあとでエルザを射抜く。
「お初にお目に掛かります。わたくしがパスクアラ・ララインサル・カルレオンですわ。気軽にパーラとお呼びくださいませ」
二人の姉妹に似た幼い容姿の少女は、可愛らしくスカートの端を摘んでお辞儀をすると、レオ達三人を家へと招きいれるのだった。
◇
三人が通されたのは貴賓室で、出されるお茶やお菓子も一級品の物である。四聖会からと告げてイヴからの紹介状も見せているので、使用人たちは不思議がることもなく、パーラの「話しが終わるまで近づかないように」との厳命も忠実に守るのだった。
そして、レオ達をこげ茶色のソファーに座らせ、パーラは屋敷の主が座る茶色の一人用の椅子に腰を下ろした。本来なら彼女の父親が座るのだろう、彼女には少しばかり高さがあってないようで、足が床から離れている。
「今はエルザさんにヘルヴィさんと仰るのですね。そして、レオさん……」
音を立てずに紅茶を口へと運ぶ姿は様になっており、とても上品で気品が見て取れる。
しかし、それが気に食わないのか、エルザがわざとらしくクシャミをして空気をかき乱した。
「相変わらずですのね、エルザさんは」
「そういうパーラも……見た目だけはアイナさんとピアにそっくりだけど」
「あら、二人のことを知ってますの?」
まるで二人とも知り合いかのように、気軽に名前を呼んだエルザにパーラは意外そうに聞き返す。四聖会と係わっている以上、大陽近衛師団の団長であるピアはまだしも、カカイの騎士でしかないアイナとの繋がりがあるとは思わなかったのだ。
二人との関係をエルザが答えようとしなかったので、レオがアイナと一緒にラザシールと戦ったことを掻い摘んで説明する。と、急にエルザが何かを思い出したのか、両手を軽く叩いた。
「あぁ、アイナさんの剣ってアンタが作ったんだ。通りでヘンテコな細工がされてると思った」
アイナとの別れ際の会話を思い出したエルザは、納得がいったと一人で頷く。アイナの剣は、鍔を外して柄頭に柄を継ぎ足せば矛に変わり、柄の先端には針が隠されている作りになっていた。
自慢の武器をヘンテコ呼ばわりされ、パーラはショックに身体を震わせる。
「へ、ヘンテコとは何ですのっ。一つの武具を様々な状況に応じて、使い分けられるようと設計した物ですのよ。この素晴らしさは歴史が証明していますわっ、わたくしのリィズが基礎となって武具が作られたように……まあ、あのように劣化した模造は少々、いえかなり不満があります。せめて――」
「うるさーい、こっちはアンタの創作談義を聞くつもりはないのっ」
次々と捲し立てるパーラに、エルザは両耳を抑えながら口を挟む。
エルザと話しているパーラは、当初の優雅さや気品に満ちた様子は見られず、椅子から立ち上がってエルザと言い合いを始めている。
「段々と地が出てきた感じだな」
「本当、二人は仲が良いわねぇ」
そんな二人のやり取りを、レオは見世物にヘルヴィは微笑ましく見ながら、滅多に食べられない高級なクッキーや小さなケーキを楽しんでいた。
「ピアに抱きついていたとかっ」
「あら、嫉妬ですの? 醜いですわねぇ」
「はっ、誰が嫉妬なんか……って、もしかしてアンタそのヒラヒラした服装と良い、もしかして可愛いもの好き?」
「なぁっ、にを仰りたいのやら。確かに再びこの世に生を受けてから、このような物も多少、多少悪くないかなーっと思うところもありますけれども」
痛いところを突かれたのか、パーラが身体を引いた。浮かべている笑みは引き攣り、少しばかり顔が強張っているようにも見える。
「二人とも、そろそろ話を――」
それが丁度良いタイミングだと考えたのか、ヘルヴィはここらで一旦終わらせようと口を挟むことにした。何時までも話が進まない上に、二人の声が徐々に大きくなってきていて、近くで聞かされると煩いのだ。
「もしかして前、私に突っ掛かってたのは、ヨハナが私に懐いていたからかっ」
「な、何ですのその失礼な言い掛かりはっ」
「もっと慎みを持つべきとか、大人の女性はどうたらって言ってたのにねぇ」
しかし、二人の耳には届かなかったようで、仲良く言い合いを続けていく。これにはヘルヴィも困ったように、頬に手を当て「あらあら」と声を漏らす。と、底冷えする何かが部屋を覆い始める。
そこでハッと気付いた二人だが、口を開いて互いから視線を動かす事が出来ないまま固まり、レオは素知らぬ顔で外の景色を楽しみながら温かい紅茶を飲む。
「二人とも久し振りに会えて嬉しいのは分かるけど、そろそろ話を進めないとダメでしょ」
「は、はいっ」
「わたくしとリアさんは仲良しですのっ」
仲良く握手した二人は、力無くソファーと椅子に腰を下ろす。窓の外から中へと視線を移したレオが見たのは、身体を縮ませて震えているパーラの姿。
「へ、ヘルミーナさんが健在ですわー」
「……何かどこかで見た反応だな」
エルザがヘルヴィと再会した時のことである。本当に似た者同士な二人だった。
ヘルヴィの介入もあってようやく話が進み、レオ達が今置かれている状況と、パーラを訪ねた理由を説明した。ただ、聞いている時の様子は非常に無関心のようで、表情も余り動かしていない。
良い返事は期待出来そうにないかと思うレオだが、エルザ曰く「無関心に見える時ほど、必死に頭を働かせてる」らしい。
「お話は分かりましたわ」
「それでパーラちゃんはどうする?」
まるで当初の優雅さを思い出すかのように、焦らず騒がず紅茶を一口飲んで、喉を潤してからパーラが口を開く。
「もちろんご一緒させて頂きますわ」
色好い返事。しかし、パーラは視線は手に持った紅茶に落としたまま。その表情は冒険に胸躍らせている風でも、魔者に対して怒りに胸を震わせている様子でもなく、愁いであった。
パーラは見た目に反して艶かしく思えるような、静かなため息を漏らす。
「今のこの街、いえ国の現状をどう見ますか」
レオ達は顔を見合わせる。感じたことをそのまま告げるべきか迷ったからだ。しかし、ここで変に取り繕う必要もないと思ったレオが、そのまま「重苦しい」と伝える。
それに対する反応は、怒りでも嘆きでもなく同意を示す頷き。
「えぇ、それもこれも魔族が王に成り代わっていたせいですの。それが何時からなのかは分かりませんが、内政は優秀で誰もが賢王だと信じておりました」
聖王国への賠償も払えるほど、国家の財政は充実していたらしい。それだけでライナスの内政手腕が、如何に素晴らしかったか分かるというものだ。
パーラは両手で包むように持ったカップの中身に再び視線を落とす。
「そして魔族が最後に残したとされる、『果汁水に魔者へと変化させる物を混ぜた』という言葉。これが真実かどうかは分かりませんが、それ故に今この国は心優しき隣人すら信じることが出来ませんの」
いつ隣人が変化するのか、いつ自分が変化するのか分からない。その恐怖と猜疑心から、今のカカイは重苦しい空気に包まれているのだという。
静かな怒りを面には表さなかったが、無意識にカップを握る力が強くなり、カチリと受け皿と当たった大きめな音を響かせる。
「この様な状況など、誇り高きカカイに有るまじき光景ですわ」
気持ちを落ち着かせるように、残った最後の一口を飲み干して、静かにカップをテーブルに置く。そして顔を上れば、その表情は少しばかり和らいでいた。
「それにピアがいます。妹が危険な敵と戦おうとしているのに、姉のわたくしがまごついていては示しが付きませんもの」
その表情はエルザもヘルヴィも見た事の無かった、姉としての責任と可愛い妹を想った優しく柔和な微笑み。パーラは再び魔王との戦いに身を投じるのだった。
◇◇◇
当初は「長居しない方が良い」と話していたレオ達だったが、パーラが即座に加わっても直ぐにカカイから出発することなく、未だに王都に留まっていた。その理由は、腰を落ち着けて最後の元巫女である、ヨハナからの返信を捜していたからである。
なによりララインサル家は貴族。マリア達、現巫女の情報や魔者の動きの情報も集めてもらっていたのだ。が、一向にヨハナの手掛かりを見つけることは出来なかった。
そして、パーラと出会ってから三日の時が流れた。作業用の一室となった部屋には、レオとララインサル家メイドが書き記した紙の束が積まれていた。それも最後の一枚。寄せられた情報も写し終わり、最後に読み終えたエルザは机に紙を投げ出して突っ伏する。
「無いなぁ」
「有りませんわ」
「見つからないわね」
第一報に返信が無く、これから反応は少なくなっていくだろう。修院もある程度溜まってから、レオ達に伝えるということにしている。気落ちしたとまではいかなくとも、脱力した三人を見ながら、レオは一人部屋の片隅でコーヒーを飲んでいた。
報告された分を書き終えればレオの仕事は終わり、飲食の差し入れはメイドや執事がやるので、何もすることが無かったのだ。時々、聞かれたことに答える位である。
「ヨハナちゃん、どうしたのかしら」
「あの子が無視するとは思えませんし」
ヘルヴィとパーラは気合を入れ直すように大きく伸びをして、少し冷めてしまった紅茶を飲む。しかし、エルザは考え込むように顎に手を当て、机に放り投げた最後の一枚の報告に視線を落とした。
「……多分、気付いてないんじゃないかな。ほら、あの子ぼーっとしてるって言うか、自分の世界に入ってることとかあるし」
「そうなると、見つけるのは難しいんじゃないのか」
状況が良くないことはレオも分かっているが、思わず眉を顰めてしまう。
エルザが言った場合ならまだマシである。もっと悪い場合は、親が木こりなどで村ですらなく、親族だけで小屋に住んでいる可能性もあるのだ。そうなれば街を巡るだけでなく、ヨハナを感知出来る範囲に入るまで、本当に世界中を歩き回る必要があった。
その時、ドアを二、三度間を置いて叩いた音が響く。鳴らし方から執事だろうと思ったパーラは周囲、主に女性陣に眼差しを向けて乱れが無いことを確認してから入室を許可した。
「失礼致します」
入ってきたのは予想通り、黒いピシッとした執事服に身を通した比較的若い男性。レオ達に一礼すると、パーラに近付いて耳打ちをする。
今までは伝える用件を普通に話していた彼が、ここに来て全員に伝わらないような手を取る。その事に誰もが良い予感はしなかった。そして、それが正しいと伝えるように、話を聞くパーラの表情は驚きを隠そうともせず、目を大きく見開く。
「ダムスミリィで魔族が暴れているですってっ」
ガタリと音を立ててエルザが椅子から立ち上がる。ダムスミリィにマリア達が到着間近という情報が入っていたからだ。落ち着きが無くなったエルザに配慮してか、パーラは執事を下げさせる。
そして彼が部屋を出て行き、この部屋から気配が離れたのを感知すると、エルザはパーラに詰め寄った。
「マリアはっ」
「到着を確認しているそうですわ」
慌てず騒がずに返答するパーラだが、それはエルザにとって悪い報であり、小さく舌を打ち鳴らすと即座に駆け出そうとする。しかし、その出鼻を挫くようにレオが声で押し止めた。
「何処に行く気だ」
「どこって、マリアの所に決まってるでしょっ。魔族ってことは、ダナトとか魔力を吸収する奴とか、死なないような奴らだよ。助けに行かなきゃ」
これが魔物や魔獣なら、エルザもここまで焦る事はなかっただろう。
だが、彼女が目にしたことがあるのは、圧倒的な力を持つダナトと脅威の再生力を持つユオンゼの二人。そして何より、魔族が街で暴れていたのなら、民衆を逃がすためにマリアは戦う。つまり大地の巫女一行と魔族が戦うことは必至だった。
エルザも未だ半信半疑だが、ユオンゼはアロイスによって倒された。しかし、彼と同程度の実力者であるグウィードは、マリア達と同行していないのである。
「シアンを倒す方法が他に思い当たらない以上、アレに必要なお前を危険に晒すわけにはいかないだろ」
「でもッ」
正論を言ったところで、エルザが納得するはずもない。レオもその一言だけで、完全に納得させられるとは思っていなかったのか、頷きながら椅子から立ち上がる。
「俺が様子を見てくる。マリア達が危ないようだったら、何とか逃げられるよう動く」
それでどうだ、とレオは尋ねるが、それでもエルザはあまり納得していない。
ただ、シアンへの対策が必要だという事も理解でき、何よりレオを信頼しているので提案を断るべきか悩む余地はあった。
しかし、それはレオと仲が良く、彼の実力を知っているエルザだからこそ悩んでしまうのだ。
「エルザさんは本当にレオさんを信頼しているようですわね」
出会ってまだ数日のパーラからすれば、そこまでの信頼を持てていないのだろう。何せレオが元魔王だと分かっているのだから。
「貴方の仰りたいことは分かります。ここ数日の会話からも、優秀な方だとも思います。ですが、それらは冷静な判断を実行に移せる状況であれば、の話ですわよね」
良く通る声というのは、それだけで場を支配する力を持つ。この時に限って、エルザはレオよりもパーラの味方なのだろう。あえてパーラに声は掛けないものの、黙って事の成り行きを見守っている。
パーラはあえて直接言いはしなかったが、彼女が言いたいのはレオの実力のこと。魔族が暴れている場所で、冷静に考えた上でマリアを助けるとして、それを実行出来るのかということである。特に渦中の人物が巫女なら先頭を切って戦う、戦場の中心にいる人間なのだから。
その点、エルザなら足手まといにはならない。直接、間接問わずに手助けをすることが出来るだろう。
「それに相手方の実力を見ておいた方が、後々戦う時も有利に働きます。話を聞いただけとは段違いですわ」
今度は戦いに身を置く者としての言い分であり、当然レオも自分の実力が不足していることや、情報収集が大事だという心構えも理解出来る。
エルザは両手を握ってレオの決断を待つ。彼女は別にレオの言う事を聞く必要はないのだが、今はレオの意見を優先しようとしているのだ。
レオとエルザは互いの目から視線を外さない。
「……ふぅ、分かった」
そして、先に外したのはエルザの想いに押し負けたレオの方だった。
「やったっ、じゃあこれから準備してディベニアに……ってあそこダムスミリィ行きあったよね?」
満面の笑みで喜んでみせるエルザだったが、ディベニアからの便があるか覚えておらず、レオとヘルヴィに視線を向けた。しかし、言葉を発したのはその二人ではなく、口元を手で隠しながら笑うパーラだった。
「エルザさんはディベニアへ向かわれますのね。それでしたら、他の方はわたくしと一緒に、家の転移装置を使いましょうか」
そして、ヘルヴィの側に寄って彼女の腕を取る。
「あらあら、ダムスミリィ行きの転移装置があるの?」
「はい、祖父が闘技場に良く見に行っていたもので……ただ、アチラの装置が無事ならば、ですけれど」
今までのエルザを挑発するような笑みは消え、パーラは真面目に表情を引き締め遠くを見つめる。彼女にしてみても祖父や家族との思い出のある街で、魔族が暴れているというのは無視出来なかったのだ。