第九十三話
レオ達は元巫女を探しながらディベニアへ向かい、ダナト達も魔王の目覚めが近付きつつあると分かり、次々と行動を開始し始める。
そして時は少しばかり遡り、レオとエルザがイヴ達と別れて少し経った頃。大地の巫女マリアもまた、魔城へと向かう旅を続けていた。
マリアはエルザと別れる際に、白いリボンを譲り受けている。しかし、そればかりを毎日着けていては汚れてしまう。今では別に買った物とも交替しながら着けていて、今日は姉と慕うイーリスが選んだ、翠色のチェック柄リボンである。
「大丈夫です、直ぐに良くなりますよ」
「ありがとうございます、マリア様」
彼女達の旅は魔城を目指す旅だが、その進む先は秀院によって決められていた。四聖会に多額の寄付をした人の意向を、多聞に聞き入れているのである。
今もマリア達が立ち寄っているのは、とある国にある巨大な病院。ここの院長からの依頼で、患者たちの慰問に訪れているのだった。
「マリアさま~」
「何かな~」
病院にはお年寄りから小さな子供までいる。彼らと言葉を交わすマリアは、優しい微笑みを浮かべ、とても楽しそうに過ごしているのだった。
そして、時刻は正午過ぎ。マリア達は昼食を取るため、病院内にある貴賓室に通されていた。食べているのは彼女の希望もあって、患者にも普通に出されている病院食。この時ばかりは、食事を改善しておいて良かったと安堵する病院側であった。
「結構美味しいね、姉さん」
「そうだな。食欲が旺盛になれば、それだけで気力も湧いてくるだろうから、病院も気を使っているんだろう」
部屋にはテーブルを挟んで数人座れるソファーがあるものの、二人は同じソファーに並んで座り、仲良く食事を取っている。この場には女性二人だけで、男性組みのタウノとキルルキは部屋に居ない。
今後のことでキルルキと院長は話しがあるらしく、タウノがそれに付き合っているのだ。どんな話をするのか監視するためだが、総括長として副長だけに任せられないという立場もあるからだろう。
その話しが終わってからマリア達とは別の部屋で食事をする手筈だが、余り仲の良くない二人の事、別々に昼食を取っている可能性は高かった。
キルルキという秀院側の人間が居ないことで、二人は気楽に話をすることが出来るのである。
「病院は余り良い想い出が無かったんだが、今回ので少しは楽になりそうだ」
冗談めかして笑いながら、楕円形の肉団子をフォークに刺して口に運ぶ。しかし、マリアはその言葉を聞くと、目を見開き瞳を微かに揺らしてイーリスを見つめた。
「あっ、確か姉さんのご両親は……」
「ん、あぁ、両親共に流行り病でね。あんなに強かった父さんも病には勝てないのか、と思っていたよ」
病では仕方ない、とイーリスの表情も何かを引き摺っている様子はない。それに亡くなった父親の親友だったクスタヴィが、イーリスの後継人となって家に引き取り、今では彼女も父上と慕っているのだ。時も流れ、吹っ切れているのだろう。
この会話は飯時にする類ではないと思ったのか、イーリスは申し訳なさそうに笑って食事の手を進める。そして、マリアも話題を変える手伝いをした。
「でも皆、怪我や病気とか色々な悩みはあるだろうけど、明るくて元気な笑顔だったね」
「マリアが来たからっていうのもあるだろうけどな」
「それだけって訳じゃないんだろうけど、そうだったら嬉しいな。何時もこういうお仕事だったら良いのに」
はにかみながら笑うマリアは、秀院や魔王到来の周囲の反応から、少しばかり人間不信になっていた。しかし、エルザとレオや旅の最中に様々な人と出会い、多少なりとも改善していたのである。
以前にも老人福祉施設を訪れたことがあり、魔獣と戦ったり欲望渦巻く会食に行くよりは、こうして人々と触れ合っていた方が楽しいと再認識する。もちろん、マリアもそれが無理であることは理解していて、少しばかり愚痴をこぼしただけだった。
「キルルキさん、何を話してるんだろう」
「今日、お世話になったことじゃないかな」
おそらくは寄付金の話でもしているのだろう、とイーリスは予想していたが、そこはマリアの手前あえて誤魔化すことにした。
そして、その会話はそこで終わり、二人で当たり障りのない話しを続けていると、イーリスの荷物から修院との連絡用の水晶が、着信を知らせるように音を響かせる。
ただ、二人は不可解そうに眉を顰めて互いの顔を見合う。何故ならキルルキが来てから、秀院からの連絡は彼が持ってきた水晶で行い、定時報告も彼一人で行っていたからだ。今更、この水晶に連絡してくる理由が分からなかったのである。
しかし、出ないわけにもいかない。イーリスはフォークを置いて席を立ち、マリアが片付けたテーブルの上に取り出した水晶を置く。そして身形を整えてから魔力を流し、先方と繋げた。
「お久し振りですマリア様。事前のお取次ぎもなく申し訳有りません」
水晶に映った相手は短めの白い口髭を生やした老人。当然、修院の一人なのだが、マリア達にしてみれば予想外の人物でもあった。
「いえ、構いません。確か貴方はイヴさんの所の……」
マリアは驚きを隠して冷静な表情を装う。
秀院は同じ組織でも、それぞれの巫女の聖大神殿に別れて職務に就いており、各所属の秀員はライバル関係で仲もそれほど良くは無い。それでも巫女に連絡を取りたい場合は、一度そこの秀員を通してからが通例であり、今回のように行き成り連絡が来るということは無かったのである。
秀員はマリアの言葉に頷く。
「左様でございます」
「一体、何用でしょうか」
余り長々と話していたくないと考えているのか、マリアは早々に本題を切り出す。それは、職務を精確で迅速に行いたい彼にとっても喜ばしいことであった。
「はい、この度イヴ様がレオ様、エルザ様の両名と対面なさいました」
「エルザさん達とですかっ」
久しぶりに聞いた二人の近況に、マリアは思わず歓喜に頬を緩めて声が大きくなってしまう。ただ、イーリスに強い眼差しで窘められ、咳を一つ入れて表情を作り直す。
この時、二人の名前を告げて直ぐにマリアが反応したことで、繋がりがあったのは本当なのだと初めて信じた修員だが、そんな事を面には出さず言葉を続けた。
「単刀直入に申しますと、イヴ様は魔王との共闘の案件を受け入れる、とのことです。そして彼らの話によりますと、バネッサ様とメーリ様も承諾なされたようで、今回の討伐において全ての巫女による共闘が決定致しました」
待ち侘びていた報、しかも吉報である。先ほどのこともあるので、マリアは膝の上で静かに手を握り締める。当然、隣に座るイーリスも。
「今回は巫女様方に結果をお伝えするだけで、今後に関することは追って連絡することになろうかと思います。本日は突然ご連絡する事となり、申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
修員が深々と頭を下げてから通信を切ると、水晶から男の姿は消え、覗き込むマリアの姿を映し出す。
空白の間、マリアは黙って身体を震わせる。それはほんの短い時間でしかなかったが、彼女にとってはかなり長く感じたことだろう。レオとエルザの出会いや旅の道中を思い出し、キルルキの登場によって別れて行動することを選び、その結果が出たのだ。
先ほどよりも強く握り締めていた手を解くと、机を強く叩きながら立ち上がり、隣に座るイーリスに満面の笑顔を向ける。
「やったぁーー、姉さんやったっ。エルザさん達がやってくれたよっ」
「あぁ、そうだな」
比較的落ち着いているようにも見えるイーリスだが、彼女も歓喜に胸を震わせて笑顔でマリアを見つめ返す。そしてマリアはイーリスの手を取って上下に振った。今にも踊りだしそうな勢いである。
「少し落ち着かないか」
「あっ、ごめんなさい」
困ったように笑いながら窘められ、マリアは手を離して決まりが悪そうに、気恥ずかしさを誤魔化すように笑う。そしてソファーに腰を下ろして、気持ちを落ち着かせるようにお茶を一口飲み込んだ。
「でも良かった。世界中を旅させる、無茶なお願いだったから」
「それに他の巫女を説得する役目も」
「あはは、イヴさんが無理難題を言ってないと良いんだけど……」
世界を旅するよりも大変そうな相手を思い出し、マリアは曖昧に笑顔を浮かべる。イヴが普段は冷淡な性格でも、本性は非常に自己本位であることを知っているからだ。それによって振り回される人が多いことも。
しかし、そんな心配も「エルザなら気にすることなく、元気に飛び越えて行くのだろう」とある種の信頼で悩むのを止めた。
「エルザさんとお話ししたいな。どんな旅をしたんだろう」
「今度あった時に沢山話せば良いさ。それよりも、エルザだけだとかなりの主観が入りそうだ、レオからも聞いた方が良いんじゃないか」
かつて一緒に旅をした仲間のことを思い出せば、レオとエルザの関係性も直ぐに脳裏に浮かび、二人して笑いあう。
「でも、姉さんって結構レオさんを気に入ってるよね。始めて会った時から」
「そうだったか? まぁ、マリアとエルザが仲良くするのなら、保護者同士も仲良くしないとな」
本人は特に意識したことが無かったようで、逆に冗談めかしてマリアに返した。マリアにとってイーリスが保護者代わりというのは、自分でも分かっていること。むしろ嬉しいと感じるかもしれない。
ただ、今は冗談として言われたと分かっているので、彼女もその空気に乗って言葉を返す。
「私そんなに子供じゃないよ」
「レオがエルザの保護者だということは否定しないんだな」
二人は冗談交じりに楽しく会話をしながら、食事を再開するのだった。
◇◇◇
慰問の職務を全うしたマリア達は、魔城へ向かう旅を再会させていた。
負傷したグウィードの代わりとして仲間に加わったキルルキは、修院側の人間としてマリア達の監視、報告を行っている。もちろん、それを知っているマリア達と仲が深まるはずもなく、仲間内で孤立した存在であった。
ただ、キルルキはそれを悲観するどころか、全く気にもしていない様子である。
そして今日も夜遅く、マリア達に聞かれないよう一人離れて報告を行うのだった。
「寄付は引き続き期待に副うものになろうかと」
「うむ、よく話しを纏めてくれた」
ある程度分かっていた結果ではあるが、水晶に映る秀員は満足そうに頷く。そして、今までの連絡時と同じように、これからが本番とばかりに姿勢を正す。
「ところであの件だが……」
しかし、これまでは例え都合の悪い事だろうと直ぐに伝えていた秀員が、今回は苦渋の表情を隠し切れずに顔を歪めて、中々話しを切り出せずにいる。
ただそれだけで、キルルキは秀員の言いたい事を察することが出来た。水晶先と同じ重苦しい空気を感じているかのように、顔を伏せながら目蓋を浅く閉じて口を開く。
「やはり事実でしたか」
「あぁ、カカイの乱に魔族が係わっていたようだ」
「ということは……」
キルルキの言葉にゆっくりと、重々しく修員が頷いた。
「今回は"異例"だ」
彼らにとっての重要な案件。それは魔王が本来の目的から逸脱していないか、である。それはつまり彼らも真実を、魔王がシプラスの除去を目的に来ている事を知っていたのだ。
通信をする時はいつもキルルキが結界を張り、周囲に声が漏れる心配が無いにも係わらず、修員は自然と声を抑えてしまう。
「マリア様がお気付きになられた、ということはあるまいな」
「はい、今のところ。魔族との接触もありませんので、このままであれば何事も無く討伐を遂行できるでしょう」
「ならば良い。もし魔者がマリア様と接触し、この事を告げようとした場合は任せたぞ」
修院にとって真実が明るみに出ることは好ましくない。それはキルルキも同意見のようで、修員の言葉に反論することなく頷いてみせる。
「今までも、そしてこれからも、魔王は侵略者である。それで良いのだ」
一人だけで行われる定時報告から、皆が野宿している場所へと戻った。そこは土で出来た半球体の建物が二つ、マリアが魔法で創った簡易の部屋である。それぞれ男女で分かれており、キルルキは男性用の印の描かれた建物に入った。
部屋は雨風凌ぐ程度の物でしかなく、椅子やベッドも土を他よりも段差があるように創られただけである。
その分室内は広く、今も部屋の中央では地面から浮いているタウノが、水に包まれた状態で瞑想をしていた。周りを包む水は表面が波打ち、水と風を同時に扱っているのだ。
「修院に報告ですか」
キルルキの帰還で閉じていた目蓋を開く。とは言っても、他から見てもその違いに気付きにくいほど、タウノの目は細いのだが。そして、自身を包んでいた水の球体を右手に集め、組んでいた足を解いて地面に降り立つ。
「えぇ、責務ですので。隊長は今日も瞑想ですか」
「強くなる必要がありますから」
近衛師団魔法部隊の総括長、副総括長という関係の二人だが、余り良好な間柄とは言い難かった。互いに壁のようなものを感じさせ、空気は寝室として使う場所には不似合いなほどに重い。
「どれ程強くなれるのか、楽しみではありますね」
「……どうです。久し振りに模擬戦でもしますか?」
「お断りします。魔王討伐という責任ある任務の最中に、行うべきものではないでしょう」
キルルキの言葉を挑発と受け取ったのか、タウノから模擬戦を申し出るが、これをキルルキは全く相手にすることなく断った。視線すら向けようともしていない。対してタウノもこれ見よがしにため息を吐き出す。
「またですか。魔王討伐と託けていますが、いつもそうですね」
そして見て分かるほどに目を開き、鋭くキルルキを睨み付けた。普段よりも硬い表情は、それだけ感情が昂っているのだ。
「そんなに勝ち逃げしたままで居たいのですか」
淡々と発せられた言葉は、逆に荒ぶる内心を押し殺そうとしている事を、分かりやすいほどに表していた。当然、キルルキもその事に気付いたのだろう。やや呆れたような眼差しをタウノに向ける。
「……何を。隊長とは総括長を決める前に戦い、私が敗れたでしょう」
「あれの何処が」
確かに二人は何度か模擬戦を行っており、直前の結果ではタウノがキルルキに勝っている。ただ、タウノはその結果に納得がいってないようで、今回のように再戦を挑もうとするも、幾度と無く断られていたのだった。
その時の戦いの結果が、総括長になった決め手でない事は、タウノ自身も分かってはいる。しかし、自分より強く落ち着きがあり頭も良く、しかも秀院と親しい人物が副長として傍にいる。
権力を取ろうとしないことが、返って不気味であり恐ろしくもあるのだ。
「下らない事に拘りますね。そして視野が狭い。隊長もマリア様も団長も」
「何をッ」
自分だけでなく、マリアとイーリスも一緒に馬鹿にされ、タウノが思わず声を荒げてしまう。ただ、表層では怒りで荒ぶっていても、深層では納得もしていた。「自分達はまだまだ地位に見合っていない」と。
だからこそ、余計に腹立たしいのだ。真実を正面から突付けられ、キルルキの方が総括長に相応しいと思ってしまうから。
タウノは強く手の平を握り締めて詰め寄ろうとするが、それよりも早くキルルキが背を向ける。手を握り締めた衝撃で、右手にあった水球は普通の水に戻り地面に落ちた。
「この様な事は副団長にお任せしたかったのですが、あの方も――」
「グウィードさんを馬鹿にするのは止めて貰いましょう」
重苦しくピリピリとした空気は変わらず、むしろ最初よりも酷くなっていく。キルルキは最後にチラリとタウノを見ると、寝具用の台に向かい横になって目を閉じた。話しは終わりだと、向ける背中が物語っている。
こうなってしまっては、大声で騒いでも無視するであろう事は想像に難くなく、タウノも仕方なくもう一つの土の台に横になり、無理やり目蓋を閉じるのだった。
◇
タウノは余り眠れた気がしていないが、それでも朝はやってくる。翌朝、全員が顔を洗って身支度を整え、二つの建物の中間で朝食を食べ終えると、キルルキが昨夜秀員との報告の際に聞いた用件をマリア達に伝えていく。
「それと、今向かっている魔物討伐の後の予定ですが、実は少々変更になりました」
「またか」
淡々と報告を続けるキルルキの内容に、イーリスが軽くため息をこぼす。
予定ルートの変更は、決して多くは無いが今までも何度か有ったこと。しかし、その都度寄り道をしているような気になり、またお金が動いたと理解が出来て、どうにも気分が良くないのだ。
イーリスはため息をこぼしながら、口元を隠すように少し濃い目に入れたコーヒーを飲み込む。カップに隠れて表情を歪めているのは、コーヒーが苦いからなのか。
「マリア様には祭りの式典に参加して頂きたいそうです」
「式典ですか。それで何処に向かへと」
マリアはキルルキに眼差しを向けながら、自身でも気付かぬ内にカップを持つ両手に力を入れた。あえて理由を付けるのなら、身体全体に力が入ってしまったから。
そして、感じる胸のざわめき。しかし、マリアはそれを「勝手な都合で」という、秀院に対しての苛立ちからだと考えていた。
「場所は巨大な円蓋の闘技場がある国、ダムスミリィです」
今日マリアが選んだのは、エルザから貰った白いリボン。髪を結んで伸びた二つの先端が、風に揺らされて近付いては離れていく。
季節は夏。朝でも寒いということは無いのだが、マリアは謎の寒気を感じ背筋を震わせていた。