第八十九話
不死と呼べるほど倒されても復活する敵、シアン。その対策として封印魔法を知っている可能性のある、エルザ以外の元巫女三人を捜すことになったレオとエルザ。
顔も名前も違っている今、捜し出すのは困難だろうが、イヴの協力でエルザの言葉を全世界に発信するのだった。
「『神聖な枝で開かれるはずだった晩餐会に、参加予定だった三羽の鳥が隠れて散り散りになってしまった。守人が行方を捜しているそうだが、何か心当たりのある人は居ないか』ねぇ」
イヴの考えた文言にエルザを示唆させる守人を入れ、最終的にはこのような文章になった。都市部や地方など広がるには時差はあるだろうが、旅をしながら教えを広める宣教師がいる限り、確実に世界中へ広まるだろう。
エルザは改めて巫女の権力を実感しながら、背中を預けていた柵に両肘を乗せて空を仰ぎ見た。
今、レオとエルザはイヴの乗っていた砂船に、そのまま乗船させてもらっている。目的地はハイデランド王国内で、サンスクレイ王国方面の村まで。完全に予定の無い寄り道なのだが、そんな事を気にするようなイヴではなかった。
「何やってるんだ」
「んー、他の皆と合ったとしてさ、何て言おうかなーって」
空を見ながら惚けているエルザに、船内から出てきたレオが話しかけた。エルザは空から視線を下ろすと、レオに眼差しを向ける。その視線は迷いを示すように、少しばかり弱弱しいものである。
「やっぱり今の生活も繋がりもあるわけでしょ。それなのにアレを使うかもしれないのに一緒に来て何て……」
ただの再会だけなら、ここまで気が滅入る事は無い。また自爆魔法を使うかもしれない、それを伝えて魔王討伐に同行してもらわなければならないのだ。
前世では巫女としての使命感もあったが、今の生では恐らく普通の人として暮らしているだろう。それを邪魔されるのが腹立たしいのは、元魔王であるレオと再会した瞬間に、エルザ自身が嫌というほど感じていたことだった。
「まあ、自爆技を使うかもしれないけど一緒に来て欲しい、と言わたら俺も躊躇するだろうな」
率直に言われてエルザはがっくりと肩を落とす。ただ、レオとしても気を落とさせる為だけに、こんな言い方をしたのではなく、その後の言葉もきちんと考えていた。
「ただ、あの魔法には俺も興味があるから、詳しい話を聞ければ何か改良点が見つかるかもしれない。」
「ははっ、それは頼りになるなー。何てったって元魔王だもん」
先ほどよりも元気を取り戻したエルザは、柵に預けていた身体を起こして大きく伸びをすると、船の進む方向へと身体を向けた。赤銅色色の大地を進む船の先には、他の巫女が居るかもしれない。
エルザは取り合えず悩みを置いておくことにしたのか、頬を軽く叩くと船の進む遠い先を眺めるのだった。
砂船での食事はイヴ達とだけ一緒に食べることにしている。マリア達からの使者だということを伝えてあるので、同乗することも文句が出るはずもなく、食料に関しても急遽取れた食材があるので問題は無い。
それは今夜出された料理にも使われている、イヴ達が倒したアグワラスの肉。アグワラスは捌くのはもちろん、血抜き毒抜きに手間隙は掛かるが、柔らかく肉の隅々にまで行き渡る脂肪はサッパリとしていながら、焼き上げた時に深い味わいの肉汁を多く内包させる高級食材である。
「うわっ、何これ肉汁凄くて口の中でとろけちゃうっ。付合せのサボテンも肉厚でステーキみたい。幾らでも食べられそう」
イヴ達と一緒に食事をして分かった事は、モイセス以外はマナー良く上品に食べているということだ。綺麗に拘るリュリュはまだしも、イヴは汚いとまでは行かなくとも、大雑把に食べていそうだと思っていたエルザは、内心で密かに驚いていたのだった。
そして食事も終わりに近付き、各自が食後の飲み物を頂いているところで、レオが話を切り出した。
「イヴに協力を確約してもらえたのは良いが、巫女同士の連絡手段はどうする。話しもしないで連携は無理だろ」
「それじゃあ共闘の意味がないね」
エルザも葡萄を摘む手を止め、ワインを傾けているイヴに視線を送る。
この問いにはさすがのイヴも即座に答えることは出来ず、各巫女の状況を整理するように天井を見つめながら、グラスに残った最後の一口を飲み干す。
「魔城も詳しい位置は霧の中、集まる方角もバラバラか」
そして、テーブルに静かに置いた透き通るグラスを眺める。
だが、そんなイヴを笑うように、自信有り気に口を開いたのはモイセスだった。
「別に魔城の前で突入を待っとけば良いだけだろ」
沈黙が落ちる。誰も思いつかない素晴らしい手だったから……という事では当然ない。余りにもバカバカしいので、呆れて物も言えなくなってしまったのである。
発言者のモイセスを庇おうとするならば、彼もその場で戦っていれば戦場の空気で先は読める。ただ、自分から遠く離れた場所での事になると、全くといって良いほど役に立たないのだった。
これもイヴ達からすれば慣れたものであり、いつものようにリュリュが口を開く。
「へぇー、じゃあモイセスは敵が門の前で増援を待ってたら、それを黙って待っててやるんだ」
「バカか。そんなの待つわけ無いだろ」
再び沈黙が落ちる。バカにしたはずのリュリュもそれ以上突っ込まず、呆れ顔でジュースを口に含んだのだから、誰もが話題に触れないよう流すのである。イヴは隣に座るサラサへと視線を向けた。
「精霊は連絡取れそうかい?」
「不可能ではないと思いますが……時差は数日、状況によっては数週間は掛かるかもしれません」
「んー、でも無いよりはマシ……あぁ、ウチのジジイ共から連絡させてもいいな。別に秀院に知られたって問題ないだろ」
サラサに頼る事を前提にしようと考えたイヴだったが、秀院に頼るのも一計とばかりに頷く。他の巫女なら秀員が用件を伝えない可能性も、逆に邪魔される恐れもあったが、太陽大神殿の秀員を確りとまとめられているイヴなら、その心配はないだろう。
連絡手段のことはとりあえずこのまま進めるとして、問題はもう一つ残っている。エルザは眉間に皺を寄せたままレオを見つめた。
「問題は魔城の位置なんだよね。レオは何処にあるか知らないの?」
「……知らないな。アレは勝手に動いて位置を変えていて、俺達は城の中に転送されるだけだからな。規則性もない」
腕組みをして考えてみるがやはり思い至らなかったらしい、レオは首を左右に振りながら答えた。しかし、分からないのは現在地であって、捜すための手段が無いわけではないという。
「闇雲にじゃない探し方なら二つある。一つは抜け道を見つけること。ただ、これも魔城と同じく固定した時に出来るからな、今どこにあるかは分からない。それともう一つは霧も届かない空から捜すことだ」
魔城のある地方が霧に包まれているとは言え、空高く無限に続くわけでは無い。
しかし、あの霧を経験したエルザからすれば、かなり濃く簡単に見通せる霧でないことは分かる。なので、懐疑的にレオに問いかけた。
「上からなら城が見えるの?」
「いや、それは無理だろう。ただ、魔城はあの霧を発生させる巨大な魔道具でもある」
「なるほど、他よりも霧の濃い場所か、霧が流れてくる本元に城があるという事ですか」
サラサは納得がいったように頷くが、これも問題がある。
巫女パーティーに一人は魔法が得意な人が居て、空を飛ぶ魔法は扱うことが出来る。四方から捜せば接触も捜索も楽になるだろう。ただし、飛翔することは魔者にも出来る。しかも人間よりも容易に。
「つまり一人で飛んだら狙い撃ちされるかもしれないってことだよね。リュリュは嫌だよ」
「おっ、怖いのか」
「あのね、空中で自由に動きながら戦うのって大変なの。出来もしない木偶の坊に言っても意味が無いだろうけどさ」
毒を吐きあう二人を他所に、珍しく真剣な様子でイヴが眉を顰める。彼女も余り良い手が思いつかないのだろう。
「霧が流れてるってことは風が吹いてるってことだ。風上を調べて進む魔法ならアタシが使えるけど、周辺ともなれば霧が舞ってる状態だろうしねぇ」
「他の巫女様方とも相談するべきですね」
やはり今一番するべきことは、連絡を取るということに落ち着いた。
そして、会話が途切れるとそれを待っていたのか、エルザが気合を入れるようにふっと息を吐き出して、真剣な眼差しでイヴに話しかけた。
「ところでイヴさんにお願いがあって、私の秘密をマリアには黙っておいてくれませんか」
「ん、何でだ?」
「私が直接会って話したいからです」
強い眼差しを向けられ、イヴは密かにエルザの評価を上げた。出会ってまだ数日も経っていないが、最初はレオの話に動揺していて、立ち直ってからは気楽に過ごしていたので、評価を修正するほどではなかったとも言える。
イヴはエルザの真意を探る時間を稼ぐためか、空のグラスにワインを注ぐ。
「ふーん、まぁ良いぜ。別に言うつもりも無かったしな」
そして、特に悩む振りも見せずに素直に受け入れた。
元々レオとの約束もあって、イヴは本当に言うつもりは無かったが、もしかしたら『面白い奴を伝言役に――』などと言って、意図せず話していた可能性もある。それを考えれば、釘を刺しておいて正解だったのかもしれない。
エルザがイヴにお願いをしたついで、という訳ではないだろうが、同じ頃にレオがサラサに一つの相談を持ちかけていた。
「それなら俺もサラサさんに頼みがあるんですが」
「私にですか?」
「はい、精霊魔法を使えるとは言え、俺のはただ精霊の好意で力を貸してもらってるだけです。なので、精霊との結び付きを強くする為に、サラサさんから橋渡しをお願いしたいんです」
レオのは前世で見た記憶のある精霊の姿を、普通の人よりより強く想像できるので、それに興味を持った精霊が願いを聞いているだけである。なので、マナビトであるサラサにあっさりと操作権を奪われてしまった。
そう、レオのお願いは自身の強化もそうだが、サラサ対策でもあるのだ。だからこそ、イヴが話している最中に切り出したのである。
サラサは考え込むように少し俯く。と、やおら面を上げた。
「……イヴ様お話は終わりましたでしょうか」
そして、イヴに話しかける。サラサもレオの思惑に気付き、考える素振りを見せながら時間を稼ぎ、主であるイヴに許可を貰おうとしたのだ。サラサ対策ということは、もし敵対した場合イヴにとって有利な手を失うことになるからである。
思惑通りに進まなかったレオだが、こちらは別にイヴに話がいっても問題なかった。もちろん、相談無しに許可してもらえれば楽だったが、説得できるだけの材料はあるからだ。
「ケケケ、賢しいなぁレオ。ま、そういう奴は嫌いじゃないぜ」
サラサから話を聞いたイヴは楽しそうに、そしてレオの心を見透かすように笑う。
「良いさ、協力してやりな。これから先、魔者相手に戦ってもらうかもしれないんだ、手駒は少しでも優秀な方が良いんだろ」
「畏まりました。ではレオさん、詳しいことは後ほどにでも」
わざわざ説得する必要もなくイヴが許可を出し、それを受けてサラサもレオに身体を向け直して頼みを承諾する。レオとしても考えを読まれた事よりも、戦力を整えられる方が嬉しいので、素直に礼を告げるのだった。
そして、会話も一旦落ち着くと、ワインを瓶から直接がぶ飲みしていたモイセスが、口から瓶を離して二人に話しかけた。
「これから先といや、お前達はこの後どうするんだ」
「とりあえず、サンスクレイで告知された結果を待ちます。国内に居るのならそのまま会いに行って、居なければ何とか足を用意してそこまで移動ですかね」
また出費が嵩む、とレオは密かにため息をこぼす。ギルドでお金を稼いでも、旅を続ける限り貯まることなどないだろう。船などに乗って、世界を巡っているのだから当然と言えた。
そんなレオを目敏く見つけたイヴは、目蓋を軽く閉じて考えを廻らせる。
「そうか、二人とも学生って言ってたか……んじゃ、もし金が入用になったら、水晶を通じてウチの秀院が払うって確約させときな。立て替えておくよう言っておいてやるよ」
「……確かに今の状況で足止めを食らうのはキツイが、秀員に話を付けず勝手に決めて良いのか?」
「なーに、ジジイ共が蓄えている奴から吐き出させるだけさ」
ケケケと楽しそうにイヴが笑いながら言っているのは、四聖会へ送られてくる寄付金のことだろう。実質四聖会のトップである秀員はそれを自由に出来、彼らの懐に入っているという噂もある。
それを聞いた巫女の反応は、マリアとバネッサは不愉快に感じ、メーリとイヴはそれほど気にしてないと二つに分かれていた。この違いは潔癖かどうかというよりも、世間を知っているかどうかという違いだろう。
「サンスクレイから転移装置でディベニアに跳べば、お金は掛かるけどスターシナトで世界中に跳べるからね。まあ、ここは素直に受け取っておくよ」
転移装置を使うにしても、船に乗って移動するにしてもお金は掛かる。エルザはレオと確認した後、イヴの提案を受け入れる事にしたのだった。
◇
二日後、砂船はサンスクレイ方面にある村の近くにまでやってきていた。レオとエルザはこの村近くで降りることになっており、当面の食料と水を渡される予定である。
そしてこの数日で得られたのは船員からの信頼だけでなく、ここ数日で集まったエルザの問いかけに対する、世界中からの返事も集まっていたのだった。
「お前ら、もうちょいしたら下船の準備を進めときなよ」
ノックと共に入ってきたのはイヴと、コーヒーや菓子の乗った台車を押すサラサだった。そして二人の向かう机に飲み物とお菓子を置く。
「どうだ、何か良い情報はあったかい」
「今はまだ何とも言えないな。色々な反応が来ていることだけは確かだが」
「ケケケ、推測っていう無駄で邪魔な情報のことかい。っと、善意の通報者に使う言葉じゃなかったかねぇ」
最後に疑問を呈しているとは言え、本人は悪いとは思っていないのだろう。しかし、イヴの言う事にも一理あった。
四聖会によって全世界規模で行われた情報収集は、レオの言う通り色々な反応があった。ただ、応えたのが元巫女本人達だけでなく、『鳥を三羽見た』というだけなど普通に考えて違うと分かる情報も寄せられていたのだ。
もちろん巫女の影響力を考えれば、寄せられる情報は少ない数だが、それを精査する人からすれば多い量である。
「これを調べるのはアンタにしか無理だろうからな」
「頑張れよ」
「うぅ~」
精査するのは当然エルザである。寄せられた情報の書かれた紙が束になって机に置かれ、エルザは身体を机に預けて両腕を伸ばしながら情報を見ている。
ここは元々書類作業をする為の部屋なのか、幾つかの机が向かい合ってくっ付いており、それ以外は特に何も無い部屋である。
この場に居るのは精査するエルザ、寄せられた情報の録音を聞きながら紙に書き起こすレオ、様子を見に来たイヴとサラサだけである。リュリュはプールで泳いでいて、モイセスは小腹が空いたので何か摘みに向かったらしい。
イヴはエルザの肩越しに、机の上と手に持った書類を覗き込む。
「それで何かそれらしい情報はあったのかい」
「うーん、今のところ無いかな。ほらこれって情報が来た順に書き起こしてるでしょ。多分みんな数日は考えるんじゃないかなーって」
「それにこんな数日じゃ、人の出入りの少ない山村も直ぐにとはいかないだろうからな」
エルザの前の机で作業をしているレオも、彼女と同じく疲れる作業。大きく伸びをしながら、サラサが運んできたコーヒーで喉を潤す。
現在の余り進んでいない状況の分かったイヴは、詰まらなそうに気の無い返事をすると部屋から出て行ってしまう。もちろん、彼女に追従しているサラサもだ。こうして部屋に残ったのは、再びレオとエルザだけになった。
「とりあえず書き起こすのはここまでか。イヴの言う通り下船の準備もしないとな」
「うー、じゃあレオ今度はこっちを手伝ってー。残った紙束を持って船を降りる訳にもいかないんだしさ」
そう言って残った紙束の半分をレオの机にスススッと押し出すが、レオは飲んでいたコーヒーカップを侵攻の邪魔をするように置く。
「お前な……俺が読んでも意味ないだろ」
「そんな事無いよ。ほらこれ何か、『当家は古来より聖なる――で我が三兄弟は実に――名は――』って、どう見ても貴族が名前を覚えてもらおうってだけじゃん。レオも書き起こす時に気付いてたでしょっ」
レオに渡すはずだった束の一番上を手にとって見てみれば、そこに並べられた言葉は暗号を無理やり当てはめているだけのような物。合っているのは、鳥捜しという口実の人捜しというだけだった。
だが、レオとしても言い分はある。熱く詰め寄るエルザの額に手を当てて、冷静に押し返して椅子に座らせる。
「まぁ、違うだろうなとは思ったが、お前達だけで伝わる暗号かもしれないだろ」
「うぐっ」
確かにその可能性を否定しきれない以上、エルザは言葉を詰まらせるしかない。
しかし、言いたい事はあるのか、レオに渡す予定だった束の上から何枚か斜め読みをして、例となりそうな物を見つけて読み上げる。
「暗号にするにしても、こんな回りくどいことは言わないよ。ほらこの『三羽は存じませんが、二つの枷を填めていた青い鳥のことなら……ってこれッ」
思わず叫んで椅子を押し倒して立ち上がると、今読んでいた紙を強く握り締めて、穴が開きそうなほど強く見つめる。その様子だけで察しの付いたレオはカップを再び取って口に当てながら尋ねた。
「当たりか?」
「……多分。連絡先もレオが言ってたサンスクレイ王国だし」
何度も文を読み返し、想定している人物の口調なども考えたのだろう。閉じていた目蓋を開けて、ようやく頷く。
レオのサンスクレイ王国に跳んだという情報は、それだけでは手掛かりとも呼べない小さな物だったが、この相手が巫女の一人だとするのなら、砂船で無駄なく移動出来た有益な情報となる。
当然、情報提供者の一人であるレオとしては、そちらの方が嬉しいだろう。エルザに心当たりのある人物を尋ねた。
「まあ、今は名前も顔も違うだろうけど、ヴィルヘルミーナ・メティー・ハメーンニエミ。人の枠を越える程の巨大な魔力を持った大海の巫女で、私達のリーダーだった女性だよ」
エルザは手に持った紙を見つめながら、嬉しそうに笑う。気心の知れた仲間との再会の時は近い。