第八十六話
無事イヴ達と出会うことの出来たレオとエルザは、マリアの依頼である魔王討伐の協力を取り付けようとしたのだが、呆気なくイヴに断られてしまった。
しかも、その会話の最中に、レオが元魔王であると知られてしまう。イヴはそれを世間に公表しない代わりに、レオの知っていることを話させようとしたのだった。
「魔王は……魔者たちの王なんかじゃない。本来はただの掃除係だ」
開口一番、出てきた言葉から突っ込みどころがあったものの、誰も話しの腰を折ることはしなかった。レオは懐を漁って、何の変哲も無い一枚のコインを取り出す。
「そもそもの始まりは、人間界と天界、魔界の位置関係だった。次元やら空間なんかは置いておくとして、例えるならコインの表が天界、裏が魔界だ。じゃあ人間界はどこだと思う?」
親指と中指でコインの縁を挟むと、表と裏を全員に見えるよう引っくり返した。視線はコインに集まり、その中でエルザが一ヶ所を指差す。
「表でも裏でもないなら、縁ってこと?」
エルザが指し示したのは表でも裏でもない、今レオが触れているギザギザの入っている部分。レオは正解だ、と頷く。
「そして、それぞれがコインの中心を下にして生活してる訳だ。宙に浮く物コインから離れて、地面に落ちる物は下に流れる。つまり人間界に天界と魔界から、とある物質が流れ落ちてきてるわけだ。その両方から押さえられ、人間界のはそのままでな」
「おーお、三界の掃き溜めってわけか」
茶化すようにイヴが笑いながら水を飲む。真剣に話を聞くような態度ではないが、レオを見る目は笑っておらず、時折考えを巡らせるように目蓋を閉じていた。
「これが集まると、生き物の心身にも自然にも良くない事が分かってな。それをどうにか処理する必要があった。コインの縁が削れていけば、それは表と裏も削れることだからな」
以前、邪教徒であるミレイユが魔神の存在をエルザに話し、それを彼女から尋ねられた時、レオは一瞬の空白の後で否定した。それは事実である。魔神という存在は居ない。
だが、魔神ではないにしろ、人の心に悪影響を与える物質は有ったのだ。
レオはコインの表を上にして机に置く。普通ならそこに描かれた図柄を見るのだろうが、今視線が集中するのは見難いギザギザの縁の部分。
「んで、魔王はそれを掃除するってわけか」
「でもさ、それなら最初っから人間に教えておけば良いじゃない」
エルザの指摘はもっともな事である。当然、レオはその事を尋ねられるだろうと分かっていて、直ぐに答えようと一度口を開きかけたが、一旦閉じると水で喉を潤してから話を続けた。
「実は最初に伝えて有る。人間界の王達を呼び集めてな」
ざわめきが起こる、主にエルザとモイセスの二人だけだが。そんな事実があるのなら、もっと世間に知られていても良い筈。ところが、それをこの場に居る全員が聞いたことがなかったのである。
ただし、驚きもせずいつもの軽薄そうな表情を引っ込めたイヴには、少なからず心当たりがあるようだ。
「大老賢者ヒューズ」
正面からレオを射抜く視線は、ほとんど確信めいた物を持っているように感じる。
大老賢者ヒューズ。女神が降臨するよりも前の時代の人間であり、魔王襲来と女神降臨を予言したとして、非常に有名な人物である。
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世界を絶望の色が染め上げし時
遠方より来たりしモノたち
姿形ヒトと違えど、恐れること怯えることなかれ
彼らこそ神の使わした最後の希望なり
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学校に通えば誰もが一度は習う文章で、しかも短く低学年のテスト問題には、必ずと言っていいほど使われることが多い。なので、誰の脳裏にも直ぐに予言の文章は浮かんだ。
「そう、あれがメモの走り書きなのか、後々予言に見えるように翻訳されたのかは知らないが、『遠方より来たりしモノたち』ってのは魔王とその配下のことだ」
「それで数千年だっけ。は普通に掃除してたけど、本当に人間界を滅ぼそうとした第一魔王アデスが現れたってことか」
数千年も経てば滅びる国もあれば、書類も多くは残っていないだろう。全ては忘れられた歴史。後の世で好きなように語られ、受け止められる。
ただし、それは人間界だけの話でしかない。魔王を送り続ける以上、魔界と天界はその重要性が分かっているのだ。
「じゃあアデスが暴れた後で、もう一回伝えれば良かったんじゃない?」
「一応魔界と天界でも対策は練ったが、再びバカをやらかす奴が出た場合、無害な存在だと伝えて無防備にやられる位なら、危険な存在だと認識してくれていた方がいいとなってな」
それ以外にも理由はあるが、それを伝える前にエルザが身を乗り出す。
魔王が王でない以上、女神も神ではない。そんな嫌な考えが頭を過ぎったエルザは、それを否定したいが為にレオに問いかける。
「ちょっと待ってっ、じゃあ女神様は何になるの」
嫌な予感が当たらないようにと、表情を歪めてレオを見つめるエルザは、至って普通の女の子である。見た目も考え方も常識も……。
いや、むしろ大師聖母に見込まれ、共に生活をしながら鍛えられたからこそ、女神と巫女の役割や責務が染み付いているのかもしれない。一度死んで魔王の脅威を知りながら、再び巫女の旅に同行しようとする位なのだから。
レオもそれを分かっているからこそ、この話をする前にエルザにも確認を取ったのだ。
「俺も生まれる前のことだったから詳しくは知らないが、天界の将軍だったらしい。特定の条件下で天界から人間界に行く方法があるらしく、一定の強さが無いと危険な方法で、あの四人が選ばれたそうだ。俺が知る限り、その内の一人は寿命で亡くなられた」
「それじゃあ、巫女は……」
エルザはショックを隠しきれないようで、力なく背もたれに寄り掛かった。今までの常識が根底から覆された気持ちなのだ。
「んじゃ、魔王も危険を冒して人間界に来てるってのか」
対してイヴは、表面上は全くショックを受けていないように見える。知り合って間もないが、巫女という大役よりも色々と知れる立場になりたかったのだろう、とレオは感じていた。
そして、今はその冷静さが有り難かった。
「いや……その前にエルザ、女神様が降臨して今年で何年か分かるか?」
ショックで少し惚けているエルザを現実に引き戻す為、レオが少し挑発するように簡単な問題を出す。その思惑通り、エルザは不服そうに即座に答えてみせた。
「馬鹿にしないでよね、二六八七年でしょ。降臨した年を元年にしてるんだから、それ位分かるわよ」
以前、ソフィアの付き添いで行ったギニワール帝国のオークション会場。そこで見つけた『女神様降臨二千五百年記念コイン』に、マリア達巫女のサインを貰って付ければ、もっと値段が上がるのでは、と考えていた事をエルザは思い出す。
「今回の魔王は何代目だ?」
「七代目だろ、俺のラッキーナンバーだぜ」
「あぁ、あの邪教徒が言ってる、魔王の力が強くなってるって奴ね」
魔王が襲来する周期は二百年に一度とされる。だが、今の年から割ってみると、その数は約十三。つまり今よりも六人ほど少ないのだ。
昔、それこそ第一、第二の間はかなり開いており、二百年周期と言われるようになったのは、ここ千年ほどのことである。そこでリュリュの言うとおり、邪教徒が『魔王の力が強くなっている』と言っていると広まっていったのだ。
「魔王の役割を再び教えなかったのも、暴れない限り人間に気付かれることは無いと思ったからだ。魔道具で霧を生み出し、視界も魔法も使えなくしたからな。だが、想定していなかった物が造られた」
「やっぱエーデルの塔だな」
以前から同じような推測をしていたのだろう、レオの言葉に即座に反応してイヴが呟く。そしてそれは正しかった。
レオは彼女の性格からか、浮かんだ警戒を面に出さないように、微かに目を開いて驚いて見せる。ただ、これは完全な偽装という訳でもなく、驚きを感じたのも事実だった。
「……気付いていたのか」
「バカか女神信者でも無い限り気付くだろ。あれが何かの数値計って、その量が減ると魔王襲来だって神殿や世界中に伝えてんだぜ」
話を聞いている他の面子も、サラサ以外は一様に驚いていた。もっとも人によって驚く度合いは違い、リュリュとモイセスは水を飲みながら大道芸を見ている程度で、エルザは強くレオを見つめている。
「シプラス。あの天才エーデルの発見した粒子こそが、魔界天界人間界に溜まる物だ。それを消費することで魔王は人間界に行ける。もちろん、身体にかなりの負担は掛かるから、しばらく休んで今度は時間をかけてシプラスを掃除するって感じだな」
そして今は魔王が休んでいる最中だろうとも。
説明がそこで一旦止まると、誰もが疑問に思っていたことをリュリュが尋ねる。
「でもさ、エーデルの塔が出来てからも、魔王は現れて倒されてたよね。死ぬことも覚悟してたの?」
「いや……それ以降は発動させれば消滅したように姿を消し、魔城の転移装置の場所へと移動する魔道具を持たせることにした。後はそのまま帰還という流れだ」
レオが微かに言葉に詰まらせて言い難そうな内容は、エーデルの塔が建造された以降、魔王や側近達が負けた振りをしていたということである。
この話をきいて、一人の少女がピクリと肩を震わせる。顔を俯かせ、膝の上で強く手を握り締めた少女はエルザ。何かを押し殺したように淡々と口を開く。
「……レオは?」
「それは、戦った巫女が強くてな。手を抜けば本当に殺されそうだったんで、本気で戦ったんだが、結局相打ちに持っていかれたんだよ」
それに答えたレオも、負けたことへの苛立ちや不本意な悔しさなどは感じられず、エルザと同じように淡々と話していく。だが、何かを押さえ込む彼女とは違い落ち着いた様子である。
凪いでいるのが気に食わないのか、己の不快を周囲に知らせるように、奥歯を強く噛み締める音が辺りに響く。
「なっ、によそれッ。私達がもっと弱かったらワザと負けてやって、レオも私達も死なずに済んだって言うのッ」
エルザは椅子から立ち上がり、机を壊さんばかりの勢いで両手を叩きつけて激昂する。
人を護る為に必死に修行した、人を護る為に戦った、人を護る為に魔王を道連れにした……巫女であることに疲れてもいたが。それらが全ては茶番であったと知れば、怒りに身体を震わせるのも当然だろう。
そして、隣に座るレオに今にも襲い掛かりそうな勢いで詰め寄る。
「ふざけんじゃないわよ。私達がどれだけ苦しい思いをして――」
レオもエルザが怒るだろうということは、この話をすると決めた最初から分かっていたので、鋭く睨みつけられても怯むことはない。
ただ、焦りはあった。エルザがイヴ達の前だと言うのに、巫女であったと推測出来そうな言葉を並べたということに。
「へぇー。ま、そいつもアタシにゃどうでもいい事だけどね」
案の定、イヴはその事実に行き当たる。
エルザは自らの迂闊さに舌打ちをすると、不貞腐れたようにそっぽを向いて椅子に腰を落とした。
「なるほど、今まで襲う振りだった魔王が、今回は本当に襲ってきた数少ない事例かもしれないという事ですね」
「そう、これで俺が不味いと思った理由は分かっただろ。ただ、事情を知らなきゃ今まで通り、魔王を討伐しようとすることは何も変わらないからな。聞いても意味がないと言ったんだ」
話し終えたレオは背もたれに背中を預け、話を進めてくれたサラサに感謝をしつつ、一つ息を吐き出して目蓋を閉じる。今レオが考えることは多い。元魔王だと知られたことや魔王の対処、これからの自分たちの行動。そして、荒れ狂う空気を内包するエルザへの対応。
そんなレオに話しかけたイヴもまた、赤銅色の天上を見つめながら考えを巡らせていた。
「そうでもないさ。少なくともアタシは、最近の魔王のやり方を疑ってたからな」
真顔で腕組みをしているイヴは、実のところ魔王の在り方に疑問を感じていたのである。人間を滅ぼすにしろ世界を征服するにしろ、本気でやる気があるのかと。
それがエルザを激昂させた、「魔王を放っておけば」という発言に繋がるのだ。放っておいて、本当に動きがあるのか見ておいてもいいと思ったのである。
「まあ、面白い仮説だったぜ。後は魔王にでも直接聞ければもっと分かるだろ」
頭の後ろで手を組んで、背もたれに寄り掛かるイヴは、レオの話を完全に信じてはいなかった。それは自分で確かめなければ、信じるつもりがないからである。
ただ、自分の仮説を裏付けするような話だったので、好意的なのかもしれない。イヴは笑みを浮かべてレオに話しかけた。何かを企むような笑みではあるが。
「今回の件の礼として条件を一つ受けるんなら、一緒に戦わないことを前提に、アマちゃんからの依頼を受けてやっても良いぜ」
「……その条件は?」
イヴが出そうとする条件を、レオはあえて予想することはしなかった。彼女の性格からすれば、知っていること全てを話せや、魔界の魔道具を作れなど、どんな無理難題でも言いそうだからだ。
この件に関しては不機嫌なエルザも意識を割く。
「なーに、簡単なことさ。アンタら、レオとエルザだっけか? が、ちょいっと戦い合うのを見せて欲しいのさ」
つまりイヴの条件は二人の模擬戦なのだ。お金も時間もそれほど掛からず、レオが予想していた程の無理難題ではない。だからと言って乗り気で受けるかと言えばそうではなく、特に今のエルザは心理状態が良くなかった。
「元魔王と誰かは知らないけど、元巫女様の戦いに興味があってねぇ。それにアンタもぶん殴りたいって思ってるだろ、ソイツの事をさ」
エルザがチラリとレオに視線を送る。いつもは表情のよく変わるエルザだが、今は入り組んだ感情を消すような無表情。エルザの視線を感じレオもそちらを見るが、視線を逸らされてしまう。
「それでイヴさんが、マリアの依頼を受けるってんなら戦うよ、私は」
「……分かった戦おう。ただ、期待されても俺は弱いぞ。エルザとやっても善戦出来れば良い方だろう」
声を跳ね上げる訳ではないが、押し殺した感情の中にもやる気の見えるエルザは提案を受け入れる。それとは対称的に、レオはため息をこぼして嫌々ながら受け入れた。策を使うタイプのレオは、観察しようとするイヴの前で戦うのが嫌なのだ。
「ん、サラサ本当か?」
「はい」
イヴ程の実力者ならばレオの実力も分かるだろうに、なぜか隣に座るサラサに話しかけて確認を取ると、一瞬の迷いも無く肯定を示すようにサラサは頷いた。
だが、逆にイヴは訝しげに眉を顰める。
「なら、何でお前は反応したんだ」
その言葉を聞いても、レオとエルザは何のことか分からない。二人が接近したのを止めようと立ち塞がっただけならば、当然のことだと思ったからだ。
今までイヴの言葉に、即答と言っていいほどに反応していたサラサからすると、一瞬の間はかなりの長さなのだろう。サラサは何も言わずにイヴに顔を向けるが、目蓋は閉じられたまま。しかし、それでもイヴの表情を読み取れたのか、直ぐに口を開く。
「その少年が普通の人よりも、風の精霊に懐かれているようでしたので――」
精霊に懐かれると分かっただけで、サラサが特殊な人物である事が証明される。
レオは目を微かに見開いて彼女とその周囲を探り、エルザも怒りと悲しみを忘れそうになるほど驚いた。それだけ彼女は、魔闘士や符術師などと比べ物にならないほど、希少な存在。
サラサは顔の向きをイヴからレオに移し、今まで閉じられていた目蓋を開く。
「同類かと思いました」
開かれた目蓋の下にあったのは、本来白いはずの部分が黒い目。瞳は中央に茶色、その周りを囲うように緑、青、赤の輪が連なり、一般的な瞳の大きさになっている。それは精霊を見ることが出来ると噂される魔眼。
しかし、サラサはそれだけではない。目蓋を閉じていても、レオと精霊の関係に気付いた彼女は、精霊に愛された『マナビト』である。
おそらくレオとエルザの会話が聞こえていたのは、サラサが精霊を通じて聞いていたのだろう。そして、イヴの祈りが通じて砂漠に雨が降ったのも、サラサが頼めば火の精霊は大人しくなり、水の精霊は張り切るのだから不可能ではない。
「あぁ、元魔王とか言ってたし、そこら辺でアタシらにゃ見えない精霊の姿を詳細に想像出来るのか……レオ、アンタ精霊を使ってるね」
自身の考察を自慢する様子もなければ、問い詰めている訳でもない。ただ、淡々と事実を確認するようにイヴが話しかけた。
戦う前から手の内が透けていく。レオにとってはかなりの痛手であり、好ましく無い状況である。
確かにイヴが指摘した通り、レオは精霊を使っている。それこそがレオの奥の手であるシルフィンス。オリジナル魔法だとエルザには説明していたが、実際は精霊に頼んで力を貸してもらう精霊魔法なのだ。
しかし、マナビトでもないレオに手を貸すのは、精霊の好奇心と微かな好意によるもの。以前、ミレイユの使役したサジャとの戦いで、シルフィンスが発動しなかったのも、土属性のサジャが猛威を振るう場所に風の精霊が近付きたがらなかったからである。
「サラサ以外が精霊を使うのを見たこと無いから、そいつも一つ使ってくれ」
「……レオ」
エルザもシルフィンスを使った所を見たことはあるが、精霊魔法だと聞いたことがなく、使った場面もそんなに多くないので、レオにとって奥の手だろうということは理解していた。そして、それを余り見せたくないという心情も。
今のレオに対し複雑な感情を抱くエルザだが、長い付き合いで彼の戦い方は良く分かっているのだ。
「分かった受けよう。ただ、余り多くの人に見られたくはない」
だが、この場で受けないと言えるはずも無く、渋々というほどではないが、模擬戦でシルフィンスを使うことをレオは承知した。それが分かった瞬間、ニヤリと笑ったイヴは立ち上がり、サラサに指示を出す。
「よし、囲いを作ってやりな。船の連中から見えない奴をなっ」
「はっ。『椅子以外を砂に戻して別の場所に落として、私達には落とさないように』」
再び誰にも聞こえないようにサラサが呟くと、エルザが強く叩いても壊れなかった砂の机や壁が、何の変哲も無い砂へと戻って上空に巻き上げられていく。
急に現れた強い日差しに、全員が眩しそうに目を細める。
「『砂で壁を作って、高く大きく分厚い壁。向こうの船から見えないように、十分戦える広さで私達を囲いなさい。それと、壁の中程に私達が観戦出来る場所とそこに続く階段も。ここはあの二人の決闘場よ』」
普通の詠唱とは異なり、サラサのそれはただの言葉だった。しかし、それに精霊が応えようとするからこそ、マナビトは彼らに愛されていると言われるのだ。
地中から砂が湧き出るように盛り上がり、周囲からの視界を遮る円い壁となる。しかもそれだけではなく、サラサが決闘場と言ったからなのか、赤銅色の壁だけだとつまらないと精霊が思ったのか、壁の上部には飾りとして複雑な文様が内にも外にも施されていた。
壁の中ほどには、イヴ達が観戦する為に張り出た台があり、そこに向かう階段が壁伝いに長々と続いている。
「結構広いな」
全員が居る場所が決闘場の中央ではなく、階段が目の前にある壁際だったのは、壁の外にある遺跡を配慮したのかイヴの為なのか。レオが見渡せば、向こうの壁まで百メートル以上はあり、戦うのに不便ということは無いだろう。
「物見台もあって、いい決闘場じゃないか。下は砂地のままで足を取られそうだが、そいつもこの場所ならではって感じか」
感心して頷くモイセスだが、サラサも精霊もそこまで考えていなかっただけである。まあ、闘技場としてではなく、決闘場として壁を創っただけなので、当然と言えば当然の話だった。
「んじゃ、アタシらは上で見物させてもらうよ。せいぜい、納得いくまでやり合いな」
気を利かせて、とでも言いたげに言葉を付け足すが、ケケケと漏れ聞こえる楽しそうな笑い声が、全てを台無しにしてしまっていた。イヴは他の面子を引き連れて階段を上っていき、レオとエルザの二人が残される。
エルザは一人で決闘場の中央へと向かい、話しかけられるのを拒否している背中をレオも追う。二人による幾度目かの戦いが始まろうとしていた。