第八十一話
カカイ王国が聖王国アゼラウィルに対して、宣戦布告をしたという事実は直ぐに世界中を駆け巡った。ライナスの言う事を全て信じるわけではないが、上げられた証拠の数々で完全に否定しきることは難しかった。
他国ではさまざまな憶測が飛び交い、真実が何であるかを予想して楽しむ人達も少なからず存在していた。
そんな中、カカイで行われるアゼラウィルに対する作戦会議。それが開かれたのは、ライナスが世界中に向けて演説を行った翌日。つまり斬りつけられた次の日には、攻め込むことがほぼ決まっていたのである。
当然、参加する面々も自国の王が暗殺されかけたのだから、殺気立って攻め込むことを期待しているのだろう。しかし、中には早急とも思える決断に、少なからずの疑問を覚える人たちもいた。
「皆、よく集まってくれた。俺は演説で述べた通り、神聖樹を聖王国に任せることは出来ないと考えている。ただ、あの国が素直に引き渡しに応えるとも思わぬ」
ライナスはそこで言葉を区切り、無言でゆっくりと集まった面々を見渡す。
斬りつけられた左腕は白い包帯が巻かれ、余り動かないよう首から吊られていることからも、完全には回復しきっていない。それというのも、後処理があるからということで、激痛を発するほどの回復薬を使わないよう指示したからだ。
その為、動かすとまだ痛みが走り、苦痛で表情を顰めることもある。それでも強い決意の眼差しを向けられた者は、表情を引き締めて次に出てくるであろう言葉を想像し、思わず唾を飲み込む。
「故に神聖樹確保のため、聖王国に対し戦争を仕掛ける」
予想出来たことであり、ざわめきも起こらず静まった部屋の中にライナスの声が消えていく。だが、次のライナスの言葉は予想出来るはずもなく、文武官や交反戦派など関係なく一様に驚きを見せ、次々と反対する意見を述べるのだった。
「今回の第一陣は俺が率いる」
「な、何を仰られますか、王自らなど危険です」
「ライナス様に万が一のことが起きましたらっ」
自らの意見を反対されても、ライナスは笑うだけだった。ただし、自信有り気にでもなければ、笑い飛ばすのでも鼻で笑うのでもない。どこか陰のある、疲れたような笑みを一瞬だけ見せた。
「どんなに言葉で言い包めようとも、侵略行為など世間に非難されるような行いだ。兵達も気後れしてしまうやもしれん」
そしてそれを直ぐに引っ込めると、それまで態度を一変させニヤリと自信あり気に、部屋中の面々に向かって笑って見せた。
「だからこそ俺自ら先頭に立ち、兵達を鼓舞せねばなるまい」
瞬間、ぶわりとライナスから風が吹き抜けるような感覚を、会議の参加者ほとんどが感じていた。
以前、クスタヴィが感じたのと同じように、ライナスから威を感じているのだ。もちろん威を感じ方は様々。息を詰まらせる者、頼もしく感じる者、恐れる者、何も感じない者など。
「それに俺が死んだところで、王位はノアが継げば良かろう」
ノアはライナスと派閥争いをしている前王の子、つまりライナスにとっては甥に当たる。
元々、ライナスは幼いノアに代わって王位に就いているので、王位に関しては何の問題も無い。しかし、ライナスはノアに近しい人物を遠ざけている節があり、今の発言には微かなざわめきが起こった。
「そのような不吉な事は仰らないで下さいっ」
しかもそれが、ライナス側の派閥に属している者なら尚更である。ライナス派の一人が慌てて椅子から立ち上がり、先ほどの発言を諌めた。
「ふっ、冗談だ。暗殺などという薄汚い手段を用いてくる国に、俺が殺される訳なかろう」
周囲を安心させるように、大きな笑い声を上げる。
「まあ、そうならぬよう第一陣には、俺の直属と二つの軍団を配置する」
カカイ騎士団の軍団は全部で四つ。また、ライナスの直属ということは、王都を守護する任務を請け負っており、それを動かすということに再び部屋にざわめきが起こる。
だが、そんな喧騒すらも静寂に思わせるほど声を上げたのは、会議に参加している四人の軍団長。彼らからすれば、第一陣に選ばれれば王の盾となり矛となり戦える。その誉れを自分の団こそがと主張したのだ。
「その大役、是非私奴にお任せ下さいっ」
「いえっ、自分に」
「私こそがっ」
「私も」
団長達は名誉ある職を拝命しようと、椅子から立ち上がり次々と名乗りを上げていく。それは名誉や権力を求めてもあるが、王であるライナスに危険が及ぶ可能性が高く、彼だけを矢面に立たせたくなかったからでもあった。
団長一人一人に視線を送ったライナスは、最初から決めていた一人ともう一人に視線を止めた。
「そうだな、クスタヴィともう一人は……ミドガも準備を進めろ」
「はっ、ありがとうございます」
ライナスに指名されたのは、中肉中背でやや腕の長い男。銀色の前髪を後ろに上げて額を晒し、薄グレーの瞳を持つ細長い目は鋭く釣りあがっていた。
彼は第二軍団の団長であるミドガ・ポート。指名を受けても興奮の色を出さない程無表情で、言葉を発する以外で頬はピクリとも動いていない。
「俺と直属に第一、第二軍団が第一陣、第二陣は第三、第四軍団に任せる」
「恐れながら陛下、神聖樹には周りを囲う巨大な防壁が立ち塞がっております。唯一の入り口がある門は聖王国側のみ。ここは全軍を率いて門の奪取に向かうべきではありませんか?」
そういった声を上げたのは、戦いと縁遠い役職に就く大臣。確かに一理ある問題である。しかし、ライナスはその案を好しとはしなかった。
「確かに全軍を率いたくはあるが、今回は何よりも速さが必要なのだ。神聖樹の周囲は軍を駐留するのには向いておらず、少ない人数の交代制。相手が守りを固める前に門を落とした方が得策であろう」
ライナスは周りからも分かるように団長へ視線を投げかけ、団長たちも同じ考えだと頷いて見せた。
国力では聖王国の方が上であり、軍備だけで見ても最近補強をしただけのカカイとは、比べ物にすらならない。時間を掛けて聖王国の準備が整っては不味いのだ。
「だから私の軍なのですね」
「あぁ、第二軍団は来週演習を予定していただろう。他よりも準備は整っているはずだ」
カカイでは各団ごとに編成の違いは無いので、ライナスからすればクスタヴィ以外はどの団でも良かった。なので、準備の整っている第二軍団を選んだのである。
「他に何か意見のある者は」
ライナスが意見を求める。しかし、何か言いたそうにしている者もいるが、結局は口を開くことは無かった。それは脳裏に過ぎったのが、口に出すのも失礼な内容だったからである。
もちろん、ライナスもその事は思いついていた。なので、自分から言うことにしたのだ。
「そうか、ならば俺からだ。第二陣は攻城戦用の装備、俺達が攻めあぐねているようだったら、防壁を越えて門を目指せ」
戦略が分かる者なら思い浮かぶだろう。高い壁だが乗り越えて門へと向かえば、敵を挟み撃ちに出来るのだ。
ただ、それを口にするのを躊躇った理由は当然、門の前で戦うライナスの役割のこと。
「そんなっ、それでは王を囮にするようなものですぞ」
「はっ、この俺が囮になぞなるものか。門など簡単に打ち破るだろうが、それと上手く行かない時を考えぬのとでは別の話しであろう」
囮とは危険で損な役回りであり、ライナスとて最初からその役割を演じる気は無い。結果的にそうなってしまったのならそれだけのこと、と割り切っているのだ。
そして「他に何かないか」と別の意見を求めると、初老の男性が恐る恐る発言の許可を求めて口を開いた。
「やはり陛下が第二陣を率いるというのは――」
「無論、有り得ぬ。他に何か異論がなければ、細部を詰めてもらうが……」
しかし、話を最後まで聞くことなく打ち切った。そこは譲らぬという意味か、非常に淡々とした口調である。それが余計にライナスの揺るがぬ決意を伝えたのだろう、皆口を閉じて異論が出ることはなかった。
その沈黙の時間が熱気を生み、無意識に両拳を強く握り締める人達の視線がライナスに集中する中、力強く頷くと机を強く叩いてライナスは立ち上がる。
「これは我が国のみならず、世界の行く末すら変えかねない戦だ。各員の奮闘に期待する。では解散ッ」
返事は轟音。文武官関係なく雄叫びのような返事をし、ライナスが部屋を出て行くと力強く動き出すのだった。
◇◇◇
ライナスによる全世界に向けての演説。詳しい事情を知らなければ、さまざまな憶測を立てて楽しむのだろうが、当事者として指名されたアゼラウィルからすれば、面白くもなければ完全な濡れ衣でしかなかった。
「何だあの暴論はっ」
「不愉快極まりない」
大臣の引渡しを要求されて以来の緊急会議ではあるが、その時と重大性は比べ物にならないほど、感情が高まって露になっている。集まった全員、ライナスの根も葉もない言葉に怒りを覚えているのだ。
その中で外見上は比較的冷静に見える、アゼラウィルの王アンセルムが口を開く。
「皆、落ち着け。これから暗殺を仕出かした男の所属していた班長が、実際に起こった出来事を喋る」
密偵はライナスを襲った人だけではなく、他にも数名が一つの班として行動を共にしていたのだ。その中で班長を務めている男が、長方形の机でアンセルムと向かい合う場所に座っていた。彼に視線が一斉に集まる。
「では、昨夜報告したのと同じことをもう一度話すのだ」
「はい。ライナス王暗殺は失敗致しました。実行に移ったセゾは捉えられ、今回の件となりました。失敗の原因は――」
「待てッ」
淡々と説明をしていく男に対し、話を聞いていた中年の男性が我慢しきれず、声を荒げて椅子から立ち上がる。全体的に肉付きの悪く頬が痩せこけ、全体的に陰湿な雰囲気を漂わせていた。
話の途中で割って入った中年を、隣の席に座る人も周りの人も押し止めようとはしなかった。理由は幾つかある。
一つ目は班長の語る内容を確認したいのは、同じ気持ちだったということ。そしてもう一つは、立ち上がった男が諜報部隊の主任、つまり暗殺の指令を出した可能性のある男だったからだ。
「誰がその様なことをしろと命じたのだッ」
男は怒りで目と眉を吊り上げ、歯を剥き出すようにして怒鳴る。対して班長は目を大きく見開き、動揺と唖然とが入り混じり、目を白黒させていた。
しかし、両者ともにこれが演技の可能性もあるのだ。周囲の面々は、注意深く主任と班長を見つめている。
「何を仰られますっ。マイザス様が『我が国の敵であるライナス王を討て』と、命じられたのではありませんか」
「馬鹿な、私はその様な命令など出しておらぬっ」
両者の意見が真っ向から対立するということは、どちらかが嘘を言っているということ。会議に参加している面々も二人を横目に見ながら、隣の人と相談をすることで、会議室にはざわめきが徐々に大きくなっていった。
しかし、アンセルムが手を叩いてざわめきを静めると、『嘘は許さない』という強い眼差しを班長に向ける。
「暗殺の任務を受けたのは何処だ」
「諜報任務を受けた日、この城にて、でございます」
王に睨まれるという状況に、班長は落ち着かない様子ではあるが、それでも視線は揺れることなく確りとアンセルムの目を見ている。
そこに嘘を吐いているとは感じられず、アンセルムは眼差しを幾分か緩めた。もちろん、全面的に信じた訳ではなく、班長の気を緩めさせる為にわざと行ったのである。
「その日、何か普段と変わったことはあったか」
「変わったことですか……はい、御座いました」
アンセルムを始めたとした数人は、昨日の暗殺失敗報告の後で聞き取りを行い、今から言おうとする内容を知っている。だが、何も知らない人は少し前のめりになって耳を澄ます。
「普段ならば一度の通達で終わるはずなのですが、あの日は任務を受けた後、城の廊下を歩いていると再び呼び出されたのです」
「私はその様なことはしておらぬぞっ」
「マイザス、少し黙っておれ。先を続けよ」
黒幕扱いされそうになっている、マイザスの必死さも分からなくはないが、今は班長の証言を話させる方が先決。アンセルムはマイザスを軽く睨みつけ黙らせると、班長に続きを促した。
力無く俯き、崩れるように椅子に座るマイザスを、困惑した表情で見た班長は、それでもアンセルムの命令に力強く答える。
「はっ、呼び出しを受けたのは普段使われぬ部屋でして、そこでライナス王の暗殺指令を受けました。やり方などはこちらが決めるよう指示を受け、これは秘中の秘であり、任務を終えるまで草木であろうと話すなとのことでした」
既に昨日報告をしている内容を再び話した。
アンセルムや事前に報告を受けていた面々は、班長の話し方や目の動きなどで怪しい点が無いかを詳しく見ることも出来たが、初めて聞いた大多数の人は驚きと疑いの眼で班長とマイザスを交互に見ている。
「それは本当にマイザスで間違いないか」
「はい、私は何度も直に命を受けているのです。会話をした限りではご本人としか思えません」
「そんなっ。アンセルム様、これは何かの間違いです。私がそのような指令を出したことは――」
力無くか細い声。肉付きの悪い頬が更に痩せて見え、このまま倒れてしまうのではないかと錯覚させるほど、顔色も悪くなっている。だが、アンセルムはマイザスの縋るような声を断ち切った。
「分かっている。だが、一応二人にはこれから魔法を使われた痕跡がないかを調べる。本人の意図しないところで、操られている可能性もあるからな」
「わ、分かりました」
マイザスが俯いて肩を落とし、ゆっくりと椅子から立ち上がると、その両脇を挟むよう兵士が近寄ってくる。しかし、両腕を払って近づけさせず一人で歩み、すれ違い際に班長を鋭く睨みつけて部屋から出て行く。
その後を追って班長も部屋から出たことで、話題の渦中となった二人の人物は部屋から居なくなった。
ざわめきが治まらない中、アンセルムの背後に立っていた秘書官が、無意識に静かな声で話しかけた。
「アンセルム様、もしもあの二人を調べて何の反応も出なかった場合は……」
「その時はどちらかが嘘を吐いているのか、それともこの城に魔族が潜んでいるのやもしれんな」
今のところ可能性としてはアンセルムが上げたのだが、正直どちらかが魔法を掛けられていた方が話は簡単なのである。先ほどの様子から嘘を吐いていた場合、聞き出すのが困難だと予想出来たからだ。
そして調査の結果、二人から魔法を掛けられた痕跡は見つからなかった。これにより班長とマイザスに対する尋問を開始。拷問とまではいかなくとも厳しい尋問だったのだが、両者とも証言を変えることは無かった。
つまりそれはもう一つの可能性、『城内に魔族が潜んでいる』というのも信憑性が増してきたのだ。ただ、それを直ぐ城内全ての人に知らせる訳にもいかず、魔族が潜伏している可能性のことを知っているのは、会議に参加した人たちだけに止めたのである。
しかし、人間よりも魔に近い存在故に魔者。しかも、魔法を使用したのが技術に優れるルヲーグならば、人間に調べられても痕跡が分からないようにすることなど、街で売られているお菓子を食べながらでも可能なことだった。
アゼラウィルはシアンの思惑通り、嘘を真実だと思い込まされた人によって、見えない影を警戒しなければならなかった。ただ、見えない影というのも、完全な嘘というわけでは無いのだが。
◇
悪い報せとは続くもの。しかもそれを齎すのが同じ相手ならば、当然と言えるかもしれない。
その一報が届いたのは、まだ人の出歩きも少ない朝明けの時間帯だった。神聖樹の詰め所から久しく無かった、緊急を知らせる通信。それを受けて通信部は要所へと兵士を走らせる。
城内であまり耳にする機会の少ない荒い足音。乱れた呼吸と顔を伝い落ちる汗と、緊張で固まった表情から、誰もがある種の予想はしていた。
そして、一人の兵士がアンセルムの居る執務室の前で、息を整えるものそこそこに扉を強く叩き、入室を許可されるとやや乱暴に扉を開く。
「緊急事態でございます。か、カカイが我が国への侵攻を開始しましたッ」
後の世で「第七魔王軍の狼煙」と呼ばれる一戦が始まったのである。