第七十七話
カカイで様々な思惑が進行している中、砂漠を進んでいるはずのレオとエルザは、真昼間から日陰で横になっていた。とは言え、日中の気温が四十度以上にもなる砂漠では、昼間に動かず体力を回復させるのは当然のことである。
大きな岩がいくつか並ぶ場所で、外套を岩に敷いて寝転がっている二人。日陰はそれだけで涼しいのだが、吹き抜ける風が日向から熱波を運んできている。
「レオー、何か涼しいことやってよー。眠れなーい」
エルザは横長な岩の上部が削られ、平らになっている場所で横になりながら、同じように平らな別の岩で横になるレオに話しかけた。どうやらここは、旅人が休憩する場所として人工的に作られたもののようだ。
「岩を引っくり返して、その下にでも寝そべるんだな」
「なるほど、確かに年中日に当たってない場所だし……って砂に埋まるわっ」
突っ込みの反動で上半身を起こしたエルザはレオの方へと身体を向けるが、そこには砂を集めて固めた風除けの壁が視線を遮った。リカルドの本に載っていた、アースシールドの変化版である。
「何一人分だけ風除け創ってるの、私のはー」
壁の上に飛び乗り、目を瞑り横になっているレオに催促をする。その声に目蓋を開けて上から見下ろすエルザを見つめ返すと、これ見よがしにため息を吐き出し、のろのろと動き出す。
「ほら、砂はお前が集めろ」
アースシールドのように砂を隆起させるには、土と比べて多くの魔力が必要とされる。その為、事前にある程度砂を集めて山を作っておいた方が良いとされていた。
その作業をエルザにやらせるのである。もちろん、エルザもそれを断るようなことはしない。横になる岩の風上に、手で大雑把に砂を集めていく。
「しっかし、何だってこんなところに行くかなー。魔城に向かうルートからは、だいぶ外れてるよね」
「大空の巫女のことか」
作業の手を止めることなくエルザが口に出した話題は、これから出会う予定の人物のことである。
他の巫女であるマリアやバネッサ、メーリも秀院からの依頼で、一直線に魔城へ向かっているというわけではないが、それでも多少の寄り道程度の範囲でしかない。
しかし、大空の巫女の場合は、寄り道というには道から外れすぎており、緊急の依頼で例外的に転移装置を使うにしても、そういった大事件が起きたとの噂すら聞こえてこないのだ。
「確か名前はイヴェッタ・イシュア・ダンジェロさん。今の巫女の中で、一番強いんだよね」
岩に腰掛けて話しに乗ってきたレオに、エルザは確認のための視線を送った。今の巫女にそれほど詳しくない二人だが、名前やよく噂される程度のことは知っている。
レオは肯定を示すように静かに頷いた。
「実戦経験豊富で魔獣討伐を何度もやってるらしいな」
魔獣は人里からだいぶ離れた場所に生息しているので、被害の件数自体はそこまで多くない。しかし、一度発生すればかなりの被害が出るので、早く退治出来る人物はそれだけで称賛されるだろう。
「メーリさん達から聞いた話によると、人によって対応が変わるらしいんだけど」
「それは当然のこと……と言えないレベルだから、話題になるのか」
面倒そうな相手か、とレオはため息を吐きながら、砂を集めているエルザをじっと見つめる。大空の巫女ということは、一応エルザの後輩になるのだから、普段はふざけて真面目な場面で切り替えるという事も有り得る。
「さぁて、本当はどんな人なんだろうね」
太陽はまだまだ高く強く輝き、乾いた熱い風が吹き抜けていく中、集めた砂を手で叩いて形成していくエルザは、後輩に会えるのが楽しみなのか満面の笑みを浮かべていた。
◇◇◇
ハイデランド王国の砂漠には、肌に突き刺さるような強い光が降り注ぎ、大気が歪んで見えている。そんな暑く危険な砂漠を越える手段はいくつかあった。一つは歩き、一つは乗り物、一つは転移することだ。
その中で乗り物は動物もあるだろうが、砂の上を進む船がある。資源が乏しくなったここ数年は余り使われることがない、重要な来賓が来る時にだけ使われる移動手段である。
甲板にはいくつかの大きなパラソルが広がり、テーブルやデッキチェアが置かれ、そして何より水槽一杯に水の入ったプール。それだけで、この砂船が最高級の豪華客船だという事が分かる。
その甲板のパラソルによって出来た日影の下で、デッキチェアに身体を預けて横になっている赤い水着姿の女性。傍らのテーブルには薄い青色のグラスが置いてある。
風を受けて横たわる女性の短い金色の前髪も靡き、眩しい輝きから翠色の瞳を守るように目蓋を軽く閉じて身体を起こす。そうしたのは、彼女に近付く男の影が見えたからだ。
「イヴ様、何か不都合な点はございませんでしょうか」
国からこの船の船長を任せられている男は、緊張を面に出さないように女性へと話しかけた。女性の名はイヴェッタ・イシュア・ダンジェロ、レオ達が会いに行こうとしている大空の巫女である。
「ありません、それよりも到着予定は?」
今まで眠っていたのか、落ち着いた声色だが感情の薄い表情と声色でそう返事をする。そして、船長が立っている場所は日が照っており、眩しさから微かに目蓋を細めた。
するとそれに気付いたのか、船長はごく自然にパラソルの下へと移動。それでいてイヴに近付き過ぎない距離である。
「王都には二日後の予定です。それから歓迎の宴を開きまして――」
「そうですか」
イヴは船長の言葉を一言で遮り、再びデッキチェアに寝そべって横になった。人によっては気分を害させてしまったと焦るだろう。
しかし、事前にイヴの事を調べて粗相がないように気を配っていた船長は、彼女にとってそれが普通なのだと理解した上で、イヴが怒ってないことを察知すると「良い旅を」と一言告げて下がっていく。
そして、離れて行く気配を察して、イヴの閉じていた目蓋が微かに開いた。
「出来る男だねぇ」
船長が去っていく後姿を横目で見ながら、イヴはニヤリと口元を楽しげに緩ませた。そこには先ほどまで薄かった感情が表情にはっきりと出ている。
イヴは白いテーブルの上に置かれたグラスに手を伸ばす。よく冷えたそれは芳醇な高級酒。大空の巫女を持て成す為に国が用意した、グラス一杯でハイデランド国民の生活費一カ月分のお酒である。
そこに、ここでは高級品の氷が浮かんでいるのだから、船長がよく喉を鳴らさないとイヴは密かに感心していたのだ。
グラスを手に取った拍子に氷がグラスに当たり、カランと涼しげな音を響かせる。その音と酒の味を楽しみながら、この暑さで冷たい酒を飲む速度は進み、高級な酒は瞬く間に飲み干されてしまった。
「お代わりは、如何なさいますか」
「いいよ、少し泳ぐから」
背後から聞こえてきた声に振り向く事無く、テーブルに叩きつけるように少し強めにグラスを置き、イヴは上半身を起こしてどっかりと胡坐をかく。
そして背伸びをすれば、どれだけ横になっていたのかポキポキと関節がなる。
「お前も好きに泳げばいいのにさ」
「日の下は暑いので」
そう言っているが、実際はイヴの傍に控えておくためだということをイヴも分かっている。それが女性の考えなら、無理に変えようとは思っていない。
イヴはこれ以上その事について考えるのを止めると、今回ハイデランドに呼ばれた依頼内容を思い浮かべ、愉快そうにクツクツと笑う。
「水不足だから火の精霊を治めて欲しいって……アタシを呼びたいだけなら、パーティーを開くってだけでも良いのにねぇ」
「……」
パーティーという単語を聞いて、女性は微かに表情を顰めた。イヴの発言を不快に思ったわけではなく、パーティーに嫌な想い出しかないからである。
もちろん、それが何であるのかイヴには分かっていた。デッキチェアから立ち上がり日差しの降り注ぐ下へ出ると、女性のいる後方に振り向き、ニヤリと楽しそうな笑みを向ける。
「何回かやってるんだ、お前も慣れたもんだろ。また身代わり頼むかもしれないね」
「イヴ様がお望みでしたら」
いつも通りの返答に、イヴは再び笑う。
実は近衛師団の団長である女性は、パーティーだけでなく式典や依頼など様々な場面でイヴと入れ替わっていたのだ。しかもこれに深い意味は特に無く、単にイヴが面倒だったり疲れたからなどの理由からだった。
普段巫女としてのイヴが無口なのも、入れ替わった団長が演じやすいようにである。まあ、対応するのが面倒で、受け流すのに便利ということもあるが。つまり本来の性格がバレても、イヴには何の問題も無いのだ。
「じゃあ、ちょっと泳いでくるわ。お前も好きに行動しな……あぁ、酒はアタシのだから飲まないようにっ」
そう告げるとイヴは駆け出し、プールの中へと勢いよく飛び込む。大きく跳ね上がった水は、降り注ぐ強い日差しを受けてキラキラと輝いていた。
◇◇◇
イヴ達が悠々自適、快適気ままに砂漠を横断している頃、レオ達はようやくハイデランド最初の町にやってきた。ここに来る四日間、他の人間を見ていなかったというだけでも、ギニワールとの交流の無さが分かるものだ。
ここではギニワールから入国する際の審査が行われている。レオ達は知らないが、元敵国のギニワールに一番近い町ということもあり、警備や兵士の数は首都に次いで二番目に厳重なのだった。
「ようこそ、見ない顔だね」
巨大というほど大きくは無い門の近くで、同じ格好の男性が三人、日陰で椅子に座ってレオ達に話しかけてきた。
金属は暑いにしても皮製の鎧すら着ておらず、団扇片手では門番という雰囲気が感じられない。しかし、同じ服の胸元に縫い付けられた紋章が、国の兵士であることを示している。
「今、世界中を旅してるんですよ。見聞の旅ってやつです」
「門番の方ですか? 入国するにはどうすれば」
「おうよ、入国審査はこっちだ。付いてきな」
椅子の下から抜き身の湾曲した剣を取り出し、三人の内の一人がレオ達を先導する。とは言っても、場所は門から直ぐ近くの至って普通の建物だった。
四角い石造りで扉や窓は全開にしてあり、屋根から門の上へと行ける造りになっている。中もドアなどはなく、レオとエルザはそれぞれ別の個室へと案内されたが、普通に会話するだけでも多少の声は聞こえてきた。
エルザと別れたレオは、木製の椅子と机のある部屋へと通される。日差しが入り込まないよう、窓には布切れが斜めに掛けられていた。
「それで、身分証はあるかい? あぁ、ギルドのライセンスは受け付けないよ。なけりゃ来た道を戻って作っておいで」
連れてこられた建物は兵士の詰め所なのか、案内してきた兵士と同じ格好の兵士が複数いて、レオと話をしている男性も元からこの建物に居た人物である。
レオは胸元に入れて用意しいた身分証を目の前の兵士に渡す。
「はい、これですね」
「どうも……。おーい、これ確認よろしく」
受け取った身分証とレオの顔を何度か見比べると、部屋の外に居る兵士に声を掛け身分証を手渡し、椅子に腰掛けてレオにも対面の席に座るよう指示した。
「さて、こっちはこっちで話でもしようか」
机の脇に置いてある紙の束と、筆記用具を目の前に広げて準備する。ただ、重要な書類を書き込むには紙はボロボロで、筆記用具も黒炭に布を巻き付け先端を尖らせただけである。
「えっと、名前は何だっけ」
「レオ・テスティです」
名前や住所、出身国など、先ほど身分証を受け取った時に見た情報と違いが無いかを確認していく。ただ、それ位は短時間で兵士も覚えられたこと、長時間かければ暗記も出来るだろう。なので重要となってくるのは、これから後の会話である。
「それで、何しにここへ? 観光かい?」
「えぇ、いろいろ世界を回っている途中で、イヴ様がこの国に向かわれたと聞いて寄ってみました」
レオの言葉をノートに書き込んでいく。後でエルザの発言と見比べるのだろうが、二人の目的が巫女であることは隠す必要はない。イヴに伝える内容は伏せておくが、それ以外は普通に話していれば良いのだ。
「ほう世界旅行か、若いのに大したもんだ。学生なんだろ」
「まあ、ギルドがあると学生の内でも依頼を受けて、世界中へ行く事もありますから」
国連側の象徴とも呼べるギルドに特に反応を見せず、「ふーん」と興味なさそうに頷きながらノートへ書き込んでいく。
「そうかー。ま、しかし何だってギニワールから来たんだ?」
「特に理由はありません。イヴ様がこちらに向かったと知ったのが、ギニワール帝国のニールでしたから。……そんなに仲が悪いんですか?」
昔両国間で戦争があったとリカルドから聞いていたレオだったが、兵士がギニワールの名を出す時に感情を押し殺したように感じた。
そしてそれは正しい。仲が悪いのかと聞かれた瞬間、表情を歪めてそれを隠すように手で覆い、感情を整えるようにため息を吐き出す。
「おーおー、悪いねぇ。あっちは大昔のことだと思ってるだろうけど、こっちからすれば今も厳しい生活はあいつらとの戦争の性ってことになってるしな」
感情を抑えようとした兵士だったが、わざと茶化したせいで部屋の空気が重くなり、静まり返った部屋には隣の部屋にいるエルザの笑い声が聞こえてくる。
それで空気が少し軽くなり、レオも話題を変えるために別の話を振った。
「身分証の確認にはどれくらい掛かりますか?」
「一日か二日か、まあその時その時だな」
兵士から返って来た言葉にレオは思わず耳を疑うが、それを表情に出すことなく聞き返す。これがギルドのライセンスが使えれば、魔道具も使って直ぐ済むからである。
それにライセンスが使えなくても、普通ならそれほど時間はかからないからだ。
「結構時間が掛かりますね」
「お前さんの出身や身分証の発行国によっては、本物かどうかを確認するんだよ。そんで、お前さんのはギニワール発行だから、当然背後関係も確認するわけだ」
つまりレオ達が身分証を造った場所が悪かったということ。兵士は両手を後頭部に回し、遣る瀬無さそうに眉を顰めて天井を仰ぎ見る。
「それで、国連加盟国と非加盟国は仮想敵国が多いからな。確認作業なんかは後回しにされることが多いってわけさ」
兵士はそう言うが、それが正しいかどうかレオには判断出来ない。時間が掛かる非は、国連側にあると思わせたいハイデランドの手口かもしれないからだ。
国とは人であり、人とは労働力なのだ。流出は防ぎたいし、余り人が来そうにないハイデランドなら取り込みたいのだろう。
「その間は宿にでも泊まっといてくれ。何も無い町だが、ハイデランドじゃ珍しく美味しい水があるからな。ま、値段は相応だが」
人の良さそうな笑みで告げた最後の言葉を、レオが直訳すると「外貨を落とせ」ということらしい。もしかしたら、身分証の調査に時間をかけるのはこの為か、と邪推してしまうレオであった。