第七十三話
時はレオとリカルドの二人で発動させた魔法剣によって、サジャを打ち倒した頃よりも少しばかり遡る。
電撃を喰らったエルザだったが、レオ達の登場で少しだけ稼いだ時間により闘気を練り上げ、動けるようになるまで回復していた。
ミレイユも最初からエルザを殺そうと戦い始めたのではなく、観察対象としていたので特に回復を邪魔する事はなかった。
「それで何か知りたいことは分かった?」
何かしらの目的があって、ミレイユが会いに来たという事はエルザも分かっている。それが何であるのか知らないが、彼女の様子から本心であるという確信は持てていた。
「いいえ、まだですの」
頬に手を当てて、少しばかり残念で悩まし気にため息をこぼす。
そんな様子を見ながらエルザが軽く周囲に視線を走らせれば、今まで多数居たミレイユ達の姿は見当たらない。もっとも、今目の前に見えているミレイユが、本物かどうかも分からないが。
「ふ~ん……ねぇ、それが何か教えてくれる?」
気にはなっていることだが、別に答えてもらわなくても構わなかった。ただの時間稼ぎである。しかし、特に隠すつもりはなかったミレイユは悩む事無く口を開く。
「私が知りたいのは人の心、その奥底に在るモノですわ」
「心の奥底?」
「はい、人の心の底には恐ろしいものを隠し持っているものですわ。例えそれが普通の人だったとしても」
何らかの経験があるのか、エルザを見つめながらもその奥を見るミレイユの瞳は、悲しげに潤み揺れている。ただ、そんな中でも微かに高揚しているのは、彼女がどこか壊れているからなのだろう。
「エルザさんは疑問に思いませんか? 本当に女神様と魔王様が対等な関係なのかと」
「えっ」
人の話から急に女神と魔王の話になり、エルザは戸惑いながらも聞かれた事を考えてみた。女神に仕えていた元巫女としては、変なことを言えないなどと思いながら、もう一つの存在である魔王。元ではあるが、その存在だったレオを思い浮かべる。
「……えっと、魔王の方が近い存在かなーって」
いろいろと考えてみたものの、結局最初に思い浮かんだことをそのまま告げる。しかし、それが正しかったのか、ミレイユはニコリと微笑んで頷いた。
「その通りですわ。女神様が降臨されたのは一度のみですが、魔王様は既に七度も降臨なされています」
「まあ、一度魔法をもたらした以上、人間界には関われないって説もあるけどね」
ミレイユの疑問は、歴史家達も疑問に思い調べてきた事である。とはいっても『やはり女神と魔王は格が違う』という論文が見つかる程度でしかない。
「ですから魔王様と女神様が同格でないのなら、魔神様とでも呼称される方が居られるのではないかと……」
「えっと、それでそれが私や人の心とどう繋がるの?」
エルザはわざとらしくため息を吐いて見せた。
「人の心に他者をも傷つける怨み辛みを持つのは、その魔神様の影響なのではないかと」
「……いや、それだったら嬉しいけど、さすがにそれは」
極論ではあるが、人が純粋な善でないのは魔神の影響だと言うミレイユの言葉に、エルザは呆れながらも感心するなど複雑な心境だった。
ミレイユは子供のように純粋であり、人の善の心を信じている。そして、それと同じ位魔者の悪も信じているのだ。
ただ、魔者の悪が世間一般で言う『悪』と繋がっているわけではなく、善を光に悪を闇に置き換えた方が、彼女の真情に迫れるだろう。邪教徒の一族に生まれた以上、それが普通のことなのだった。
「ですから、エルザさんの表向きな感情を拭い去り、心の奥底を見せて頂きたいのですわ」
「いやそう言われてもねー。あぁ、だから戦い手法を取ってるのか」
「はい、戦うのは私でなくても構いませんでした。人は追い込まれた時ほど、素の感情や真実の顔を覗かせますから」
旅に同行していれば何れは見られると思っていたが、そこまで追い込まれないのなら自ら戦う。そういう考えだったのだろう。
ニコリと微笑まれたエルザは、ミレイユが戦闘態勢に戻ったことを理解し、両腕がくっついた状態で満足ではないが身構える。
「そう言えば、もう一つ本性の見えてくる状況がありましたわ」
軽く杖を持ち上げると、「狂わす迷路」と一言だけ告げて地面を叩く。それだけで呪文が発動したのは、変哲の無い木の棒に見える杖が、短いワードだけで魔法を発動させる武器アジャストアームズだからだ。
通常なら魔水晶の傷の有無を確認しやすくする為、見やすい場所に備えるものだが、敢えて杖の中に隠すことでAAに見られないようにしてあった。
「なに……ぅ」
「どうですか、酔うとその方の本性が見えるらしいのですが」
「それ、違う」
冗談めかして笑うミレイユに対し、エルザは眉を顰めて突っ込む。
気分が悪くなっては集中力も散漫になるだろうが、効果としては動けなくなるほどではない。ただ、息を吐き出して体調を整えようとするものの、一向に回復する気配は見えてこなかった。
「対魔力もあって、効果としては軽度の船酔いと言ったところでしょうか」
実際、エルザも胸がむかつく程度である。だからこそ、これ以上激しく動きたくないという心理が働いてしまう。
エルザは身体の影響を振り払うように、闘気の放出量を上げた。魔力は自然と流れ出るだけでも対魔法の防御壁となるが、魔力と気を練り上げる闘気にも同じ効果がある。
しかも体内に影響を及ぼす魔法なら、人間の抵抗力はかなりのもの。軽く頭を振ってもう大丈夫と確認するが、見えない魔法を防ぐ方法を考えなければならない。
「どうせまた使ってくるだろうしなー」
あれこれと考えてはみるが、良い対策は浮かんでこない。とりあえず耳栓をしてみたが、もう一度酔いを味わって意味が無いことが分かった。ミレイユがクスクスと笑っているところを見ると、からかって遊んでいるようである。
「あ~~、もう面倒いっ」
突然大声を上げたエルザは、苛立った様子で地面の土を蹴飛ばした。
これは酔って気分が悪いというのもあるが、まともに戦えない状態が続いた上に、いろいろと考えすぎて頭がこんがらがってしまったのだ。エルザは身体と心の疲労を追い出すように、大きなため息を吐き出す。
「はぁ、ちょっとレオに毒されてたかも」
「レオ? 確かあちらでサジャと戦っている少年でしたわね」
エルザがサジャと戦うレオの方を見れば、そこには予想通り苦戦しているレオの姿。彼の弱さはこの中でエルザが一番知っている、逆にその強みも。
「ま、私も戦闘に関しては頭使うの苦手じゃないけど、ミレイユさんは私よりも頭良さ気だし」
そう言って再び息を吐き出し、考え方を切り替えるように頭を左右に傾ける。視線は少し鋭くなり、楽しげに口元が緩む。
「久々に風の吹くままってねっ」
地面を蹴ると一気にミレイユとの距離を詰める。そこにはミレイユの呪術を恐れる様子は見られない。
そして、無遠慮に右わき腹を狙った蹴り。慌てて杖で防御しながら後方に下がるミレイユだったが、防御に回した杖は蹴られた場所からポッキリと折れて破壊されてしまう。
だが、折れた杖は途端にボロボロと崩れて土に変わった。
「んー、今度のは本物かな」
しかし、エルザは蹴った右足を地面に下ろす前にそう告げる。退いたミレイユはというと、表情を変えることなく笑みを浮かべたまま。
「まぁ、どうしてそう思われたのでしょうか」
「何となくかな。勘って言ってもいいよ」
エルザの答えは非常に曖昧な物だった。
ただ、エルザはその答えが間違っているとは考えていないようで、表情から迷っている様子は感じ取れない。勘とは言え、今まで土塊と戦っていたからこそ、本物か偽者かの判断を出せたのである。
ミレイユは笑みを深くして何事か呟くと、別のミレイユが持っていた杖が宙に浮いて彼女の手元に納まった。
「残念ですわ。土塊に化けようと考えておりましたのに」
「それで杖を持たせてた土塊を、本物に見せかけようってことか」
納得したと頷くエルザは、先の展開など考えていなかった。今この瞬間、違和感が有るか無いかでしか判断していないのだ。それは強みでもあり、弱みでもある。
「それがエルザさんの本来の戦い方なのでしょうか?」
「どっちもだけどね。私より頭の良い人と戦いながらアレコレ考えても、結局裏をかかれるだけだし」
前世の最終決戦で、レオに接近戦の苦手意識を植えつけた状態である。一途に一つの事だけを決行。レオの時はそれが『接近戦を行い、魔法の発動を邪魔させない』ということだった。
しかし、この状態は視覚や聴覚などの五感を研ぎ澄ませ、微かな違和感に気付けるというもの。その為、普通に戦うよりも疲労が溜まりやすく、あまり長くは戦っていられないとのことらしい。
「奥底が露になってきたということでしょうか?」
少しの世間話を終えてエルザとミレイユの戦いが再び始まる。だが、エルザの戦い方は先ほどまでと全然違っていた。
幻影や土塊に惑わされることなく、一直線に本物と分かったミレイユだけを狙う。先を考えての戦いや罠など考えず、攻撃や罠が発動する直前に野生の獣のような反応でかわす。
「後ろっ」
今もエルザの後ろに回り込もうとした土塊を、即座に蹴り倒した。視界に入った訳ではなく、物音や背後から感じる気配、空気の流れや他の幻影の動きで理解したのだ。
ただ、その間にもミレイユとの距離は開き、一旦戦いの手が止まる。
「追い詰めるつもりでしたのに、中々上手く事が運びませんわ」
「簡単に負けるつもりは無いからね」
子供の駄々に付き合う親のように、笑いながらため息を吐いたミレイユ。それに対するエルザも、子供が自慢するように胸を張って笑い返す。
「ですが、そろそろ終わりに致しましょう。アナタが最後にどのような本心を見せて下さるのか楽しみです」
「本心ねー、今でも言えるんだけどな。何が有ってそんな考えをしてるのか知らないけど、白滝の森での責任は取ってもらうよっ」
そう言ってエルザが駆け寄る前に、ミレイユが「狂わす迷路」と告げてAAを発動させる。
目が回り視界がぶれる感覚に陥ったエルザだったが、闘気の放出は最初から多めにしてある。劇的な変化をもたらすほどではなく、そのままミレイユへと一直線に向かう。
「ハアァァッ」
再び右足による回し蹴り。腕を封じられた以上、必然的に足技が多くなっているのだ。
ただ、蹴り技は片足だけでバランスを取らなければならない。ミレイユは杖の先端を回し蹴りの軌道に入れ、右足を持ち上げることでエルザを倒そうとする。
しかし、己の身体を武器とするエルザが、その程度で転ぶはずも無かった。右足の回し蹴りはミレイユの頭の上を通過させられたが、そのまま左足の後ろ回し蹴りで胸元を蹴り飛ばす。
「くぅぅっ」
いかに接近戦を上手くこなすミレイユとは言えど、やはり本人の言った通り身体つきは術師のもの。物理衝撃には慣れておらず苦痛で表情は歪むが、そのままエルザとの距離を取ろうとする。
「逃がさないよっ」
「なっ」
しかし、エルザがその後をピッタリと追う。ミレイユを蹴った瞬間に右足で地面を蹴り、吹き飛ばした後を追ったのだ。それによって離れている距離は、身体一つ分も離れていない。
その距離では長い杖を防御に使えるはずもなく、ましてや接近戦ではエルザに分があった。地面を蹴ってミレイユに突進、そのまま膝蹴りを腹に喰らわせ、衝撃で少し距離が開いた瞬間に、膝から先を伸ばして右わき腹を押し出すように蹴る。
「きゃぁっ、くぅっ、土塊が掴まえておく予定でしたのに」
「――ッ」
エルザが空中にいても突進の力も加わり、容易にミレイユの身体を後方へ押し出す。
だが、エルザはその後を追おうとした足を止め、遠回りをしながらミレイユを追いかける。実はこの時、ミレイユが崩した体勢を立て直そうと、杖で地面を突いたことが気になったのだ。
確証は無かった。しかし、それは正しい選択だった。
ミレイユの杖は一つの木の棒にしか見えないが、実際は持ち手とそこから先は別のAAが接合されていて、二つの魔法を短いワードで発動することが出来るのだ。先ほど酔わせてみせたのも、AAの魔法は別にあるということを印象付ける為である。
そして、魔法が発動するワードは「土塊が掴まえておく」。先ほど地面を叩いた範囲に近づけば、地面から土の腕が生えてエルザを捕まえる予定だったのだ。
体勢を整える為の杖の突き方、言葉の言い回し、微かな魔力の動きと気の流れ、ミレイユの視線と表情の動き……それらを無意識に捉えて、『違和感』として忠告を出す。それが今のエルザの状態である。
「これなら――そんなっ」
ミレイユに再び近づいたエルザだったが、蹴りが届く範囲の直前で急に止まり上体を反らせる。そして、その後でミレイユが腕を振り払い、杖が何もない空間を通り過ぎた。
当事者のミレイユや傍目から見れば、未来予知しているかのような動き。これこそ全ての魔闘士が憧れ、近接戦で抜きん出た元大空の巫女の片鱗である。
「これでえええぇぇぇぇーー、ッ」
反らせた反動を利用して、上から叩き付けるように両腕をミレイユの胸元に振り下ろす。手応えはあった。
眼前のミレイユは驚愕から眼を開き、エルザの一撃は黒いローブを突き抜け、彼女の胸元に突き刺さっている。
「やっぱ幻影ッ」
しかしそれは偽者。殴る直前に出された違和感だったが、今のエルザにはそれに気付いても、止まる術を持ち合わせていないのだ。
ニヤリと笑う幻影から急いで手を引こうとするが、腕を幻影に掴まれる。そして、幻影がぶれて現れたのは、白滝の森で土塊だったミレイユの赤く煌くコア。確かにエルザが殴った時に感じた手応えは、硬い物を殴った時のものだった。
赤い石から地面に伸びた一本の線。エルザは知らないことだが、サジャと同じく地面に繋ぎ止める為のものである。そして、石から新たに伸びた細長い糸状の物が両腕に絡まり、全身を拘束していく。
「くっ、このっ」
「――ォフイヲアエアポバーンワ――」
そこから少し離れた場所では、金色の刺繍が入った白い上下の服装に身を包んだミレイユが、杖の持ち手部分を持って詠唱を唱えていた。
杖の持ち手から先と、黒いローブは幻影のあった地面に落ちている。よく見れば背中側が裂けており、そこから抜け出たのだろう。
「――デクァデヌミコルフルズース――」
ミレイユとしてはエルザを殺さなくとも、本心が聞ければそれで問題は無かった。
ただ、未来が見えているかのような動きで追い込まれつつあり、意志の強いエルザにはただ追い詰めても無意味だと思ったのだろう。
「――】ジウィンクファカ・ユイインストキョウ」
長い詠唱が終わって出現したのは、ミレイユを覆い隠すほど巨大な火の玉。そこに巨大な人の顔の様な物が浮かび上がり、轟々と燃える音が人の雄叫びに聞こえてくる。
ミレイユが最も魔力を消費するオリジナル魔法。当然、人を焼き殺すだけの威力もあるが、焼かれている人の発する言葉を業火の顔が周囲に伝えるという効果がある。
「残念ですが、さよならですの」
「こんのおぉぉーー」
振りかぶることなくそっと押し出された業火は、エルザに吸い寄せられるように速度を増し着弾。炎は周囲に広がることなく、ほとんど球体を維持したまま燃え上がる。
だが業火は唸り声を上げるだけで、エルザの悲鳴も言葉も発さない。避けることが出来たのか、意地でも悲鳴を上げないように口を閉じているのかは分からないが、今までの戦いに加えこの魔法を使用したミレイユの疲労はかなり溜まっているようだ。
「はぁはぁはぁ、ん、ふぅ」
肩で大きく息をしながら取り出したハンカチで汗を拭い、レオ達と戦っているサジャに呼びかける。
「サジャ、退きますよ」
「ギッ、ギギ、ギ――」
振り向いた視線の先は身動きのない戦況だったが、それは直ぐに崩れる。サジャの背中側にある触手や腕がボロボロと崩れ、黒色の土へと戻っていったのだ。
サジャの後方に付いている顔は申し訳なさ気に主を見つめ、静かに紅い輝きを失っていく。顔に皹が走りサジャが崩れ去った後には、細い線で形作られていた骨組みと、二つに割れた球体が残っているだけ。
サジャが敗北した事を理解したミレイユは、身に危険が及ばないか周囲に視線を走らせる。
「お疲れ様でした、サジャ。静かにお眠りなさい」
そして、代々家に仕えてくれた宝玉に礼を告げ、ミレイユは戦場に背を向けて立ち去る……予定だった。
それを邪魔したのは、飛来してきた剣。ただの投擲ではない。ミレイユの進む先に突き刺さった剣は、そのままミレイユに斬りかかったのだ。
「なっ」
あまり鋭くない振りだが、彼女が剣を受け止められるのは杖の持ち手だけ。エルザとの戦闘で疲労もあり、受け流すことも弾き返すことも出来なかったが、それは宙に浮いている剣も同じらしく、力の入っていない鍔迫り合いが続く。
「手伝わなくても大丈夫って言ったのに」
ただ、ミレイユの背後から聞こえてきた声の主を確認したからだろうか、剣は力無く地面に落ちた。
ミレイユが地面に転がった剣を警戒しながら振り返れば、そこにはやや煤けているものの怪我らしい怪我を負っていないエルザが、咳き込みながら立っていた。
「やはりご無事でしたのね」
「無事ってほどでもないけど、やったことは多分ミレイユさんと同じだよ」
業火球が当たる直前に全身から闘気を前方に放出することで、エルザの前にエルザと同じ高さの壁が出来上がる。そして、放出した時の勢いを利用して、安全圏にまで下がったのだ。
炎によって視界が遮られたミレイユには、本物のエルザに当たったかどうかなど見えるはずもなかった。
「なるほど、です――がっ」
「それと拘束を吹き飛ばした時に、石が鳥もちを切ってくれたみたい。対魔、対物効果持ちかなあれは」
自由に使えるようになった拳を振るい、ミレイユの腹に重い一撃を喰らわせる。
「ぐぅぁ」
「次は対闘気もつけるんだね」
当然、そんな一撃に耐えられるはずもないミレイユは、意識を失いエルザに向かって倒れこむ。ただ、エルザもそれを受け止める力は残っておらず、そのまま地面に押し倒されてしまった。
エルザは身体の上に乗ったミレイユを退かすと、仰向けのまま手を伸ばして空を仰ぎ見る。
「終わったーー、おわったー、たぁ」
ただ、大声を上げる気力も無いようで、徐々に声も力無く小さくなり、目蓋も重そうに閉じてしまった。そして、吹き抜ける風が近付く誰かの足音を、横たわるエルザの耳に運んでくる。
「そっちも終わったか」
「ん~~」
レオの登場も目蓋を閉じているエルザには声しか聞こえない。返事も適当で、それだけ疲れている証なのだろう。
「大丈夫って言ったのに」
「逃げられたくなかったんじゃないのか」
どうやら疲れているだけでなく、レオが手助けしたことが不満のようだ。
ただ、レオがした事はミレイユが逃げない為の足止めだけ。というよりも、それ位しか出来なかったと言える。疲労が溜まっているのはエルザだけでなく、レオもエルザの傍にどっかりと腰を下ろした。
「ねぇ、レオ――」
エルザはミレイユが言っていた、魔神という存在の推測をレオに聞かせた。
それを聞くレオの表情は普段と変わらないが、一笑に付すことすらしていない。何かを考えるように顎に手を当て、地面の一点を見つめている。
目蓋を閉じたままのエルザには、そんなレオの様子など知るはずも無く、気になっていたことを尋ねた。
「魔神って居るの?」
「……いや、居ないな」
一瞬の空白、その後に出した答えは否定だった。
その間は何かを隠しているのか、別のことを考えていたのか、いろいろと思い浮かぶだろうが、エルザは答えを聞くなり緊張の解けた様子で笑う。
「そっか」
「何だ、それだけで信じるのか?」
「そりゃあねー、レオとミレイユさんだったらぁ、レオを、信じる……よ」
余程疲れていたのだろう。レオと話しながら次第に言葉が小さくなり、静かに寝息を立て始めた。
そんなエルザの寝顔を一見したレオも、地面に手足を投げ出して同じように地面に転がる。空は突き抜けるように青く、遠くではリカルドに呼びかけるソフィアの声が聞こえてくる。その声を聞きながら、レオも眠りに就くのだった。