第六十八話
さまざまな思惑が進行しているが、レオ達がコーフニスタへと向かう旅路は順調なものである。
ただ、馬車は馬が疲れるという理由から、リカルドが御者の時はエルザが、ソフィアが御者の時はレオが荷台に乗ることになっていた。この組み合わせになった理由は、重さが平均的になるよう分けたのである。
馬車に乗ることの出来ない二人はもちろん歩きで、その速度に合わせる為に緩やかな旅路だった。
「ねえ、リカルドってソフィアさんを狙ってるの?」
「ばぁっ、な、なに大声で喋ってるんだよっ、馬鹿かっ」
「いや、私より大声だって」
そして、この二人はレオの予想通り、一緒に旅を始めて直ぐに打ち解けていた。歳としては倍近く離れているが、兄妹のように見えるとはソフィアの談である。
今は昼食を取るために全員馬車から降り、馬も荷台から離れてのんびりと草を毟っていた。
急に聞こえたリカルドの大声に、馬の手入れをしていたソフィアは振り返るが、リカルドが誤魔化すことで再び作業に戻る。
「ふぅ……いや、正直言って分からん。仲良くなりたいとは思うし、付き合えれば嬉しいんだけどさ、何か壁ってのを感じるんだよなー」
腕組みをしながら頭を傾けるリカルドだが、レオとエルザはソフィアの壁というものを感じたことはない。前世で人との出会いが多かったエルザがそう思うのだから、二人に対してはそうなのだろう。
「それはリカルドにだけじゃない? 変に馴れ馴れしいから近寄るなって」
「よし、レオ。師匠命令だ、エルザに修行の成果を見せつけてやれ」
笑顔で指差しながらの言葉を訳せば、「打ちのめせ」ということらしい。ただ、言われたレオは、呆れたように冷めた視線を向ける。
「今の俺が戦ってもエルザには勝てないぞ」
「へぇー、今のねぇ」
「今の、だ」
面白い冗談だ、と笑いを浮かべたエルザに対し、レオも挑発的に笑い返す。
リカルドの冗談から出た摸擬戦だが、レオはエルザというリカルド以外の人で格上との手合わせを、エルザは試してみたいことがあって提案に乗るのだった。
「まっ、良いでしょ。なら闘気は練らないでいてあげる。まあ、その代わり魔法は使うけど」
「……お前、何か企んでるだろ」
「なっ、ななな、ななないよっ」
動揺するエルザは「そんなことはない」とでも言おうとしたのだろうか、もはやバレバレで毎度お馴染みの光景である。ただ、レオはそれが何なのかを聞き出すことはしない。敵と相対した時に、企みや手の内など見せるはずも無いからだ。
一人そそくさとその場から離れるエルザの後をレオは追いかけ、リカルドがソフィアに事情を説明する。二人は馬が驚いて逃げ出さないよう、いつも以上に距離を取っているが、念のためにリカルドが手綱を握っておくのだった。
◇
ここら一帯は地平線も見えるほど広大な草原で、馬から距離さえ取ればどこで戦おうと同じ状況である。
そんな中レオは腰から鞘ごと剣を外し、エルザはショートソードを抜く事無く右肩を回していた。既に二人とも自分で身体強化の魔法、フェアルレイは掛けてある。
「こうやって普通に戦うのは久しぶりだな」
「最後に戦ったのって一学年の時だっけ」
「それ以来、変な勝負を仕掛けてくるようにはなったが」
「だってレオ戦っても強くないし、私も手を抜くのは嫌だからねー」
昔話に花を咲かせつつも、互いが纏う空気は真剣なものへと変わっていく。そして、エルザの準備運動が終わったのを見計らい、レオはエルザに対して正眼の構えを取る。
「俺は弱いつもりはないぞ」
「うん知ってる――」
ピンと張り詰めた空気が一瞬で広がり、レオとエルザが足を広げて腰を落とす。だが、レオが深く落としたのに対し、エルザは浅く落としたかと思うと、即座に動き出した。先に動いたのは、やはりエルザだった。
「魔法さえ使えればねっ」
一気に距離を詰めて、エルザ得意の距離で戦おうという腹積りなのだろう。ただ、その速度はやはり闘気を練った時よりも格段に遅い。
しかも、そう来るであろうと予想していたレオは、慌てることなく剣を持たない右手をエルザに向ける。
「『ヴァイジエアエッジ』」
そして、無詠唱術印で真空の刃をエルザの胸の辺り、横一面を凪ぐように放つ。
これをエルザはしゃがみ込んで、その場から移動するように転がって避ける。レオ相手に何も考えず、宙に跳ぶのは危険だと分かっているからである。
「『エアーブレッド』」
「あだっ、あだっ」
だが、既にレオはヴァイジエアエッジの下の空間に、空気の弾丸をばら撒いていた。威力よりも量を増やした空気の弾丸はほとんど威力はなく、エルザはその場で一瞬止まっただけで、戦闘に支障はなさそうだ。
「ま、お前相手ならこうやって距離を取って戦うのが一番だが……」
「『トラムフレイム』」
地面に手を付けて放たれたエルザの魔法トラムフレイムは、握り拳ほどの大きさの火が、レオ目掛けて一直線に地面を走る。
「『アースシールド』」
迎え撃つレオは土の壁を間に置き防ごうとする。高さは腰ぐらいとそれほど大きくなく、これはエルザを視界の中に捕らえておきたいからだろう。
しかし、トラムフレイムは土壁に当たっても破裂することなく、直角の壁を登っていく。レオがそれに気付くのは、土壁の頂点にまで登ったときである。
「ほう……ブレイク」
始めてみる魔法の効果に関心しながらも、慌てず騒がず土壁を破壊した。これでトラムフレイムは進むべき地面を失う。
「――』オブスタクルウインド」
だが、そこまで見越していたエルザは、レオと繋がるように風の道を作る。レオがよく使う手だが、今回は軌道上にある壊れた土壁が風に乗ってレオへと襲い掛かった。
そして、向かってくる土壁を剣で薙ぎ払った後のレオを狙い、風に乗ったエルザも襲い掛かり、レオの剣とエルザの拳がかち合う。
「どぉ、伊達にレオの魔法の使い方を近くで見てないよ」
得意気に笑って見せたエルザは体重を前に乗せると、風の力も相まって両手で剣を持つレオを押していく。
「加減間違って壊すなよ。お前がロングソードを折って、そんなに経ってないんだからな」
「ふんっ、そんな言葉に惑わされないからね」
レオの軽い挑発も意味が無く、エルザは右手を引く事無く押し続ける。
普段のレオなら、ここで一旦距離を取るだろう。オブスタクルウインドによる速度上昇は、いつも自分が使う手である以上、その弱点も分かっていた。風の流れに乗るということは、抵抗があり急に止まることが難しいということだ。
つまり、距離を取って二人の間に魔法を発動すれば、近寄ったエルザはそこにぶつかる可能性が高い上に、速度が出ている以上威力も高まるのである。
「……次は俺の番か」
「ん? 何か――」
しかし、レオはその選択をしなかった。
エルザは全てを言い終える前に思わず息を呑む。それはレオが受けていた剣を引いたことで、押していた右手の抵抗が無くなったからである。先に進んだ右拳は半身になったレオの顔の横を抜けていった。
だが、その程度で体勢を崩すようなエルザではない。右足を大きく踏み出すと、左足を引き寄せながらレオに蹴りを放つ。
「ハアァッ」
だが、剣を引くときに半身になったレオは、そのまま回転しながらしゃがみ込み、踏み込んだエルザの右足を払う。さすがのエルザも体勢の悪い状況で、そのまま持ち堪えることが出来ず上空を仰ぎ見る。
「んなっ、んとーー」
ただ、無防備に転がされることはない。左手を背中側に回して地面に触れると、遅れてやってきた右腕も同じようにし、柔らかく肘を曲げて衝撃を吸収。勢い良く両手を押し出した反動を利用して上体を起こし、何度か前転をしながら距離を取ったのである。
「伊達にお前の戦いを後ろから見てないさ」
先ほどの返しだろう。わざわざ同じような台詞回しである。
「それにしては、ちょっと離れてた間に体捌きが上手くなってるけど、これがリカルド師匠との修行の成果ってわけね」
「事実だが、師匠は止めろ」
だが、どうやら舌戦ではエルザに軍配が上がったようだ。
そんな軽口を叩きあいながらの摸擬戦は、レオが近接戦を挑みエルザが中遠距離で戦うという、普段とは違った戦いの様相を呈していた。
これはレオが修行の成果を見ようとするのに対して、闘気を練っていないエルザは普段よりも身体の動きが悪いので、魔法の練習に切り替えたからだ。
「そろそろ、終わりかな」
しかし、緒戦では良い戦いをした両者だったが、やはり近接戦ではエルザに敵うはずもない。魔法の練習を終えたエルザは、今のレオの地力が分かると戦闘を優位に進めだしたのだ。
「そうだな、どれだけやれるか確認は出来た」
普段と同じように見えるエルザだが、レオには少しばかり気合を入れているのが分かった。
何か大きなことをやろうとしている。そう思ったレオは、どんなことにでも対処出来るよう両手で持っていた剣から左手を離し、何時でも魔法を放てるように構える。
「行くよ」
エルザは駆け出し、レオがエアーブレッドを幾つか放つ。これはエルザが行なおうとすることを簡単にさせない為である。
ただ、完全に邪魔をしにきている訳でもなかった。やり難い環境は作るが、絶対に発動させないほどではない。接近戦を付き合ったエルザに対する礼だろうが、レオとて早々好きにやらせるつもりはなかった。
「『ピンバブーイ』」
レオが魔法を放つと、踝ほどの高さのデコボコが辺り一面に出来る。
これは土の地面でしか使用出来ず、別に土が固くなるわけでもない。単に走り難くなり、相手を躓いて転ばせるという土属性の妨害魔法である。
「地味な魔法をっ」
「走り回りたがるお前には最適だろ」
しかし、エルザにとってみれば嫌な魔法だった。スピアーズヒルや落とし穴なら、直前にかわせば良いだけだが、ピンバブーイは一つ一つ避けて走るには数が多過ぎるのだ。
ただ所詮は土の塊、勢いそのままにぶつかれば壊せるだろうし、転びそうになっても立て直す自信はある。だが、そうしている間にレオの魔法に狙い撃ちにされるだろう。
エルザは軽く舌打ちをすると、走りながら周囲を見回す。レオを取り囲むようにかなりの範囲がデコボコな地面になっており、一気にジャンプで飛び越えるには距離があった。
「ハァッ」
だが、エルザが選んだのは跳躍。空高くに跳びあがるのではなく、低く距離を跳ぶ。これはレオが何かしてきた時に、直ぐ対処出来るよう両足で地面を蹴れるようにである。
そして予想通り、レオは左手をエルザに向けると、剣を持つ右手の人差し指で甲に術印を描き魔法を発動させる。左手では魔力とマナが結合し、赤々と輝く球体が形成されていく。
しかし、レオはそれを放つことなく球体を徐々に大きくしていった。
既にレオの胸元が見えなくなるほど大きくなり、五十センチはあるだろうか。ただ、魔力が多いわけでもないレオが大きくしたところで、それは薄く広げただけである。直撃した時の威力としては減ってしまっているだろう。
「近付いたら爆発させて自爆とか狙ってる?」
「そうかも、なッ」
レオが左手を微かに動かして投げる動作に入った瞬間、エルザは即座に右横へと回り込む。だが、既にレオは動いていた。
振りかぶる左腕の下、大きな火の玉に隠れていた右腕を横に振り抜く。留め金の外してあった鞘は、刃を滑りエルザへと一直線に進む。
「ちょっ、なぁっ」
予想していなかった攻撃に、エルザは慌てふためきながら鞘を払い落とすが、続けざまに投げられた巨大なファイアーボールが襲い掛かる。
エルザが『最後の一撃に』と考えていた右手は使えない。鞘を払った左手でもう一度顔面を護りながら、一直線に突き進む。そして火を抜けて最初に見たのは、屈んで地面に両手をつけているレオの姿と――
「穴ぁーっ」
「落ちたらお前の負けな」
距離の縮まったレオとの間に出来た大きな縦穴で、一直線に進んでいたエルザには回り込む余裕すらない位置である。となれば、エルザの取るべき行動は一つ。
「誰がっ、落ちるかっ」
跳躍。しかし、タイミングもなく無理やり踏み切った状態では、遠くまで跳ぶことなど出来ず体制も悪い。空中で必死に足を掻くが、後少し届きそうも無い。
そして、立ち上がったレオは次の手を打つ……ことはなかった。これが実戦なら、確実に穴へと突き落とそうとするだろうが、これは摸擬戦。エルザが何かしようとしているのなら、そこまでしなくても良いとの考えだろう。
「くぅ、エアーショットォッ」
エルザは左手を地面に向けて、苦し紛れの無詠唱魔法を放つ。それは本当に微かな、そよ風が吹いた程度のものでしかなかった。しかし、エルザが体制を整えるのには役立ったのである。
体制を整えてエルザがやったこと、それは両足を胸元に引き寄せて、背面でショートソードを投げることだった。武器を投げたのはレオに対してではない。落とし穴の淵、少しでも足場を増やすという考えである。
そして、右足を伸ばす。つま先は何とか地面を捉え、踵が穴の側面に突き刺さったショートソードの柄を踏む。ただ、刃が折れる可能性も土から抜ける可能性もある。
エルザはつま先に神経を集中させて身体を引き寄せると、左足を大きく踏み出しレオの懐まで入り込んだ。
「さすがはっ」
越えられるか半々で見ていたレオは、腕をクロスさせ防御を固める。
しかし、幾ら防御を固めようと、エルザにしてみればどうでも良いこと。腕の上からでも構うことなく、いつもより遅く繊細な動きで殴りつけた。
「グッ」
そしてレオは、顔を弾かれながら吹き飛ばされる。防御していても、それを不可思議な方法で貫通し殴られた事に驚き目を見開く。対してエルザはというと、殴った右拳と飛ばされるレオを見つめてため息をこぼした。
「はぁ、やっぱり失敗か」
こうして今回の模擬戦は、エルザの勝ちということで決着がついたのだった。
◇
エルザがやろうとしていたのは、アロイスから教えてもらった技である。レオと合流する前に、町の外で魔物相手に何度かやってはみたものの、今のように相手を吹き飛ばすことしか出来ないでいたのだ。
「何だ、その危ない技は。それを俺相手に試そうとしてたのか」
「いや、ほら成功しそうかどうかは感覚的に分かるから」
どういった技なのか聞いたレオは、エルザの頭に手刀を落とした。
アロイスから教わった技は、自身の気を相手の体内へ送り、相手の気と結合させて破裂させるという技。これなら自分よりも強い相手だろうと、致命傷を与える一撃を放てるのである。
「体内から五メートルも弾けさせるような技か」
「それはアロイスさんがやって、しかも外に影響が出ないようにとか気を使った上での威力ね」
レオが勘違いしないよう補足して説明するエルザだが、どこか自慢気に話す様子である。そんなエルザをじと目で見ながら、レオは昔の記憶を思い出す。
「確か俺がやられた時もそんな感じの技だったな」
「そだね。ただ、あれは私一人じゃ出来ないし」
使い勝手はこっちの方が良い、とエルザは笑う。
昔話はリカルドとソフィアが近付いてきている以上、聞かせられないので長くは話せない。エルザは次の話題を振った。
「普通、気とか魔力って渡したら相手のものになるのよ。それを渡さないようにって考えたら、体内に留めることが出来なくて……」
「そのまま突き抜けてしまうわけか」
アロイスの奥義とも呼べる技は、やはり習得するのも難しく、一朝一夕では無理ということなのだろう。ただ、エルザも諦めるつもりは毛頭無いようで、握り拳を作って目を輝かせている。
「だから闘気は練らなかったんだな」
「まあね、相手が魔闘士なら意味あるだろうけど、相手に闘気が無いと結合とか無理だし。中距離攻撃として使うなら、グウィードさんとまでは言わなくても、ウィズさん位使えればなー」
ウィズ、本名バレンティナが最後にエンザーグに放ったのは闘気だったので、エルザもそちらにすれば威力は上がるかもしれない。
これから行なうのは、失敗を元にした中距離攻撃の威力を増す練習か、それとも接近戦での奥義の練習か。そんな話をしている二人の許に、リカルドとソフィアがやって来た。馬は荷台に繋いでいる。
「お疲れさまです。お二人とも凄いですね」
「遠くてよく見えなかったが、エルザの最後のは風圧か? レオが吹き飛んだ奴」
「あはは、まあ似たようなもの」
実は気による技の失敗なのだが、笑って誤魔化した。やはり危険な技をレオで実験したというのを、他人に聞かせるのはさすがに不味いと思っているのだろう。
「レオも俺以外とやれて、成長の実感が出来たんじゃないのか」
「あぁ、一応な。ただ、闘気も練っていないエルザ相手に押せなかったのは、まだまだってところか」
本人からすれば、成長は感じられたが及第にはまだまだといった所か。それほど納得のいってない様子のレオを見ながら、リカルドは感慨深げに頷いている。
「初めて見たけど、やっぱレオは魔法使って戦った方が動きが良いな。……師匠っ、俺も早くその域に達したいですっ」
「誰が師匠だ。お前の場合はとりあえず魔法を放てないとな」
教わる側でも教える側でも、師弟になるのは嫌がるレオだが、一応リカルドのことは考えているようだった。
その後、しばらく休息を取って旅を再開させる。これから一週間ほど陸路を進めば、船に乗って次の大陸へと移る。そこに大空の巫女が居るのだ。