第六十七話
レオとエルザが再会し、リカルドとソフィアを加えた四人がコーフニスタへと旅路を進んでいる頃、ライナスが治めるカカイ王国では魔者対策としての軍備が着々と進んでいた。
ライナス王。元は王弟として王を陰日向から補佐していたが、王位を継ぐと人が変わったかのように独断で物事を決めるようになったのである。
そこには多少過激な物事もあり、危惧する声は少なからずあるのだが、正論である上に相手が王では、強く意見することも出来ないでいた。
「やあ、シアン。調子はどう?」
「今、その名を呼ぶのは止めるよう、以前に言ったはずであろう」
だが、その正体――はたまた本人なのか――は、魔族であるルヲーグと繋がっていたのだ。
一日の公務を終え部屋に戻ったライナスを出迎えたのは、前と同じようにベッドで足を投げ出して寝転がるルヲーグだった。
戸締りのされた部屋にいつの間にか入り込んだルヲーグを、入室そうそう発見したライナスだったが、どうやら前回のような寸劇は行わないらしい。
「この間のラザシールで、戦力の増強は上手くいったみたいだね」
「本来であれば、ここに攻め込ませた上で人心を掌握したかったのだが……まあ良かろう」
結果は同じでも、考えていた通りに行かなかったことに不満気ではあるが、大勢の人が関わる策略とはそういうものである。ライナスはそこを理解した上で、自分の予想通りに進まないことの方が楽しめているのだ。
ライナスは机に置かれたクッキーをルヲーグに勧めた。
シアンに優しくされるのは、普段を知っているルヲーグにとって嫌なことだが、それだけ機嫌が良い証拠でもある。
「でもさ、ここに攻め込ませても騎士団が倒せなかったら、最後にシアンが戦って倒してたの?」
お菓子など甘い物が好きなルヲーグは、クッキーを何枚か頬張りながら尋ねる。何でも頭を使うと甘い物が欲しくなるそうで、決して子供だからではないとのことらしい。
その質問はライナスがこの策略を企ててから考えていたこと。答えは直ぐに返ってきた。
「ハハハ、まさか。そうなったら、このような国など捨てるわ」
「……相変わらず、頭の回転と同じくらい逃げ足も速そうだね」
聞こえるか聞こえないかの範囲で、小さく呟いた嫌味である。聞かれても問題ないと思った故の行動は、確かにライナスの耳に届いた。
「当然であろう、俺はお前と同じく戦っても強くは無いのだ。まあ、お前がダナトや人間と一緒に造っていた、エンザーグドラゴンのキメラなどには負けぬし、単純にお前よりも強いがな」
「くっ」
少しの嫌味がルヲーグの全否定で返ってきた。
直接戦っても負ける、研究成果のエンザーグで勝てるとは思えない、そして今も口で負けた。ルヲーグは苦虫を噛み潰したように表情を歪めて、クッキーを持たない手を強く握り締める。
「とは言え、そう悪くはあるまい。実際ダナトとの血肉を混ぜたことで、力や知力は上がっていたのだろう。逃げられた人間と、其奴が幼すぎたのが敗因なのだ」
「いいーよー、変に慰めなくっても」
手に持っていたクッキーを齧り、膨れた頬でそっぽを向く。
こういったフォローも、これからする頼みごとの妨げにならないようにと、考えての行動だと分かっているからだ。
「それでボクを呼び出して何の用?」
そして本題に入る。今日、ルヲーグがライナスの許に訪れたのも、再び実験体との交換で頼みたいことがあると言っていたからだ。
「うむ、実は戦力も整ってきたので、戦を行なおうと思ってな」
「やれば良いじゃん」
自然に獰猛な笑みがこぼれるライナスとは対照的に、ルヲーグは興味がなさそうにクッキーを齧る。そんな態度に対し、「分かって無いな」とばかりに鼻で笑う。
「こういったことは、大義名分を掲げて攻め込むというのが、様式美なのだぞ」
「ふ~ん、無ければ」
「作り出せばよい」
ライナスから返ってきた言葉は予想通りで、「やっぱり」とため息をこぼす。今回呼ばれた理由が何なのか、大体察する事が出来たからだ。
そんなルヲーグの反応などどうでも良いのか、ライナスは話を先に進める。
「隣国のアゼラウィルで少しばかり動いてもらいたいのだ」
アゼラウィルは聖王国とも呼ばれ、魔を払う神聖樹のある国。マリア達がエンザーグドラゴンを倒し、その時の戦いが元で未だ昏睡状態のグウィードがいる国である。
真摯な風に依頼するライナスだが、頼まれたルヲーグは余り乗り気ではなさそうだ。眉を顰めて口をへの字に曲げている。ただ、以前に頼まれ事をされた時とは違い、今回はちゃんと渋る理由があった。
「でもさ、ダナトに今は目立つなって言われてるよね」
大陽の巫女の転移に巻き込まれ、事故とは言え一度その約束を破ったルヲーグは、慎重にならざるを得ないのだろう。
しかし、ライナスは問題ないと言わんばかりに、ニヤリと不敵に笑った。
「目立つ必要はない。そういった噂が広まり、決定的な事が起これば良いだけだ。それに、あの国には本当に居るではないか、魔族に手を貸した人間が」
ここカカイには聖王国以外にも国土を面している国はあるが、ライナスがそこを標的としたのには意味があった。その一つは商人ヨーセフの存在。魔族と手を取り、名前は売れており、首都に豪邸を持つ。
「まあねぇ、エンザーグが倒された後の事は知らないけど、確かヨーセフって名前だっけ? 商人の」
こめかみに指を当てて名前を思い出そうとする。間違っていても良いと思っているのだろう、それほど必死に思い出そうとはしていなかった。
ただ、逆に聞かれる形となったライナスは、呆れたようにため息を吐いた。
「お前よりも関わりの無い俺に聞いてどうする。時に其奴と手を組んだ契機を俺は知らぬな」
そう言って顎で『話せ』と合図を送った。
ただ、ルヲーグもその場に居合わせた訳ではない。聞いた話を思い出すように、何度か頭を左右に傾けながら話し始める。
「うーん、確か強欲そうな人間ってことで、エンザーグの卵を餌にダナトが一人で交渉とかやったんだよ。ほら、洗脳とか出来ないから」
「ほう、おそらく交渉など行なったのは、他にも何人か居た候補者が、脅した拍子にでも死んでしまったのだろう。人間は心も身体も脆いからな」
シアンの推測通り、ダナトはそういった事が苦手で、今ではルヲーグかシアンに任せるようになっている。ただ、ルヲーグからすれば、何でも放り投げ過ぎだ、と少しばかり怒りを感じているようだが。
「そして、ダナトの後を追いかけてきた、親のエンザーグを目の前で殺してみせたと」
「うん、そんな感じだったらしいよ」
話を聞いて納得したと頷く。ただ、どうでも良さそうに頷いているので、次会った時には忘れてるだろうな、とルヲーグは考えていた。
これでライナスの依頼は話し終えた。ルヲーグは返事をしていないが、断らない以上は請け負ったと考えて良いのだろう。そもそも、断る予定なら多忙を理由にここには来ていなかった。
「お前からは何かあるか?」
「うーん……そうだ、面白い人が魔城に来てたんだ」
ルヲーグはベッドから立ち上がり、机に置かれたピッチャーからコップに水を注いで喉を潤すと、数日前のことを話し始めた。
◇◇◇
ルヲーグとライナスが話をする数日前の魔城。城の周囲は相変わらず霧に包まれ、自然の光はほとんど差し込まず、壁に並べられた魔道具の光が廊下を照らしていた。
そんな少し薄暗い廊下を一人の男が、何やら考え事をしながら歩いている。灰を被ったかのような色の髪に薄茶色の瞳。袖から見える両腕には肘の辺りまで鱗があり、半透明な膜状のヒレが付いていた。
三人いる側仕えのうち、最後の一人であるスノ。彼は今、『この薄暗さが外に出たがる理由か』など考えながら歩いていた。
「あー、俺も外に行きたい……いや、ダメだ」
もちろん、彼も外に出てみたいと思う一人である。ただ、他の側仕えであるユオンゼは研究者肌でフラフラと歩き回り、逆にネイルリは部屋に篭っていることが多い。
それ故に自分がしっかりせねばと思っているのだ。
「スノ、何か考え事かい?」
前方から話しかけられたことで、スノは意識と顔を上げる。すると、向かいから歩いて近付いて来ている人物に気付く。
このように薄暗い場所でも光沢の分かる金色の髪は、後ろの一箇所だけが尻尾のように腰辺りまで伸ばしてあり、薄水色の布で頭を巻いていた。そこからは白い毛の生えた耳が、二つばかり出ている。
瞳は宝石のように澄んで輝く紫色。非常に整った顔立ちに、足が長く細くスラリとした頭身、手入れの行き届いた純白の尻尾。だが、何よりも先ず視線がいくのは、右目を隠している半円形の黒い眼帯だろう。
「ニライ様、お帰りなさいませ」
「ふふふ、僕相手にそんな畏まらなくても良いのに」
ガチガチに固まって深々とお辞儀をするスノを、ニライは楽しそうに見つめる。そして、見られているスノはというと、思わず頬が赤くなるのが自分でも分かっていた。
彼、そう言いたくなるほど美形なニライだが、実際は彼女、女性なのである。とは言え、例え彼女が男だったとしても、スノは頬を赤らめたかもしれない。それほどニライには中性的な魅力があった。
「それで何か悩み事かな」
「い、いえっ、詰まらないことを考えていただけですので、お気になさらず」
気楽にと伝えても変わらない態度に、少しばかり残念に思いながらも、それ以上触れることなく話題を変える。
「そうだ、魔王さまの調子はどうだい?」
「未だ眠ったままだそうです。あの……大丈夫なのでしょうか。こちらに来てから、随分と長い間眠っていますが」
顔を伏せて心配そうに尋ねるスノは、自分と同じぐらいの身長のニライを、やや上目遣いで見つめる。そんな彼を勇気付けるように、ふわりと優しく笑うと頭を撫でた。
「大丈夫、ちゃんと目を覚ますさ」
そう答えたニライの言葉には、落ち込んでいるスノをただ励まそうとする以上の重みが感じられた。そして、ニライは撫でていた手を止めると窓の外から遠く見つめる。
「前も、クロウの時もそうだったから」
どこか物悲しげに発した人物の名、クロウ。それはレオの前世であり、一つ前の魔王の名である。
直接会ったことのないスノだが、クロウが死んだこととその後に起こった出来事も知っている。慰めるにしても何と言えばいいのか分からず、一緒に沈黙することしか出来なかった。
「クロウ、ロフィリア……」
死んだ友の名を呟き、誓いを立てるように静かに目蓋を閉じる。そして、目蓋を開けると、決意の眼差しと頼もしい笑顔をスノに向けた。
「もしもの時は僕が皆を護ってみせるよ。僕はその為にここに居るのだから」
「ニライ様……」
彼女に励まされることほど、心強く頼もしいことはない。スノは高揚した気分のまま、元気良く「はいっ」と返事をすると、勢いよく頭を下げて自室へと戻っていった。
その若さと勢いに微笑を浮かべたニライは、捨てきれぬ後悔でモヤモヤした心中を吐き出すようにそっとため息を吐く。そして、窓際へと移動すると、窓枠に手を当てて遥か遠くを眺める。
「ロフィリア、君とクロウを助けられなかった僕が、こんな事を言うのは滑稽かい?」
スノを見送っていた微笑も徐々に崩れてしまう。だが、最後まで笑みだけは崩すまいと堪え、静かに涙が頬を伝い落ちる。
かつてクロウと共に人間界にやってきたニライ。再びこの世界にやって来たことで、彼女の心には以前に増して後悔とやり切れぬ思いが溢れてくるのだった。
◇◇◇
一方、レオ達が旅立ったニールには、新たに足を踏み入れる人物が居た。
広い草原を強く風が吹き抜け、靡くくすんだ金色の長い髪を片手で抑える。そして何かを探しているのか、グレーの瞳を町中に彷徨わせながら歩いていく。
しかし、なかなか自分で見つける事が出来ず、近くの民家で馬の世話をしている女性に話しかける事にした。
「……もし、お尋ねしたいことがあるのですが」
「おや、何だい」
話しかけられた女性ヌイスは、話しかけてきた女性が全身を覆う黒いローブを着ていることに驚く。
それは、ただ黒いローブを着ていたからではない。魔術師がローブを着ることは知っていたが、ここまで真っ黒なローブを着た人は始めて見たからだ。面白みも無い、黒い布を羽織っていると言えるほどである。
「こちらに大海の巫女様がこられたと思うのですが……」
「あぁ、メーリ様ね。一泊して直ぐ旅立たれたよ。もう少しゆっくりなされても良かったろうに、やっぱり魔王退治ってのが大変なんだろうね」
相手の事情を知った上での軽い冗談であり、その冗談に付き合って女性は上品にクスリと笑う。その儚げな笑みが黒いローブと似合い、ヌイスは先ほどの服装の評価を改めた。
「どちらに向かわれたか、分かりますでしょうか」
「いや、悪いけど分からないねぇ。私も直接見られなかったのよ」
最初の一人では行方が分からず、礼を告げて別の人を探しに行こうとする女性をヌイスが呼び止める。ちょっと話しをしたい気分だったのか、何も情報を出せずに悪いと思ったのかは分からない。
「アンタ、メーリ様とお話したかったのかい」
「どちらかと言えば一緒に旅をしている娘とですわ」
呼び止められた女性も、特に気分を害した様子も見せずに付き合う。
少し強引だったかと思っていたヌイスは、相手の態度に気を良くし、何とか力になろうと一人決意するのだった。
「一緒にって、じゃあテルヒ様か」
「いえ、もう一人の女の子ですわ」
だが、そう聞いて不可思議そうに眉間にシワを寄せて腕組みをする。
「んー、メーリ様方の話は良く耳にしたけど、他に誰かと一緒に居たとかは聞いてないねぇ」
「あらそうですの? では途中で別れたのでしょうか……」
そう言って残念そうに肩を落とす。巫女と一緒に居れば情報は直ぐに集まるだろうが、一般人だけの場合は情報を集めるのに苦労するだろう。
直接自分とは関係の無いことだが、申し訳ない気持ちになったヌイスは、気合を入れなおすように腕まくりをした。
「なんて子だい、余所から来た商人に聞いたげるよ」
「わざわざ有難うございます。私が探しているのは、燃える真紅のような髪のエルザという名の少女です」
「エルザちゃんかいっ、なら知ってるよ。芯の強そうな子だろ」
思わぬ偶然にヌイスは大声で笑い出すが、偶然同じ名前の同じ髪色の可能性もある。それ故に二人の情報を刷り合わせることで、互いの思い浮かべた人物が同じであるかどうかを確かめるのだった。
そして少し話しをするだけで、同じエルザ・アニエッリであるという確証を得た。それにヌイスは旅立つ前のエルザから、次の目的地がコーフニスタであることを聞いていたのだ。
女性は嬉しそうに笑みを浮かべ、手を組むと天に祈りを捧げる。
「素晴らしいですわ、これは神の御導きでしょう」
「ん? あぁ、メーリ様も御出でになられたし、そうかもしれないね」
一般的に『女神』や自分の信じる女神の名を言うので、彼女の『神』という言い方に少々引っかかりを覚えたヌイスだが、そういう人もいるだろうと納得するのだった。
そして、ヌイスが昼食に誘うのをやんわりと断り、再び女性は礼を告げて去っていく。
「メーリさんと別れたのは残念ですが、ここは神の御導きを信じてエルザさんの許へ向かいましょう。それで宜しいのですね、魔王様」
ヌイスと話をしていた女性、ミレイユはエルザの後を追ってコーフニスタへと向かうのだった。