第六十五話
リカルドという魔法の弟子であり剣の師匠に、ソフィアという女性を加えたレオ達は、一路エルザとの待ち合わせであるニールへと向かっていた。
また、ソフィアが使っていた馬車に同乗させてもらったことで、リカルドの修行しながらのゆっくりとした移動速度は、格段に増している。
「いやー、紙は燃やせるようになったんだけどな」
現在もソフィアが御する馬に牽かせた荷台で、男二人が足をぶら下げながら魔法の修行中である。
リカルドは魔法の初歩を覚えることが出来ても、そこから先へと進むことが出来ずにいた。光で照らすライトや燃やす火の魔法、どちらも同じく言える事は、身体から離れたところに魔法を使えないのである。
「まあ、こればかりは感覚的なものだからな」
そう言いながら、確認するように手の平に小さな光を浮かばせた。
レオとしても、丸くなるよう折られた紙を手の平に置き、それを輝かせる方法などある程度の工夫はさせていた。
実はこの道具、最初はクシャクシャに丸められただけの紙だったが、ソフィアが器用に作ってくれたのである。これでやる気を出したリカルドは、見事に丸い紙を光らせることには成功したのだ。
「まさか魔法の才能が無いっ」
「才能か……余りそういったことは考えないが、リカルドは才能が無いなら諦めるのか?」
「ふはははっ、そんなわけないだろ。才能が無くても俺は頑張るぜ」
何故か進行方向に顔を向けて返事をするリカルドである。
ただ、ソフィアの好みが努力家なら問題ないが、現実的な見方をする方が好みなら、むしろ逆効果であることに気付いてないようだ。
もっとも、リカルドの場合は狙ってやるよりも、自然と出た行動の方が好まれるタイプである。
「ソフィアさん、そろそろ代わりましょうか?」
「ありがとうございます、お願い出来ますか」
路肩に馬車を止めて御者がリカルドに代わり、荷台にはソフィアがやって来る。そして、レオはソフィアと代わるように荷台から降りた。
これからしばらくは歩きである。これは、馬の負担を軽くするためでもあり、今から歩くのは身嗜みを整えるソフィアの為でもあった。
しばらく御者台の横でリカルドと話していれば、荷台から出てきたソフィアが感謝の言葉を述べ、レオは一緒に荷台へと向かう。そして荷馬車は走り出し、荷台の後ろを歩きながらソフィアと話しをする。
「お疲れ様でした」
「いえ、レオ君もありがとう。それに、いつもは一人でやっていたので、リカルドさんが代わってくれると楽ですよ」
この二人の会話は、主にソフィアがレオの旅中に何を見てきたか、何が必要だったかを尋ねるのだった。
何でも彼女はただの買い付け人ではなく、そこそこ大きな店を構える商人らしい。時々、今回のように買出しに出ては、新しく扱う商品を見つけてくるのだという。
「凄く精力的ですね」
「まあ、この歳まで結婚出来なかったのは、その性もあると思いますけど、店が成長していくというのも面白いんですよ」
風になびくクリーム色の髪を手で押さえながら笑うが、後悔などはしていなさそうである。しかも、遣り甲斐のある仕事をして、自信をつけているソフィアの笑顔は、とても綺麗な笑顔だった。
レオも思わず感嘆の息を漏らすが、これを見たのがリカルドならば、目を回していたかもしれない。それほど魅力的な笑顔なのであった。
◇
御者台で一人寂しいリカルドも、前方から話しに加わりながら旅路は進む。
太陽は既に傾き、そろそろ日の入りという時間帯。予定ではそろそろニールに着くという頃に、リカルドが後方にいる二人に声をかけた。
「二人とも、ニールが見えてきたぞー」
何度目か歩いていたレオは、その言葉を聞いて荷台の横に回り込み前方に視線を凝らす。
そこで先ず目にしたのは、見渡す限り続く木製の柵だった。普通なら柵の近くに有るはずの民家は、ポツリポツリと離れた間隔で建てられているだけである。
「柵が無かったら、ニールだって気付きそうもないな」
「地図上じゃ見落としそうもないんだけどなー」
町を囲う柵の長さからも分かるように、ニールは大きな町である。今までレオ達が訪れた町や都の中では一番大きいだろう。しかし、そこに住む人の割合はそれほど多くない。
これは魔物の被害が多かった時代、家畜などを町の中で飼い始めたのが切っ掛けである。結果、外から動物の姿が見えなくなり、魔物が近寄ってくることも少なくなったのだ。
「町の中っていうか、ただ家がバラバラに建ってるって感じだ」
確かにリカルドの言うとおり、家が並んで建っていることが珍しい。町中というよりも平野に家が建ってる、と言った方が正しく思えてしまう。
馬車が余裕で走れるほど広い道幅は、家畜を歩かせて道具を運ばせるのだろう。御者台に座るリカルドが関心しながら町の中を見回せば、人工的な小高い丘や人工池などが目に入った。
ここニールで育てられた馬は、馬力もあり大人しい性格が多いので、馬車を牽かせるのに向いているとの評判である。
「レオ君が待ち合わせをしている相手は、もう到着してるのでしょうか」
「そうだったら、女性を待たせるのは趣味じゃないとは言え……」
一度馬車を止めてレオの許に二人が近寄る。実は思っていたよりも町が大きく、レオとエルザが日暮れまでに出会えるとは思っていないからである。
とりあえず近くに居た人を捕まえて、エルザの特徴を伝えて聞いてみることにした。
「見てないなぁ。ここって案外人が来るから、余所者が目立つってわけじゃないし」
だが、何人かに聞いてみても、結果は思わしいものではなかった。
頭を掻きながら答えた男性が言うには、ニールでは馬や牛などの買い付けやレース大会が行われ、余所から人が集まることが多いらしいのだ。
「なら、宿屋はあるんですか?」
「おうさ、そりゃ土地だけはあるからな」
そう言って、男性は宿の名前と場所を伝えながら指差していく。その数、実に十近く。余り人が集まりそうもない辺鄙な町に、それだけ宿屋があった事にレオ達は驚いた。
「うわ、そんなにあるのかっ」
「全部が大きくて沢山泊まれる宿ってだけじゃないから。民家一軒を貸し出したりとか」
そう答える男性は誇らしげで、自然と浮かぶ笑みを隠すように鼻を触った。
宿が多い分だけ、余所から人がやって来る証でもあり、それだけ町が賑わうという証でもある。そこに住まう人にとっては、やはり誇らしいのだろう。
「さて、どうするレオ」
「もう日も暮れますし、私達が泊まる場所も探さなくては……」
男性が去った頃には、既に太陽は半分近く沈んでいた。時間的にもこれから向かえる宿は一つだけで、エルザを探す為というよりも、自分達が泊まる為の宿となるだろう。
レオの懐事情から考えれば安宿が良いのだろうが、ふとレオは惹かれるように柵から外を眺めた。すると、長い影を作りながら、誰かが町の外からやって来ている。
沈みゆく太陽は赤く揺れ落ち、彼女の結われた紅い髪は左右に揺れ動く。相手もレオを見つけていたのか、深い緑色の瞳を持つ目は驚いて見開かれることなく、ただレオを見据えていた。
「あー、やっと来たぁ」
「久しぶりだな」
レオとエルザ、久々の再開である。
近寄ったエルザの身体は多少ボロボロで、たった今ニールにたどり着いたのかとも思わせる。
ただ、いつもより少ない荷物と出会い頭の台詞から、既に町で数泊していて、今は何処かへ行っていたのだと予想がついた。
「二週間振りくらいかな。でもまっ、それだけじゃそんなに変わらないねー」
「そう言うお前は……いろいろと吹っ切れたみたいだな」
「ふんっ、後で私の大活躍を聞かせてあげようじゃないの。……で、そちらの人達はどなたさん?」
見透かされているのが恥ずかしいのか、エルザはレオの奥に見えるリカルドとソフィアのことに話題を振った。二人がレオとエルザを見つめる様子などから、今会っただけの人とは思わなかったからである。
行き成り話しを振られた二人だが、元々待ち合わせしているエルザのことは聞いていた。それぞれ名前とレオとの出会い、そして今一緒に旅していることを告げる。
「それじゃあ、次は私の番ですね。エルザ・アニエッリです。どうもウチのレオがお世話になったみたいで、ありがとうございました」
「誰がウチの、だ」
久しぶりの掛け合いであり、いつも通りの掛け合い。そして、それを見る人の反応もいつも通りであった。
「ウチのとか、それじゃまるで――はっ、そう言えばずっとくっ付かれていたのって、こんな可愛い子なのかっ……くぅっ、だが、今の俺にはソフィアさんが」
リカルドの脳内でどのような妄想が発生しているか分からないが、正しくは『剣よりも近い間合いで戦わされていた』である。
そんなどうでも良いことに頭を抱えるリカルドは無視して、レオはエルザが今泊まっている宿屋を聞いた。
「それで、お前はどこに泊まってるんだ」
「私はケクゴアさんの時と同じ。早朝から午前までの馬の世話とか、手伝う代わりにタダで泊まらせてもらってるよ」
あの時と同じということは、宿屋ではなく一般家庭に世話になっているということ。
エルザは「朝早くて大変」と笑っているが、ニールという町の文化に触れ合っているのが楽しそうである。
「へぇ、そういうのも面白そうだな。レオ、俺たちもそうしようか?」
「ただ、こんな時間から交渉するわけにもいかないでしょう」
リカルドは興味深そうにしているが、行き成りエルザの泊まっている家に押しかけるわけにも、夕食の準備中の他の家々を回ることも邪魔になるだろう。
今回はソフィアの言う通り、普通の宿屋に泊まる事に決まった。リカルドは少し残念そうにしながらも、頭を切り替えてレオに視線を向ける。
「宿は軒夜亭で良いよな。値段も手ごろな一般宿みたいだから」
ただ、その力強い視線は何かを強く物語っていた。
「宿は俺とソフィアさんで取っておくから、レオはエルザさんと話して来いよ」
言葉だけ聞けば優しく聞こえるが、要するに二人っきりにさせろ、ということなのだろう。レオはため息をこぼしながら、了承したという意味を込めて頷く。
それを見たリカルドは満足したように頷き、ソフィアの手を取って二人で御者台に乗ると、軒夜亭を目指して馬を走らせるのだった。
「……なに、もしかしてリカルドさんって、ソフィアさんを狙ってるの?」
「狙ってるってほど直情的じゃないだろうが、仲良くなりたいとは思ってるんだろ」
二人の去っていく後姿を見るエルザは、少しばかり興味あり気に口元が緩んでいる。対するレオはどうでも良さそうである。
実の所、リカルドは女性に対して優しい言葉や態度を取るのだが、ここまで積極的に押しているのは、レオとエルザの仲を見たからでもあった。一人身のリカルドには目の毒だったのだろう……実際はこの二人が付き合っているという事実はないが。
「ふーん、それじゃあ私達も歩きながら話そっか」
そう言って二人は肩を並べると、互いの近況を話し合いながらエルザの泊まっている家まで歩いていくのだった。
別れた後の話と言ってもレオから伝えることは特になく、リカルド達と出合ったと伝えただけである。しかし、エルザの場合はメーリに付いていった経緯から話す必要があった。
今は身振り手振りで白滝の森で起こったことを話している。
「それで、私とナザリオくんとの一騎討ちが……あ、着いちゃった」
エルザが泊まっている家は、リカルド達と別れた場所からそう遠くない場所にあった。当然、全てを話し終えるには短い距離である。
見た目は普通の木造の家。ただ、家の敷地を囲うように木製の柵がずらりと並んでおり、その中で馬が放し飼いにされていた。
「じゃあ、続きは明日――」
「あら、エルザちゃんお帰り」
「ヌイスさん、ただいま帰りました」
エルザが手を振ろうとした時、恰幅のいい中年の女性がバケツを片手に、家の裏口から出てくる。
彼女はエルザがお世話になっている家に住む、ヌイス・ユフィッド。旦那さんが婿入りだからなどとは関係なしに、この家の一番の権力者である。
ヌイスはエルザが連れているレオに興味がいったようで、手に持ったバケツを地面に置くと、何かを含むような笑いを浮かべる。
「おやおや、待ち合わせをしていたっていう彼かい?」
「はい、彼がレオです」
「初めまして、レオ・テスティです。どうもエルザがお世話になっているようで、ありがとうございます。ご迷惑を掛けてなければ良いんですが」
丁寧にお辞儀をして謝辞を述べるレオだが、隣のエルザは「迷惑を掛けるかっ」と怒っている。そんな二人の様子を見て、ヌイスは益々笑みを深くする。
「いやいや、エルザちゃんは本当に働き者で助かってるよ。しっかし、私達が思ってた通り、しっかりした子だわねぇ」
ヌイスは満足したように何度か頷くと、地面に置いていたバケツを持ち上げた。
「それじゃあ、二人でゆっくり話しといて良いわよ」
「えっ、夕飯の支度があるから、話すのは明日でも……」
「あっははっ、そんなこと気にしなくて良いんだよ。積もる話もあるんでしょ、部屋で話しときなって。レオ君、夕飯食べていくかい?」
そして、バケツに入った水を畑に撒くと、レオの返事を聞くことなく「楽しみにしてなよ」と笑いながら家の中へと戻って行く。勢いに押された二人は、しばらく無言で黙ったままである。
「……元気な人だな」
「うん、私もお世話になって、良い人だよ」
しかし、いつまでもそうしている訳にもいかず、家に入った二人はヌイスさんとその家族に挨拶。今、エルザが寝泊りしている部屋へと移動するのだった。
生き物を扱う以上、出産や病気などいつも以上に人手が掛かる時がある。その為、この家には客間が多めにあり、エルザはその一つを借りているのだった。
エルザは部屋のベッドに腰掛け、レオは机の前にある椅子に座って向き合う。
飲み物を運んでくれた旦那さんや、お菓子を持って来てくれた祖母。何故かこの部屋の辞書を借りに来た、レオ達より少し年下な娘さんなど、様々な乱入者がありながらも、エルザはメーリ達との旅で起こった出来事を伝えた。
「なるほど、ショートソードが折れたから宿を取るのを渋ったのか」
「いやいや、渋ったってほどじゃないよ。どうしよっかなーって悩んでたら、ヌイスさんが『どうしたの?』って話しかけてくれて、あれよあれよと今の状況」
今のところお金には困ってないが、どうせなら良い物を買う予定なのだ。少しでも節制出来れば嬉しいだろう。
それにレオもヌイスの勢いに押されて、夕飯を一緒に食べることに決まったのだ。エルザのことをどうこう言えるはずもなかった。
「しかし魔族か……」
「そうっ、植物系の魔物となら、何回か戦ったことはあったんだけどね。倒せたかどうかは分からないかな」
これまでの事を話し終えた二人は、これからの事を話し始める。それは当然、次に目指すべき相手、大空の巫女のことである。
「いよいよ次で最後の巫女になるわけだけど、ちゃんとメーリさんから今向かっている先を聞いておいたよ」
「まあ、当然だろうな」
「で、向かってる先は……ハイデランド王国だって」
雰囲気を盛り上げようと溜めていたエルザだったが、そのまま押し潰れてしまったかのように、最後は力なく俯いて国名だけを告げる。
最初に盛り上げようとしたのも、何とか明るくしようと頑張った結果であった。
「ハイデランドか、面倒だな」
「ここからだと、海越えの砂漠越えだし、何もない場所だよ。何であんなところに行くんだよー」
エルザと同じくレオも表情を顰めてしまう。それというのも、ハイデランドはエルザの言う通り特にコレといった産業や観光資源もなく、砂漠に囲まれた国だからだ。
ただ、そういった国だからこそ、巫女には来てもらいたいのだろう。
しかし、レオが表情を顰めたのは、それだけが理由ではない。
「それに、確かハイデランドは国連非加盟だったよな」
「うそっ、じゃあライセンス使えないじゃんっ」
地理的な事は理解していたエルザだったが、政治的な事は理解していなかったらしく、驚いた拍子にベッドへと倒れこむ。
国連から発行されているライセンスは、当然国連に加盟している国でしか使えない。
ライセンスが使えなければ、先ず入国する際に身分証が必要となる。これは事前に使える国で作れば問題ないのだが、今度はそれを確認する作業があるだろう。まあ、魔道具がある昨今、それほど時間は掛からないが、下手したら一日待ちの可能性はあった。
それにお金も引き出せない。こちらも事前にお金を下ろして、持ち運び便利な物に換えておく必要があるだろう。
「情報は……やっぱり酒場?」
そして、当然と言えば当然の話だが、ギルドは使えないどころか組織自体が存在していない。情報収集は国連の後ろ盾があり、治安の良いギルドで行うのが常識、という常識も通用しなくなってしまう。
「リカルド達の目的地がコーフニスタだから、そこまでは一緒に行って準備をするか」
「確か砂漠前にある大きな街だったよね。私の武器もそこで買おうかな」
二人はこれからの旅路に思いを馳せながら、一つ一つ必要なことを手帳に書き込んでいく。それはヌイスが夕飯に呼びに来るまで続くのだった。
ちなみに夕食時の会話はもちろん、二人の馴れ初めである。
ここで勘違いされていることに気付いたエルザは、必死に誤解を解こうとするのだが、その必死さが照れ隠しに見えてしまい、余計に泥沼化してしまうのだった。