第六十四話
レオが新たな同行者、リカルドとソフィアの二人と一緒に馬車で旅を続けている頃、エルザも大海の巫女であるメーリ達と旅を再開させていた。
主犯であるミレイユには逃げられたが、協力者のナザリオは森の入り口にある小屋で修院に引き渡してある。逃げる素振りも反省した素振りも今は見えなかったが、これから後どうなるかはまだ誰にも分からない。
「あの子も更生してくれればいいけど」
「まあ色々あって、ヤンチャしたい年頃だったのよねぇ」
「お年頃で済ませたら、同じ年代の子に悪いですよ」
エルザ達は今、レオと待ち合わせしている町、ニールへと向かっていた。
メーリ達は別にレオと会う必要も、ニールへと向かう必要もないのだが、白滝の森周辺は人の出入りが規制されており、魔物や魔獣の生息している場所もあった。
その為、エルザ一人では危険だろうと一緒に向かうことを提案、エルザはそれをありがたく受け入れたのである。
「それにしても、何かすみません。面倒見てもらっちゃって」
「ううん、気にしなくていいよ」
少々申し訳なさそうに謝るエルザに、メーリは気にしてないと笑う。その様子を横目で見ていたアロイスは、腕組みをしながら指折り何かを数えていく。
「マリアちゃん、バネッサちゃん、メーリちゃんと来たら次は……」
「はい、大空の巫女の許へ向かいます」
四人いる巫女の最後、そしてエルザの前世での役職大空の巫女である。
「あー、あの人か」
エルザの口から大空の巫女の話題が出ると、セストは疲れたようにため息をこぼす。
それだけならセスト個人で何かあったのかと思えるが、メーリの隣でもテルヒが同じように何とも言えない表情をしていた。エルザは少しばかり不穏な空気を感じ取り、おそるおそる尋ねてみた。
「あのー、どうかしたんですか?」
「あの人って結構面倒だから。気分が悪かったら……いえ、マリアさんからのお話って言った時点で、確実に苦労が始まるのね」
やれやれと首を左右に振りながらも、エルザが困る姿を想像しているのか、どこか楽しそうにテルヒは笑っている。ただ、エルザには笑っていられない言葉が耳に入った。
「えっ、もしかしてマリアと仲が悪いんですか」
「ううん、そんなことないよー。仲が良いって程でもないけど、まあ身内扱いになるって感じかな」
それほど気にしていないメーリの言葉を聞いて、テルヒの言いたいことは大体分かった。つまり相手によって演じ分けをしているのだろう。気分が悪ければ、ということは、それほど徹底してはなさそうだが。
エルザは面倒そうな相手を予想してため息をこぼす。ただ、ここにレオが居れば、大空の巫女の系譜か、とでも呟きそうである。
人の立ち入りを禁じられた山中は、獣道ぐらいしかなく歩くのが大変である。しかも、そこを通るのが動物だけでなく、魔物が通る可能性もあるのだから用心して進む必要があった。
「何か山の中を移動することが多いような……」
ポツリと呟きながら、セストは草木を掻き分けて先頭を進む。
白滝の森へ行く時は、緊急事態だったこともあり全力で向かっていたが、今はそれほど飛ばしてはいない。
ただ、人の手の入らない山は女性陣が早々に抜けたかったのか、今居る広場までは相当飛ばしていた。
「今日はここら辺りで休みましょうか」
「賛成よ。本当、魔物は寄ってくるし、虫も飛び回ってるし……」
心は女性陣のアロイスもほっと息をつく。
メーリが使う風の膜で覆い、虫に刺される心配はないとはいえ、そこは気分の問題。全員分の風膜を解いたメーリも、疲れたようにテルヒにもたれ掛かっている。
しばらく休憩をした後、エルザが枯れ枝などを集めて食事の準備、アロイスとセストが食料を獲りに行き、メーリとテルヒが寝床の準備を行う。
獲れた魚や魔物を調理するのは、大海一行で唯一料理の出来るアロイスとエルザの二人。
そう、種類によっては魔者も普通に食されているのだ。ただ、大抵死んで直ぐに血を抜かないと、悪臭を放つのでそれほど出回ってはいない上に、独特な味なので珍味料理だろう。
「エルザちゃんの待ち合わせってニールだよね。ここからだと、どれくらい掛かるのかなぁ」
「そうね――」
食事中の会話はその時その時で変わるものの、物思いにふけっているのか、エルザは焦点の合わない眼差しで食事の手も止まりがちだった。
そんな状態で積極的に話に加わるようなこともなく、他の面々も様子が可笑しいことには直ぐに気付く。彼らは言葉にすることなく目線で会話をして、いつも通りアロイスがエルザの横に移動して話しかけた。
「何か考え事かしら?」
「えっ、あ、アロイスさん」
話しかけられたことで、アロイスが横に座っていることに気付いたエルザは、少し驚きながら周囲を見回す。当然、メーリ達も心配した眼差しで見ているのに気付き、自らの失態に思わずため息をこぼす。
「それで、どうかしたの」
「んーとですね……」
優しく問いかけるアロイスにも、エルザは歯切れが悪く言葉を濁す。だがそれは、相談してもいいと考えている証拠でもある。
アロイスは変にエルザを気負わせないよう、場を明るくするためにセストに話しを振った。
「あっ、男性のセストには聞かれたくないだろうから、どこかに行ってなさい」
「それはもちろん良いですけど……アロイスさんも男性ですよね」
「あら、女性には男性の気持ちが分かる女として、男性には女性の気持ちが分かる男として相談に乗れる。それがアタシ達なのよ」
乗っかる形で突っ込んだセストは、笑いを浮かべながら立ち上がり槍を手に持つと、見回りに行くと言ってこの場を離れた。
それからしばらく悩んでいたエルザだったが、意を決して大きく頷き姿勢を正すと、アロイスを正面から見つめて口を開く。
「……うんっ。あの、実は白滝の森でファビアさんの遺言を聞いてから……いえ、本当はそれ以前からも悩んでいました」
エルザの前世の母、ファビアの遺言。それは『悔いを残すな、伝えたいことは伝えよ、子を守れぬ大人にはなるな』というもの。ただ、エルザがこれほど悩んでいるのは、遺言を聞いたからというだけではない。
両親との確執、親の気持ちを知らないまま死んだ自分、そして早く知っていればという後悔。このままでは、あの事も伝えなければ後悔すると思ったからだ。
エルザは気持ちを落ち着かせるように、神妙な面持ちで深く呼吸を繰り返す。
「私、嘘吐きなんです」
一言だけ呟いてエルザは目蓋を閉じた。その心情には様々な感情が交錯しているのか、膝の上で握られた拳は強く握り締められている。
メーリとテルヒは無言でアロイスを見つめ、アロイスもエルザが話し始めるまで待つ。
「友達、そう言える資格があるのか分かりませんが、大きな嘘を吐いているんです。相手の事を思ってとかじゃなくて、単に私が楽しむため、そして嫌な思いをしないために……」
そう言って俯く姿からはいつもの元気な様子は窺えず、メーリとテルヒは困ったように顔を見合わせる。思ったよりも参っているのが分かったからだ。
「いつかは言うべきだと思うんですけど、それを伝えて嫌われるかと思うと……」
近くで見ているアロイスだからこそ分かる程度に身体を震わせる。
エルザの悩みはマリアに対する嘘。
最初からマリアと出会う旅をしていた事を隠して近付き、魔王の出現に憂う振りをして語り、元巫女として巫女の苦悩を知っていながら、知らない振りをして相手の望んだ言葉を選ぶ。
全てが偽りという訳ではないが、全てが真実という訳でもない。ただ、冷静に振り返らずとも、酷い事をしている自覚はあった。
「そうねぇ、嘘か。どんなのか教えてもらえる?」
「すみません、それはちょっと……。ただ、出会った時から仲良くなる切っ掛けまで。全部って訳じゃないですけど」
最初に言葉を交わした時からという、思ったよりも重大な場面にアロイスも思わず頭を軽く掻く。この吐いた嘘が軽度の物なら、仲良くなった後で話しても笑い話になるだろうが、エルザの様子を見れば仲を引き裂く可能性もあることが分かるからだ。
重い空気が辺りを包みそうになると、そんな空気を感じないのか、何かを思い出したメーリが口を開く。
「そういやさ、候補生の頃にテルヒちゃんのおやつ無くなった事件。死んだ先輩の幽霊って話にしてたけど、実はわたしが――」
「知ってた」
メーリとしては意を決して話したにも関わらず、呆気なく切り替えされたことにしょんぼりと肩を落とす。賑やかしでも空気が軽くなることは良いことで、それを狙わずに出来るのがメーリの好いところでもある。
「確かに、相手が嘘に気付いてるってこともあるでしょうけど、そこはどう思う?」
「一緒に居たときは、気付いてる様子じゃなかったですね」
私が気付かなかっただけかも、とエルザは笑う。ただそれは、疲れたり自らを卑下した笑みではなく、いつもの調子を取り戻そうとする笑いであった。
その様子にアロイスも少しばかり安堵する。
「エルザちゃんはどうしたいのか決まってるんでしょう」
「話したい、とは思っています」
相談した時に言った通り、エルザは真実を伝えるべきだと分かっている。ただ、それを言って嫌われること、友情が壊れてしまうことが怖いのだ。
それに嘘を吐いた部分が、もし今のマリアの心の支えとなっていた場合、深く傷つけてしまう可能性もあった。
アロイスもエルザの気持ちを理解している。求められているのが後押ししてもらうことで、勇気を分けてもらうことだと。ただ、その事を伝える前にメーリが口を開いた。
「エルザちゃんは、嘘ついた子が友達だって言える?」
嘘も繕いも要らないと、真剣な眼差しをエルザに向けた。
エルザがその意図を汲み取れば、マリアに対して嘘を吐いたから、などということは要らない。つまりエルザがマリアを友達だと言えるのかどうかである。
「はい、言えます」
自らの気持ちだけと言うのなら、答えは簡単に出る。エルザはメーリの視線を真正面から外す事無く伝えた。
「そっか。なら、もうちょっと相手に踏み込んでもいいんじゃないかな」
その返事にメーリは柔らかく笑った後、腰を軽く浮かせてテルヒの側に寄る。
「わたしのさっきの奴ね。テルヒちゃんとは何回かやってるんだ」
「隠し事をしてるのは、ほとんどメーリが私に対してだけどね」
「そりゃまあ、大きな隠し事で何度かケンカもしたけどさ、わたしはテルヒちゃんと仲良くやっていけるって信じてるから」
テルヒの突っ込みを無視しながら、両手を握り締めてエルザに訴えかける。少々間の抜けた光景に見えるが、エルザにとってはありがたい言葉である。
「信じる」
「まあ、この娘の場合はただの甘えかもしれないけど、私もメーリと同じ意見ね」
メーリの頭にポンと左手を乗せたテルヒは、少しばかり乱暴に頭を撫でる。そこには先ほど無視したことへの意趣返しと、同い年の妹分を可愛がる意味も含まれていた。
ただ、その手は払い退けられ、くしゃくしゃになった髪を手直しするメーリからエルザに視線を移す。
「嘘を吐いた人に本当のことを話して、それでも友達でいられるのなら話した方が良いわ。でも、もし無理だと思うのなら、何も言わずに別れた方がお互いの為でしょうね。もう、何事も無かったようには居られないのでしょう」
一度言葉にしてしまった以上、明確に意識の中に刻まれるもの。それを理解した上での言葉に、エルザは悩むことなく頷いた。
そして最後に、この場にいる誰よりも、的確な後押しをしてくれそうな人物に身体を向ける。
「うふふふ」
しかし、当の本人であるアロイスは、頬に右手を当てて何故か嬉しそうに笑っている。エルザ達は意図が分からず、三人で顔を見合わせて再びアロイスを見た。
「ごめんなさいね、笑ったりして。二人の成長が嬉しかったものだから。やっぱり若い人同士の方が、話も弾んでいいわよね」
朗らかに笑うアロイスとは対照的に、エルザは慌てた様子で手をバタつかせる。
「そんなこと無いですよ。アロイスさんが居てくれたから、私は相談したんですよ」
「そうそう、アロイスさんがふわっと包んでくれるからいいんだよ」
「まだ若いんですから、変に年寄り振らないで下さい。……私達と十も離れてないんですから」
そんな彼女達を見て、アロイスは笑いながら空気を引き締めるために手を何度か叩く。ちょっとした冗談がここまで騒がれるとは、アロイス自身も思っていなかったのだ。
三人が落ち着くのを見計らい、ゴホンと一つ咳払いをする。
「アタシはきちんと話しをした方が良いと思うわ。どんな結果になろうとも。もし、他の人から嘘がバレたら、エルザちゃんが物凄く後悔すると思うの」
心配そうにエルザを見つめる。まるで子を見る母のような優しさで、アロイスが多くの人に慕われる理由をエルザは再認識した。
「エルザちゃんが楽しむために、嫌な思いをしないために嘘を吐いた。そして、その事で悩んでアタシ達に相談した、ってことを真摯に話せばきっと大丈夫よ」
「……大丈夫、でしょうか」
アロイスはここで何も考えずに「大丈夫」と伝えることも出来る。だが、彼は詳しい事情を知らない以上、楽観視することはなかった。
「大丈夫だとは思うけど、それでダメなら謝り続けなさい。それでもダメなら間を置いて謝りなさい。それでもダメなら……諦めなさい。その子にとってそれだけ許せないことを、エルザちゃんがしたのだから」
「……そう、ですね」
アロイスにはっきりと言われてエルザは気付いた。結局、許してもらおうと考えるから怖いのだと。許してもらえない可能性のあることをした。後はそれを伝えて、マリア本人に判決を仰ぐのだ、と。
そう考えれば落ち込んだ気持ちは幾らかマシになり、ゆっくり大きく息を吐き出すと、今度はゆっくり大きく息を吸って身体の中の空気を入れ替える。
「よしっ、次会ったら話します。今は伝令役をしっかりとこなさないと」
いきなり立ち上がると、空を見上げてそう宣言した。それを座ったまま見つめる三人は、誰からともなく拍手を送る。
「エルザちゃんが燃えている」
「良いことだと思うわ」
「頑張りなさいな若人」
わざわざ伝令役など言ったことから、アロイスとテルヒは嘘を吐いた相手が誰なのか、ある程度の予想は立てられた。とは言え、それを確かめる理由も意味もなく、今は純粋にエルザの謝罪が上手くいくように願うのである。
そして、見回りから帰って来たセストが、途中で狩った猪でエルザは相談に乗ってくれた感謝の料理を作る。もちろん、相談してないとは言えセストの分もあるが、仲間外れの男一人、物悲しさも味わいながら肩身の狭い思いをして食すのだった。
◇◇◇
翌日、男性一人を除いて相談会を行い、より仲良くなった一行は無事に山を越えて、一般人の立ち入り禁止区域である麓の森から出た。これからは人がいる以上、山中のように早く駆けることは出来ない。
人を轢く可能性があるのもそうだが、メーリが転びまくる姿を晒さないためである。
「あー、悩みも解決して天気も祝福……って言えれば良かったんですけどね」
山を越えて見上げた空は、どんよりと重い雲が垂れ込めていた。気分同様にスッキリしたかったエルザは、残念そうに肩を落とす。
「まあ仕方ないわよ。山中で崩れなかったことに感謝した方がいいわ」
「だよねー、濡れた草とかぬかるみとか嫌だもんね」
山を降りただけで、今の場所には街道などは無い。アロイスは地図を広げて、目的地であるニールの町の場所を探す。ここからは南東の方角、歩いて五日ほど掛かる距離である。
ここから少々離れているが、この山が立ち入り禁止である以上、麓の森に人が入らないよう近くに人が住めないよう決めてあるのだ。
「それほど急ぐこともないのだし、のんびり行きましょう」
アロイスの言葉と共に一行は歩み始めた。天候はそれほど良くないが、エルザの足取りは軽く、気分良く鼻歌交じりに進んでいる。
今までのエルザはマリアに対する後ろめたさから、伝令役を完全にこなさなければならない、というある種の強迫観念すら持っていた。それが幾分取り払われ、気が楽になったのだろう。
「ふんふ~~ん?」
だが、何かに気付いたのか、鼻歌を止めて前方を凝視する。視線の先には人が立ち入らない平野らしく、草や若木が好き勝手に生えている平原。それ以外には特に何の変わったところは見られない。
しかし、何かに気付いたのはエルザだけでなく、後方を歩いていたメーリ達も同じだった。
彼らが向ける視線の先は……地面。特に怪しいところは見当たらないが、一様に戦闘体勢を整える。
「そんなところで様子を窺っている貴方は誰かしら」
「今すぐ出てきた方が良いよ」
アロイス、セストと入れ替わるように、エルザがメーリとテルヒの側まで下がる。そして一時の後、地中から何かが現れた。
「……よく気付きましたね」
空へと突かれた右腕の回転が止まり、メーリ達に視線を送る男は人間ではなかった。緑のツタを螺旋状に回転させる右腕、人型で人語を理解し人の許容量を超えた魔力。それらで示された事実は一つ。
「魔族」
そう呟くメーリ達に驚いた様子は見られない。
地中に潜ることは魔法を使えば人間にも可能だが、巫女を前にそんなことをするのは、敵対者かよほど会いたくなくて隠れているかである。そして、地中に何かが潜んでいれば警戒し、逆に様子を窺ってみれば人間の魔力を感じなかったのだ。
「魔王の関係者かな」
「ええ、僕の名はユオンゼ・アーガオ。魔王様にお仕えしています」
螺旋状になっていた右腕のツタが解け、編まれるように手の形へと変わっていく。
組みあがった右手を確認するように何度か握っては開き、深い緑色の瞳はエルザ達全員を見回して軽く笑った。
「私達を殺しにでも来たのかしら」
「いえ、単に今代の巫女とやらを見に来ただけのこと」
メーリ達は臨戦態勢だが、ユオンゼは一向にその気配を見せない。本当に様子を見に来ただけ、そう思わせる態度である。
「ただ、こうして出会った以上、少々確認してみるのも悪くありませんね」
しかし、その言葉で一気に場が緊張感に包まれ、ユオンゼはメーリ達一人一人の表情を確認する。
チリチリとした空気が肌を刺す中、最初に動いたのはユオンゼ。左手を胸の前で握り締め、手の平を開きながら横に薙ぐと、小さな魔力の塊が散弾となってエルザ達に襲い掛かる。
「確認、何て甘いことを言ってると――」
だが、それと同時に動き出したアロイスが、急所をしっかりと固めながら魔力の散弾の中を突き抜け、ユオンゼへと接近する。
大きな身体とは裏腹に俊敏な動き、小さいとは言え魔族の魔力を受けても揺るがぬ耐久力、そして――
「怪我じゃ済まないわよ」
気によって強化された肉体から繰り出される破壊力。少し距離のある場所から突き出した拳の圧力で、ユオンゼは後方へと弾き飛ばされた。
ナザリオと同じ事をやっていながら、拳を突き出すまでの滑らかな動きや速度は段違いで、吹き飛び地面を転がるユオンゼから威力の高さが分かった。
「セヤアァッ」
転がるユオンゼ目掛けて、セストが飛び込み槍を突き出す。
だが、これは右手から伸びたツタで絡め止められ、他のツタがセストを貫かんと襲い掛かる。
「――』ラズレントエア」
「――』ファイアーボール」
しかし、メーリの放った見えない空気の流れによって、襲い掛かったツタはセストに当たることなく上空へと流された。そして、攻撃直後を狙ったテルヒの火炎弾がユオンゼを襲う。
だが、ユオンゼは慌てる事無く、先ほどと同じように魔力を纏った左手で凪ぐようにして火炎弾を打ち返す。撥ね返された火炎弾はセストに向かい、再び空気の流れに乗って空へと打ち上げられる。
「もう一人居るよっ」
「アタシのことも忘れちゃダメよ」
防御した後の隙を狙って、エルザとアロイスが左右から挟み込むようにして襲い掛かった。
だが、これをユオンゼは右手のツタで再び迎撃。先ほどと同じなら耐えられる、そう考えたアロイスだったが、襲い来るツタに無数の棘が付いていることに気付く。
そして、一瞬の考えることなく直ぐに引いた。長年の戦闘経験から、危険だということを感知したのだ。それはエルザも同じことだったが、エルザは臆せずに突っ込む。
「てりゃあぁぁ」
しゃがみ込んでツタをかわすと、白滝の森で折れてしまい残り一本になったショートソードを構え、人型の胸を狙って突き刺す。
その一撃は見事ユオンゼの胸元へと吸い込まれた。だが、エルザは即座にその場を飛び退く。
「手応えが……」
「ご覧の通り僕は植物系の魔族でして、心臓なんかは無いんですよ」
そう言って笑い、理解しやすいように右腕を解いて何本かのツタへと戻した。貫く心臓が無ければ、そこを攻撃しても意味がないのは当然のことである。
生物の理から外れた魔族の出現だが、メーリ達は驚くことも絶望もしていない。むしろ笑みすら浮かべている。
「まあ、見た目からしてそうだろうね」
「ふふ、良いのかしらそんな事を言って。貴方の弱点を晒すようなものでしょう」
植物だから臓器が無いと言うのならば、植物にとって都合の悪いこともユオンゼには効くのではないか。そう伝えたテルヒに、ユオンゼは何の衒いも無く頷いて見せた。
「まあ、そうですね。ただ、あなた方が思っているよりも、魔界植物は生命力がありますよ」
「なら、これはどうっ」
テルヒはエルザに退くよう指示した後、手の平にある小さな火の玉をユオンゼに向かわせる。大きいと扱いにくいので抑圧されていた火の玉は、テルヒの手から離れると徐々に大きくなり、ユオンゼの側に来た頃には三メートルほどの大きさになっていた。
彼女の属性とは反対属性の火を扱って、これほどの攻撃が出来ることにエルザは驚く。
「火、ねぇ。確かに嫌いですけど、この程度なら僕を焦がすことも出来ません」
そう言うと、右手から伸びたツタで襲い来る火の弾を包み、近くに居たセストに投げつけた。
「いいのかな、これ貰うよ」
槍を向けて襲い来る火の玉を突き刺すと、風を巻き起こして穂先から炎が渦をなす。そして、向けられたツタを炎の渦で焼きながら、熱せられた槍で切り落とした。
「グゥァ、熱イ」
ここにきて初めて焦った声を上げ、切り落とされたツタを引き寄せようと右腕を引く。
ただの炎なら耐えられるが、切断面を焼かれればさすがのユオンゼも苦痛に表情を歪める。切断面を見れば黒く焼け、焦げた臭いが辺りに漂っていた。
植物で臓器が無いとは言え、痛覚がなければ生物として生存はしていけない。ユオンゼは焦げた部分より手前の細胞を死滅させると、切り落としてツタの再生を図る。
「そんな余裕は無いわよ」
だが、メーリの魔法により全員が微かに宙に浮かぶと、アロイスが地面を滑るようにしてユオンゼの周囲を回りながら距離を縮めていく。
そして、テルヒが地面に手を添えると手の平を中心に大地が凍りつき、草や若木など地面に触れているものも凍らせていく。
当然、地面に立つユオンゼの身体も足下から凍り始め、目に見えて分かるほど動きは悪くなる。
「くっ、身体がッ」
「散りなさい」
ユオンゼに振り下ろしたアロイスの右拳には、周囲をぼかす透明な球体が付いていた。
これはアロイスの中に流れる気を圧縮したもの。これを相手の身体に打ち込むことで、体内から外へと広がる衝撃を与えるのである。
「ぐ、ぐああぅぁっぁぁぁ」
その威力は余剰に漏れ出た衝撃だけで大地を穿つ。直径五メートルほどの穴がポッカリと開き、アロイスは中央部分へと落下した。
穴の中を見回すが、先ほどのテルヒの魔法で地中も軽く凍っている程度で、ユオンゼの姿は見当たらない。内部から弾けて、目に見えないほど細かく消えることは間々ある技だった。
「これで終わったのかしら?」
「一応、地中も凍らせる魔法は使いましたけど、地中深くとか遠くにまで根を張ってれば意味無いでしょうね」
植物系の魔者と言えば、一番厄介なのがその生命力。ある程度でも根が無事なら、そこから再生することも可能となるのだ。
テルヒはそのことを踏まえて、氷魔法を放ったのである。と、ここでメーリが何かに気付いたのか手を叩く。
「根っこか……そだ、お水をいっぱいあげてみよう」
そう言うや否や、アロイスの開けた穴に水が満タンに埋まるよう水をかき集める。そして、アロイスに穴から出てもらうと、穴を埋めるように蓋をする。
水を必要とする植物も、過剰に与えると根が腐ってしまう、それを思い立ったのだろう。
「そう言えば、候補生の時に私のサボテンが枯れてたけど……あれ、メーリが水をやり過ぎてたのよね」
「うそっ、何で知ってるのっ」
「あの後で枯れる理由とか聞いてきたじゃない。どうせ、その時のことを思い出したんでしょう」
図星である。メーリは気まずくなって、そそくさとその場を離れた。その後を追ってテルヒ、セストと続き、最後にアロイスとエルザが追いかける。
「アロイスさん、さっきの一撃凄かったですね」
「あら、ありがと。何なら教えてあげましょうか?」
「えっ、良いんですか」
アロイスの流派を知らないが、あの一撃は奥義とも呼べる一撃だった。それを簡単に教えるというアロイスに、エルザは驚き思わず足を止める。
「えぇ、若い子の成長って見てて嬉しいから。アタシって教え魔なの」
こうしてエルザはニールの町に着くまで、アロイスから武術を教えてもらえることになる。それは数日という短い間で、結局別れる時までに技の取得は出来なかった。
当然と言えば当然のことで、アロイスも落胆することはない。むしろ、再会した時の楽しみが増えた、と笑っていたほどだ。
そして、エルザは修行を続ける。いつの日かあの一撃を己も放てるように、アロイスに教えてもらった成果を見せることが出来るように。
メーリ達が立ち去った後、穴を埋めていた水から気泡が浮かび、五メートル以上空いた穴の更に下から何かが飛び出す。それは戦闘前と何ら変わりない、怪我らしい怪我を負っていないユオンゼの姿。
ユオンゼは身体に付いた水滴を吸い取ると、メーリ達の去った方向へと身体を向けた。
「あれが大海の巫女か。そんなに脅威ってわけじゃないけど、アロイスって人は強いな。身体の中がボロボロだよ」
何かが割れるような音が響き、ユオンゼの左手にひびが入る。ただ、それを何の躊躇もなく切り落とすと、直ぐに再生させた。
「でも、巫女が一人ずつで今の状況なら、あれも――」
今度は顔全体がひび割れる。ユオンゼは面倒そうにやれやれと首を左右に振ると、首を刎ねて再生させた。
「はぁ、面倒だな。まあ、大海の巫女の力は見れたんだし、次の目的を果たそうか」
そう言うとメーリ達が去った方角に背を向け、彼女達が降りてきた山を見上げた。その表情は口角を吊り上げて笑い、楽しそうに見つめる視線の先は山を越えた向こう。
「名前は何て言ったっけ……そう、白滝の森だったかな」