第六十二話
ユオスデから旅立って数日。レオとリカルドの二人は、特に不都合が起こる事無く旅を続けていた。ときおり街道沿いに出てくる魔物もそれほど強くはなく、レオ一人でもある程度は問題ないだろう。
ただ、やはり一人で旅をするのは危険であり、その点リカルドが居れば賑やかしだけでなく、戦力としても十二分に足る存在だった。
「さすがに強いな」
「まあねっ、そう言うレオも良く周りを見てる。一緒に戦いやすい」
リカルド一人だけでも戦闘を終わらせられるが、そこはこれから教えられる魔法の腕と、教える剣の腕を見たかったリカルドによって、戦う事になっている。
「そっちに行ったぞ」
「でもさ、何かこっちに誘導されてる気もするんだよねぇ」
最後の一体をリカルドが倒し、剣に付いた血を拭い去る。
そして剣を納めた二人は、レオが魔法で空けた穴に魔物の死体を埋める作業に入る。こうしておかなければ、血と死肉に誘われて新たな魔物が街道にまでやって来てしまうからだ。
これもギルドでの飲食と同様、冒険者達の決まりとなっている。
「いいなー、やっぱ魔法は便利だ。俺だけだったら、街道沿いのどっかに置いてあるスコップを探して戻ってきて、穴を掘って埋めてで大変だもんねぇ」
「素手とか剣で土を掘る人も居るらしいな」
もしくは、折り畳みのスコップを持って旅をするかである。
そして遺体を土の中に埋めると、レオには出来ないので未だ清めの魔法が使われていない証として、術印を埋めた場所に描いておく。これで清めが出来る人が街道を進めば、払っておいてくれるのだ。
リカルドは周囲とは色の違う土を見ながら後ろ向きで歩き、少々つまらなそうに文句を垂れた。
「それで、魔法はいつになったら教えてくれるんだー」
旅立って数日の間、レオは魔法の概念や物事に集中させることなどをさせ、詠唱など実技的なことはを教えてこなかった。
リカルドには「これが初歩の初歩の初歩」と伝えてはあったが、実際には彼の人となりを理解する期間でもあったのだ。
文句というよりも愚図るリカルドを見て、大体彼の人となりも分かったレオは魔法を教えることにした。
「そうだな。それじゃあ、そろそろ簡単なライトからやってみるか」
その言葉を聞いて、リカルドは待ってましたとばかりに勢い良く振り返り、急いでレオの側へと駆け寄った。その様子から遊んでもらう時の犬を思い出すが、実際には三十の男である。
レオは頭を振ってそんな考えを追い出すと、力の抜けた左手を胸の前で上向きに構える。
「ライト」
そして術印を手の平に書き魔法名を告げると、手の平から小さな光の球体が現れる。
太陽の輝く昼間であり、レオが魔力を抑えていこともあって、作られた光はそれほど眩しい輝きではない。ただ、それを人差し指で指すとクルリと宙で回し、右手に向かわせて握り消した。
一連の動きに拍手を送るリカルドに視線を向け、レオは一つの質問をした。
「光り輝く明るい物と言われて、直ぐ思いつくことはあるか?」
「サク爺の禿げ上がった頭」
「ならそれを思い出しながら『光れ』とでも唱えて」
返事は直ぐに返ってきて、レオの言葉にリカルドは「分かった」と言って目蓋を閉じる。
魔術師が使っているロッドは集中しやすいように出来ていて、それを持っているだけでも随分と違うだろう。ただ、それを持っていない事とは関係なしに、レオはリカルドが失敗するだろうと考えていた。
「……ぶふぁあっははは」
「まあ、そうなるだろうな」
目を瞑ってしばらくは集中しようとしていたのだろうが、途中から口がモゴモゴと動き出し、仕舞いには噴出して笑い声を上げてしまう。レオの予想通りである。
「い、いや、魔法ってこんなに難しいのか。笑いを堪えるの大変だよ」
「普通の人は太陽とか照明って答えるぞ」
ちなみにレオの場合は、前世の知り合いが放つ銀色の炎である。
涙を浮かべながら腹を抱えていたリカルドも、何とか落ち着きだし目元を拭う。
「じゃあレオの言う通り、太陽とかに変えようかな」
笑って魔法が使えないのなら、そうした方が懸命だろう。ただ、レオは素直に賛成することはなく、少しばかり表情をゆがめた。
「魔法で直感は大事にした方がいい。明かり位なら弱まっても問題ないが、攻撃や回復、補助に妨害が弱まると困るぞ」
「わ、分かった。頑張ってみる」
少しばかり頬を引きつらせながら、リカルドは気合を入れ直す。サク爺とやらの禿げ頭が浮かんだのは、冗談などではなく本気なのだから、どうしようもない。
リカルドは笑いを堪えながら光を放つ練習を繰り返す。とは言え、直ぐに出来るはずも無く、出来たとしても左手が僅かに輝く程度でしかなかった。
そして、繰り返しては休憩を挟みつつ手に集中する。
しかし、一向に良くなる気配すら無く、ぼんやり輝く手を見ていたリカルドだったが、何か名案が浮かんだのかハッと顔を上げてレオを見た。
「術印使えば補助になるんじゃ」
「あれは基本が出来てからだ。じゃないと碌に覚えない」
「……もしかしてレオって結構厳しい?」
だが、その案はレオに呆気なく駄目出しをされ、肩を落としながらポツリと呟いた。だが、そんなリカルドの呟きはレオの耳に届かず、魔法の練習はまだまだ続く。
◇
旅の歩みにはバラつきがあるもので、どうしても日没までに町まで辿り着きそうもないという時がある。そんな時には、野宿する場所を日が沈む前から決める必要があった。
今日は街道沿いに生えている木の下。雨の心配はしなくていい、というほどではないが、無いよりマシといったところである。
「薪はこんなもんか」
落ちて乾いた枝葉を拾い、一箇所にまとめて置いておく。そして簡単な食事の準備を終わらせれば、夕食まではレオの剣の訓練である。
二人は寝床や街道が壊れないように、少し離れた場所へと移動した。
「さぁーて、楽しい訓練の時間だぞっ」
「生き生きしているな」
ここからは師弟が逆転する。ただ、レオは前世で剣術を習っていて、師匠を上げろと言われればその魔族の名を上げるだろうし、リカルドもレオが誰からか習っていたことは気付いていた。
ただ、レオにも習う側としての礼儀は持ち合わせてある。訓練中の喋りはいつも通りだが、始まりと終わりだけはきちんと頭を下げて感謝と敬意を表す。
「よろしくお願いします」
「任せときなさい」
二人はある程度の距離を取って剣を構える。
これは訓練であって模擬戦ではなく、剣の訓練である以上レオは魔法を使わない。そして、打ち込むのはレオからで、それにリカルドが対応するというのがこれまでの内容だった。
「ハアァッ」
「踏み込みが甘いねっ」
斬りかかるレオの剣を踏み込んで受け止め、二つの剣が押されあう鍔迫り合いの状態。しかし、二人の様子は正反対と言っても良いほど違う。
レオは歯を食い縛って力を込め、リカルドは余裕の笑みを浮かべながらレオの様子を見ている。
「ぐっ、余裕だな」
「当然、これ位は出来ないとねぇ」
リカルドが見ているのは、レオの目や筋肉の動き。それらは直接目で見るだけでなく、押し合う剣を伝わって感じている物もであった。
そして、絶妙のタイミングで剣に込めた力を抜くことで、レオを前のめりにさせて足を掛ける。この一連の動きは簡単にかわせないほどで、レオはそのまま地面に転がされてしまう。
「チィッ」
今までの訓練でリカルドが追撃してこないことは分かっているが、訓練である以上レオは追撃に備えて急いで立ち上がり、剣を盾にしながらリカルドとの距離を取る。
完全な実力の差。格が違うと言うべきか、傍目に見た通りの大人と子供である。
だが、レオは息を整え再び打ち込む。再び鍔迫り合いになり、レオは力を抜かれることも考えながら、リカルドに一撃を入れる方法を考える。
「ほいっと」
そんな力の抜けるような言葉と共に、レオの剣は上へと弾かれ、リカルドの長い足が腹目掛けて襲い掛かる。しかし、これには即座に反応して、後方に跳ぶことで掠らせることすらさせなかった。
「さすがは魔術師型の魔法剣士。避けるのが得意だねぇ」
これはリカルドの挑発などではなく、純粋に関心しているようだった。
ただ、次の瞬間には陽気な笑い声を上げて、レオを挑発するかのように声を掛ける。
「どうした少年、疲れたのかー」
「まだまだッ」
肩で息をするレオもそれに応え、大きく息を吐き出すと何度目かの打ち込みに入る。
だが、今回のリカルドは受けに回るのではなく攻めに転じた。レオが突撃した後で、自らも前に出てレオとの距離を詰めたのである。これに対してレオは一旦後方に跳んだ後、直ぐに横手に回って再び突撃を行う。
リカルドが攻めに入った以上、今日の攻撃の練習は終わりになるだろう。これからリカルドが止めるまでは、必然的に守りの訓練になってしまうのだ。
レオの剣の訓練もまだまだ終わらない。
◇
夜、レオは擦り傷でボロボロになった身体を焚き火に向けていた。
今日の夕食は、ユオスデで買い込んでいたいたパンと野菜の入った塩味のスープ。料理というほどのものではないが、街から出たばかりなので野菜は新鮮なままである。
外灯など置かれていないこの辺りで目立つ明かりは、この火と空に輝く幾千万の星々と半分ほど姿を見せる月だけだった。
「何とか手がぼやっと光るまではいけたけど、あれから球体にして浮かすとか……えー、座ってたサク爺が立ち上がるようなもんか」
火に薪を焼べながら言った自分の言葉に耐えられず、リカルドは噴出してしまう。そして、薪が爆ぜて火の粉が舞い上がるのを見ながら、レオは次の魔法の練習へと取り掛かろうとしていた。
「リカルド、次の練習だ」
「ありゃ? まだライトも上手く出来てないのに?」
「あぁ、夜にやった方が効果的だと思ってな」
不思議そうに小首を傾げるリカルドの問いに、レオは荷物を漁りながらそう答える。取り出したのは手帳、その中の紙を二枚ほど千切って一枚をリカルドに渡す。
受け取ったリカルドは手首を返して紙の表裏を見るが、至って普通の紙でしかない。
「リカルドは想像力豊かな方だろうが、結局は目の前で起こっていることの方が分かりやすい」
そう言ってレオは焚き火に手をかざし、それを真似してリカルドも手をかざす。
昼間よりも気温の下がった夜で温かい存在。パチパチと音を立てながら薪を燃やし、焦げ臭い煙を放つ。燃え盛る炎は風に煽られて、ゆらゆらと形を変えている。
確かに何も無いところで、今以上に物が燃える様子を想像するのは難しいだろう。リカルドはそう思いながら、今は師であるレオを見つめる。
「いいか、このまま炎を見つめろ。そして、音を聞いて匂いを嗅ぎ、肌で熱を感じながら静かに目を閉じる」
紙を持っていない方の手を焚き火にかざしたまま、レオは目蓋を閉じて紙を炎と目の間に持ってくる。
「目線の先で風に揺らめく炎の光を追いかけ、燃え盛る炎を感じたのなら、紙を持った指に意識を集中して一言だけ告げる。『燃えろ』」
その言葉と同時にレオの持っていた紙に火が点く。ただ、レオは紙の上端を火の根元に来るようにしていたので、上端から燃えていき火傷を負うような事はなかった。
そして、紙から手を離せば焚き火の中へと吸い込まれていき、そのまま燃え尽きてしまう。
「おぉ、凄い」
「意識を集中させれば自然と魔力は集まって、目の前で燃えているのを意識さえすれば、詠唱が無くても紙ぐらいは燃やせるぞ」
「……分かった、やってみる」
リカルドはレオと同じように焚き火をじっと見つめ、片手をかざしたまま目蓋を閉じる。そして、突然燃え出すのが怖いのか、紙の端っこを持って顔と焚き火中間へと移動させた。
目蓋越しの紙越しという状況でも、火の光と揺らめきを感じ取った後で口を開く。
「『燃えろ』……」
そして、言葉を発してチラリと薄く目蓋を開けるが、手に持った紙を見ても特に変化は見られなかった。
「燃えろ。燃えろ。燃えろ――」
「そう適当に燃えろと言っても意味が無いぞ。心を落ち着かせて、一回一回、火が燃える様子を感じ取る」
レオに落ち着くように言われ、リカルドは空を見上げると、炎ばかりを見て未だ残像の残る目を瞬かせながら、息を大きく吐き出す。
物静かに口数の少ない夜は更け、今日リカルドの成果は紙が微かに黒く煤けた程度だった。
◇
翌朝、太陽が昇り鳥達が騒ぎ始めると、先に動き出すのは大抵レオで、その気配を感知してリカルドも目覚める。
「おはよう」
「ん、おはよー」
朝の挨拶を交わして先ずすることは、レオは顔を洗うために魔法で水を集めること。
そして、リカルドの役目は火を熾すこと。大抵は魔法で点けられる火だが、魔法の使えないリカルドは火打石を持ち歩き、他にも木の棒で擦らせて火種を作る方法も使えた。最終的に魔法で火を点けるのが今の目標である。
周囲に川が無いので水気が少なく、小さな集まりにしかならないが、ふよふよと宙に浮かぶ水の球体から水をすくって顔を洗う。
次に朝食の準備だが、これは昨日の残りを温めなおしたものである。
「二日目はこれにバターで炒めた小麦粉に、スパイス何やらを入れたルーを混ぜてっと」
「使いまわしの基本だな」
ただルーを混ぜただけだが、それだけでも味が変わるのでお手頃である。
朝食を済ませると、再びレオが水を集めて食器洗いと歯を磨き、残りの水は薪にかけて完全に火を消しておく。また、確認のためにリカルドが後を焚き火跡を踏み潰しているが、その様子はまるで子供のようである。
そして、荷物を背負って再び旅路を進む。これから向かう方角は東であり、目覚めた時よりも高く昇った太陽を眩しそうに眺める。
「あー、良い天気だー」
「雨の心配はなさそうだ」
晴れ渡った空を二人で見上げ、今日は天候の心配をしなくて良さそうな事に安堵し、自然と笑みが浮かぶ。天気が良ければ、気分も晴れ晴れとし足取りも軽くなるものだ。
ただ、昨日から始まったリカルドの魔法の練習が始まり、剣の訓練でレオの疲労が高まると、一日に歩ける距離は短くなってしまうだろうが、これが二人の旅の歩みである。