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Elsaleo ~世界を巡る風~  作者: 馬鷹
第五章 『別れ』
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第六十話



 エルザ達の力を奪い、メーリ達の動きを制限していた紫色の簡易結界が壊れた。それを見たナザリオはエルザに構う事無く、ミレイユのところへと移動し、エルザもそれを追うのだった。

 ただ、エルザもあの場で何が起こったのか気になるので、無理にナザリオを止めることは無く、やや後方から付いて移動している。


 既に日は落ち、辺りは暗い森の中。カルリ一族として生活していたナザリオはそのまま走れるが、さすがにエルザは練り上げるのを止めて魔法の明かりを使用している。

 そして、暗がりからでも分かるほどに光っている、第十八監視小屋のある畑へと戻ってきた。


「ミレイユさんっ」

「メーリさん」


 そこに広がる光景に、二人は言葉を失う。


「あっ、エルザちゃんお帰りー」

「ナザリオ君、どうでしたか?」


 緊張感のない声が二人から発せられる。地面には壊れた水晶とロッドが転がっているものの、それ以外に戦闘後は見当たらず、メーリの魔法により光源が置かれ、真昼の森よりも明るい。

 それに加え二人の距離は多少離れていて、ミレイユ側にはアロイスが立って警戒しているものの、この場に殺伐とした空気は流れていなかった。


 エルザは今の状況をアロイスに尋ねようと思ったが、護衛の邪魔になるかもしれないので、壊れた水晶を調べているテルヒに話しかけた。


「えっと、テルヒさん?」

「だって戦っても意味がないもの」

「意味って……あの人を捕まえるとか」


 ミレイユは地面に座ったまま、駆け寄ったナザリオと話しをしている。今回の事件の犯人であり、結界を壊したとは言え油断ならない相手のはずだ。

 だが、テルヒはそう言われて納得がいったように頷き、談笑を続けるミレイユを指差した。


「あぁ、気付いてないのね。アレはただの媒介、つまり偽者よ」

「うえっ、本当ですか」


 エルザは驚きじっとミレイユを見つめるが、本物の人間にしか見えない。


「アレに出来るのは、会話をしたり動いたり簡単な魔法を使う程度。倒しても意味が無いわ」

「あぁ、だからメーリさんは談笑しているように思わせて、情報を聞き出そうとしてるんですね」

「いいえ、あれは単に暇だからよ」


 そうだろうなと思っていた通りの言葉に、エルザは驚きも落胆もせずに曖昧に笑った。つまり、今回の事件はほぼ終わったと考えて良いのだろう。


「納得いかねえよっ」


 しかし、ナザリオは声を荒げて肩で息をする。その眼差しはミレイユから逸れる事無く、変わらぬ意志を感じ取ったのか、彼女は仕方なさ気にため息をこぼす。


「ならこうしましょう。あちらの魔闘士の彼女とナザリオ君が一対一で戦い、勝てばまだ続けましょう。負ければこの身体はメーリ様にお任せするということで」

「えー、そんなのもらっても――」

「分かった。俺が勝てば良いんだな」


 振り返ったナザリオはエルザを鋭く睨みつけ、強い意志の込められた視線にエルザは思わず仰け反る。


「もう戦っても意味がないわよ」

「いくらアロイスさんの言葉でも、聞くつもりはありませんよ」


 最早、何を言っても無駄に終わるだろう。アロイスとの会話中も視線はずっとエルザを捉えたままで、ここまで来ればエルザも笑みを浮かべる。


「いいよ、納得するまで相手してやろうじゃないの」

「はっ、余裕ぶってるのも今の内だ」


 そして二人はメーリ達から離れた場所で再び対峙し、気を利かせたテルヒが結界を張った。これは周囲への影響を抑えると共に、カルリ一族が入ってきて邪魔をしないようにである。


 両者ともに先の戦いで少しばかりの疲労と、左腕から血を流す傷を負っている点は同じだが、実力も経験もエルザの方が上。それは当の本人であるナザリオが一番理解していた。


 深く息を吐き出し気を整えると、会話中は解いていた闘気を練り上げる。そしてエルザを睨みつけ、拳を握り締めた。


「行くぜ」


 二度目の戦闘の先手を取ったのもナザリオ。深く腰を落として強く大地を蹴ると、一気にエルザとの距離を詰め、そのまま身体ごとぶつかりに行く。

 小手先の変化程度では無理だと分かっている以上、勢いか気持ちでしかないと考えたのである。


「そんな直線的な動きをするには、ナザリオくんは遅すぎるねっ」

「チィッ」


 二人が対峙した時の距離はそれほど離れていなかった。だが、ナザリオが突っ込んで肉薄するよりも早く、エルザは横手に回る。舌打ちをしたナザリオは踵を地面に埋めるようにして急停止するが、その止まった一瞬を狙ってエルザが跳躍した。


「突っ込むならこれ位しないとっ」


 一回踏み込んだだけで距離を詰める。途中走ることはなく、空を飛んだと言った方が正しいだろう。

 ナザリオは慌てて肘から拳までをピッタリとくっ付け、腹から顔の防御を固めた。籠手についた魔者の顔が襲い掛かるエルザに向く。


 この禍々しい籠手はミレイユ曰く防具とのこと。殴るよりも攻撃してきた相手を傷つけるための防具。魔者の口で剣類を受け止めることも、相手を削ることも可能となっているのだ。


「そんなに防御を固めちゃ、こっちの動きなんて見えないでしょっ」


 エルザはナザリオの直前で左足を地面に着けると、勢いを乗せたまま横蹴りを放つ。狙うのは手の甲、角が生えているがそれは手の先へと向けられているだけで、そこを蹴る分には怪我をする心配がないのだ。

 そして、押し出すように蹴られたナザリオは、踏ん張りきれずに跳ばされる。


 相手のやりたかった事をより高いレベルで見せ、一撃目から相手の自慢の武具の上から攻撃し、それが通用しないと見せ付ける。確実に心を折りにきた戦い方だった。

 それというのも、ナザリオが今回の事件を手伝った理由を聞くため、早々に決着を着けたかったのである。


「どう、まだ負けを認めない?」

「はっ、全然効いてねぇぜ。オラ、もっと気合入れて掛かって来いや」


 だが、ナザリオは仰向けに倒れていた身体を起こして挑発をする。蹴られたというよりも押されただけなので、効いていないというのは事実。だが、エルザは変な考えが脳裏を過り、人知れず眉を顰めた。


 それは蹴りが効いてないからではない。前世と同色の髪に生意気で自分と似て負けん気が強い年下。白滝の森という故郷に帰って来たこともあってか、弟が居ればこんな感じかと思ったのだ。

 そんな思いを胸に抱きエルザは笑う。


「いいよ、ボロボロにしてあげる」

「へっ、言いやがったな」


 手招きをして挑発してみせ、それに対してナザリオも笑う。

 だが、そのまま突っ込んで来ることはなく、呼吸を整え時間を掛けて闘気を練り上げていく。闘気の出力を多くすることで、届かない実力差を埋めようとしたのだ。


「……ッ」


 踏み込み一気にエルザとの距離を詰める。先ほどとは比べ物にならない速度で、エルザも正面から受け止められるように重心を低く落とした。

 突き出された右拳。そこから伸びる二つの角が、拳を受け止めることを躊躇させるだろう。だが、エルザは角を指の隙間から逃して難無く受け止めた。


 左も同様、二人が組み合う。


「力なら、負けねえぞ」

「無理してる人に言われてもねぇ」


 エルザは軽口を叩くが力比べでは徐々に押し込まれ、このままでは潰されると思ったエルザが、腹目掛けて横蹴りを放つ。

 だが、それを読んでいたナザリオが左足で受け、片足状態のエルザを地面に叩きつけるように潰し投げた。


「どうだ、負けを認めるかっ」


 そして、先ほど言われた言葉を言い返す。ただ、その表情はやや苦しげに歪み、肩で大きく息をしている。無理に闘気を練っていて、身体に負荷が掛かっているのだ。

 先ほどのナザリオ同様、星の煌く夜空を見上げるエルザは、愉快そうに笑い声を上げる。


「気持ちが入ってるねー。いいよ、その覚悟(ぜんりょく)に応えてあげる」


 ピョンと飛び起きたエルザは「見てなさい」と呟き、今までとは比べ物にならない闘気を一瞬で練り上げる。身体から立ち昇る闘気はまさに壁。ナザリオは思わず声を漏らし、エルザから立ち昇る闘気を見つめる。

 だが、次の瞬間には闘気が消え、驚いたナザリオがエルザに視線を戻すと、既に目の前まで向かって来ていた。


「なっ、ぐっ」


 急いで防御の構えを取ろうとするが、それよりも速く胸を押される衝撃を受けて吹き飛ばされた。

 そして、再び巨大な闘気を感知して徐々に消えていく。その流れを感じれば今エルザが居るのは、吹き飛んでいるナザリオの後方。ナザリオは次の衝撃に備え、脇を閉めて身体を丸める。


「慣れれば、こうやって使いたい時にだけ爆発させる方法もあるんだよ」


 この爆発の方法以外にも、部分的に使用する方法もあるが「今のナザリオではその段階ではない」と思い伝えなかった。ここに来て、エルザは「稽古をつけてるみたい」と思わず笑みがこぼれる。


 笑顔で背中を蹴られたナザリオは、地面を転がりながらも体勢を整えて、しゃがんだまま防御の構えを取る。


「ぐっ、マジで強いな、アンタ。俺以外の魔闘士は死んだ師匠(ジジイ)しか知らねえけどよ」

「まあ強いとは思うけど、私よりも強い魔闘士なんて他にもいるよ。……メイドさんやってたけど」

「……は?」


 強い魔闘士という言葉とメイドが繋がらず、思わず間の抜けた声を出したナザリオ。それは強さを認めた事といい、エルザに心を許してきている証拠でもある。だからこそエルザは再び聞く。


「何で今回の件に手を貸したの」


 肩で息をするナザリオは回復の為に話すことを決めたのか、闘気を抑えると無言で立ち上がり視線を森へと向けた。


「……俺はこの森が嫌いだ」


 ポツリと呟かれた言葉だが、それを聞いて驚く人はいない。こんなことを仕出かした以上、想像に難くない言葉だったからだ。


「余所者を嫌う癖に客人が来れば頭を下げて、外の話を聞いてれば『子供を惑わすな』としか言わない。そして、俺が外の話しをすれば不愉快そうに離れていく」


 ナザリオの動機を聞いて、エルザは二つほど納得が入った。一つ目は彼の妹イデアのこと。

 彼女が外に興味を持っていたのは、兄であるナザリオの影響を受けていたのだろう。そして彼女が外に興味を持っていながら、それほど邪険に扱われていなかったのも、イデア以上に外を興味を持ち嫌われていたナザリオが居たからだ、と。


「いっそこんな木が無くなりゃ、風通しが良くなるかもな」


 そして二つ目、弟みたいと思ったのは間違いではなく、昔の自分に似ているのだ、と。

 エルザは十二の頃に大師聖母に連れられて森を出て行ったが、ナザリオはそれから二年もの間、周りに味方が居なかったのだろう。


「なるほど、分からなくはないよ」


 閉鎖した空間で、閉鎖した己の中で出した決断。相談する相手も居なければ、相談に乗ってくれる人も居ない。歪んだまま成長してしまったのである。

 ただ、そんな状況でも素直に成長する人もいる。エルザは同情するつもりは全くなかった。


「でも、それならさっさと森から出ればいいだけでしょ。こんな事をしなくてもさ」

「ああ出るさ。これが終わればなッ」


 そして戦闘は再開。闘気を爆発させて襲い来る拳をエルザは受け流そうとした。


「うあっち」


 だが、今までは我慢できる程度だった熱気の温度が上がり、反射的に手を引いてしまう。そして、拳はそのままエルザを襲った。

 強引に身体を捻ったことで、角が貫通することは無かったが、左腕の傷を増やしてしまう。しかも熱波による火傷付き。


「ぐぁっつぃ」

「どうした、動きが鈍ったみたいだな」


 疲れた表情は変わらないが、先ほどよりも強く輝く瞳のナザリオは、籠手の変化に気付いた様子はない。

 無意識の内に温度を上げたのか、何かの要因があって勝手に温度が上がるのか。そんなどうでもいい事を考えながら、エルザは両拳を叩きつけながら、左腕の闘気だけを増やして傷を回復させる。


「強引にでも抜ける」


 決着の時は一瞬。右手を引いたまま走り出すエルザと、繰り出された後の拳に狙いをつけるナザリオ。当然エルザが先に動く。上手く力が抜けた右手を更に引くと、闘気を再び爆発させながら手首を返して、一直線に押し出す。

 そして、突き出される右手を狙って、ナザリオも右拳を突き出した。


 だが、二つが衝突する前にエルザは右手を止めて引く。

 フェイント……そう思ったナザリオがエルザの左手を見れば、確りと握られたまま既に動き出していた。

 エルザと違い、既に出された拳を変えることの出来ないナザリオは、やや強引に拳の軌道を修正する。相手の拳は無理でも角が腕に掛かれば良い、と考えたのだ。


 しかし、その角がエルザを引き裂くことは無かった。風が吹いたのだ。

 強い風がナザリオの胸を押し出すように吹き、上体は無理やり起こされて右腕も脇の下から持ち上げられてしまう。


 風を起こしたのはエルザ。最初の右手はフェイントではなく、風を起こす為のもの。

 そして、無防備なナザリオの腹を目掛けてエルザの左拳が襲い掛かるが、攻撃を捨てた左手の甲で何とか受け止める。


 だが、そんな事はお構いなしにエルザは左拳を振り抜き、ナザリオの拳が自身の腹へと埋まっていく。籠手がひび割れる音を聞きながら、ナザリオの意識は暗がりへと落ちていき、最後に耳に届いたのは――


「強くなったよ。今度はそんなの無しでやろう」



 ◇



 吹き飛ばされたナザリオは地面を二転三転し倒れたまま。左手に着けられた籠手は見事に壊れ、魔者の顔の破片は地面に点々と散らばっていた。

 戦いの勝者はエルザ。最初の戦闘から優位は変わらず、予想出来た結果でもあり、即座にメーリが治療に入る。


「素晴らしいですわ」


 そして、ミレイユは拍手をしながら立ち上がり、純粋な好意の笑みを浮かべる。セストとアロイスはそんな彼女を警戒し、メーリとの進路上に立って様子を窺う。


「やはり人の感情は美しく、これこそ魔王様が喜ばれるものですわね。ナザリオ君も最後は激情を発して、あの籠手も上手く扱えていましたわ」


 拍手を送った両手を胸に押し当て、余韻に浸るミレイユにエルザが話しかける。


「一つ聞いても良いかな。もし今回の事が成功したら、ナザリオくんは連れて行くつもりだった?」

「当然ですわ。魔王様を崇める同志を拒むつもりはありませんもの」

「……崇めるつもりがなかったら?」


 ミレイユは表情を変える事無く微笑んだまま。しかし、その答えを返すことはなかった。


「確か貴女、エルザさんでしたわね。どのような人生を送ってこられたのか分かりませんが、貴女にはメーリ様方と同じかそれ以上の深みを感じますわ」

「それはどーも」


 エルザをじっと見つめた後、この場に居る一人一人に視線を送る。最後は倒れているナザリオと彼を治療するメーリ。


「それではそろそろ失礼致します」


 そして、彼らに対して深々と頭を下げたミレイユが再び頭を上げると、顔には亀裂が走り身体には罅が入っていく。ただ、その事に驚いたのはエルザだけ。


「先ほども申し上げた通り、この身体はメーリ様に差し上げますわ」

「だから、そんなのいらないんだって。ほら、これでしょ」


 メーリは地面から土を摘んで持ち上げた。

 その言葉を証するようにミレイユの左腕が崩れ落ち、地面に転がった頃には黒色の土の塊。そして、水分が抜けるようにカラカラに乾き、ボロボロと崩れていく。


「ナザリオ君には『貴方は自由、成したいことをなさい』とお伝え下さい」

「……今の状況で言われても、アタシには無責任な言葉にしか聞こえないわよ」

「そうかもしれません、私は責任を負う立場に居りませんから。それでは、またお会い致しましょう」


 最後の言葉が発せられると身体の崩壊は進み、最後に立っていた場所には土が盛られて、その中で赤く煌く一点の石。

 握り拳ほどの大きさのそれは四方八方に棘を伸ばし、ミレイユだった物が壊れても二足で立っているかのように存在していた。


 それが何であるかを確認するよりも早く、森から飛んできた黒く大きな鳥が石を掴んで空高く飛んでいく。それを見たセストがアロイスに尋ねる。


「落としますか?」

「別に放っておきなさい。どうせ媒介は直ぐに創れるんだし、ミレイユって子もメーリちゃんが断ったから持って帰っただけでしょう」


 それに相手が呪術師である以上、気を付けなければならない。

 その言葉に納得したように頷くセストは、アロイスと共に治療を受けるナザリオの顔を覗き見て、テルヒは張っていた結界を解きエルザの治療に入った。


 結界が解かれたことで、他の人達もやってくることだろう。ただ、その時に無意味な暴力が振るわれないよう、セストは警戒を解くつもりはなかった。

 憑き物の落ちたように、スッキリとした寝顔のナザリオが、これ以上故郷を嫌って欲しくなかったからである。




 ◇◇◇




 翌日、すっかり戦いの傷の癒えたエルザ達は、既に出発の準備を済ませて旅立とうとしていた。一人でこっそりと前世の両親の墓参りをしたエルザは、大樹の下で別れの言葉を交わしているメーリ達の所に戻る。


 そこには左腕を釣ったナザリオの姿もあり、メーリによれば複雑骨折とのこと。壊れた籠手の破片も突き刺さり皮膚は熱波で焼け、治療するのが大変だったとぼやいていたのをエルザは思い出す。

 そして、森から追放されるナザリオを、入り口にある小屋まで連行することになったのだ。そこで四聖会の人間に引き渡すことになっている。


「馬鹿なことを仕出かしおって……お前の望んだ通り、この森から出て行くが良い」

「あぁ、こんな辛気な場所から出られると思うと清々するねっ」


 鼻で笑うナザリオには好意的ではない視線が向けられる。ただメーリ達の手前、視線自体を向けない人も多い。

 そんな中で目を腫らして複雑な心境で見つめているのは、彼の妹であるイデア。さすがのナザリオも妹を見た時は、苦しげに表情を歪め直ぐに視線を逸らせてしまう。


 彼らの会話を聞いていたエルザは、見覚えのある光景に頭を捻る。そして思い出した。自分が巫女候補として旅立つ日に似ているのだ、と。


「何かあるのなら言っておいた方が良いですよ」


 だからこそ、望まれていないと分かっていながらも口を挟んでしまう。

 当然、族長からは「関係ない余所者が」という冷たい視線を向けられ、そんな族長にナザリオも鋭い視線を送る。


 そんな険悪な空気の中、案内役の男性、ナザリオの叔父がエルザを支持した。


「族長、私も彼女と同意見です。ファビア様の遺言をお忘れですか?」

「遺言っ、何かあるんですか」


 ファビア、それは前世におけるエルザの母の名。彼女の遺言という言葉に、思わず聞き返してしまう。


「『悔いを残すな、伝えたいことは伝えよ、子を守れぬ大人(おや)にはなるな』。要約すればこの様な事を。ファビア様は巫女になられたリア様のことで悩んでいたらしく、言葉を交わすことの大事さと重要さを説いているのだと思います」

「そう、ですね。私みたいなバカは、直接言われないと死んでも気付かないってこと、あるでしょうから」


 潤みそうになる瞳を隠すように目を細め、何とか我慢したエルザは大きく息を吐き出すと脇に移動した。


 遺言を持ち出された族長は、考え込むように視線を大樹や墓へと彷徨わせる。そして、決意をしたのかナザリオに身体を向けた。


「ナザリオよ、追放は変わらぬし罪からも逃れられぬだろう。ただ刑期を務め終え、もし森の事が気になれば入り口の小屋を訪れるといい。あそこは我らだけの物では無いからな」

「けっ、誰がこんな森に戻るかよ」


 しかし、そんな言葉もナザリオは全く聞き入れることはなかった。

 遺言の話しを思い出し、気まずそうにしていた周囲からもざわめきが再び増える中、セストとアロイスの二人は我慢できなかったかのように噴き出す。


「そんなところが子供なんだよ、ナザリオ君は」

「アラ、そこが可愛いんじゃない。大人になると、先のことや裏のことまで見ようとするから嫌よねぇ」


 つまり族長が言いたいのは、刑期を終えた直後だけのことではない。これから先、何十年と過ごして望郷の念にかられた時に、シコリも無く帰って来られるためにである。

 若いナザリオは今しか見ておらず、そんな先の事など考えてすらいないだろう。ただ、これはある意味当然のことで、それを上手く導くのが大人の役割である。


「イデアと会える可能性があるのはそこだけだ。この子をこれ以上悲しませることを言うな」

「……お兄ちゃん」

「ぐっ」


 さすがのナザリオも涙目で見上げる妹には弱いのか、言葉を詰まらせて視線を大樹と墓に彷徨わせた。彼の見ていなかった族長と同じ無意識の行動は、身を寄せる大樹と先祖に心の底では頼っている証でもある。

 そして頭をやや乱暴に掻くと、疲れたようにため息をこぼす。


「ちっ、分かったよ。ただ、こんな事を仕出かしたんだ。死刑になるかもしれねえぞ」

「うーん、多分大丈夫だと思うよ。ここなら十五歳は大人扱いだろうけど、外ならまだまだ子供扱いだし、事件の主犯ってわけでもないから」


 メーリは黙っていたが、族長の口添えや家庭事情もあって、ナザリオの態度次第では数年で刑期を終える可能性もある。他にも全てミレイユの責任にすることも出来るが、それはナザリオが意地でもさせないだろう。


 別れ際、エルザはイデアに話しかけた。大きな瞳に涙を浮かべて、それでも必死に泣くまいと堪えている。


「イデアちゃん」

「お姉ちゃん」


 頭の良い彼女は兄のした事の重大さを理解していた。ただ、それでも突然の別れに心の整理が付いていないのである。

 エルザは腰を屈めて少女と同じ目線になると、慰めるように頭を撫でて、涙を拭えるハンカチを手渡す。少しでも涙を拭える助けになれるように。


 こうして主犯には逃げられ、協力者が族長の孫という後味の悪い結果となり、一人の少女の心にも様々な影響を与えたが、白滝の森の腐食という事態は収束した。

 これから先、イデアがどのような成長をするのかは分からないが、ファビアの遺言とナザリオの事で後悔した大人がいれば大丈夫だろう。エルザはそう願いながら、イデアを強く抱きしめるのだった。






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