第五十七話
静かに風が吹き抜ける中、エルザは静かに涙をこぼす。
あまり仲の良くなかった母親。しかし、自分のお気に入りの場所を知っていて、一族用の墓に入れない代わりにお墓を作った。
それを知って感情が溢れてしまったエルザは、ポカンと見つめているイデアに気付き、急いで涙を拭うとはにかみながら笑う。
「いきなり泣いちゃってゴメンねー」
「ううん、お姉ちゃんきれいだったよ」
未だにぼんやりとエルザを見つめながら、ゆっくりと首を左右に振る。
言われた当の本人は一瞬何を言われたのか理解出来なかったが、その言葉を理解すると恥ずかしそうに頬を染め、誤魔化すように笑い声を上げた。
「あははっ、泣き顔が綺麗って言われてもなー。恥ずかしいから、私が泣いたことは皆には内緒ね」
笑われたことで真剣に受け取っていないと思い、イデアは少々不満そうに頬を膨らませる。もちろん、そんなことはないのだが、エルザは腰を屈めて宥めるように頭を撫でた。
「あっ、そうだ。族長さんの家に行く途中なんだけど、よかったら案内してくれないかな」
「……もぅ、仕方ないなー」
頼られたことで機嫌を直したのか、イデアは笑いながらエルザの口調を真似る。それに気付いたエルザと二人で笑い合うと、手を繋いで族長の家へと向かう。
そして、最後にエルザは自分のお墓に振り返る。
一族から追放された故の小さな墓と言われても、それほど感傷は湧かない。ただ、母の愛とそれを黙認したであろう父に、感謝から一礼をして再び歩みを進めるのだった。
道具置きの階層に戻ってきた二人は、だいぶ仲良くなっていたようで、繋いだ手を大きく前後に振りながら互いのことを話していた。
エルザの記憶している限り、カルリ一族は外界のことを毛嫌いしていて、そんな周囲の空気に当てられた子供の方が顕著に嫌うものである。
ただ、イデアの場合は外への好奇心の方が強く、いろいろな事を知りたいと聞いてくるのだった。
「レオお兄ちゃん置いてきたの? かわいそう……」
「まあ、レオが悲しがってるとは思えないけどね。多分『あっそ』って感じで流してると思うよ」
そして、今話しているのは置いてきた腐れ縁の相手。置手紙だけを残して、勝手に旅立ったことにイデアは同情しているようだ。
「わたしのお兄ちゃんにそんな事したら、きっと怒るよ」
「へぇー、お兄さんがいるんだ」
「うん、最近いそがしいみたいだけど」
現在カルリ一族は、これ以上被害が広がらないよう森の見回りを強化していた。特に神殿に納める木々を育てている場所には、監視用の小屋を増設し、泊り込みの監視をしているらしい。
他にも、見張り台には普段は行わない女達による監視。まだ幼いイデアは加わることはないが、子供ながらに大変なことが起きているのは理解していて、何か役立てないか悩んでいるのだった。
「んー、何が出来るかか……」
相談を持ちかけられたエルザは、手を握っていない方の指を顎に当てて、目を瞑り考え込む。
はっきり言えば、手の掛からないようにしてくれるのが一番だろう。ただイデアは何か役に立ちたいと願っているのに、何もしない方が良いというのは違うとエルザは考えたのだ。
「うーーん……あっ、じゃあ私の世話をしてくれないかな?」
「お姉ちゃんのおせわ?」
「うん、これでも一応お客さんなわけだし、知らないことも多いからね。今みたいに、族長さんの家に案内してくたりとか」
我ながら名案だ、と手を握って目を瞬かせた。これならば危険も少なく、邪魔になることもないだろうと考えたのである。
「分かったっ。わたし、がんばるねっ」
小さな手を握り締めて、やる気を漲らせる。
そして、いつも家で見ているのか、一つ咳をして背筋を伸ばし、やや畏まった口調で話し始める。
「えーと、今日お姉ちゃんはどこにお泊りですか?」
「泊まり……ぁ、考えてなかった。ここに宿とかないだろうし、入り口にあった見張り小屋にでも泊めてもらおうかな」
ただ、そこには教会の人間がいるので、マリア達と別れた後も別の巫女と旅していることが修院に知られると、面倒な事になるかもしれない。
いざとなれば野宿でもすればいいか、とエルザが考えていると、握った手を離したイデアが、万歳をするように両手を広げて笑う。
「じゃあ家に泊まればいいよっ」
「イデアの家ってことは族長さんの家でしょ、泊めてくれるかなー」
「大丈夫だよ。お爺ちゃんもお客さんには失礼のないようにって言ってたもん」
問題ないと笑うイデアだが、白滝の森を訪れる客というのは修員など位の高い人しかおらず、招かれざる客であるエルザとは違う。
それを知らないイデアは、もう決まったかのように鼻歌交じりで、再びエルザの手を引いて先へと進んでいく。
「ま、お願いするだけしてみるか」
そんなに楽しそうにされると、何とか叶えてやりたい。そう思ったエルザは、どうしたら泊めさせてもらえるかを考えながら、族長の家へと向かうのだった。
◇
二人はいくつかの一般住居階層を抜けて、一番上の階層に到着した。
今までの階層では、家族ごとに家を建てて住み分けていたが、この階層は全てが族長のものである。とはいえ集会場や監視台、食料の保管庫などの役割を担っているので、族長だけのものということではない。
「ただいまー」
「お邪魔します」
当然、屋敷の大きさは一般家庭とは比べ物にならない。ただ、造り自体は一般家庭と同じように木造建築で、外の世界の材料や飾りはされていなかった。
「おぉー、さすがの造りだね」
昔から木材による建築や小物などの製作には、確固たる自信を持っているカルリ一族。客を向かい入れる玄関には、綺麗に細工が施されており、エルザも感嘆の声を上げる。
木々が成長する以上、屋敷もそれに合わせて改築や増築が行われていた。なのでこの玄関はエルザが知っているものではなく、この造形を素直に称賛しているのだ。
「遅かったですね」
二人を出迎えたのは森の入り口から案内した男性。玄関近くに設置してある椅子に腰掛け、お茶を飲みながら待っていたのである。
「イデアも一緒だったのか」
「おじちゃん、ただいま。わたしがお姉ちゃんを案内したんだよ」
自慢げに胸を張るイデアを優しく褒めると、椅子から立ち上がり奥へと続く廊下に手を向けた。
「既に話し合いは始まっており、メーリ様から到着次第案内するよう言付かっております。どうぞこちらへ」
案内されたのは豪勢な客間。ここは代々最上位の客人を招くための部屋として設計図があり、細かい飾りなど以外はエルザの記憶と違いがない。
部屋に入るとメーリ達と族長とその他数人が、地図を広げて一つの机を囲んでいた。
「遅くなりました」
「誠に。景色でも楽しまれていたのですかな」
「はい、梯子を上る途中も素晴らしい景色に見惚れてしまいました」
高所を怖がっていたと思った側近の嫌味だが、実際にエルザは景色を楽しんでいたので、それも意味は無かった。
対して族長は、興味を持っていない人物の入室に関心を示していない。ただ、エルザの後からこっそりと付いてきて、静かに部屋に入るイデアを見て眉をしかめた。
「イデア、何をしているのだ」
「お姉ちゃんのおせわは、わたしがするから」
誇らしげに宣言したイデアは、案内役の男性と同じように部屋の案内や茶汲みなどをしたいのだろう。しかし、何の事か分からないエルザ以外の人は面食らってしまう。
「……あぁ。イデア、今は大事な話し合いの途中なのだ、世話をするのならその後にしなさい」
その中でイデアとエルザを交互に見つめた族長は、何かを感知したのか口をきつく結ぶと、イデアに退室するよう命じた。
これにはイデアも少々不満ではあるが、巫女がいる話し合いの場に居ることは無理だろうと分かっていたので、メーリ達に頭を下げて最後にエルザに手を振ってから部屋を出て行く。
そして、手を振ってもらえなかったメーリがひっそりと落ち込む中、長老の冷たい視線と言葉がエルザに向けられる。
「あまり孫に変なことを吹き込まないでもらおうか」
「……以後気をつけます」
しおらしく頭を下げるエルザだが、分かったとも止めるとも言っていない。ただ、そこは族長も気付いており、より鋭い視線をエルザにぶつけ、無言で二人の視線が交わる。
「まあまあ、そんなことより情報をエルザちゃんにも教えないと」
「なら、アタシが聞いたことを伝えるわね」
アロイスは入り口に立ったままのエルザを手招きして隣の席に座らせると、テーブルに置かれてあった自分用の資料をエルザの前に滑らす。
「犯行日に見回りをしていた人は、この紙にまとめてあるらしいわ」
資料を見れば確かに四日分の日にちと、その下には担当日に見回りを行った十数人の名前が書かれてある。
ただ、これは腐食を発見した時の進行具合から逆算した日にちで、本当に犯行が行われた日なのかは分かっていないとのこと。
「何人か戦闘の得意な人は、率先して使っているんだってさ」
セストの言葉通り、資料に書かれてある名前の内の何人かは同姓同名で、分かりやすいように赤い線が引かれてある。彼らも普段からバラバラに別れたり、一緒に行動したりと規則性は見当たりそうもない。
「複数犯ってことはないですか?」
「そこまでされたら、短時間で見つけるのは面倒ね。まあ、私とメーリの担当は浄化の方だけど」
テルヒの気楽な発言だが、彼女としても何のやりようもないのだ。
実際、聞き取りなどを行っているのは族長達であり、身内に甘くなって情報の正確性が疑わしくなれば、今聞いていることもほとんど意味がなくなってしまう。
しかし、今のところその心配はない。彼らが一族として結束しているとはいえ、そこからはみ出た者には厳しいのである。それを調べるために手心を加えるようなことがないのは、エルザも良く分かっていた。
「まあ、本当に手引きをした人がいない、っていう可能性もあるのよね」
今のところ可能性が高いというだけで、証拠もなにも見つかっていないのだ。アロイスは頬に手を当てて、悩ましげにため息をこぼす。
エルザは他にもこの森の地図を見せてもらい、被害にあった場所の位置と追跡で見かけたという犯人の影についても情報を求めた。
「情報と言っても、全身を覆うローブっぽいの着てたそうだから、髪型から性別まで何も分からないって話だよ」
これでメーリ達が聞いた情報は終わり。情報としては森で聞いたこととほぼ一緒だが、詳しい場所や人の名前を知ることが出来た。
そして、最後にエルザから何か訊きたいことが無いかを尋ねる。
「そうですね、本当に外部の人間がいるんでしょうか?」
「……何」
内部の人間が主導で行っている、そう取れる発言で周囲からの視線は厳しくなる。
一瞬、エルザは言葉を続けるのをためらうように、口を開きかけては言葉を飲み込み、再び言葉を発する。
「これが事故や意図して行われたわけではない可能性はないのでしょうか?」
「それはなかろう。ならばこれほど続くわけもなく、現に見知らぬ人物が森の中で逃げ隠れしているのは事実なのだ」
族長の周りからは「そんなことも分からないのか」と、バカにしたような笑い声が起こる。当然、それ位はエルザも分かっていたこと。
それでも話し合いの場では、起こり得る可能性は言っておいた方がいいと思ったのである。
ただ、こういった役割はいつもレオが担っていたので、バカにされるのが分かっていながら喋るのに慣れていないエルザは、挑発に反応して眉間をひくつかせてしまう。
しかし、このままでは再び険悪な空気になると思い、空気を変えるために話題を変えることにした。話す相手は場が和みそうで、それで話しかけても割り込まれたりしない相手。
「そう言えば、メーリさんはどこで寝泊りするんですか? 私はまだ決めてないんですけど」
「あ、そっか。わたし達はいつも族長さんの家に泊めてもらってるから……族長さんもう一人お願い出来ます?」
「ええ、構いませんよ」
メーリの取り成しもあり、エルザの滞在先はイデアの希望通り族長の家に決まった。
これは計算の上ではなく、単に気になった事と空気を変えるため振った話題だったが、族長達からすればさきほどの嫌がらせをやり返されたように思えるだろう。
「……あれ?」
さらに鋭くなった視線を向けられて、訳が分からず小首を傾げるエルザだった。
◇◇◇
大勢の人が見回りを行い、即座に集まることが出来ない以上、族長の家には報告書をまとめて置いておく部屋が用意されていた。外から帰ってきた人は、ここにある程度の情報を記して休憩に入るのである。
「あら、エルザも帰ってきたところ?」
「何か久しぶりだね、エルザちゃん」
この集落に滞在してすでに四日。エルザは見回り組みであり、浄化組みのメーリ達とはそれほど顔を合わせることはなかった。
そして、入ってきたのはメーリだけでなく、普段別れて見回りしているアロイス達も一緒である。
「アタシ達も外で偶然合ったのよ。これも運命かしらね」
「これだけで運命って、どんだけ運命が転がってるんですか」
久々に五人が揃い、情報を書くついでにこれまでの事を話し合う。
簡潔に言えば犯人の手掛かりは見つかっていない。ただ、進展が無いわけではなかった。
メーリが浄化を行うことで、腐敗の侵食が抑えられるかと思いきや、その進行はむしろ進んでいたのだ。これはメーリが浄化に失敗しているのではなく、単に犯人が腐食を行う作業を早めたのである。
「つまり犯人にとって、浄化されている現状がよほど嫌なわけなのよ」
「見つかる危険が高まるのを無視するほどに、ですね」
これが単に祓われるのが嫌だというのなら、メーリが再び魔王討伐に旅立つまで鳴りを潜めていればいい。だが、それをしないということは、メーリ達が居たとしても進めなければならない理由があるということである。
アロイスは地図を広げて、今日見つかった腐食の場所を書き込み、メーリが祓った場所を×で消す。
「この調子なら犯人も直ぐ捕まるかもしれないわね」
「よかったー、このままずっとここに居るのかと思ったよ」
「いやいや、俺達が優先するのは魔王なんで、それはないでしょ」
実際、修院から許可された滞在日程は一週間だけである。それを知っているテルヒは、メーリの能天気な考えにため息をこぼす。
もちろん、今回の依頼を失敗したからといって特に何かあるわけではないが、修院からのお小言が増える可能性はある。そして、それを聞かされるのは、団長であるテルヒか副団長のアロイスだった。
「……あれ? これって」
その時、書き込まれていく地図を見ていたエルザが、何かに気付いたのか机の側に立ち、アロイスの横から地図を覗き見る。
「何か気付いたの?」
「えっと、ちょっと無理やりっぽいですけど……」
書き込むのを止めたアロイスはエルザに場所を譲る。そして、白紙を千切って丸く固めたエルザは、正確な位置を知らないので意味だけでも伝わるように、適当に地図上に置いていく。
「この状態で魔力を流せば……」
「なるほど、支点をバラバラに置いていたってわけ」
エルザは余った紙に完成形と思われる魔法陣を描く。世間一般では余り関わりが無く、エルザも過去にレオと話さなければ思い付きもしなかったかもしれない。
しかし、その陣は知る人は知るもの。現に書いている途中でも気付いたメーリ達は、不愉快そうに顔をしかめている。
「うわっ、それって……」
「はい、多分ですけど」
出来上がった魔法陣を見せるように、右手に紙を持って四人に向ける。
「魔王に供物を捧げる魔法陣……邪教徒が使うものです」