第五十六話
翌朝、メーリ達は村民に別れを告げて、再び白滝の森を目指して駆けていた。
アレだけ走れば筋肉痛になったであろうエルザだったが、アイナの時と同じように闘気を練った状態で眠れば、問題なく走れるまでに回復していた。
そして、人の立ち入りを禁じた山を越える途中で野宿をすると、それからは全力で走る事無く普通に歩く。もう少しで白滝の森に到着するからだ。
「着いたーー」
「久しぶりに来たけど、やっぱり白いわね」
エルザが安堵と喜びの声を上げ、テルヒは森を見て眩しそうに目を細めた。
森まではまだ距離があり、着いたという言葉は正しくはないだろう。だが、それでもエルザがそう言ったのには意味がある。
「ここに来たら先ずすることはっ」
そう言ってメーリとエルザは森に向かって背を向けて立ち、身体を前に倒すと股下から森を逆さまに見る。
白滝の森。この名は森の中に滝があることから付けられたものではない。森に生えている木々の白い幹は水の流れ、生い茂る青白い葉は滝つぼ。この景色が白滝のように見えることから、この名が付いたのだった。
二人は感嘆の声を上げて身体を起こす。
「満足したかしら?」
「うん」
少し離れた場所から見た方が滝のように見えるので、エルザはその見える場所まで来たことで「着いた」と言ったのだ。
そして、再び道沿いに歩いて森に近付けば、見張り小屋というよりも一軒家のような大きさの見張り家が見えてくる。そこにはカルリ一族や神殿から、必ず数人が詰めることになっていた。
「修院より連絡がありました。私がメーリ様の案内を務めさせていただきます」
その家の外には、右腕から右頬に文様の入った男性が待っていて、メーリ達の到着を確認すると一礼をする。だが、見かけないエルザを見つけると少しばかり眉を顰めた。
「失礼ですが、そちらの方は?」
「初めましてエルザと申します。実は然るお方から重大な依頼がありまして、メーリ様の許可のもと旅に同行しております。私も白滝の森に入れさせてはもらえないでしょうか?」
そう伝えると今度は露骨に眉を顰めた。白滝の森は一般人が立ち入り禁止とされる場所で、しかも今は緊急事態なのである。率直に言えば入れたくないのが本音だろう。
しかし、然るお方と重大な依頼という二つが、即座に拒否するのを躊躇させている。相手がどれほど高い地位なのか分からないからだ。
とりあえず確認のためにメーリに視線を送ると、否定する事無く笑顔で頷いた。これでメーリの許可も他二つも嘘を言っていないことが分かる。
「近くの町で合流をしてから、依頼をこなすのも可能なのでは?」
「申し訳ありませんが、依頼に関することは申せません。ただ、私もそちらの事情は聞いており、それでもこうして参上した次第であります」
ここで一番重要なのは、エルザが嘘を吐いていないこと。メーリに付いて森まで一緒に来たのは、依頼で必要だと言っていないのである。
背筋を伸ばし深々と頭を下げるエルザの姿は堂に入っていて、それなりの教育を受けたものだと錯覚させるだろう。実際、前世では受けていたのだが。
それに加えて、相手の最も隠したいであろう部分を既に知っていると言えば、下手に敵を作らないために許可を出すしかなかった。
「……分かりました。しかし、ここでの出来事は他言無用にお願いします」
「分かっております。イシュア様に誓いましょう」
女神の名に誓う。それは命を懸けて守ろうとするもので、男は明らかに安堵した様子で表情を崩す。
「では皆様、私に付いて来て下さい。道すがら現在分かっていることをお伝えします」
道中で聞いた話をまとめると、最初の異変に気付いたのは五日ほど前。見回りが外界に近い場所で、腐りかけの木を見つけたことから始まる。
白滝の森では神殿で使われる木々は特定の場所で育てられ、森の外側からは離れている。その上、木が腐るのは別段不思議な出来事でもないので、この時点では神殿に連絡は入れていなかった。
しかし翌日、改めてその木を見に行くと、周辺の土から紫色の泡が噴き出していたのだ。嫌な予感のした彼らはその成分を調べると、呪の掛かった毒物であることが分かった。
「土は汚染されて近くの木も感染し腐らせ、それが徐々に広がっている状態です。他にも見回ったところ、同じように腐った場所が四ヶ所ほど見つかりました」
「呪かー、そういったのはマリアちゃんが得意系統なんだけどな」
疲れるようにため息をこぼして、メーリは肩を落とす。
ただ、清めは地属性が得意なのであって、マリアが得意としているわけではない。それにメーリも不得意としているわけではなく、実力的にはメーリの方が上手く払える可能性が高かった。
「犯人の手掛かりは?」
「何度か逃げる影は見つけられたのですが、一向に捕まえることが出来ず、詳しいことは分かっておりません」
「進入経路なんかは?」
「それが……ご存知かもしれませんが、この森には結界が張ってあり、我々一族以外の者と入ればすぐに分かるようになっています」
そう告げた男の表情は、困惑や怒りなどの感情が入り混じっていた。彼の口振りと表情から大体の予想は付く。
「と、言うことは」
「はい、賊を引き入れた者がいる可能性があります」
それが事実なら最悪の事態である。エルザを入れたがらなったのも、身内を恥を必要以上に晒したくないからだろう。
もちろん、彼ら守り人に気付かれる事なく、進入する方法があるかもしれない。ただ、自分達の庭とも呼べる森で犯人を捕まえられないことが、その可能性を高めている要因の一つだった。
暗い話題だが伝えなければならないことで、他の木々や調べた情報を話しながら森を進んでいく。すると今までよりも日当たりの悪い場所で、数多くの人だかりがメーリ達を待っていた。
彼らも案内役の男性とは微妙に異なるが、右腕から右頬に文様が入っている。
その集団の中から十にも満たない一人の少女が前に出ると、白い紙に包まれた手作りの花束をメーリに手渡す。
「ようこそ、いらっしゃいました巫女さま」
「わぁ、きれいなお花、ありがとう」
花束を受け取ったメーリは少女の頭を撫でて、花の匂いを楽しむ。その後の進行はアロイスやテルヒがやった方が効率的に進むからだ。
一歩下がったメーリの代わりにテルヒが前に出て、集団の先頭にいる白髪白ヒゲの年老いた男性に話しかける。
「族長お久しぶりです。私達を呼ばれた理由は、浄化と賊を捕まえることでよろしいでしょうか」
「はい、そうです。詳しいことは我が家でお話しいたしましょう」
そう言うと族長は手を上に掲げて木の上を指し示す。そこには巨大な木の幹や枝の上に数多くの家が軒を連ねていた。彼らカルリ一族は木の上で生活をしているのだ。
それが巫女を迎えるために全員がこの場に集まった理由。木の上で生活している以上、到着した時にどうしても見下ろす形になってしまい、失礼になると考えたからである。
この木を上るには魔法や梯子を使うか、位の高い客人には籠を使う方法がある。メーリ達も最初訪れた時は、この光景と移動手段に驚いていたが、今では籠を使う必要がないほど慣れたものだった。
「腐食の浄化は私とメーリが適任ですね」
「なら、犯人捜しと捕まえるのはアタシたちに任せてちょうだい」
大海の巫女一行は大抵の場合メーリの魔法で上がる。当然、メーリはエルザも一緒に運ぶ予定だったが、族長は予定に無い余所からの来訪者を特別扱いにした。
「お連れの方はどうなさいますか、籠で上まで上げましょうか?」
「……いえ、お気遣い無く。私は梯子で上りますので」
「そうですか。命綱はありませんので、お気をつけ下さい」
もちろん、この特別扱いは良い意味ではない。事前に案内役から事情を聞いていて、メーリの顔を立てて言葉遣いこそ丁寧だが、エルザを見る眼差しは冷たい。
その証拠に木製の梯子はあまり使われる事がなく、族長は危険を理解していながら考え直させることはしなかった。はっきり言えば、落ちて死のうがどうでも良いのだろう。
世界から隔離されたこの土地では、一族以外の者には排他的になりがちである。エルザは昔と変わらぬ状況に、少しばかりの安心と呆れのため息をそっとこぼす。
実はカルリを名乗っていたエルザはここの族長の娘。つまり今話した族長は、エルザにとって遠い子孫になるのだ。それが分かっているからこそ、余計に気疲れしてしまうのだろう。
「大丈夫?」
「はい、ゆっくり登っていきますから、話は先に始めていて下さい」
気遣うメーリに少し疲れた笑顔で笑いかけると、空を飛んでいく彼女達を見送って梯子へと向かう。
一人になったことで、よそ者へ向けられる視線は厳しく冷たいものが強くなるが、これは変なことを仕出かさないか監視をしているのだろう。
そんな視線を無視して、エルザは天へと向かって伸びる長い梯子の前にやってきた。
「うん、腐ってはないっぽい」
確認するために梯子の両側を手で叩き、足をかける格を強めに踏みしめて確かめる。
あまり使われないとはいえ、子供が自分で移動する場合は梯子を使うこともあるので、古いままというわけではなかった。
「しっかし懐かしいなー、梯子を使うのって子供のころ以来か」
昔を思い出しているのか周囲の視線が消えたからなのか、エルザは梯子を上っていくたびに笑顔になっていく。そして中程まで来ると、進む手足を止めて周りの景色を楽しむ。
強めの風がエルザの長い髪と固定してある梯子を揺らすが、エルザは片手を放して髪を押さえる余裕すらあった。
「おー、高い高い。……はぁ~、森が変わらないのはいいけど、人もあんまり変わってないのは、さすがと言うか何と言うか」
ため息をこぼしながら再び梯子上りを再開する。
エルザはこの森の閉塞感が嫌いだった。だからこそ大師聖母に見出された時は喜んで出て行ったほどだ。
しかし、それでも子供の頃から育った故郷。排他的な空気は嫌いだが、別に嫌な人ばかりだったわけでもなく、それにこの雄大に育った白い木や森の動物達は大好きなのだ。
もっともそれに気付いたのは森から出て行った後、巫女になる為の修行中だったわけだが。
「っと、着いた。んーー、いい眺めーー」
梯子はまだ続いているが、一つ目の木の足場に立つとエルザは大きく背伸びをする。
幹の足場は主に魔法で飛んだ時の休憩所や、遠くを見る時に枝葉で隠れない位置にある。なのでこれといった建物もなく、静かに森の風景を楽しむには最高の場所だった。
柵もない足場の淵に腰掛けると、エルザは目を閉じて木々のざわめきや鳥達の囀る音を楽しむ。
昔とは違うように聞こえるのは、様々な経験をして心境の変化があったからだろう。そう思ったエルザは、妙に達観している今の自分が可笑しくて、声を出すことなく笑った。
二百年も経てば集落の位置も別の木へと移っていた可能性もあったが、ここはエルザの時代と同じ位置である。ただ、その間も木は成長し続け、エルザの記憶とは違う展望である。
「あっ、そうだ。あそこはどうなってるかな」
昔を懐かしんでいたエルザは、自分のお気に入りだった場所を思い出し、そこに移動することにした。
梯子をもう一度上ると、道具などを置いてある階層に到着。ここから上の階層は幹だけでなく、足場の下に枝を置き落下しにくいように作られている。梯子から降りてぐるっと回れば、この区画を支える太い枝が東へ向かって伸びていた。
「~~っ」
鼻歌を歌いながら、人が五人ほど並んで歩けそうな枝を進み、細くなって二股に別れた場所を左に進んだ先が、エルザのお気に入りの場所だった。
足場の枝は下へお辞儀をして視界は開け、目の前には木々が並んでおらず風がよく吹き抜ける。そして、枝分かれする場所には窪みが出来ていて、腰を下ろすのには丁度良かった。
「さすがにクッションとかは残ってないよね……ってあれ?」
いつも腰を下ろしていた窪みには、両手に収まるほどの小さく丸い石が置いてあった。
エルザは不思議そうに小首を傾げて顔を近づける。よく見れば石には白い線と何やら文字が描かれてあり、風や動物に持っていかれないよう、しっかりと固定されてある。
「んー、文字がかすれてて読め――」
「さわっちゃだめぇぇーーーー」
「うえっ、ちょっ」
大声で叫びながら走って近付いてくる少女に驚き、前のめりに石を見ていたエルザはバランスを崩してしまう。しかし、手を大きく振り回すことで体勢を整えた。
そして駆け寄った少女を見れば、先ほどメーリに花束を渡した少女だということに気付く。
少女はエルザを追い越し、窪みに置いてある石を見て変わった様子がないことが分かると、安心したように腰を屈めて手に持っていた花を供えて両手を合わせる。
エルザは少女の祈りが終わって、目を開けたのを見計らって話しかけた。
「もしかして、それは誰かのお墓なのかな?」
「……うん、リアさまの」
答えは半分予想していた通りのものだった。しかし、まさか自分のお墓があるとは思っておらず、エルザは思わず面食らってしまう。
それというのも巫女になるためとはいえ、森を抜けることに族長である両親が素直に賛同してくれなかったからである。それに、巫女の話が来る前からリアは外へ出たがっていたので、周囲から疎まれていたのだ。
「おばあちゃんから聞いたんだけど、おばあちゃんのおばあちゃんの……が作ったんだってっ」
誰が作ったか思い出そうと頭を左右に傾けていたが、結局は出てこなかったらしく、誤魔化すように最後は元気に話す。
その様子が微笑ましく、思わずエルザは笑みがこぼれる。
「そうなんだ。あっ、そうだまだ名乗ってなかったね。私はエルザ・アニエッリよろしくね」
「うんっ、わたしはイデア・カルリ。よろしくねエルザおねえちゃん」
カルリと名乗ったこの子も族長の家系であり、先ほど無愛想に話していた族長の孫である。
よそ者にも優しく接する少女と話して、あの族長に似なくてよかったというのが、エルザの率直な思いだった。
「あっ、思いだしたっ」
「ん、何かな?」
「うんっ、あのねリアさまのお墓は、お母さんが作ったんだって」
「えっ」
先ほど「おばあちゃん」と言っていたことから、イデアの母親が作ったのではないことは分かる。
ただ、一瞬エルザの脳裏に過ぎった人物は、否定や賛成をする以前に驚きから思考が止まる。
「う~んとえっと、リアさまのお母さんが、お墓を作ってもらえないからここに作ったんだって」
しかし、イデアから知らされたのは、エルザの脳裏に過ぎった通りの人物。あまり仲の良くなかった母親である。
カルリ一族は集落の木の根元にお墓があり、そこで残された人々を見守るというのが慣わしである。つまり遺体がないとは言え、リアはそこに入ることを禁じられていたのだ。
ただ、それ位はエルザも予想していた。予想していなかったのは、母親が自分のお気に入りの場所を知っていて、さらにはそこにお墓を作ってくれたこと。
仲の良かった思い出よりも、喧嘩や何も話さなかったことを思い出すような関係だった。
複雑な感情や思い出が交錯し、胸が締め付けられ溢れ出した感情がこぼれだすように、大きく開かれたエルザの目から静かに涙が流れ落ちる。
「お姉ちゃんどうしたの? 大丈夫?」
「うん、大丈夫、大丈夫だよ……すごく良い話だったから。きっとそのお母さんは優しい人だったんだね」
置かれた小さな墓石を見つめ、その先に見ているのはもう会えない両親との思い出。頭では仲の良かった話は思い出せなくとも、心では温かい想いを感じていた。
「イデアちゃん、教えてくれてありがとう」
流れる涙を拭うことなく満面の笑顔で笑う。
前世から残っていた凝りの晴れたエルザの笑顔を見て、イデアは巫女を始めて見た時と同じように見惚れる。それほど美しく綺麗で、輝いている笑顔だった。