第五十五話
エルザは急いで荷物をまとめると、これから白滝の森へ向かうことと、一般人は入れないので落ち合う町を指定した置手紙を書くと、ケクゴアとの別れの言葉を交わす。
慌しく動いていたので、何事かと思って見に来た弟子も何人か集まっていた。
「何かゴタゴタしてゴメンね、お婆ちゃん」
「気にせんでいいんよ」
「ありがと、夕食の準備は帰ってきたレオにでも手伝わせてっ。本当にここ数日、楽しかった。皆さんもありがとう」
手を振るエルザに応えるようにケクゴアも手を振り、弟子達も涙ながらに見送った。別れが寂しいのはもちろんだが、それだけではなく最後と思っていた手料理をまた味わえると喜んでいたら、これだったからである。
「お待たせしました。それじゃあ行きましょうっ」
「別れの挨拶は大事だもんね」
メーリも玄関先まで見送りに来たケクゴア達に手を振って、街の入り口へと向かう。その途中、巫女が旅立つとの噂を聞きつけ、多くの人が見送りに来ていた。
その人だかりを見たエルザは、マリアの時に修院とのゴタゴタを思い出し、メーリ達よりも先に街から出て行くことにした。
そして、見送られるメーリを後ろに見ながら、エルザは白滝の森へと歩いていく。街から見える範囲で合流しては意味が無いからだ。
合流したのはそれほど遠くはない。メーリの様子を見ていると、何故か整備された道から森へと向かうよう指示があったので、周囲から見えない森の中で再会となった。
「えっと、それじゃあ改めましてエルザ・アニエッリです。クロノセイドの学生ですが、レオと一緒にマリアの言葉を伝えるため、他の巫女さまに会う旅をしています」
「手紙は読んだわ。詳しいことは二人に聞いてってあったけど、今はちょっと急ぐから話は宿にでも泊まった時にね」
修院に告げられた白滝の森が腐食するという事態は、普通に談笑しながら歩いて向かえるような内容ではない。
エルザも気合を入れるように、胸の前で両手を握りしめてみせる。
「頑張ります。けど、こう言っては失礼かもしれませんが、メーリさんはどうするんですか?」
「あーっ、わたしが転んでばっかりでダメな奴だと思ってるでしょ」
ダメな奴とまでは思っていなくいなくても、アロイスが抱えていくのか程度には思っていた。しかし、頬を膨らませて不満を表すメーリは、術印を描きながら得意の魔法の詠唱に入る。
「『――』ウインフリード」
周囲の木々を揺らす風がメーリの身体に巻きつくように渦をなし、髪を揺らしながら掻き消えた。
「どうだ、これなら速く移動できるし、浮いてるから転んでも痛くないよ」
そう言って、自慢げに胸を反らせて大きな胸を揺らした。言われた通りエルザがメーリの足下を見れば、微かに浮いているのが分かる。
風属性の中級補助魔法『ウインフリード』。風をまとい自由に空を飛ぶことが出来るが、当然魔力を消費し続けて集中力が途切れれば、即落下してしまう危険性がある。
もちろん、巫女であるメーリなら大丈夫だろうが、そのこと以前にエルザはある疑問が浮かんでくる。
「それって飛翔魔法ですよね。空は飛ばないんですか?」
微かに浮かんでいるだけで、ちょっと離れたところから見れば浮いている事にすら気付かないだろう。
エルザも気付いているが、本来なら『飛ぶ』という前提で創られた魔法を使って、微かに浮いているだけでもメーリの魔法の才能が分かるというもの。
「うん、一人で飛んでも楽しくないでしょ」
「いつも転んで痛いからって、そんな方法ばっかり覚えて」
笑顔で頷くメーリとは対照的に、テルヒはため息を吐きながら身体強化の魔法『シルフィンス』を自身に掛け、アロイスとセストは気を高めての身体強化。それを見たエルザも闘気を練り上げる。
「なら私もっ」
「……あら、その歳でそれだけ練れるなんて素晴らしいじゃない」
「さすがはマリアさんの伝言役といったところかな」
滑らかで洗練された練り上げは、アロイス達から見ても賞賛できるレベルだった。しかし、テルヒはどこか楽しむように挑発的な眼差しをエルザに向けて笑う。
「それでも最後まで付いて来られるのかしら」
「もっちです。遅れそうだったら、置いていってもらっても結構ですんで」
それに対して、エルザも左手に右手の握り拳をぶつけて応えるように笑う。
「よぉしっ、それじゃあ白滝の森へしゅっぱーーつ」
メーリの合図で一斉に駆け出す。一瞬で背景が変わり流れていき、レオが居たら確実に付いて行けない速度である。
もちろん、人や木などの障害物が少ない道を選ぶが、これは避けるのが面倒というよりも、人に見られた場合に『巫女が全力で急ぐほどの緊急事態だ』と噂されてしまうからでもある。
そんな彼女達の誰よりも速く、先頭を進んでいるのは意外にもメーリ。風をまとう彼女には風の抵抗など全く無く、また一定間隔で地面から浮いているので、デコボコの道だろうが大きな岩が並んでいようが関係ないのだった。
さらに、地面を蹴ることで速度を増す。
「きゃあぁぁーーー」
しかし、高速飛行中に地面を蹴るという方法は、運動音痴でなくともタイミングが難しくメーリは躓いてしまう。
「ちょっ、だいじょ――」
後ろを走っていたエルザは思わず速度を緩めようとした……が、そこで有り得ない光景を目撃する。躓いて地面を転がるメーリだが、その速度が全く落ちていないのだ。
それもそのはず、一見すれば地面を転がっているように見えるが、実際には地面すれすれを空を飛んでいるのだから、転んだところで速度が変わるはずもない。
なのでメーリが声を上げて転がったり、その場に倒れ込むように地面を滑りながらも、それまでと変わらない速度で先頭を進み続けるのだった。
「この移動方法だといつものことだから、気にしなくていいわよ」
テルヒの言うとおり、他の仲間達は誰も気にしていなかった。
もしかしたら、人気のないところを選んで移動しているのは、この姿を一般人に見せたくなかったからなのかもしれない。
◇◇◇
一方その頃、置いていかれたことすら知らないレオは、一人ギルドで依頼を探していた。
ユオスデから首都を移したのは、ギルドが創られる以前だったので、元首都とはいえここにあるのは依頼が受けられるだけの細部。
余り利用者もいないのだろう、今までレオが利用した細部の中で一番小ぢんまりとしていて、カウンターと丸椅子に飲み物だけを出している屋台のような場所だった。
「パティーバねぇ……パティーバ、パティーバっと」
例えここのギルドが小さくとも、古くからあるギルドには依頼は溜まり続ける。これは普通の依頼を処分しないのではなく、国や組織が探し物などの依頼をした場合、それが見つかるまで依頼を出し続ける場合もあるからだ。
ギルドのマスターはカウンター奥で椅子に腰掛けながら、古びれた依頼書も見ながら探していく。
「んー、見たところパティーバへの依頼は無いなぁ」
「そうですか、ならそちら方面へ向かう依頼は、パティーバより手前までの方が良いんですが」
今度はレオも手伝って依頼書を調べる。一応、地区別に保管されているので調べるのは簡単なのだが、この辺りの地理に詳しくないレオの場合は、地図で位置を確認しながらなので遅くなってしまう。
しばらくは、依頼書を捲る音だけが狭いギルドに響いていた。するとそこに新たな来訪者が現れた。
「マスター、ちょいと依頼を出したいんだけど……」
ギルドに入ってきたのは、少しくすんだオレンジ色の髪に薄い青色の瞳を持つ三十代の男性。髪は所々ハネていて、顎には短いヒゲが生えている。ヒゲは手入れされているというより、顎以外は剃っているという程度で、あまり気にした様子はなさそうだ。
男は先ずギルドの狭さに驚き、レオとマスターが依頼書を広げている光景を見て再び驚く。カウンターには依頼書が重なって、一見すれば散らかっているようにしか見えない。
「いらっしゃい、そっちは依頼をする方ね。……ふぅ」
「ありゃ、お疲れかい?」
疲れたため息をそっと吐いたマスターを見て、男はライセンスを渡しながら尋ねる。そして、空いている椅子に座るとマスターに酒を注文した。
このように細部で何か販売していれば、最低でも一つは何か頼むのが、ほぼ暗黙の了解となっていた。今のところ細部が潰れたという話は聞かないが、ここのように徐々に小さくボロくなってしまうからだ。
「んはは、ちょっとね。いやー、メーリ様を一目見ようとした旅行者が、ついでに利用していって大変だよ。普段が普段だからさ」
ライセンス確認を終わると、何も書き込まれていない依頼書を男に渡す。場所によってはマスターや店員が書くところもあるが、ここは依頼者の手書きのようだ。
男は面倒くさそうにため息をこぼしながら頭を掻くと、カウンターに置かれたペンを手にとって、書き込む内容を考えていく。
あまりジロジロと見るのも失礼かと思い、レオは自分が求める依頼書探しに戻る。再び狭いギルド内には、紙を捲る音とペンを走らせる音だけが響く。
そうしていると依頼書を書いていた男は身体を伸ばし、気分転換にかレオに話しかけた。
「少年、さっきから熱心に探してるけど、何かお目当てのものでもあるのかい」
「パティーバへ向かう依頼です。ただ、それ自体がなかったので、今はそちらへ向かう物を探しています」
レオの目的地を聞くと、男は興味を持ったようにレオに身体を向けた。
「へぇ、少年魔法は使える?」
「中級までならいくつか」
「おっ、じゃあランクは?」
「C+ですが」
「うーん、Bランクは欲しいんだけどなぁ」
中級魔法が使えるのは合格点だったのか、瞳を子供のように輝かせながら少し前のめりになる。だが、ランクは望んだところではなく、悩ましげに頭を掻きながら書きかけの依頼書とレオを交互に見比べていた。
しかし、レオにも受けるかどうかを選ぶ権利はある。
「申し訳ありませんが、連れもいますので護衛などは……」
連れは既に居ないが、それをレオが知るはずも無く頭を下げて断りを入れた。
依頼内容を護衛だと言ったのは、単に「ランクがBは欲しい」という言葉が出たからで、護衛だろうと他者が入るのは無理という意味を込めたのである。
「護衛じゃないんだけど……ま、連れが居るんじゃ仕方ないか」
伝わらない可能性もあったが、男はレオの眼差しから意味を感じ取ったのか、笑顔で気にするなと告げる。ランクが低かったことで、そこまで固執する理由もなかったのだろう。
男は再び依頼書作成の作業に、レオも依頼書探しの作業に戻る。
「んー、手前の依頼も無さそうだね。パティーバより先の方も探してみるかい」
「いえ、結構です。ありがとうございました」
しばらく探してはみたが希望通りの依頼は見つからず、レオはマスターと男性に挨拶を交わしギルドから出ると、ケクゴアの屋敷に帰るのだった。
「あ、レオ君。その、お帰り」
「はい、ただいま帰りました、けど?」
そして、既にエルザが旅立ったのを知るのである。
◇◇◇
あのまま走り続けたエルザ達は、普通に移動すれば二日は掛かる距離を六時間ほどで移動し、今夜は山中にある村で休むことになっていた。寝ずの移動を続けてもいいが、何が起こっているのか分からない場所には、万全の状態で臨んだ方が望ましいと考えたからだ。
「とうちゃーーく」
一番初めに着いたのはメーリ。道中でかなり転んでいても、風をまとっていた彼女の服や顔には汚れが付いていない。次いでセスト、テルヒとたどり着き、三番目は唯一汗をかき苦しそうに肩で息をしているエルザ、最後にアロイスの順番だった。
「偉いわ、よく頑張ったわね」
「あ、ははは、ハァハァ、結構キツイ、です。本気で走り続けたのって、久しぶりだから」
服が汚れるのも気にすることなく、地面に大の字に寝転がって荒い呼吸を繰り返す。
過去の経験もあって瞬間的な戦闘力は高いエルザだが、それを長時間持続させるだけの体力はまだ付いていなかった。
今回はただ走るだけだったので問題ないが、ラザシールとの戦いにおいて、魔物の群れを倒した直後に一息つくことなく連戦になっていれば、倒す前に疲労で戦えなくなっていただろう。
「じゃあ、貴女は休んでなさい。私は今夜泊めてくれる家を探してきますけど、アロイスさんはどうします?」
「なら、アタシはエルザちゃんでも見ていようかしら」
「だい、じょうぶです。私も一緒に行きます」
ゆっくりと立ち上がり、エルザは深呼吸を繰り返す。まだ息は整っていないが、身体のことを考えれば動いておいた方が良いのである。
かなりの疲労が溜まっているにも拘らず、他人から言われる前に動くエルザを見て、アロイスはその根性に感心していた。
「先ずは挨拶も兼ねて、村長さんの家からだね。大抵はそこで決まることが多いけど」
セストが言った通り、村長の家へと向かうと今夜泊まる場所も決まった。もちろん村長の家である。彼らは突然の巫女訪問に驚愕しながらも、何とか夕食と今夜の寝床を用意してくれたのだった。
村長の家とは言っても、小さな村では普通の一軒家でしかなく部屋は余っていない。村長たちは自分達の部屋を譲ろうとしたが、メーリ達はそれを断り仲良く雑魚寝することに。
場所は村の相談でも使われる部屋で、全員が膝を付き合わせるように円を囲んで話す。内容はもちろんマリア達の用件である。
「それじゃあ、話しを聞かせてもらいましょうか」
「はい、分かりました。それじゃあ、えっとマリアからの手紙には何て書いてありました?」
何から話すべきか迷ったエルザは、手紙の内容を聞いてそれを補足しようとしたのだ。そして、メーリから聞いた手紙の内容は、共闘の誘いと詳しくは二人に聞いてくれとだけ書いてあったことを伝える。
信頼してくれることを喜ばしく感じながら黙って頷き、エルザは一つ咳をすると居住まいを正して話し始める。
「では、先ず手紙に書いてあった強い敵の名はダナト。マリア達が戦ったエンザーグの鱗を一撃で貫通させ、死体を一瞬で灰にした魔族です」
「エンザーグの鱗を一撃ね、本当なら凄まじいことよね」
「確か報告では、マリアさん達がエンザーグを倒したとなっていたようだけど?」
「それは本当です。エンザーグの心臓も貫いていたらしく、長くはない状態だったそうです」
実際はダナトが倒したとのを外聞もあり黙っている。そう受け止められかねないので、エルザはテルヒの目をしっかりと見つめて否定する。
「次にバネッサさんが出会った魔族の名はルヲーグ。人を魔者に変える実験を行っていたそうで、一つの村人全員が魔者に変えられてしまったとのことです」
また、意思を持たない失敗作をダグと名付け、生命が尽きるまで命令どおりに戦い続けたことも伝えた。当然、ダナトの時は驚きしかなった表情に怒りが雑じる。
「それは……許せないな」
「はい、ダルマツィオさんの転移魔法でアゼラウィルに来て、そこでダナトのことを伝え協力してくれることになりました」
セストの言葉に頷いて、バネッサが一緒に戦うことを受けてくれたことを伝えるが、あまり強く言うと疎外させると思わせてしまうので、その事実だけを淡々と伝えた。
話を聞いた一同はそれぞれが考え込み、最初に言葉を切り出したのはセスト。
「どうする? 俺は別に良いと思うけど」
「そうね、良いんじゃないかしら。私は特に反対しないわ」
セストとテルヒはマリア達と手を組むことを反対せず、残ったアロイスは自身の発言力が高いのを理解しているため、先ずはメーリの意見から聞くことにした。
「うーん、ちょっとなー」
眉をしかめて難しく考え込みながら、身体を左右に揺すっていたメーリの答えは、エルザにとって色好い物ではなかった。
この返事に驚いたのは、エルザだけでなくテルヒ達もである。別にマリアやバネッサと仲が悪いわけではなく、断る理由がそれほど思い当たらないからだ。
「だってさ、魔王側が強いからみんなと一斉に攻めますっていうのは、ミーナ様たちに悪いかなーって」
「……まあ確かに、これまでは巫女四人で戦っていたわね。第三魔王ぐらいまでは、各国の軍も囮として一緒に戦っていたそうだけど」
巫女として先代の戦いや立場などを教わってきた二人は、彼女らの苦労や苦悩も考えてしまうのだろう。まして前回の魔王との戦いでは、四人だけで戦いを挑んで亡くなったのだから。
「でもさ、一番最悪なのは全員がバラバラに攻めて、結果負けちゃうことじゃないかな」
「むっ、むむー」
三人の会話をアロイスとエルザは黙って聞いていた。
話の流れが断る方に傾けば、エルザは三人を説得するために会話に加わるだろうが、今のところはセストの言葉で賛成側に傾いている。流れを変えてしまわないように、黙っているのだった。
「メーリちゃん」
ただ、話もほぼ決まりかけた頃にアロイスが口を開く。話しかけるのは口を尖らせ、納得しきっていない様子のメーリ。
それほど大きくない声だったが、直ぐに三人の会話は止まりアロイスに注目する。
「貴女の好きなようになさい」
優しく微笑んで一言だけ告げると、再び口を閉ざす。そして、締まった空気の中無音で時が過ぎ、全員の視線がメーリに集中する。
「……分かった。一緒に戦う。わがまま言ってごめんなさい」
俯いていた状態で頷き、そのまま全員に向かって頭を下げたので目元はは見えない。ただ、膝の上に置かれた両手が強く握り締められていた。
天然で間が抜けていて運動音痴なメーリだが、それでもバカではないのだ。今何が一番重要かは分かっている。
「ううん、良いのよ。ミーナ様に悪いと思ってるのよね。そして、あの方と同じ舞台に立てないことが悔しいのよね」
アロイスはメーリを抱きしめて、慈しむように優しく頭を撫でた。そしてそれに抗う事無くメーリも身体を預けると、安心した様子で頬を胸板に擦り付ける。
「んー、今四人の巫女だけで戦うなら、アロイスさんとテルヒちゃんとは一緒にいられないってことだよね。わたしには考えられないよー」
そして両腕を背中に回して強く抱きつく。
家族のような団欒によそ者のエルザは加わりにくく、黙って見ていることしか出来ない。ただ、この男の場合はそうも言っていられないが……。
「あの、俺は?」
憩いの空気を読みながらも、恐る恐る手を上げて自己主張するのは、先ほどメーリに名前を呼ばれなかったセスト。
「……あっ」
「『あっ』て何っ、今のは素なの、それともわざとっ」
とこどころ声を裏返しながらセストが突っ込み、メーリ達は笑いに包まれる。セストが突っ込むところまでが家族の団欒なのだろう。
エルザは彼女達の強さの一端を微笑ましく見つめていた。