第五十話
模擬戦はレオの敗北で終わった。一通り模擬戦の分析を終えたレオは、治療する箇所がないか探知系の魔法を受けていたコンラドの近くへと移動する。
そこにはアディルガンの生徒三人が集まり、コンラドの勝利を祝っているようだった。しかし、素直に喜んでいるのはコンラドだけで、プルムは負けた相手もいるので控えめに、テオドールは勝って当然とそれほど喜んではいない。
近付くレオに気付いたコンラドが手を上げて迎え入れ、三人が座っているところにレオとエルザも加わって輪になる。
「よっ、お疲れっ。オレの戦いはどうだった?」
「まあ、堅いな。遠くから攻撃された場合どうなるかも見てみたかったが、今回は魔法を使うつもりはなかったからな。ガードとしての評価なら一対一だと分からん」
ガードは後ろに行かせないようにするのが仕事だが、摸擬戦ではコンラドを中心に周りを回っていた。これだけで、彼の能力を評価することは出来ないだろう。
頷きながら聞いていたコンラドに、今度はレオが自分の戦いがどうだったかを尋ねる。
「オレとしてもレオが魔法を使ってないからなぁ。よく後ろに下がってたが、まあその後で魔法を使うんなら問題ないだろ」
「ああ、そこは失敗だな。距離を取るなら、その後を考えた上で行動すべきだった」
無意識でいつも通り距離を取ったことが、今回のレオの反省点だった。それは無意識に動いたからではなく、剣士として戦うつもりだったので、距離を取る場合はその理由も説明出来るように動きたかったのだろう。
二人の身体に大きな傷と以上は見当たらず、当人同士の反省会も終わったが、そこに更に切れ込む人物がいた。
「君が負けたのはそれだけじゃない」
話しかけてきたのは、珍しいことにテオドールだった。いつもと変わらない見下すような視線だが、今日は機嫌が悪いのかその中に苛立ちも見て取れる。
「魔法剣士なんて、中途半端なことをやっているからだろ」
「テオッ、何を言ってるんだッ」
批判をするにしても、その人の悪いところなら問題ないだろうが、ジョブそのものを批判すれば関係ない他人も批判したことになる。アディルガンにも魔法剣士の先輩や教師も居るのだ。
コンラドは慌てていつも以上に大声で怒鳴った。
「事実だよ。現に魔法剣士で大成しているのは、一握りの人間でしかない」
しかし、テオドールはコンラドに近い右耳を押さえただけで、顔色を変える事無く前言を撤回することもなかった。
彼の言う一握り人間の例として上げられるのは、大地近衛の団長イーリスや大空の巫女がそうである。
ただ、巫女の場合は特例として、ランクを与えられないので致し方ない部分もあるが、今現在Mランク保持者に魔法剣士は一人もいない。グウィードのような前衛かダルマツィオのような後衛など、どちらか一方に突出した人達ばかりだった。
「聞けば、君は魔法の方が得意らしいじゃないか。なら潔く魔術師にでもなった方がいいだろうね」
「……まあ、一理ある」
本人が同意したことにコンラドとプルムは驚くが、レオが忠告をすんなりと受け入れるはずもない。
「ただ、それだと面白くないだろ。それに、俺は使える物は何でも使えるようにしておきたいからな」
「フン、好きにすれば良いさ」
納得したというよりも「言うことは言った」と詰まらなそうに立ち上がり、背中を向け離れようとしたテオドールだったが、それを今度はレオが呼び止めた。
「お前は剣を振るわないのか?」
「えっ?」
普通の魔術師に言う言葉ではない。しかし、それを聞いて驚いたのはプルムだけである。
服の上からでは分かり辛いが、魔術師にしては引き締まった肉体と手の平に出来た剣だこは、テオドールが剣を振るっていることを示していた。
「……当たり前だろ。魔法剣士なんて、大抵は便利屋な中衛としての役割でしかない。僕はもっと上を目指すんだよ」
剣を振るえないことに悔しさはあるようだが、この発言は負け惜しみからではなく、本気でそう考えているようだった。
それは、彼が幼少の頃から剣を習っていても強くはなれず、形だけの魔法剣士になれたとしても、そこから成長が見込めないからだろう。
それを聞いたコンラドは、諦めるなと励ましてやりたい気持ちはあった。しかし、その選択によっては、死に繋がりかねないのが魔物との戦いである。
必ずしも好きなことと得意なことが合致するわけではないのだ。無責任に剣の道を勧めることは出来なかった。
テオドールは一度だけ荒く鼻息を吹かすと、無言で歩いて行ってしまう。
残った全員はやや気まずそうに顔を見合わせるが、いくらユオスデに近いとは言え魔術師を一人にするわけにもいかない。急いで立ち上がり、普段と変わらぬ足取りのテオドールの後を追うのだった。
◇
ユオスデの入り口にはマリア達と出会った時と同じように、守衛が立って入街の審査を行っていた。レオ達もギルドのライセンスを渡して、確認してもらってから入る。
これで大海の巫女メーリが確実にこの街を通り、しかもまだ訪れていないことに確信が持てた。
ユオスデはこの国の古都であり、その歴史は千年にも及ぶ。しかし、国が大きくなってからはここより北に首都を移し、第二の都市ミラノニアとの中継地点となってしまった街である。
門を潜って街に入ると巫女目当てなのだろうか、沢山の人でごった返していた。始めてこの街に来たコンラド達も、前より寂れたと聞いていた分、この人の多さは驚きだった。
周囲を見ればこの国伝統の木造民家が並び、石灰で塗装された外壁は白く日を照り返している。
「ヨッシャ、勝ったぁっ」
突如、コンラドが両手を掲げて喜びを表す。どうやら勝手に巫女と到着の早さを競っていたらしいのだが、これには周囲から好奇の視線を集めてしまう。
当然、レオ達は関係ない人の振りをして、その脇を無言で通り抜けた。
「それじゃあ、先ずはプルム達の依頼からかな」
「おい、オレを無視するんじゃないっ」
慌てて後を付いてきたコンラド達がこの街に来たのは、ギルドの配達依頼があったからである。荷物は手紙ではなく薬草、配達先もレオ達とは違い一般家庭となっているので、完遂証にサインを書いてもらう必要があった。
「え、と名前はケクゴア・キッカさん、住所は……」
プルムが懐から宛先を書き写した紙を取り出すと、それを見ながら移動を開始し、他のメンバーはその後に付いていく。
珍しく先頭を進むプルムだったが、向かう先が徐々に人気が無く入り組んでくると途端に尻込みしてしまい、そんな彼女から紙を受け取ったコンラドが代わって先頭を進む。
「ここ、か?」
やって来た配達先は大きな屋敷で、この街で見かけた家々と同じように木造の建物だった。しかし、外壁に塗られた石灰は剥がれ落ち、壁を補強する木材ですら折れてズレてしまっている。
また、家の敷地には草木が生い茂り、様々な草の臭いが混じって鼻を押さえていないと、気分が悪くなってしまうほどだった。普通の知識では見たことの無い植物がそこら中から生えていて、放置された無人の家か魔族の隠れ住む家とも思えそうだ。
「ここで合ってるのか?」
「完遂証でも同じ住所だ」
折れ曲がらないように本に挟まれた完遂証を取り出し、テオドールが確認するも書かれた住所は同じで、プルムが写し間違えたわけではなかった。ならば、依頼をこなさなければならない。
五人は玄関まで向かうと、これまた表面がボロボロな扉の前でたたずむ。
「コンラド、任せたよ」
「す、すみません。お願い、します」
「お、おいっ」
戦闘になった場合、後衛の二人はコンラドの後ろにいた方が安全……などという事ではなく、単に嫌なだけなのだろうが、二人に背中を押されてコンラドが扉の前に立つ。
普段から使われていないのだろうか。馬のノッカーにはツタが絡まり、それを引き千切ってから来客を知らせる音を、二度ほど鳴り響かせる。
「……出ないな」
家から応答する気配もなく、レオはそう言いながら扉から離れて窓から中の様子を窺う。しかし、窓も掃除されていないのか、汚れて曇り中の様子はよく見えない。
留守の可能性もあるが、念のためもう一度扉を叩く。だが、やはり反応は見られず、留守だと判断したコンラド達が帰ろうと扉に背を向けると、鍵の開く音がして扉は開かれた。
「何の用だい?」
出てきたのは、この家に住まう住人として違和感のない老婆だった。波がかった白髪はボサボサでところどころ絡み、茶色の瞳は白くにごり目を細めてコンラド達を睨むように見ていた。
そして、家の中だというのに黒いローブを羽織り、黒くて目立たないが何らかの滲みが付着している。
その姿を見て直ぐ言葉の出ないコンラドに代わり、三人の後ろに立つエルザが用件を伝えた。
「こちらはケクゴア・キッカさんのお宅でしょうか? ギルドから配達の依頼で参りましたー。完遂証にサインをお願いします」
「あぁ……それじゃあ、荷物を中に運んどくれないか」
そう伝えると、コンラドの呼び止める声が聞こえなかったのか、老婆は直ぐに家の中へと戻っていった。
「ど、どうしますか」
落ち着かない様子で家の中と、足下に下ろした荷物を交互に見比べている。ただ、そんなプルムも内心では分かっている。完遂証にサインを貰わなければ、任務失敗となってしまうのだ。
「ここに置いてさよならが出来ない以上、行くしかないだろ」
テオドールは荷物を担ぎ直すと家の中へ入り、全員がその後に続いていく。
家の中は案外普通で、日の光が差し込み難いからか薄暗いものの、おどろおどろしい物が並べられるような家ではなかった。
老婆は客人を案内する気などないように無言で歩き、レオ達が家に入った時には少し離れた部屋へと入る姿が見えて、遅れないよう慌てて追いかける。
「座って待ってな」
今度はそれだけを伝えると、裏へと引っ込む。
入った部屋は長い机と多くの椅子が置かれ、壁一面の大きな窓のあるリビングルーム。窓からは太陽の光が差し込み、部屋を明るく照らしている。そこから見える景色も、手入れされた木や花が綺麗に咲き、この空間だけが今までとはまるで違う雰囲気である。
「な、何なんだ一体?」
「もしかしたら、私達を油断させる気なのかも。それか最後に見せる景色は、って奴」
「そ、んな」
顎に左の人差し指を当て、外の景色を横目で見ながら真面目な顔で呟くエルザ。その言葉にプルム怯えて言葉に詰まった。
そして、次の瞬間にはエルザの頭に衝撃が走る。強く殴られたのだ。しかし、それは予想出来たこと、片足を前に出して踏ん張り、そちらへ視線を向けた。
「余り脅かすな」
そこに立っていたのは予想通りレオで、開いた右手がエルザの頭があった位置に……レオの突っ込みである。
「おそらくあの人は薬剤師か何かだろう。玄関前のはそれ手系の植物だったはずだ」
「は、ヤクザいし? 薬剤師っ」
驚いたコンラドが腕組みをして頭を回転させる。
言われてみれば配達品が薬草で、庭に珍しい植物を植えるだろうし、服が汚れないようローブを纏い、そこには何かしらの滲みが出来るだろう。
「なんだぁ、よかった」
安堵のため息を吐いたプルムは、一度だけエルザに視線を送るが睨むようなことは出来なかった。
「ゴメンゴメン、何か皆が怖がってるのを見て、つい雰囲気を盛り上げようかと」
「盛り上げるって、悪い意味で盛り上げてただろお前っ」
エルザが再び謝っていると、部屋の置くからワゴンを押して老婆が戻ってきた。上にはポットとお菓子が置かれている。
「丁度、お茶を入れて……なんだ、その様子じゃ分かったのかい」
コンラド達を見て固まっていた表情を緩める。そして、懐から取り出した眼鏡を掛けて、テーブルにカップを並べていく。
「私がこの屋敷の主ケクゴア・キッカだ。薬剤師をしとる」
「……お婆ちゃん、このお茶は」
「何、見た目もニオイも味も独特だが、身体には良いよ」
カップの中身は土のように黒くドロドロで、ニオイも悪くは無いが鼻を突き抜けて目頭が熱くなる。何も知らずに出されたら、まず手は付けないだろう。
ケクゴアは配り終えると席に着いて、率先してそのお茶を飲んだ。
「いつもは余り飲まない、雰囲気作りの健康茶じゃ」
「エルザと同じ思考か」
悪怯れてなさそうに笑ったケクゴアを見て、レオは誰にも聞こえないように呟いた。
結局この老婆も何も知らずに怯えていた配達人を、少々脅かしていただけである。実は玄関の前に無造作に生えていた植物も、その為に植えられたものだった。
無害とは思っていても誰もお茶には手を付けない中、エルザがカップを手に取り皆の視線が集まる中で一口飲み込む。
「ぅん、うん。苦味と酸味があって美味しくはないけど、見た目ほど不味くもない。目がスーっとする」
飲んだ後の感想と表情もどこか締まらず、微妙な物だった。彼女に続くように他の面々もお茶に口を付け、同じように表情を崩していく。
そして、台車の引き出しから取り出された、見た目が普通のお茶菓子で口直しをしながら本題に入った。
「それでは、ケクゴア様、こちらがギルドからの依頼の品です。完遂証で確認した後、間違いがなければサインをお願いします」
今となっては聞きなれないコンラドの敬語。三人が背負っていた三つ分の袋と、テオドールから受け取った完遂証をケクゴアに渡して中身の確認を行う。
袋の中身は薬草。原産地ではそれほど珍しい品ではないが、この大陸では採れないので、こうして取り寄せるしかないのである。
「間違いないね。はいよ、お疲れ様」
確認して完遂証にサインをする。この時に使う筆記用具は何でもいいが、魔力を込めながらでなければ、文字が書けないようになっていた。ギルドで確認する際はサインの書き方だけではなく、魔力でも判断するのだ。
これでコンラド達の受けた依頼は終わり、後はサインの書かれた証明書をギルドに持っていけば、無事完遂ということになる。
しかし、お詫びというよりも、初めから別に淹れていた普通の紅茶を貰い、しばらくはこの屋敷で時間を潰すことになるのだった。
◇◇◇
太陽の光が差し込まず、壁に掛けられた魔道具によって照らされた廊下に響く靴音。
音の主は透き通るような色白の肌、下ろせば足下まで届くであろう長い黒髪を、腰の辺りで曲げて先端を後頭部で結び、眼鏡の奥には赤い瞳が輝いてた。身体の線はやや細いものの、周囲を引き締める鋭い眼差しには似合っている。
一見すると普通の真面目そうな女性に見えるが、その背中からはコウモリのような翼が生えていた。
此処こそ、マリア達巫女の目指す最終地点である魔城。
代々魔王の出現と共に姿を現すので、人間からは魔城や魔王城などと呼ばれているが、本来の名前は『フィルツド・ツルイフ』。決して晴れることの無い周囲の魔霧を生み出す巨大な魔道具、別名『霧の移城』である。
「ネイルリ」
背後から名前を呼ばれて女性は振り返る。
呼んだ相手もまた、普通の男ではなかった。短めの黄土色の髪と緑色の瞳はまだしも、見えている右手の皮膚は緑色で、いくつものツタが絡まって腕になり、それが五つに分かれることで指になったかのようだ。
「ユオンゼ、どうかしたの?」
振り向きざまにズレた眼鏡を直しつつ、ネイルリは不思議そうに小首を傾げた。それはユオンゼと呼ばれた男が、外出用に装備を整えている格好を見たからである。
「何、僕も巫女とやらを見てこようかなと思ってね」
その理由を聞いて納得したように頷く。
人間界に来た影響で魔王は眠りに就き、未だ目覚めていない状態。特にすることのないメンバーは、思い思いのまま行動しているのだ。
ネイルリも元来の引きこもりが拍車を掛け、書斎に閉じこもる日々が続いていた。それでもお風呂や化粧を忘れないのは、女性として捨てられない一線があるからだろう。
「そう、今どこに居るのか調べる?」
「いや、大体の場所は分かてるから別にいいよ。直ぐにたどり着いたら面白くないし、時間つぶしにもならない。僕も実験してみたいことがあるから、外でゆっくりしてくるよ」
ユオンゼはそう言って笑みを浮かべると、右手を握り締める。だが、その表情を見たネイルリはどこか心配そうに眉を顰めた。
「魔王様がまだ目覚めてないんだから、余計な騒ぎは起こさないでよ。今、人間に攻め込まれたら面倒なんだから」
「へぇ、ネイルリも側仕えとしての自覚が芽生えてきたってところかな?」
笑いながらも感心したようにユオンゼは頷くが、逆にネイルリは呆れたように半目で見つめ、露骨にため息を吐いた。
「何を当たり前なことを……」
しかし、次に顔を上げた時には、口元がだらしなく緩み目尻も下がってしまっていた。
「あの方と同じ魔王様の下で働ける今、やる気を出さないわけないじゃない。最初は仕事からのお付き合いで、徐々に信頼関係が芽生え始めて話しは進み、それが段々と恋心に変化していくの。そして、遂には周囲の誰もが羨ましがるほど親しくなって――」
熱を上げたように赤く染まった頬に両手を当て、嬉し恥ずかしそうに顔を左右に振る。その姿からは、先ほどまでの知的な様子が全く見られない。
しかし、付き合いの長いユオンゼからすれば、いつもの風景の見慣れた奇行である。ただ、それでもため息はこぼれた。ネイルリを呆れたからだけではなく、他にも心配事があったからである。
それは、同じ魔王に仕えているとしても、妄想の相手の『様』付けが尊敬の念からではなく、むしろ内心では笑っているのだと気付いているから。
「まあ、それは魔王様も分かってるんだけどね」
ユオンゼは未だに頬を赤らめ、どこか遠くを見つめながら何事かを呟いているネイルリを見て、今度は呆れ全開のため息をこぼすと、踵を返して歩き出す。
まだ見ぬ大海の巫女の下へと。