第四十九話
翌朝、レオが目覚めたのはアディルガンの寮、コンラドの部屋だった。散らかっているかと思いきや予想外に整頓されていて、今は寮母に預けている観葉植物もあるらしい。
実はこの寮に他人を止めるのは禁止されている。なのでレオが泊まっているのは校則違反なのだが、両者共に「バレなければ良し」で一致したのだった。
寮に案内されただけでも分かるのは、アディルガンでの格差。ランクで寮も別けられ、当然上位のランクの方が豪勢になっていた。
コンラドの部屋はノパに向かう船の個室よりも広く、ベッドや机を置いてもそこそこ余裕がある。これがCランクだともっと狭くなり、DだとCと同じ部屋を二人部屋として使用するとのこと。
また、今までなった学生がいないので噂でしかないが、在学中にSランクになれば一軒家をくれるといった話も、真しやか囁かれているのだった。
「おーっす、レオ」
「おはよう」
早く目覚めたレオが顔を洗って洗面所を出ると、寝起きのコンラドが重い目蓋を擦りながら起きてきた。
ランクによる格差は部屋だけでなく、お手伝いさんと呼ばれる人にお金を払って掃除などを頼めるのだが、上位ランクの方が安いのである。とは言え、その差はパン二個ほどの微々たる物。
ギルドで部屋を離れるのが多い以上、お手伝いさんを利用するのが前提となるからだ。その中でも格差を生ませるのが、少しの金額なのだろう。
「やっぱ家は落ち着くな。掃除もちゃんとしてあったし」
コンラドもお手伝いさんに掃除を依頼し、それで一ヶ月近く離れていたコンラドの部屋でも、気持ちよく眠ることが出来たのだ。
「んじゃあ、ちょっくら朝飯を買ってくる。良い物持ってきてやるぜっ」
食堂には比較的安く提供されていて、もちろんパンなどもある。昨夜と同じく、レオの食事をコンラドが買い込むことにしたのだ。
朝食も食べ終わり、エルザ達との待ち合わせ前に剣を受け取るため早めに寮を出る。もちろん、抜け出す時はバレないようにこっそりと。
しかし、建物から出て敷地の外へ抜けた瞬間、二人を呼び止める声が聞こえてきた。
「ちょっとそこの二人、何をしているのかしら。もしかして、部外者を寮に泊めてないわよね」
突然背後からかけられた言葉に、コンラドは驚いて思わず背筋を伸ばす。
「い、いえっ、これはその、寮の屋根の上で寝てたらしくっ」
「……そういうお前は何処に泊まったんだ、エルザ」
いつもより少し低く抑えた声だったが、レオにはそれが誰だか直ぐに分かり、ため息を吐きながら振り返る。
そこには予想通り、慌てて言い訳をするコンラドを楽しそうな笑みで見ているエルザの姿。他に人は見当たらず、ここに居るのはエルザ一人のようだ。
「ざーんねん、お金の有る私はちゃんと宿に泊まりましたぁ」
そう言う表情はどこか拗ねてるように見え、これにレオは驚きながらも納得する。
エルザなら寮に泊まりたがるだろうが、おそらく規則を破るのが嫌だったプルムが乗り気ではなかったのだろう。
まあ、ただ単にエルザを部屋に入れたくなかったという可能性もあるが……。
声をかけてきたのがエルザだと分かったコンラドは、安堵のため息をつき胸を撫で下ろす。
「まったく、驚かせるなよなっ」
「あははっ、ゴメンゴメン……でさ、レオの腕固定してないけど、良くなったの?」
軽く謝りながらも、レオが振り返った時から気になっていた左腕のことを尋ねる。
骨折してからずっと固定していた左腕は、包帯が巻かれている程度で、添え木も腕を吊ることもしていなかった。レオは左手を上げて気軽に振ってみせる。
「あぁ、学校にいる医者に見てもらった」
「常勤医だからタダだぜ。まあ、融通の利く先生だったってのもあるけどよ」
本来なら部外者は診察を受けられないが、在学生であるコンラドの紹介と他校ではあるが、レオが学生だったのが幸いした。
しかし、他校の二人はタダで診察してもらえることよりも、学校に常勤の医者が居ることの方に驚いたのは言うまでもない。
「それで、二人はこれから待ち合わせ場所に向かうの?」
「いや、もう少し時間を潰してから、砥いでもらった剣を受け取りに行く予定だ」
依頼した時点で朝取りに行くとは言ったが、詳しい時間までは伝えていなかった。さすがに朝食を食べ終えた辺りに行くのは失礼かと思い、街で時間を潰すことにしたのだ。
「あっ、そうだ。砥ぎ代はいくらだった?」
最初からお金を出す予定だったエルザは、掛かった費用を聞くと金貨一枚を取り出してレオに渡す。
「それじゃあ、また後でね」
「何だ、一緒に行かねぇのか?」
「うん、今はどうか知らないけど、朝から暑いトコには行きたくないしね」
笑いながら手を振ると、踵を返して街中へと戻っていった。
そう言われて思い出せば、確かに涼しい朝からあの暑い所には行きたくない。コンラドもレオと別れようとしたが、先ほどエルザとは知らずに売り渡そうとしたことを上げられ、一緒に向かうのだった。
◇
まだ仕事が始まってないからなのか、昨日ほど暑くはない職人区画。
それでも、熱が篭ってじめっとした空気が纏わりつきながら、依頼した剣を受け取ったレオは、ついでにミラノニア特産品であるガラス細工を購入。約束の時間より少々早いが、待ち合わせ場所に向かうことにしたのだった。
場所はミラノニアの出入り口近くの噴水。近くには外にテーブルを並べた喫茶店もあり、そこで時間を潰しながら待つことも出来る、待ち合わせには最適な場所だった。
案の定、噴水の見える所でエルザが一人、紅茶とケーキを味わっていた。
「一人か、寂しいな」
「うっさい」
二人も同じテーブルを囲み、コーヒーを頼んで残りのメンバーを待つ。
約束の十分前にやって来たのはプルム。噴水の前でキョロキョロと辺りを見回し、手を振るエルザを発見して駆け寄ってきた。
最後に来たのはテオドールだったが、それでも時間の五分前。こちらは最初から噴水の辺りを探さずに、近くの店を見て直接近づいてきた。
「これで全員揃ったなっ」
「ユオスデってここから北東にある街だよね」
「はい。五日ほど、かかるでしょうか」
これからの行動の話し合い……という名のお茶会である。結局はテオドール以外が飲み物を頼み、出発したのは予定よりも一時間後のことだった。
◇◇◇
長く旅を続けていれば、予想外の天候で歩みを止めなければならない事態も出てくる。
現在、旅の歩みを邪魔する天候は、二つの側面を持つ雨。一つは植物を成長させる恵みの雨であり、もう一つは川を氾濫させる破滅の雨である。
しかし、どちらの雨であろうと変わらない出来事はある。
「あー、虹だー」
雨宿りしていた大樹から踊り出たのは、ピンク色の長髪をなびかせる少女。葉に残る水滴が太陽の光を反射し輝く舞台で、一人嬉しそうに空を見上げる瞳は金色。
何を思ったのか、少女は両手を広げて一回転。大きな胸が揺れるが本人は気にする事無く、雨上がりの澄み切った空気を胸一杯に吸い込む。
そして、大樹の下にいる仲間達の所へと戻る。
「ねぇねぇ、虹だよー」
「はいはいそうね。まったく、まだ小雨がぱらついて、地面も濡れてるってのに……」
呆れたようにため息を吐く女性に呼ばれ近くまで移動すると、両肩を持たれて半回転。濡れた髪を布で拭かれていく。
急な行動だが少女は驚く事無く女性に身を預け、気持ち良さそうに目を細めて空に架かる虹を見つめる。
「ねぇ、虹の根元には何があると思う?」
「虹の根元? あぁ、子供の頃に宝物が埋まってるとか、聞いたことがあるわね」
「宝物かー、それも良いなぁ。でも、わたしはみんなの幸せが詰まってると思うんだ」
女性は会話をしながらも、櫛を取り出して慣れた手付きで髪を整えていく。答えを聞いた少女は納得したように頷き、手で頭を押さえつけられる。
「ほら、動かないっ。それで幸せだっけ?」
「うんっ、雨はメティー様の落涙とも言われてるでしょ。それで、みんなの幸せな気持ちが集まって虹をかけて、メティー様の涙を止めるんだよ」
少しだけ頭を上げて虹を見つめるその瞳は、純粋に輝き冗談などではなく本心から言っていることが分かる。
もちろん、それをそのまま聞き入れても良かったが、女性には一つの疑問が浮かぶ。
「へぇ、雨が止んでの虹じゃなくて、虹が出て雨が止むってわけね。でも、今回は雨が降りながら晴れてるけど、大抵は降り止んで雨雲が晴れてから虹が見えるわよ」
「それは大丈夫っ、メティー様にはちゃーんと虹が見えてるの。それで泣き止んだから、その幸せをわたし達にも分けて下さるんだよ」
梳き終わり自由に動けるようになった少女は、髪をなびかせながら振り返る。
「だから虹を見るとみんな幸せな気持ちになれるんだよっ」
そこには見ている方も力が抜けそうな、柔らかい満面の笑み。釣られるように女性も笑う。
ただ、『満点の笑顔』とは言えない理由がそこにはあった。
「大海の巫女らしい台詞ね。……でも、それが雨の下で転んで、服と顔を汚した言い訳にはならないわよ」
「いたっ」
おでこを軽く叩かれ、痛みから涙目で額を押さえる間に顔の汚れは拭われていく。
仲間の下へと駆け寄る途中で転んだピンク髪の少女。名前は『メーリ・メティー・ハララ』、れっきとした大海の巫女である。
「まったく、また新しい服を頼まなきゃ。それにその服は洗濯、はい脱いでっ」
「え、えぇ~っ。今ここで?」
「そうよ、滲みになったら目立つでしょ。大丈夫、ちゃんと土で囲うし下着姿になれって言うんじゃないんだから」
雨も止んだことで大樹の下から移動し、二人の四方を囲うように土の壁がそそり立つ。
そして、中で何が行われているかは分からないが、メーリの悲鳴は周囲の壁に反響しながら、すっぽりと空いた天井から見える虹へと響いていった。
そんないつもと変わらない、彼女たちの日常である。
◇◇◇
ミラノニアを旅立ってから五日目。
これまでレオは、衰えた左腕の筋力を取り戻すべく鍛えていた。革袋を左手で持ち、戦いになれば、直った剣を左手で持って振るう。
ただ、戦闘では前と同じくエルザ達で片付けてしまうので、剣を振り飛ばしたり落としたりしないよう、感覚を取り戻すことを優先していただけだが。
そして、順調に旅路を進み、次の目的地であるユオスデにそろそろ着くという頃、レオがコンラドにある提案をした。
「模擬戦?」
「あぁ、どれだけやれるかの確認がしたい」
ラザシールや魔物の群れとの戦いに加わったレオだが、その時は魔法による後方支援だけで、剣を使った前衛の戦いは腕を折られたバネッサとの模擬戦にまで戻る。
それに、コンラドは受けの戦い方をするので、感覚を取り戻すには丁度いい相手なのだ。
実は模擬戦のことを思いついたのは、医者から問題なしとのお墨付きを貰ってからだった。
それが今になったのは、少しでも左手の筋力を回復させてからという考えと、街に近い方が重傷を負ってしまった時に都合が良いからである。
「おしっ、アディルガンとクロノセイドとの交流戦ってわけか。やってやるぜっ」
当然、コンラドが断る理由はない。斧を持つ右手をレオに向けて、楽しそうに笑ってみせた。
しかし、人の往来のある道で戦っては、通行人の邪魔になってしまう。レオ達は少しばかり脇道に逸れ、地面が人の腰ほど窪んだ場所で戦うことにした。
ここは他にも利用者がいるのか、地面を抉ったような戦いの傷跡が残り、この窪みにだけ草すら生えていない。実はここで何度も戦う中で地面が徐々に削られ、窪みが大きくなっていったのだった。
「じゃあ私達はここから応援しよっか」
「結果は分かりきってると思うけどね」
窪みの縁に腰を下ろし、観戦することにしたエルザ達だったが、意外なのはテオドールも素直に加わっていること。普段の彼の言動からすれば、さっさと街に向かうよう促すか、文句の一つでも呟きそうである。
それをしないのは、同じ学校のコンラドが勝つことを確信し、ましてや勝負事に水を差すような真似はしない主義だからだった。
「ふ、二人とも、頑張って下さい」
プルムの声援を受けて、レオとコンラドが対峙する。
レオは鞘付きのままの剣を両手で構える。これは砥いだばかりだからというだけでなく、コンラドの巨体の半分を隠す盾があるからで、さすがに摸擬戦で盾相手に全力でぶつかるつもりはなかった。
対するコンラドも、腰を落とし左手に持った盾を地面につけて正面に構え、右手に持った斧はその裏に隠して見えないようしている。また斧の刃部分には、アディルガンで使われる樹脂製のカバーを付けて、大怪我は負わないようにしてあった。
「さて、先手は譲るぜ。かかって来いっ」
「……よく言う」
待ちの構えなのだから、レオに先手を譲った方が有利になるのである。とはいえ、摸擬戦を申し込んだレオとしても、このまま無駄に時間が流れても意味が無い。
「行くぞ」
言葉を発すると同時に地面を蹴り、真正面から突っ込む。横手に回るという方法もあるが、最初は小細工なしで相手の出方を見るつもりだった。
そして、物を斬る感覚を思い出すように、そのまま盾を斬りつける。勢い良くぶつけるのではなく、当たる瞬間に肘を曲げて剣で盾を押すように薙ぎ払う。
「無駄だっ」
しかし、コンラドは地面に付けたまま反動でレオを押し返す。そして体制の崩れた所をを斧で斬る、これがコンラドの戦法の一つである。
ただ、レオも真正面から行けば、撥ね返されることくらい分かっていた。コンラドの圧に押し返されるが、体制を崩されること無く後退する。
「なら次だ」
重い盾ほど機敏には動かせないので、今度は斧を持った右側から攻撃に移る。
しかし、コンラドは盾を斜めに倒して身体の内へと巻き込むように引き摺り、万全のとは言い難いが横からの一撃を受け止めた。そして、斜めになっている盾の下から斧で斬り上げる。
コンラドの斧は普通の斧よりも小柄な分、速く扱えることが出来るのだ。盾に防がれた剣が斧で上へと弾かれ、レオは再び距離をとる。
「なかなか堅いな」
「当然だぜっ。ウチはオレが抜かれちゃ、後ろは後衛だけだからな」
自信満々に言い放つコンラドだが、自身の弱点は分かっている。
距離を取られると弱いのだ。弓矢はまだしも魔法を使われた場合、大抵はテオドールやプルムが何とかするのがパーティーとしての役割だったのだ。
当然、レオが魔法を使えることは知っているので、内心ではそうならないように祈っていたりする。
「さて、じゃあ続きといくか」
そんな祈りが通じたのか、レオは再び駆け出す。というのも、今回の摸擬戦は剣を扱うことに意味があり、魔法を使って勝ったとしても意味がないのだ。
先ほどは単に横へ回っただけだったが、今度はかく乱するように周囲を回り、コンラドの様子を観察しながら徐々に距離を詰めていく。
対するコンラドも体勢を整えて左側面を盾で、後方には右手に持った斧を横にして護る。これでコンラドは、簡易ではあるがL字の防壁を得た。後はレオから視線を外さないよう頭と目を動かす。
そして、二人の距離は徐々に縮まり、あと一歩踏み込めば剣の間合いとなってレオが動く。
「――ハアアァァァッ」
「やっぱりなっ」
襲い掛かったのは、ある意味小細工無しの斧を構えた背後から。だが、コンラドもそこから来る確立が一番高いと踏んでいて、驚くことなく斧で迎え撃つ。
レオの剣はコンラドの斧の刃には当たらず、その少し下の柄に当たった。ただ、斧は先端が重く、それを支える柄は非常に太く頑丈である。コンラドは気にする事無く押し返す。
ただ、レオも負けてはいない。剣を滑らせ刃と柄の境目まで持っていくと、絡めるように斧を奪おうとしたのだ。
「なっ」
結果は……簡単に奪えた。上へと持ち上げればあっさりと斧は空中に舞ったのである。
しかし、このことに驚きの声を上げたのはレオ。競り合いになるだろうと、力を込めて振り上げたのだが、呆気なく武器を奪えたのだから。
だがそれも当然、コンラドは斧を握り締めることなく手放したのだ。
不味いと感じたレオは急いでその場から飛び退く。
「うおおおぉぉぉーーーー」
「ぐうっ」
しかし、その考えを見透かしていたように、盾ごとの体当たり。
斧を飛ばしたまま腕が上がった状態のレオは、防御すら出来ずに腹に衝撃を喰らい倒される。コンラドはそのままレオに跨ると、盾を頭上に構えて右拳をレオの顔面に突きつけた。
「どうだっ」
「……参った」
敗北宣言の後、上空に舞った斧が近くに落ちる。勝敗は決した、レオの負けである。
大きな怪我は負ってないが、念のためとプルムが二人に魔法を掛けることになった。傷を治す回復魔法ではなく、身体に傷を負ってないか調べる探知系の魔法である。
最初は負けたレオから調べてもらい、今はコンラドの身体を調べている最中だった。
レオは彼らから少し離れた場所に一人で座り、鞘に出来た真新しい傷を指でなぞりながら、今回の摸擬戦で得られた成果と改善点を洗い出す。
そこに近付いてきたのはエルザ。
「相変わらず、魔法使わないと弱いね」
「そうだな」
弱いと言ったエルザに怒るでもなく、レオは素直に肯定した。
実のところエルザは実力を隠してのB-だったが、レオの場合はほぼランク通りのC+の強さでしかない。レオの本気とはあらゆる物を駆使し、選択の幅を広げて戦場の基盤を描くことにあり、身体能力や使える魔法そのものはそれほど高くないのだ。
「まあ、これから上げていくさ」
しかし、それも今現在での話。弱いとは言っても同年代では平均的な強さで、これから幾らでも成長の余地は残っている。
レオは楽しそうに笑うと、立ち上がって一伸び。
自身の現状を把握出来た上に、久しぶりに身体を動かして戦えたことで、例え負けてもスッキリと晴れ渡った気持ちだった。