第四十五話
レオとエルザは船に入って自室に荷物や武器防具を置いてくると、甲板に出てジャンニを探していた。あの丸っこい体型は離れていても目立ち、しかも相手が飛び跳ねながら手を振っていれば尚更である。
船の高さから会話は出来ない距離だが、そのまま三人で同じ空間で過ごしていると、出港の時間を知らせる鐘が周囲に響き渡った。
「またな」
「まったねーーー」
レオとエルザはジャンニに手を振り、甲板に集まった他の乗客達も同じように見送りに来てくれた人達へと最後の別れを交わす。
錨が上げて、広げられたマストは風を受けて大きく膨らむ。徐々に速度を上げていく船は、港から離れて人の姿が判別出来ない沖へとやってきた。
他の乗客が船内へと戻っていく中、エルザは離れていく大陸を物憂げに見つめている。
「さらば愛しの我が大陸」
「さて、船内でも探索してくるか……」
「ちょっと、そこは一緒に物思いに耽るんじゃないの? ほら、いろいろあったねーって思い返すところでしょ」
何か言っているエルザを無視しつつレオは船内へと戻り、エルザもその後を追いかけて行く。時と場所が変わってもいつものやり取りである。
船内は一般的な客船と変わりなく、客室とちょっとした遊戯施設、食堂や身体の動かせる修練室があった。
修練室は身体を生業とする人が多くいる以上必要とされるもの。補強の魔法を他よりも強めた上に、それほど激しくない運動で、また自身の武器や魔法などの使用禁止という御達しが、ギルドや国からも出ている。
「お客さんは満員って感じじゃないし、これならいつでも使えるかも」
修練室を見てみれば、広さは十メートル四方ほどの大きさ。船会社が用意した木製の武器以外は何も置かれていない、ただの空き部屋である。
既に何人かの乗客が部屋の状態を確認する意味も込めて、軽く身体を動かしていた。
「修練室か、お前はあまり使えないんだろう」
「うん。てか、だいたい見終わったし、私そろそろ部屋に戻るね」
出来れば早く横になって回復に努めたいエルザは、レオと別れて自室へと向かう。
当然レオとエルザは別々の個室を取っている。ただ、個室と言ってもかなり狭く、荷物を置く場所とベッドがある程度の広さしかない。机も壁にある板を倒して、椅子はベッドが代わりである。
レオの見立てでは、エルザが苦も無く動けるようになるには、後四日ほどかかりそうだった。それも練り上げて闘気を創り、自己治癒力を高めた状態でそれだけかかるのだ。
もしエルザではない魔闘士なら一週間、魔闘士ですらなければ二週間は寝たきり生活になっていたかもしれない。
それを理解していながら、詳しい説明も臆する事も無く『気』を渡したアイナを思い出し、レオは改めて感心した。優先順位を付けてそれを守れるのは、組織の上に立つ人物には必要不可欠なものだからだ。
まあ、成長という意味合いでエルザは自己治癒に頼っているが、どうしても辛ければ回復魔法をかければそれで済む話ではある。
「さて、俺は少し身体を動かすか」
レオも左腕を骨折して完治はしてはいないが、ピアから貰った薬のおかげもあってか、最近は動かしてもそれほど痛みを感じなくなっていた。もちろん、治りかけが一番重要なことは分かっているので、無理して動くつもりはない。
揺れ動く船の中、レオは下半身を大きく開き大股で右足を踏み出しては止まり、徐々に沈みこみながら今度は左足を踏み出して同様に繰り返す。
腕には負担をかけないよう、ゆっくりと下半身を鍛える。地味ではあるが、股関節を柔らかくする意味合いもあるのだ。
「あっ、さっきの」
レオが部屋の中を何度か往復していると、新しく入ってきた人物がレオを見つけて近寄ってきた。話しかけてきたのは、やはりと言うべきかチケット売り場で荷物を背負っていた三人組み。
彼らもレオと同じく荷物は部屋に置いているようで、あの大きな荷物も武器防具も着けていない。
「先程はぶつかって、すみませんでしたっ。腕の怪我は大丈夫でしょうか」
三人の先頭を歩く少年が勢いよく頭を下げ、吊るされているレオの左腕を心配そうに見つめている。
小奇麗に短く刈り込まれたこげ茶色の髪、その旋毛が見えるほど腰を九十度曲げての礼をする。緑色に輝く瞳と大きくパッチリと開いた目、それに太目の眉毛は意思の強さを物語っているかのようだ。
筋肉質でがっしりした体系と体中に見える傷跡から、武器を持っていなくても彼が前衛を務めていることが予想できた。
「えぇ、大丈夫です。そちらも荷物は無事でしたか?」
「はい、それは問題ありませんっ。あっ、失礼、自分はアディルガン校二年、コンラド・パルラモンです」
レオはコンラドの様子を見ながらも、通っている学校名を聞いて思わず声を漏らす。
アディルガン校とは、歴史は浅いが優秀な人材をそこそこ輩出しており、新進気鋭な学校だと評判で、他国からの知名度はレオの通うクロノセイドよりも高いのだ。
「なら同い年ですね。俺はレオ・テスティ、クロノセイドの二学生です」
「クロノセイド、聞き覚えがあります。ところで同じ学年なら、堅苦しいのはなしにしませんか?」
そう言うコンラドの表情は、慣れない口調で気疲れしているのか少しばかり引きつり、提案というよりもお願いと言う顔つきである。
レオとしても断る理由もなく、これから同じ船で一緒するのだから、と提案を受け入れた。
「よっし、なら次はお前たちも挨拶をしておこうぜっ」
敬語を止めた途端に満面の笑顔を見せ、コンラドは後ろに振り返り二人の仲間に話を振る。
最初に反応を示したのは、コンラドの影に隠れるようにしていた少女。身体をビクつかせ、キョロキョロと周囲を見回し一歩前に出た。
軽く波がかった薄紫色の髪は腰の少し上辺りまで柔らかく広がり、少女の目元は髪に隠れて見えづらい。ただ、顔が見えづらいのは髪の毛で隠れているからだけでなく、少女が両手の指を口元で絡め、少し俯き加減だからだろう。
「は、初めまして……ぷ、プルム・キュトラ、です。よ、よろしくお願いします」
勢い良く頭を下げると、そのままコンラドの後ろへと下がり、胸元で握り拳を当てて何度も深呼吸を繰り返す。
「すまんっ、こいつ人見知りが激しいだけで、悪気は無いんだ。許してやってくれっ」
「あぁ、分かってる。分かってるから、そんなに声を張らなくても大丈夫だぞ」
プルムの態度よりも、近くでコンラドに大声を出され、レオは顔を顰めて片耳を塞ぎながら距離をとる。初対面の堅苦しさはなくなったが、コンラド本来の暑苦しさに見舞われてしまったのだった。
レオは早く次へ進んで欲しいと、最後の一人へ視線を送る。
その少年の瞳は薄い灰色をしていて、少し長めな青色の髪は左側の前髪を右側へ流している。やや小柄で細身な身体はレオに対して側面を向け、顔を合わせようとすらしない。
そんな会話すらしようとしない態度に我慢できなかったのは、レオではなくコンラドだった。
「テオっ、早く挨拶をしないかっ」
「……何でわざわざクロノセイド何て聞いたことも無い奴に。必要ならそうするし、必要ないならしない。別に彼との話しが実になるとも思えないな。僕達はアディルガンの生徒なんだし」
そう言ってレオをチラリと見る視線は、格下の相手だと完全に見下している。
「で、でも、私達は落ちこ――」
「うるさいな。船内の見回りは大体終わったんだ、僕は部屋に戻るぞっ」
プルムの言葉を鋭く冷たい声で遮り、テオは足音荒く部屋へと戻っていく。
ただ見送ることしか出来ないレオにコンラドは謝り、プルムは少年に睨まれたせいか目に涙を浮かべている。
「すまん、彼はテオドール・デュカー。さっきの通りプライドが高いというか、ちょっとばかり攻撃的な性格をしている。まあ、アディルガンは順位が全てな所だからな」
「落ちこぼれな私達、は……。だからテオくんは、学校のランクで、比べたり、してるんです。すみません」
テオをフォローしようと二人は言葉を並べるが、レオはそれほど気にしておらず、それよりも他に気になることがあった。
「落ちこぼれったって、ランクC+はあるんだろ?」
「C+はテオでオレがB-だ。しかし、よく分かったなっ」
足運びなどで分かったのか、とコンラドは己の身体を見回すが当然違う。
レオはさきほどのギルドでの出来事、チケット売り場で三人を見かけた時の予想などを話して聞かせた。
「なるほどっ、それで分かったわけか」
「す、すみません、依頼を先に受けてしまって」
「いや、ギルドの依頼は早い者勝ちだ。謝る必要は無い」
どうやらプルムが謝るのは癖のようなものらしく、ビクビクと怯えている様子からも大体の人となりは分かった。レオは本当に気にしてないので、そのまま事実を伝えてから言葉を続ける。
「それよりも、確か俺達の学年の平均はC+、コンラドがB-ならそれ以上だ。別に落ちこぼれって事はないだろ」
「いや、うちの学校じゃ二年はBが平均なんだ」
これはアディルガン校が特別なだけで、レオの言った平均ランクは国連発表の世界的な数値である。
「それにアディルガンじゃランクによって扱いも違う。学生に競争意識を植え付けることで、より高みへと目指させるように出来てるんだ」
「なら、今は努力するしかないんじゃないのか」
「その通りっ。何だ、レオは意外と話の分かる男じゃないかっ。もっと冷たく斜めってる奴かと思ってたぞっ」
そう言って笑いながらレオの背中を叩こうと右手を振り上げたコンラドだが、そこで相手が怪我人だということを思い出し、振り上げた右手は自分の頭へと振り下ろした。
想像以上に強く大きな音が響いたが、コンラドは気にする事無く腕組みをして、何度も頷いている。
「部屋に戻ったテオもな、今頃は部屋で瞑想してるんだぜ。まあテオの場合、何故か一人でコソコソとやりたがるんだが」
「ほぉ」
予想していなかった言葉に、レオは少しばかり驚く。少ししか見ていないが、テオが努力をするようなタイプには見えなかったからだ。
しかし、驚いたレオの姿は想像通りだったのか、コンラドはどうだといわんばかりに笑ってみせる。
「意外だったか? あいつはあれでも熱い心を持った男だぞ。まあ、それでもオレには敵わないがなっ」
両手を腰に当て大きく胸をそらして笑い声を上げる。その声は修練室中に響き、レオは早々にコンラドの側から離れて壁際へ、プルムは注目している他の利用者に対して頭を下げて謝っている。
「おいおい、何で離れたんだ?」
笑いも直ぐに収まり、近くに居なくなったレオを探して再び近寄ってきた。心なしか涙目になっているプルムに対し、悪い事をしてしまった気分になったレオである。
「あぁ、身体を動かしていたからな。冷える前に再開したかったんだ」
「おぉっ、そう言えばそうだったな、悪い悪い。ところで、話しかける時から思ってたんだが、他の二人とは一緒じゃないのか?」
そう言って周囲を見回し、利用者を確認している。レオはコンラドの二人という言葉に疑問を持つが、それがジャンニを指しているのだと理解した。
「……あぁ、あの時一緒にいた男性なら、クォムルクで分かれた。もともとその予定だったからな。それと、もう一人は体調が悪くて部屋で休んでる」
「そいつは、お大事にと伝えておいてくれ」
エルザを気遣う言葉で会話も一段落つき、レオはこれから二人がどうするかを尋ねる。
「俺はもう少し身体を動かすが……」
「んー、オレは部屋に戻るとテオが出て行けと煩いからな。どうせだったら一緒に汗を流そうぜっ」
断る理由としては少々暑苦しいというのもあったが、相手がいることの方が何かと便利だと思い、レオはコンラドの申し出を受け入れた。
そして、プルムも一緒に身体を動かすかどうかを尋ねる。
「わ、私は、その、もう一度船の中を、見て回りたくて、すみません」
「いや、なら気をつけてな」
「そうだぞっ、特にプルムの場合は人波に注意だ。呑まれそうになったら、逆に泳ぎきってやれっ」
コンラドの励ましを曖昧に笑って誤魔化し、プルムはレオ達以外にも頭を下げながら、修練室から出て行った。
残ったレオは、ピアとの別れ際に貰ったジュースのような薬で喉を潤す。フルーツの香りと甘くもサッパリとした味わいの薬は、身体から減った水分も補給してくれる。
「そういや、コンラドはやっぱり前衛なのか?」
「当然っ、この肉体を盾に後衛二人を護ってるぜ」
両拳をお腹の前で突きつけて腕や胸、腹などの筋肉を隆起させる。素肌が見えている二の腕には、多数の古い傷跡が目立ち、言葉どおりプルム達の盾となって負った傷もあるのだろう。
丸太というほどではないが、その二の腕は学生として質の良い鍛え方をされている。それは学校の鍛え方が良いのか、コンラド独自の鍛え方が良いのかは分からないが、レオはコンラドに意見を求めてみた。
「なら、俺のどこを鍛えれば良いかとか分かるか?」
「レオも前衛なのか? それにしては……」
「いや、中衛だ」
中衛ということで合点がいったのか、コンラドは何度か頷きながらレオの身体を上から下まで見て、不思議そうに頭を傾ける。
「そう言われても、オレはレオが戦っているところを知らないし、当たってるかは分からないぞ」
もちろん、それを知った上で頼んだのだ。レオの気持ちに変化はなく、「それなら」とコンラドはレオの身体の周りを回りながら、今度はしっかりと頭の先からつま先までを見る。
そして正面に立ち、大きく頷いて上向きの左手の平を右拳でポンと叩く。
「上半身は腕を骨折してるから、今は無理する必要は無いだろう。治るまでは下半身を重点的に鍛えるべきだろうなっ」
「なるほど、俺と同じ考えだ」
コンラドの出した結論はレオの考えと同じである。そう言われても、コンラドは腹を立てる様子もなく、むしろ納得したように笑った。
「やっぱり分かってたか。さっきも下半身を鍛えてたもんな」
「だが、他人から言われると間違ってないと分かる。ありがとな、今まで通りに――」
「よーし、なら船上特訓その一、片足立ち打ち合いだっ」
レオが礼を言って訓練を続けようとしたが、その言葉をコンラドが両手を天井へと突き上げながら大声で遮った。
再び周囲の視線がコンラドに集まるが、今度はレオも驚いており周囲を気にする余裕は無い。
「これは揺れる船に片足で立ち、互いに打ち合うことで、バランス感覚と下半身の筋力が鍛えられるはずの特訓だっ」
「『はず』って何だ、『はず』って」
そんな言葉も聞き流し、コンラドは修練室の一画に用意された木製の剣を二本持ってきた。
両方とも片手で扱える大きさの剣で、これは片手しかつかえないレオに合わせたのである。武器の大きさが違うと、それだけで一方のみが弾かれてしまう可能性があるからだ。
「まあ、そう言うなよ。もし意味が無さそうだったら、また新しい特訓を考えれば良い話なんだぜっ」
そう言ってレオに木剣を手渡し、受け取ったレオは仕方なしとため息をこぼす。一緒に身体を動かすことに同意した以上、少しは付き合うつもりだったのだ。
もっとも、付き合わされるのは予想通りでも、それが終わる時間は予想よりも長くなってしまったのだが……。
こうして新たな旅立ちは、新たな出会いから始まった。