第四十二話
アイナの登場でその場を離れたラザシールだったが、それほど離れてはおらず、エルザは直ぐに追いつくことが出来た。
そして、二人が対峙している中、人々の決起の雄叫びは村中に響き、アイナの言葉は人から人へと伝わる。
当然エルザもその雄叫びは聞こえ、どういった理由から声を上げたのかは分からなくとも、爆発した決意の感情は感じ取れた。
「んー、さっきの子がピアのお姉ちゃんかな。雰囲気のある子だねー、アナタも逃げ出したくらいだし」
「グギィィ」
エルザの言葉を受けて嘶くが、これは言葉を理解しているというよりも、エルザの挑発的な態度に腹を立てているのだ。
左前足で地面を掻き、今にもエルザに飛び掛りそうなほど鼻息を荒くしている。
当然、先に攻撃を仕掛けたのはラザシールの方だった。
足の怪我を気にすることなく、エルザの立っている横の家目掛けて突っ込んだ。
「ふぇっ、ちょっと何っ」
この行動にはさすがのエルザも驚き、変な言葉が漏れてしまう。
先ほどの挑発に対するお返しで、単に嫌がる事をしたのかと考えたエルザだったが、ラザシールの意図は直ぐに分かった。
見えない壁の向こうから突進してきたラザシール。だが、それはエルザも想定していたことで、壁が崩れた瞬間に遠くへと跳び、ラザシールの進路から外れたのである。
しかし、その途中で空気を切り裂くように大きな音を立てながら、エルザの後を追うように何かが振るわれた。
「へぇ、武器ってわけ?」
再び姿を現したラザシールが手に持っていたのは、自身の顔よりも太く体長より長い家の柱。脇に抱えるように両手で掴んだまま、エルザに突進してきたのだ。
追撃となる一撃は、エルザが早く動き出したことで当たりはしない。ただ、非常に厄介な状況になったことで、エルザは内心で思わず舌打ちをする。
「まあ、そんな物使ったところで、私に当てられる――いつっ」
それでも余裕の表情を崩さないようにしていたが、上空から落ちてきた何かがエルザの頭に当たり、思わず頭を抑えて蹲った。
目の前に転がる物を拾い上げると、それは標魔石。支点から外れた物なのかは分からないが、少し悩んでエルザはそれを懐へと入れる。
そして、標魔石のぶつかった頭を摩りながら立ち上がっていると、作戦を授けて先行したアイナが駆けつけた。
「お待たせしました。貴方がエルザさんですか」
「そうだよ、アナタがピアのお姉ちゃんだよね」
近衛師団の副団長であるピアの姉ということは広まっていて、旅の少女が知っていても不思議ではない。
ただピアの名前を呼んだ時に、親しみを込めていたことが気になったのだろう。アイナはその事をエルザに聞き返した。
「はい、そうですが、ピアのお知り合いの方ですか?」
「まあね、途中一緒に旅してたし、実家へのお手紙も預かって――るよッ」
非常に和やかな挨拶だったが、人間同士の会話など興味ないとばかりにラザシールは柱を持ったまま駆け出し、二人まとめて薙ぎ払う。
だが、注意が二人に払われるようになった分、避けやすくなった。エルザとアイナは向かってくるラザシールを左右に別れて避けると、そのまま回って再び一緒になる。
「全力で倒しに行きます……と、貴方には言う必要はありませんね」
「当然っ、私は最初からここで倒すつもりだよっ」
そして反撃。アイナの前に出たエルザは、振り返るラザシール目掛けて一直線に走る。
しかし、ラザシールも柱を振り下ろすことで対応。これは左右どちらから回り込もうとしても、地面にぶつかった反動を利用して、瞬時に追撃へ移るためだった。
「こっちこっち」
「いえ、こちらです」
だが、エルザが左に跳んだその直ぐ後ろから、アイナが現れて右へ跳ぶ。
エルザがアイナの姿を隠すように走り、アイナも長い矛と共にエルザの後ろで隠れるよう走ったのだ。
一瞬の判断、ラザシールが選んだのは……両方。
左脇に抱えていた柱を左手だけで振り回してアイナを狙い、右手はエルザの迎撃に回す。そして前に進むことで、二人の間を抜けようとしたのだ。
これには、どちらか一方を狙うと考えていた二人は、完全に裏を取られてしまう。
「でも、そんなんじゃ私達には勝てないよ」
しかし、エルザが言葉を発し終わる前に、風の妨害魔法『オブスタクルウインド』が、エルザとラザシールを結ぶように吹いた。
この風に乗りエルザはラザシールへ接近。だが、力を込めた一突きは下から振り上げられた腕に防がれ、肉を斬った感触はありながらも軌道をずらされてしまう。
「くぅっ、ならっ」
今の体制は右手に持った剣で攻撃の為に、右側へと体重が乗っている。そこでエルザは左足を一歩前に踏み込みながら、左手に持ったもう一本の剣でラザシールの後ろ足目掛けて突いた。
「グギギギィィッ」
その一撃は見事、ラザシールの身体に突き刺さる。
ただ、強風が吹く中と急な体重移動で、後ろ足を狙った一撃は流れて胴体へ。しかも、刃の全てを突き刺すまでには至らず、中腹ほどまでしか刺さっていない。
これはラザシールが筋肉を引き締めることで、それ以上刺さらないようにしたからだ。
そして、一度は剣を防いだ腕が振り下ろされ刃を破壊。そのまま駆け抜けた。
「ぐあっ、これ借り物なのに……」
エルザは少しばかり焦った様子で、剣を持った手を表裏とひっくり返す。本当に折れているかどうかを確かめているのだが、当然結果が変わる訳もない。
そして、折れてしまった剣とは、ジャンニから借りたロングソード。
ただ、もし折れたのがレオのリィズニーベルだったら、目も当てられない状況になったかもしれない。何せ持ち主であるレオよりも、実戦でニーベルを振るった回数はエルザの方が多いのだから。
その事に思い至ったエルザは、少しばかり落ち着きを取り戻す。
「やっぱ買い取りかなー」
「ラザシールを倒せたのなら、国から報奨金が出ると思いますよ」
「本当っ、やったー。あっ、この武器とかは商人のジャンニさんが提供してくれたから、そっちもよろしくっ」
思わぬ出費に頭を悩ませたエルザだったが、その助けは直ぐ近くから出され、エルザはついでとばかりに影の功労者を宣伝目的で伝える。
そして、エルザが折れたロングソードを地面に置いた頃、少し離れた場所でもラザシールに突き刺さっていた刃が引っこ抜かれ、地面に叩きつけられた。
「一振りで大丈夫ですか?」
「ん、それは問題ないよ」
剣が一本となったことで、エルザは両手でニーベルを持ち正眼に構える。これ自体にはエルザ本人が言っていたように問題は無い。
ただ、それ以外の懸念材料が見つかり、エルザは微かに表情を顰めている。
「どうやら、準備が整ったようですね」
その言葉で意識を戻したエルザが見たのは、騎士団と狩猟隊が二人とラザシールを囲っている姿。
輪の最前列は騎士団が務め、手にはピッチフォークの柄を地面に突っ返させて刃先をラザシールに向け、その柄と一緒に剣を握る。
そして騎士団の間からは、狩猟隊がジャンニの用意していた杭や先の尖らせた木の棒を構えている。
これらは魔物の群れの襲撃時に、村へ入られないよう柵に施したのと同じである。つまり、アイナの作戦とは人で柵を作り、ラザシールを逃がさないというもの。
必勝の策ではない。ここでラザシールを倒すか、サクを破られて逃げられてしまうかの賭けである。
「行きます」
今回先に動いたのはアイナ。頭上で矛を何回転かさせ、胴体に巻きつかせるように回して構える。
そして、気を高めながら沈み込み、突進。地面の振動と舞った砂埃がエルザを襲う。
「――フッ」
正面から突っ込んだアイナだが、途中でラザシールの横に跳んで回る。更にそこからかく乱するよう何度も跳び、徐々にラザシールとの距離を詰めていく。
「ハアアァァァッ」
武器の間合いに入り、攻撃に移ったのはラザシールの右側面。
だが、いくら素早く動き回ったところで、集中したラザシールの目を誤魔化す事は出来ない。何の迷いも無く右手を動かし、矛を掴みに掛かった。
「残念でした」
「――ッ」
しかし、アイナはそこから右に身体をずらす。
良く見れば、アイナが矛を持つ位置が刃よりになっていて、柄の先端部分で地面を叩くことで、急な方向転換を行えたのだ。
そのまま身体を反転させながら、柄の先端でラザシールの左前足を突く。
「グアアアァァァアア」
棒状で突かれたとは思えぬ痛みを感じ、ラザシールは思わず叫び声を上げ、自分が思ったよりも強く地面を蹴ってその場から後退。
下がるラザシールの瞳に映ったのは、柄の先端から円錐状の穂が血を垂らしているところ。仕込み槍である。
不可思議な痛みの正体は分かったラザシールだが、再び突き刺さる痛みが後方から襲ってきた。
それは騎士団の構えたピッチフォークであり、狩猟隊の構える木の杭。ラザシールは勢いそのままに彼らを吹き飛ばすが、向けられた切っ先に身体を傷付けられ、急いで踏ん張り足を止める。
「今だッ、撃てぇーーッ」
そしてその時を狙い、屋根の上にズラリと並んだ魔法隊が一斉に攻撃をしかける。その数は、エルザが家から抜け出す時よりも多い。
それもそのはず、結界維持の為に数人だけを残し、村中に散らばらせた魔術師はほぼこの周囲に集まっているのだ。
魔法による一斉射撃を受け、ラザシールもようやく騎士団を敵と認識。
柱を盾にしつつ魔法の雨から逃れ、柵となっている人々を殴り飛ばしていくが、それ以上はさせまいとエルザが回り込む。
「あんまりそっち行っちゃダメだよ」
団員に殴りかかる左手を切り払おうと、エルザはラザシールは側面から近付く。しかし、それに気付いたラザシールは、曲げていた肘を伸ばすことでエルザに拳を振りぬいた。
その一撃をしゃがんで避けたエルザだったが、腕はもう一本ある。今度の右拳はエルザを狙うために放たれた一撃。
「くっ、いい肩の入れ具合でッ」
伸びてきた拳に回避が間に合わない。そう考えたエルザは、後方に跳びながら襲い掛かる拳を両足で蹴り、後方宙返りをして距離を取る。
「ハァハァ、どんなもんよ」
自信満々に笑みを浮かべるが、呼吸は深くなり顔色も悪くなってきている。そう、エルザの懸念材料とは疲労のこと。
先ほどの足を狙った一撃も、疲労によって足の踏ん張りが利かなくなったのが、強風に流され狙いが逸れてしまった一因。
エルザにもここまで疲れている理由は分かっていた。苦手な防衛線を行い、敵味方にと周囲に気を配り、そして主軸としてラザシールと戦う。
だが、それよりも重要で単純な理由があった。
前世ほど鍛えていないから、である。
当然と言えば当然の話。今でも名前を聞けば怒りや恐怖で身体が震えるほど、前世では大師聖母によって死ぬような鍛え方をされたのだ。
それが今のエルザは、自己鍛錬をしつつ昔の感覚で戦っているだけ。
学生の頃は気付くことは無かったが、今回の旅で自身よりも強い敵と命がけの戦いをしていけば、嫌でもその違いに気付いてしまう。
そして、そのズレが余計にもどかしく感じ、行動を無駄に大きくとってしまうのだ。
「お疲れのようですが、成るべく早くなどとは考えないように」
「大丈夫、分かってるよ」
疲労で戦えなくなる前に無理をする。そうならない様に注意したアイナだったが、当然エルザもそんなつもりは無い。
二度ほど深く呼吸をすると、気持ちを落ち着かせて正面のラザシールを鋭く見つめた。
そして、今度は二人が左右の側面へと別れて移動。これに対して、ラザシールはややアイナの方へと身体を向ける。
横からの攻撃が弱点だということは、ラザシール本人が一番知っていること。しかし、それでも側面を向けたままなのは、罠なのかそのまま駆け抜けるつもりなのか……。
「……ッ」
掛け声も無く、二人同時に駆け出す。その瞬間、ラザシールは身体をエルザに対して正面を向けた。
後ろ足は曲がり体重は後ろに乗っている状態。これで後方のアイナに後ろ蹴りが来ることは無い。
そうアイナが思った次の瞬間、感じられたのは大地の揺れ。いや悲鳴とも呼べるだろうか。
前へと進むだけで地響きを起こすラザシールの脚力が、地面を強く叩くことに発揮されたのだ。
後ろ足に体重を乗せて上げられた前足、それを振り下ろした威力はラザシールの足を地中深くに沈めさせ、その後で思い出したかのように周囲も陥没していく。
その揺れは近くの家々を崩壊させ、少し離れた騎士団や狩猟隊も立っていられないほど。
当然疲労の溜まったエルザも腰を落としてしまい、立てなすのは不可能と判断。そのまま地面を転がりながら距離を取る。
そして起き上がりながら周囲の様子を確認。そこで目にしたのは、この揺れであっても転ぶ事無くバランスを取るアイナと――
「アイナ、避けてッ」
首を捻ってアイナの様子と位置を確認するラザシールの姿。
振り下ろした前足の反動で後ろ足は跳ね上がり、そのまま後方のアイナ目掛けて飛び掛る。
「なっ、グァッ、ッァ」
自分よりも大きな壁が高速でぶつかってくるのだ。防ごうと差し出した左腕は幾重にも折れ曲がり、右腕だけは庇おう半身になる。だが、小さな身体は軽々と吹っ飛ばされ、地面を何度も転がってしまう。
途中で勢い余って跳ね上がり、再び地面に激突して転がる。そして、崩れた民家に突っ込むことで、ようやく止まった。
辺りを静寂が襲い、ラザシールがアイナのもとへ向かう足音だけが響く。
そんな中、ラザシールを中心に幾つモノ爆発が発生。それで我に返ったエルザはアイナのもとへと駆け出し、クルトが命令を出す。
「ッ、魔法部隊は足止めをしろ、救護班は急げッ」
今までとは比べ物にならないほど、魔法部隊は狂ったように魔法を放ち続ける。
これにはさすがのラザシールも逃げ出した……アイナの側へと。先ほどからエルザやアイナと戦っていると、魔法を使ってこないことを理解していたのだ。
「……ッァ、ハァ――ゥ」
そして瓦礫の中からアイナが這い出る。
頭や鼻、口、腕や足と全身から血を流し、地面を転がったせいで髪はボサボサに絡まり、髪も鎧も素肌も土で汚れてしまっている。
右手に持つ矛を杖にして、何とか立ってはいるものの、身体は震え今にも倒れてしまいそうなほど。
「ァ……グッ」
それでも折れた足を引き摺り、一歩一歩ラザシールへと近づく。
全身が土や血で汚れてしまったからなのか、余計に目立つのは未だに輝きが衰えず、ラザシールを貫く青色の瞳。
しかし、それも、駆け寄るラザシールの引き起こす揺れによって、眼前で膝が崩れ……
「グギィッ」
倒れこみながらもラザシールの進路から外れ、剣と分離させた柄をラザシールの前足に挟み込んだ。
勢いの乗ったラザシールは躓いてアイナと同じ民家へと突っ込み、その隙にエルザ達がアイナのもとへ駆け寄る。
「アイナ、生きてるッ」
そこでエルザが見たのは、左腕が拉げて左足も折れ、全身血だらけで息苦しそうに深い呼吸を続けるアイナの姿。
致命傷と呼ぶような傷ではないが、治療を行わないと確実に死ぬであろう傷。クルトと共に来た救護班は、急いで魔道具や魔法を使って治療を始める。
「なん、とか。……分隊長、時間を」
「ッ、了解しました」
いきなりの言葉だが、それだけでクルトには伝わった。
命令が下った瞬間にクルトは目を見開き、手を強く握り締めながら立ち上がると、自らの言葉に全身全霊を込めて号令をかける。
「全員、突撃」
「オオオオオオォォォォーーーーーー」
その一言と共に上げられた緑の狼煙に、誰一人として怯む事無くラザシールに突撃を開始した。また、魔法部隊は彼らが到着するまでの時間を稼ぐ為、ラザシールが家から這い出そうになると一斉に魔法を撃つ。
誰もが突撃の意味を理解している中、何も知らないエルザは驚きクルトに詰寄った。
「クルトさん、何をっ」
「エルザ、さん。いまから、貴方に私の気を分けます。時間が、ないので」
そんなエルザを止めたのはアイナ。力の入らない右手を震わせながら、アイナに向かって手を伸ばす。
これに立ち上がっていたエルザは急いで膝を付き、治療を受け続けるアイナの手を両手で確りと握り締めた。
つまり、全員が突撃したのは、エルザに気を与える為の時間稼ぎである。もしアイナの身に何かあって、戦闘が不可能になった場合の作戦として、全員には伝わっていたのだ。
当然、彼らにも恐怖はある。だが、先ほどのアイナの姿が彼らに勇気を与えた。どれほど吹き飛ばされようと、地面を転がり汚れようとも、身体がボロボロで今にも崩れそうとも、最後まで諦めない決意の眼差し。
「貴方に、初めてで、無理をさせます、が」
「大丈夫、多少の無理なら慣れっこだから」
握った手から徐々に満ちていく自身とは別の力。
ただ、慣れしたんだ自分の気でしか闘気は練れない。その為、闘気を纏ったまま、その周囲を覆い包むような感覚。
「オオオオオオォォォーー、アイナ様をお護りするんだっ」
「コイツを進めさせるなッ」
瓦礫の中から現れたラザシールに、騎士団も狩猟隊もその場に留めようと必死になる。それは文字通りで、剣を振るえなくなった時は、足に抱きついてまで止めようとするほど。
彼らが倒れる度に身体は重なり、叫びと悲鳴も重なり……。
直ぐにでも彼らを助けに行きたいエルザだが、ここは静かに焦らず、己の感覚を研ぎ澄ます。
「グギィィッ」
ラザシールの一鳴き。しかし、その後で上がるのは悲鳴ではなく、驚きや混乱した声。
「お、おい、折れた剣先が浮いてるぞ」
「ラザシールを襲ってるっ」
先ほどラザシールが投げ捨てた、ジャンニのロングソードが宙に浮き、ラザシールを襲っているのだ。
目を瞑っているエルザでも、その言葉を聞いただけで大体の状況は察した。そして、確実に勝つ為に必要な事も……。
「終わり、ました。効果は、あまり長くは」
「うん、分かった」
先ほどよりも少し顔色の良くなった両者。エルザはアイナの気を与えられ、アイナは治療の甲斐有って。
それも全ては、時間を稼いでくれる人達が居ればこそ。
エルザは決着をつける為にこの場を離れようとしたが、今度はアイナが右手に力を入れてエルザを引き止める。
「必要なら、私の剣を」
「……ありがとう、使わせてもらうね」
出会った時から二刀流だったからこその申し出。エルザは右腕で大事そうに抱いたままの剣を、万感の思いを込めて受け取った。
そして立ち上がると、可能ならアイナを避難させることを提案し、自身は都合の良い場所へと移動する。
やって来たのは百メートルほど離れた場所。左右は家が崩れ瓦礫の山となり、目視できているラザシールとは、何も遮ることの無い一本道。
そこでエルザは左手のアイナの剣を地面に突き刺し、懐から標魔石を取り出して手に持つと、レオの剣を頭上で振って合図を出す。
「皆の奮闘で時間は稼げた、陣形を戻せッ」
クルトの号令と共に、赤く煌く狼煙打ち上げられる煙。それによってラザシールと戦っていた人達は、逃げられる仲間を助けながら避難を開始。
当然、それを黙ってみているラザシールでは無い。手近な所から掴んでは千切り投げ、腹に溜まった怒りをぶちまけようと動く。
「ハアァッ……ってこれ、結構気が抜けちゃうな」
だが、エルザが空を穿つ衝撃を放ち邪魔をする。これは以前、コバレノ退治の時に洞窟で見せてもらったフォルカーの技である。
グウィードの様に大地を走らせる衝撃は、味方を巻き込んでしまうが、空中を走らせるのなら体格の大きなラザシールだけを狙い撃ちできるのだ。
いつものエルザでは出来ないこと。しかし、今ならアイナに気を与えられたことで可能となる。
「グギギギ」
「怒りに燃え滾った眼だね」
既にラザシールは避難する人々には感心を示さない。
腰を深く落として左手を前にして右手を引き、剣先をラザシールに向けて構えるエルザにだけ、その視線は向けられている。
「悪いとは思ってるよ。アナタは一体、こっちは多数。でも人間は心も身体も弱いから、群れなきゃやってられない。だからこそ、群れればアナタにだって勝てる」
大体の避難を終えると、構えを解き左手に持った標魔石をラザシールとの中間に落下するよう、山形に放り投げた。
そして、アイナの剣を左手で拾うと、今度は右手を前にして左手を引き、再び腰を深く落とす。
「でも、これは私達の言い分。アナタが怒るのは当然、憤るのは尤も……」
放り投げられた標魔石は、徐々に左へと逸れながら落下していく。
エルザが最後の戦いとして選んだこの場所。ただ、遮る物も無い一直線の道は、ラザシールにとっても都合の良い場所だった。
脚に力を込めながら、エルザの動きを見てその時を待つ。
「だからッ」
標魔石が大地に着いた瞬間に両者の足下が爆発。
両者の速度はやはりラザシールの方が速い。傷を負った四本の脚を全力で使い、空を飛ぶが如く大地を駆ける。
ただ、エルザも負けてはいない。アイナから与えられた気を全て使い、地表を滑るが如く大地を駆ける。
二人は互いに向かって一直線に突進する。
この時、ラザシールは今までに無いほど集中していた。
己の鼓動から脚や身体の動き、風の流れや血の匂い。流れ行く景色は非常に遅く緩やかで、崩れていく家の瓦礫まで見えていた。
だからこそ気付く。エルザの投げた標魔石を中心に土が隆起し、渦を巻きながらラザシールに尖った先端を向けたのに。
「――ッ」
土が軟らかいとはいえ、尖った物に突っ込めば己の速度次第で傷ついてしまう。それを知っているからこそ、ラザシールは反射的に土が隆起したのとは反対の左へと跳んだ。
「今度生まれてくる時は――」
しかし、跳んだ先にはエルザの姿。
右腕を伸ばしたまま突進し、リィズニーベルをラザシールの腹へと突き立てた。
そして、突き刺さった剣を支点に、勢いを殺すことなく胴体を回って背中に跨り――
「人間か群れる魔者に生まれておいで」
背後から心臓を一突き。
脇腹まで傷口を広げたニーベルを引き抜き、切れ味鋭いアイナの剣で傷を広げながら引き抜く。
気管や肺を斬られたラザシールの断末魔は、抜ける空気となってエルザ以外の耳には届かない。
ましてや遠目に見ていた人々からすれば一瞬の出来事。互いが一斉に距離を縮めれば、五十メートルほどの攻防など数回の瞬きの間に決したのだ。
エルザは倒れ行くラザシールの背中から飛び降りると、止めを刺したアイナの剣を天高く掲げた。
「この戦い、人間の勝ちだっ」
「オオオオオオオォォォォーーーーーー」
歓喜の声は大地を震わせ、汗と涙は大地に染み込む。
地平には白い一筋の光が浮かび、これから暗闇に隠れた惨劇の後を、まざまざと見せ付けるのだろう。
しかし、今回の戦いで一人では困難な出来事も、他の人と協力すれば乗り越えていける。それを今まで以上に実感した彼らなら、例え時間は掛かっても何の心配もないだろう。
こうして魔物の群れから始まり、ラザシールまで続いた長い長い戦いの夜は終わりを告げた。