第四十一話
魔法による援護とは難しいもので、それは危うくエルザを巻き込みそうになった魔術師が居たことからも分かる。
標的が動き回り、仲間との乱戦になってしまった場合。広範囲の魔法は元より、誤射してしまう恐れがある以上、高威力の魔法を放つことも厳しくなってしまうのだ。
それ故に、レオ達魔法部隊はラザシールに攻撃できる隙を窺いながらも、一番の仕事は魔道具が吹き飛ばされたときに、即座に代われるよう監視しておく事であった。
魔術師の配置を大雑把に言うと、危険が少ない北方をレオと狩猟隊。危険の多い南方と東西は騎士団が任されている。
レオは当初、村民と一緒に避難させることも言われたが、レオが拒否した上に魔術師は多い方が良いと判断。最北端という一番安全な場所ともう一つの仕事を任されていた。
だからこそ、この村に近付いてくる彼女にいち早く気付いた。
屋根に立っていたレオが最初に見たのは、空中を浮遊しているように移動する少女。驚き目を凝らしてみれば、それは周囲と同化するような黒っぽい色の馬に乗っていることが分かった。
しかし、馬に乗っていたとしても、駆け寄ってくる速度は有り得ないほど速い。レオは結界の側に移動して、警戒を強めながら待つことにした。
ただ馬の形が見え、少女の容姿や着ている物が見えてくると、警戒を多少緩める。
「私はカカイ騎士団のアイナです。貴方は騎士団の者ではないようですが、狼煙を上げているということは今の状況を分かっていますね」
「はい、現在村では騎士団と村の狩猟隊でラザシール討伐と、避難の時間を稼いでいる最中です」
少女のように小さな身体で馬から飛び降り、レオの側に近寄ってきたのはアイナ。
レオは本人から名前を聞く前に、ピアと似通った容姿と騎士団の印の入った鎧姿から、彼女の姉だとほぼ確信していた。その為、名前を聞いても驚くような事無く、淡々と報告を行う。
そんなレオの手には、アイナの言うとおり騎士団の狼煙を持っていて、これが頼まれたもう一つの仕事である。
そして、現状を聞いたアイナは理解するよう何度か頷き、視線を村を覆う結界へと向ける。
「これは破邪の結界。なら、破るのは不味いですね」
「入れますか?」
「問題ありません」
愛馬であるシンカイにここで待つよう言って手綱を放すと、結界に触れるか触れないかの場所に両手を近づける。
そして、呼吸を整えて静かに結界の魔力を自身の身体へと纏わせていく。
魔力を全身に纏わせるのに掛かった時間は五分ほど。しかし、これでもレオが知る限りでは速い方で、レオがやったとしてもそれほど差異は無い。
後はゆっくりと結界の中に進入するだけである。
「ふぅ、貴方はここで何を?」
「狼煙を上げて本陣の方々が来られたら現状の説明。それと魔道具を監視し、位置がずれた場合は代わりに入るよう言われています」
結界の中へと入ったアイナは、少しばかり上がった息を整える時間でレオに話しかけた。
見た目は緩やかに動いて結界の侵入をしていただけが、その見た目とは裏腹に己を無機物のように無となり、他人の魔力を身体に纏わせるのは結構な重労働なのである。
「本隊の到着は何時頃になりそうですか?」
「そうですね……一、二時間では無理かもしれません」
レオの質問に対し、小首を傾げて考える。
正確な時刻は出なかったが、少し離れた場所に居た事を伝えると、アイナは身体に預けていた矛を握り移動を始めた。
「では貴方の務めを果たして下さい」
そして、最後にそう告げると、近くの屋根に上りラザシールが居ると思われる、土煙が昇り喧騒の鳴り響く地へと赴いた。
離れていく後姿を見つめていたレオは、アイナがやって来た方角へと視線を送る。
当然ながらそこには暗闇しかなく、見渡せる範囲で人が居る気配は無い。アイナの言葉が正しければ、少なくとも一時間は本隊が到着しないのである。
レオは大人しく主の帰りを待つシンカイを見つめつつ、これからどうすべきかを考え始めた。
◇◇◇
エルザを敵と認めたラザシールは、狩猟隊や騎士団とは違う戦い方をしていた。
そのことはエルザにとって嬉しくも感じるが、それによって戦いながら家を護ることが出来ていなかったのだ。
その戦い方とは、地面を深く削って土を蹴飛ばすなど、己の肉体以外を使っての攻撃。それは全力で戦う対等な敵としての証であり、今までただの暴力で倒せていたモノとは違うという認識である。
飛んで来るのが普通の土とはいえ、ラザシールの脚力で飛ばされた土は、身体に当たれば無事では済まない。
エルザは地面を転がりながら逃げるが、そこを狙ってラザシールの太い両腕がエルザを掴もうと……いや、そのまま握り潰す勢いで襲い掛かる。
「っ、ごめんっ」
当然、エルザも事前に逃げ道は探していた。避難した主に謝ると、家の窓を突き破って屋内へと侵入し、ラザシールの腕から逃げ切ったのである。
だが、そのまま息を吐くことなく直角に曲がると、木製の家の壁を蹴り破って外に出た。
その直ぐ後にラザシールが家に突入。文字通り突進によって壁を壊して入ってきたのだ。
壁もエルザも吹き飛ばすつもりのラザシールだったが、これはエルザにも予想出来ていたこと。先ほど家の持ち主に謝ったのは、窓を破る行為よりも後から起こし、起こるであろう事に対してだった。
だからこそ家の外に居たエルザは、即座にラザシールの後を追う事が出来る。
狙うのは移動や攻撃など、行動する全ての源となっている足。
「――――ッ」
「グッッ」
言葉を発する事無く背後から近付いたエルザは、そのまま無防備な後ろ足を斬りつける……つもりだった。
しかし、ラザシールは襲われるよりも早く跳躍すると、屋根を壊しながら屋外へと移動したのだ。
気付かれたわけではない。エルザは相手の反応からそう確信していた。
実は、標的を木ごと突進で破壊するので余り知られていないが、ラザシールは目は非常に発達しているのだ。集中さえすれば、突進しながら木を避ける事が可能なほどである。
それをしないのは疲れるというのもあるが、木を巻き込むことで攻撃範囲を広げたり、そこまでする必要の無い相手が多かったということ。
前足を怪我している中で、多少無理をしてでも跳んだのは、家の中にエルザの姿を見つけられ無かったから。
その事実を危険と判断し、逃げる事を優先したのである。
「あんにゃろー、危ない真似しやがってー」
ラザシールを追って家の奥へと進んだエルザは、直ぐに外へ出れる場所には居ない。崩落してくる屋根の破片を避けつつ、屋外へと逃げ出した。
◇
二人の戦いが熾烈をきわめているとはいえ、クルト達もただ黙って見ているだけでは無い。
直接戦うことは無理だと判断し、エルザを助けるように動いているのだ。
「今だ、撃てッ」
今も家から脱出するエルザが狙われないよう、着地したラザシールを狙って周囲から魔法を放つ。
魔法部隊はクルトの案で、エルザが近くに居ない場合は、積極的に魔法を使う事に決めたのである。そうする事でエルザにもクルト達の戦い方が伝わり、行動を取りやすくなると考えたからだ。
「よいせっと」
「大丈夫ですか」
そして、ラザシールと戦う事を禁じられた団員達が、瓦礫の中から這い出たエルザに近付き、脱出を手伝った後で水筒と布を手渡した。
それを受け取ったエルザは、埃っぽくなった口を濯いでから喉を潤し、最後に布を濡らして顔を拭いていく。こういった一息つける時間を稼ぐのも、クルト達の役目である。
そしてエルザは再びラザシールとの戦いを再開。先ずはクルトに合図を送り、魔法を止めてもらって攻撃に移る。
先ほどの魔物との群れを、回って舞っていたことから『円』と称するのなら、この戦いは一点だけを狙って動く『線』と言えるだろう。
愚直と呼べるほど一直線にラザシールの側面へと回り、狙うのは横から見える前後の二本の足。その時の互いの状況や場の位置などで、どちらを狙うのかを変えている。
「ハアァッ」
「――ッ」
今回狙ったのは左前足。だが、そう易々とラザシールが決めさせるはずもない。
身体能力という点では、確実にラザシールの方が上であり、一度駆け出せばエルザは追いつくのに必死である。
当初はそのまま村を蹂躙して回るのかとも思ったエルザだったが、今のところラザシールはエルザを敵として認識したらしく、周囲を破壊しながらも戦闘は続けられていた。
「くっ、あんまりっ、そっちに行くんじゃ、ないッ」
当然エルザは被害を抑えようと、自らを囮にしながら開けた場所に動くが、どうしても一人では無理がある。
しかし、そんなエルザの助けとなる一人の少女が、容姿に似合わぬ長い矛を振りかざしたまま現れた。
「貴方はここで仕留めますっ」
強く地面を蹴っているため、まるで地面を滑るように現れたのはアイナ。
上段に構えた矛を勢い良く振り下ろすが、ラザシールは刃の無い部分を腕で防ぎ、跳ね返されてしまった。
しかし、一度傷を付けられたアイナを覚えていたラザシールは、エルザと挟み撃ちになる事を恐れたのか、家を飛び越えると二人の視界から消えてしまう。
突然現れたピアに良く似た少女。エルザは気になって視線を送るが、それよりも今は優先すべき事がある。
結局、エルザはアイナと言葉を交わす事無く、逃げたラザシールの後を追うのだった。
ただ、エルザとは違い狩猟隊や分隊員達は、国の有名人であるアイナの登場に色めき立ってしまう。それをクルトが一喝して、数人の部下と共にアイナへと駆け寄った。
「アイナ様、ご無事でしたかっ」
「貴方がこの場の指揮官ですか。破邪の結界を張り、良くラザシールを村に留めました。お見事です」
「ありがとうございます。それより本隊はどうなったのですか」
クルトは目礼を返しながらも、周囲や北方へと視線を送り、いきなり本題に入る。それを「無礼だ」と言われても構わなかったが、このような非常事態で怒るような上司はそうそう居ない。
「本隊は無事です。ただ、だいぶ離れた場所で戦いましたので、この村に直ぐ着くということは無いでしょう」
「なら時間を稼――」
互いの情報を交換している最中も戦闘は続いており、クルトの言葉を遮るように爆音が轟き、その直ぐ後に白く瞬く狼煙が立ち昇る。
それを見たクルトは明らかに表情を顰め、一緒に連れて来た部下の一人に指示を出す。
「チッ、あっちに補充員を回せ」
「はっ」
直ぐに駆け出す部下は、戦わせない人達の中から選んだ足の速い人物。クルトは彼らを連絡要因として、側に控えさせていたのだ。
狼煙を見て即座に命令を下したクルトだが、アイナの知る白い狼煙の意味は『緊急事態』と伝えるだけである。
ラザシール討伐の時に決められた意味以外の使い方をしているのは明白であり、それを知る必要があると考えたアイナは、今の状況でどういった意味を持たせているのかを訊ねた。
「結界の支点としている標魔石が指定位置から離れ、代わりの者が入った合図です」
「標魔石ですか……なら、あまり時間は掛けられませんね」
その言葉にクルトも渋々ながら頷くことしか出来ない。標魔石の強度では、時間を稼いで本隊の到着を待つことは危険な賭けと言えるだろう。
ならば、現状の力でどうにかしなければならない。アイナはエルザの向かった方角に視線を送りながらクルトに訊ねる。
「それで、現時点での戦力はどうなっていますか?」
「不本意ながら、この村を訪れていた旅の少女が一番強く、彼女を主軸に戦っていました。また、逃げる時に足手まといになると判断した者は、元から戦いには参加させておらず、支点の補充員としています」
顎に細い指を当て、頷きながら聞いていたアイナが周囲を見回すと、元からこの場に居た以上の人達が集まり、アイナの動きと言葉に注目している。
その視線に込められているのは期待。アイナがラザシールを倒すという期待にしては、熱意に満ち足りた強い眼差し。それはクルトも気付いていて、あえて無視していたもの。
「私と共に戦う者はいますか」
だが、アイナはそれを汲み取ることを選択する。
先ずは自身の配下でもある騎士団員。アイナは右手に持った矛を力強く地面に打ちつけると、腰まで届く金色の髪をなびかせながら左手を南方へと向けた。
「このままラザシールを放置して村を抜けても、さらに南方には王都があります。私たち騎士団の務めは国民を護ること、分隊員は騎士なのです、誇りを持ちなさい、剣を掲げなさい、そして覚悟を決めなさい。……覚悟は決まりましたか? 理不尽な命令に憤りましたか? そのどちらでも構いません。今は声を出しなさい、腹の底から感情を吐き出すように、天高く声を轟かせ、己を鼓舞しなさいっ」
「ウオオオオォォォーーーー」
一瞬の静寂も訪れず、アイナの最後の言葉を今かと待っていた人々の感情を込めた声が、闇夜の空に向かって吐き出された。
そして、アイナが再び肩の辺りまで左手を上げると、場は自然と落ち着きを取り戻す。
次は狩猟隊。アイナは指揮官であるクルトの側にいて、威厳のあるムライヨに視線を送った。そこから顔を右へと向け、見えている狩猟隊の面々に視線を送る。
「そして、義勇隊の皆さん。騎士団は国民を護ることが務めです。しかし、それだけの力が今の私たちにはありません。ですから共に戦ってはくれませんか。この国を救う為この村を救う為に、皆さんの力を貸して下さい。私たちの背中を皆さんに護って頂きたいのですっ」
「オオオオォォォーーーーー」
投げかけた言葉は下手、だが頭を下げるようなことはなく、まるで自分について来いと言いたげに、堂々と大きく胸を張っている。
その小さな姿からは想像も出来ないが、側に立つクルトも遠くから見てつめていた人達も、アイナの姿が大きく輝いて見えていた。
人を引き付ける資質とでも言うべきか、アイナの言葉に騎士団や狩猟隊の区別無く雄叫びを上げた。それは最初の騎士団を鼓舞した時に、狩猟隊も声を上げていた事からも分かる。
クルトも感じる気分の高揚、しかしその中でも感じるのは多少の嫌悪感。
「しかし、彼らでは荷が重過ぎます。死にに行かせるようなものでは?」
「貴方は優しいですね。しかし、戦うのは彼らの意思、そして殺すのは私の指示です。それは貴方も同じ事ですよ」
優しい、と言ったがそれは嫌味ではない。しかし、一瞬綻ばせた表情は直ぐに引き締まり、これから取る幾つかの行動をクルトに伝えた。
それを聞いたクルトは奥歯をかみ締めて表情を歪め、両手を力一杯握り締めるが、確りとアイナの瞳を見つめ返し、一言だけ「承りました」と返す。
その言葉に頷いたアイナは、最後に騎士団と狩猟隊に視線を送り、エルザとラザシールの後を追った。
果たして何人の犠牲が出るのかは分からない。だが、その被害を抑えるために、アイナは率先して動くのである。