第四十話
最警戒の狼煙を見たクルトは緑色の狼煙を上げさせ、周囲に居る分隊を村に集めた。
そして、現状考えられる中で最悪の事態を考える。それはラザシールが本隊を壊滅させ、こちらに向かってきているというもの。
最警戒とはそれほど警戒する必要があるのだ。
そうなった場合、今のまま戦ってもラザシールを倒すことは、ほぼ不可能と言ってもいいだろう。
「クルト殿、どうしますか?」
ムライヨもラザシールの強さは分かっている。
先ほどの『戦って何としてでも村を護る』という気概は薄れ、それを見たクルトは少しばかり安堵し、思っていた言葉を口にした。
「村を放棄してもいいか」
「それは逃げ出すってことですかい……」
感情では納得できない狩猟隊の面々も、頭では理解できている。
苦々しく表情を歪めてはいるが、村を放棄するという言葉に反論は出ていない。
「女子供や怪我人を逃がしたり、村が壊滅させないように戦う。もちろん、その時に倒せれば良いんだが、俺の考えた作戦だと村がヤバイことになる」
「なるほど、誘い込むわけですか」
村に敵を誘い込む。レオも一度考えていた方法である。もっとも、レオが考えたのは、村に侵入させ村ごと焼き払う物騒な作戦。
当然そんな作戦を取るはずもないだろうと、意見を言うにしても最後の手段としてだった。
「ああ、そうだ。どうも南下してくる魔物は、愚直に村を目指してるからな。ここで本隊の作戦を使う」
レオの言葉に大きく頷いたクルトは、右手を握り魔物に見立てると、広げられた左手に向かわせてぶつかった瞬間に覆い掴む。
「戦うことになったら、村を覆うように簡易の破邪結界を張る。後は非戦闘員が逃げる時間を稼ぎしながら、それで倒せれば儲け物ってとこだ」
「それしか、ないのでしょうな」
他に良い案も思い浮かばず、ましてや人命を優先させたい気持ちの強いムライヨはその案を受け入れた。
村を素通りするだけなら、そのまま無視すればいい。そう言って狩猟隊を説得したクルトも、好き好んで村の中で決戦をしたいわけではないのだ。
狩猟隊は無理でも非戦闘員に被害が及ばないように戦う。ただ、それだけである。
「作戦の肝は、どれだけラザシールを引き止められるかだ。あと逃げるときに邪魔になるから、直接戦うのは精鋭だけで良い」
そう言ってクルトは周囲を見回し誰かを探す。
お目当ての存在は直ぐに見つかり、近づいていく。僅かな時間がある内に、髪を整えなおしている少女。
「お嬢ちゃん、アンタがこの中では一番強い。先鋒を頼めるか?」
「んー、一つ条件があるかな」
民間人に先鋒を任せる不甲斐なさに、顔を強張らせているクルトが話しかけたのは、先の戦いで活躍して見せたエルザ。
髪型をいつものポニーテールに戻し、テールの具合を確認するように揺らして不敵に笑う。
「私の名前はエルザ、お嬢ちゃん何て呼ばないことっ」
「はっ、分かった。頼んだぜエルザ」
強張らせた顔を解して笑みを浮かべると、エルザの肩を二度叩く。一度目は気を使ってくれた少女に礼を、二度目は頼んだという意味を込めて。
「じゃあ次は結界だ……が、これは専門家の方が良いか」
元の場所に戻りながら首で合図すると、十七分隊の中から魔法部隊に加わった男性がクルトの側に立つ。
そして盾を地面に置き、その上に紙を広げると中央に大きな円を描く。
「これがこの村です。後はこの印を付けた場所に魔道具なり、魔力のある物を置いてください」
徐々に書き込まれていく印の数は百にも及んだ。
「結界の発動、維持は騎士団の魔術師が行います。ただ、戦闘中に魔道具の位置がずれた場合、近くに居る人が代わりに入って下さい」
「代わりになるのは、なるべく魔力が高い奴が良い。だから魔法を使える奴はバラバラに配置する」
最後に何か聞きたい事が無いかを訊ね、周囲を見回す。
その中で一人の少年、エルザの隣に居たレオが手を上げる。
「一つ良いでしょうか。設置する魔道具のことですが、俺が持っている物は標魔石ぐらいです。ただ、これだと破邪の結界を保つのに、心許なくないですか?」
「確かに。ただ我々分隊では狼煙か照明、標魔石ぐらいしか魔道具は持っていませんし……この村に魔道具は?」
「家のちょっとした照明程度の物なら。ただ、安い奴ですので代わりになるかどうかは」
あまり期待してない魔術師の思ったとおり、村に目ぼしい魔道具は置いていなかった。
一応照明はあると言うが、今この場で使われていない事を見ると、本当にかすかな光で躓かない程度に使う物だと、魔術師は理解する。
ただ、魔道具として売られている以上は、標魔石より高価で魔力に対する耐性も強い代物である。
「無いよりはマシですか。我々のと一緒に何個か標魔石を纏めて、様子を見ておきましょう」
「分かりました。各家に取りに行かせます」
「あ、あの、魔玉なら幾つか有りますよ」
そう言って手を上げたのは、村長や避難していた他数名と一緒に作戦会議に参加していたジャンニ。
照明などの日常品は売り切れて、それほど高価な魔道具は家に置いてあるので、魔玉しかないとのこと。
しかし、それでもクルト達からすれば嬉しい誤算で、素直に喜びと感謝を示す。
「そいつはありがたい。遠慮なく使わせてもらおう」
「分かりました。直ぐに準備します」
「あぁ、それと村民の避難だが、東の高台とやらに向かってくれ。狩猟隊から何人か護衛も付けるが、村から離れることを優先して、夜道が危険だと思ったら目立たないよう一塊になること」
村長達も頷き、これで非戦闘員と魔道具の話は終わり。確認の為もう一度周囲を見回すが、今度は誰も手を上げることない。
クルトは注目を集めるように、両手を強く叩いた後で、集まった全員に声が届くよう大きな声を出す。
「防衛戦ったってそんな難しく考える必要は無い。相手は魔獣にすら成れない魔物一匹。こっちは無数の魔物を蹴散らした騎士と勇者の集団だ。だが、何が勝利かを履き違えるな。俺達は生き残れば勝ちだ、護るべき人が生きれば勝ちだ。村や家が壊されても、また建て直せば良い。そこんとこ忘れて、ヘマをやらかすなよ」
伝えるべき事は伝え、狩猟隊の面々の表情を見回した。
今は納得した表情をしているが、これが実際に村を蹂躙されればどうなるかは分からない。
クルトはその事を脳裏の片隅に追いやると、作戦の開始を告げた。
「よしっ、じゃあ配置に就いてくれっ」
「オオオオォォォーーーーー」
クルトの合図で、それぞれが持ち場を聞いて魔道具を受け取り移動。
先に言っていた通り、クルトの認めた精鋭以外は、狩猟隊が村民の護衛、騎士団が結界の維持を優先した配置となる。
後は魔術師が置かれた魔道具の位置を確認し、微調整を行いながらその時を待つのだった。
◇◇◇
直接戦えない人たちは、せめて準備だけでもと精力的に動いた。そのおかげで、魔道具の設置だけでなく村の外には松明を焚き、ラザシールの接近を見つけ易くしていたのである。
ただ、村の中は暴れられた時に、家へと燃え移る可能性があるので、設置するのは拓けた場所にだけ。
しかし、この発見しやすくするという効果は、余り意味が無かった。
何故ならラザシールの接近は、姿が見えるよりも前から分かったからである。
魔物襲来の時の様に鳴り止まない地響きではなく、一回一回が間を置いてその接近を知らせるよう、強く大きく鳴り響く。
事前に知らなければ、巨大な魔獣が近付いてるとさえ考えそうな音を立てながら、ラザシールがその姿を現した。
もしかしたら、という希望的観測から作った、松明による火の壁も呆気なく破壊。村へと侵入したのである。
「遂に現れたか……しかし、大きいと言うべきか小さいと言うべきか」
物陰に隠れながらラザシールを見ているクルトは、魔獣になれなかった要因の一つを思い出し、堪えきれず笑みを浮かべる。
ラザシールの平均的な高さは三メートル前後。人から見れば十分大きいのだが、接近する時に聞こえてくる足音から想像していた姿よりも小さいのだ。
ただ、魔獣の足音に聞こえるほど、大地を蹴り上げているということから考えれば、その脚力が異常に強い事は分かる。
村へと侵入したラザシールは、挨拶代わりとでも言いたげに、弓隊が使っていた手近の家を破壊。まるで遮る物が無いかのように、ただ悠然と歩みを進めていく。
「動きがぎこちないな。本隊の奴らが傷を負わせたのかね」
だが、アイナに斬られた右足の動きは悪く、クルトは『寝床に戻って治療してろ』と願うが、そんな願いが聞き届けられることはない。
ラザシールはそのまま周囲の家を壊していき、その勢いはまるで村を何も無い更地にでもしそうなほど。
「分隊長、結界は……」
「まだ様子見だ」
その暴虐振りに魔術師は表情を歪めるが、命令を出されない以上成り行きを見守り、結界を発動させる時を待つことしか出来ない。
しかし、クルトは余程のことが無い限り、ラザシールと戦うつもりは無かった。勝てる算段がないのだから、当然と言えば当然である。
家を蹴り壊されても、突進で何軒か貫かれても動かない。
しかし、ラザシールが避難場所である東に身体を向け突進。更に一軒二軒と壊して進むと表情を歪め、結界を張るべきかを考え始める。
だが、冷静で落ち着いているクルトが不味いと考えた状況。
狩猟隊からすれば家を壊され村を蹂躙され、避難場所へと歩みを進めるラザシール。それを見て、冷静で居られるはずも無かった。
「この野郎、止まれぇぇーーー」
物陰に隠れていた男達が飛び出し、手に持った長鉈や斧で襲い掛かる。
戦う前の言葉を無視されたクルトだが、彼らを見る視線に苛立ちの色が混ざることはなかった。
何故なら彼らの気持ちも理解でき、むしろ今まで良く持ったほうだと思ったからだ。
「仕方ねぇ結界発動だ」
そして、魔術師に結界を張るよう命令すると、自身も物陰から飛び出して狩猟隊の援護と救助に向かう。
戦わずにやり過ごす段階は終わった。次は戦闘による時間稼ぎ。
しかし、避難と言っても非戦闘員は全員村を出ていて、ほぼ避難は終わった状態。
狩猟隊が暴走した理由も、ラザシールが村を蹂躙した上に避難場所へ向かっていたから。その危険があり続ける限り、退却の指示に従うかどうかは不明だった。
◇
狩猟隊とクルトが飛び出したのを見て、エルザも屋根の上を移動しながらラザシールの下へと急ぐ。
貴重な戦力である狩猟隊はもちろん、まとめ役としてのクルトが抜けると勝てる可能性が低くなるからだ。
そう、当初はエルザも時間稼ぎのための戦い方をするつもりだった。だが、家々を破壊されていく内に、その気持ちは変化したのである。
それは家を壊されたからではない。当然、その事に腹立たしさや怒りの感情も持つが、感情に揺れ動かされて戦い方を変えるようなエルザではなかった。
理由を上げれば破邪の結界と、ラザシールの負っている怪我。
確かに突進の破壊力と速度は厄介極まりないものの、踏ん張る前足に力が入らないのか、突進した後によろける姿が見られたのだ。
それに加えて旋回も悪く、破邪の結界の効果が高まるまで時間を掛ければ、倒せる可能性が出てきたのである。
「待ちなさい、アナタの相手はこの私よっ」
狩猟隊を文字通り蹴散らしているラザシールから、意識を向けさせるためにわざと大声を上げ、エルザは屋根から飛び降りた。
現場は散々たるもの。家の壁や屋根は崩れ落ち、ラザシールの周囲には少なくない人数が倒れている。
踏みつけられた者、蹴られた者、放り投げられた者、握りつぶされた者……そこに狩猟隊や騎士団の差は無い。金属の鎧を着ていようが意味はないのだ。
「本当、ひどい状況。……でもッ」
エルザは諦めるつもりはなかった。
大きく息を吸い込むと、ラザシールの側面へと回る。旋回能力が下がっているからというのもあるが、それ以前にラザシールの身体の構成上、横からの攻撃に弱いと考えたからだ。
そして斬りかかるのは長い胴体、その太い両腕の届かない後ろ側。
「ハアァァァーーーッッ」
だが、ラザシールは前足で体重を支え、跳ぶように方向転換。お尻をエルザに向けると、振り下ろされた剣を尻尾で受ける。
柔軟で非常に切れにくい尻尾は、鞭のようにしなりエルザの剣を叩き落とす。
「なるほどテールにはそんな使い方が。後で私も練習するとしてッ」
そのまま放たれた後ろ蹴りを、後方に飛ぶ事でかわし、飛び際に剣を振るうが体毛によって傷つかない。
だが、エンザーグのように不可能という話ではなく、不安定な体制では無理だったと分かる程度に手応えがあった。
「あの娘に続けッ」
「だから、私の名前はエルザだって」
先ず弓隊から選ばれた精鋭が矢を放ち、近くに潜む狩猟隊が突撃する。
しかし、矢ではラザシールの身体に傷を付ける事は出来ない。それが分かると弓隊も斧や鉈、それぞれの武器に持ち替えて戦場へと向かった。
「物陰に隠れるくらいなら、相手の横に回れっ。家ですら吹っ飛ばされてるんだぞ」
そして騎士団もクルトの指示を受けて攻撃に移る。
周囲には人や家があり、ラザシールを包囲するように……などと言っても、この魔物相手では意味が無い。
「ッ、にゃろー」
何故なら家に向かって突進し、包囲など直ぐに突破してしまうからだ。
しかし、エルザも易々と逃げられるのを見ているだけではない。木を使って近くの家の屋根に上り、ラザシールの後を追う。
全力で突進されれば人間に追いつけるはずもない。しかし、とりあえず包囲を抜けるという程度の力しか入れておらず、まして足を怪我している以上、止まるときは徐々に速度を落として負担を軽くする。
そう考えたエルザは、ラザシールが速度を落とし始めるのを見逃さないよう目を凝らした。
「……ッッ」
そして、エルザが一キロ近く走ったと感じるほどラザシールの動きを注視し、実際には百メートル程度進んだ頃、ついに速度が遅くなるのを感じ取った。。
速度の落ち幅から足が止まるであろう位置を計算すると、その地点目掛けて声を出す事無く空へと跳ぶ。
エルザの両手には魔物の群れの時と同じく、レオとジャンニから借りた剣が二振り。
無言のまま空中で身体を捻って誤差を調整、切っ先を真下に向けると前転しラザシールの胴体目掛けて落下する。
「グギッ」
ラザシールも敵の接近を感知し、上空を仰ぎ見て太い腕を伸ばす。その長さはエルザが剣えを伸ばした時よりも長い。
「でりゃあぁぁーーー」
気付かれた以上、声を抑える必要も無くなり、エルザは掴みかかろうとする手の平、指の付け根部分を横に斬る。
当初の突きから薙ぎに変えたのは、反動を利用して距離を取る為。そして、地面に着地して更に距離を取ると、エルザの側を火炎弾が通り過ぎた。
「グウオオオォォーー」
ラザシールの身体が炎に包まれ、見事な追撃となった火炎弾。これは遠くからラザシールを見ていた魔術師による攻撃だが、実は足が止まりそうになったので放っただけで、追撃になったのは偶然でしかなかった。
つまり、エルザが飛び退くのが遅ければ、炎に巻き込まれていた可能性もあったのだ。
「大丈夫、大丈夫っ」
魔術師との距離からそれが分かったエルザは、自身の健在を示すように火炎弾の飛んできた方角に剣を振り、ラザシールは家に何度も体当たりすることで、消火と熱さから逃れようとていた。
そして立ち上がり、嘶きながらエルザへ身体と眼差しを向ける。言葉を理解出来なくも直ぐに伝わるほどの激情、怒りを込めて。
「あはは、怒ってる? だよねー、私が来るまで気分良く、好き勝手に暴れてたみたいだし」
そう言って周りを見れば、壊れた家と倒れた人が嫌でも視界に入ってしまう。
その暴力の跡に、エルザは首を横に振りながら俯き、微かに目蓋を閉じる。
「……でも、怒ってるのは私も同じだよ」
そして、顔を上げてラザシールを貫く視線は、鋭く冷たい。
今、暴れそうな感情を押さえつけ、静かに燃え盛る怒りが向けられた。