第三十七話
レオ達が立ち寄ったのはメチッカという、草原の中の少し小高い場所にある村。
その中で野宿するのは村の端。柵を越えれば緩やかに下っているので、だいぶ遠くまで見晴らせる場所である。もし、エルザがふざけてこの坂を転がれば、何も障害の無いのでずっと下まで転がっていくだろう。
そして三人が眠りにつき数時間が経った頃。真夜中とは言え、そこは硬い地面と外で眠るという状況である。
自然とレオの眠りは浅くなり、それによってこの村に居る誰よりも早く異変に気が付いた。
先ず初めに感じたのは、地面と触れ合う背中を通して感じる揺れ。微かではあるが、絶えること無く地面を叩き続けるように揺れが続いていた。
薄く開かれた目蓋のままレオはそっと耳を地面につける。
するとやはり地面を叩きつけるような音が鳴り止むこと無く聞こえ、それが徐々に大きくなり、レオの意識はここで完全に覚醒する。
「エルザッ、ジャンニさんッ」
地面から耳を離すこと無く二人の名を呼ぶ。しかし、レオは二人が起きたかどうかを気にすることなく、意識は地面につけた耳に集中していた。
「どうしたんだぃ、レオくん」
ジャンニは寝ぼけ眼を擦りながら、頭がまだ働いていないのか身体を左右に揺らしつつ、ようやく身体を起こした。とは言え、完全に目覚めたわけではなく、未だうつらうつらと頭を前後させている。
「ちょっとヤバそう?」
対して荷台から出てきたエルザは、既に意識がハッキリとしていてた。
眠るために下ろしていた髪は、いつもの髪型ではなく少し雑に後ろで一つに縊られている。レオの声色から戦闘になる可能性が高いと感じたからだ。
「まだ分からないが、複数……かなりの足音がこっちの方角に向かってきている。エルザ、あの木の方角だ」
荷台から少し離れた木を指差し、それを聞いたエルザは柵まで駆け出すと暗闇の中を見つめる。
静寂の中、近くに繋いでいた馬達も落ち着き無く騒ぎ出し、それによってジャンニも状況を察知。頬を両手で叩いて意識を覚醒させると、エルザと同じように暗闇の中を見つめた。
「何かが動いてるね」
「おー、ジャンニさん目良いんだね」
口調は軽いが、視線は暗闇から外すこと無く真剣な眼差しを向けたまま。
今夜は雲の無い夜ではあるが、月が隠れていて明かりはほとんど無いと言っても良いだろう。そんな中で一キロ以上離れていては、そこに何があるのかすら分からない。
「この村に当たるのなら、明かりを灯すが?」
寝転がった状態から立ち上がったレオは、耳についた土を落として剣を右手に持つ。
レオが今すぐ明かりを点けないのは、何かがこの村の方角に向かってはいても、この村に当たるか分からないからだ。
もしも素通りする位置なら、明かりを点けることで逆に目立ってしまい、注意を引いてしまう可能性がある。
「これは……村に当たるだろうね」
しかし、夜目が利くジャンニはそう断言した。
しかも、何が向かってきているのか分かっていない状態でも、本能的なものなのか一歩後退りしてしまっている。
「一先ず何か見てみるか」
その言葉を聞いて決意したレオは、剣を置いてバッグを漁り標魔石を取り出すと、火属性魔法のライトをそれに掛けた。これで、標魔石の周囲二メートルほどが光に照らされる。
そしてそれをエルザに渡すと、思い切り投げさせた。
当然、敵ではない可能性もあるので、当たらない様に注意を払っての投擲。しかも、ライトは狭い範囲でしか照らさないので、その中でも標的が見えなくてもいけない。
しかしエルザは、地面から聞こえる足音で相手の位置を判断すると、それをやってのけたのである。
標的の手前に落下した標魔石は、光で照らされたまま転がり向かってくる物体の正体を照らし出す。
「ま、魔物っ」
未だ距離はあっても人ならざる者の群集はハッキリと見え、ジャンニは再び後退りしてしまう。
「エルザッ」
「任せて」
そして二人は魔物の群れを見ると行動に移る。
レオは再び持った剣を手放し、魔物の全体を見るための詠唱に入る。そしてエルザは、目的地が分かっていない状態で村の中央に向かって走り出す。
「――】ディンクスロア」
そしてレオは空へと右手を掲げて魔法を放った。
火の眷属性である爆の中級魔法ディンクスロアは、空中で赤い火炎を燃やしながら何度も爆発。爆音と共に辺りを照らし、魔物の群れを先ほどよりも鮮明に照らし出すのである。
レオと別れたエルザは村の中央へと走っていた。
その最中にレオの魔法で辺りが照らされると、眩しさから目を手で覆って立ち止まり、周囲に視線を走らせる。
「見つけたっ」
目的の物を発見したエルザは再び駆け出し、掛けられている梯子を数段跳び抜かして上っていく。
エルザが探していた物。それは何処の村にも置いてある、非常時を知らせるための警鐘台。この村に入った時に見かけ、それを探していたのである。
「みんなーー起きてーーー。魔物が来たぞーーーー」
紐で引っ掛けられた木槌を取り、大声を出しながら警鐘を何度も叩く。
レオのディンクスロアで村人を目覚めさせ、エルザの声と警鐘で緊急事態を知らせる役割分担である。爆音だけでは何が起こったか分からなくとも、普段から村にある警鐘が鳴れば、良くないことが起こっているのが分かると考えたのだ。
そしてその思惑通りか、直ぐに警鐘台の近くの家々から三人の男性が飛び出してきた。
それを見たエルザは警鐘を叩く手を止め、警鐘台から飛び降りて村人の下へと駆け寄る。
「何かあったのかっ」
「魔物の群れがあっちから来てる。どこか逃げられる場所はある?」
エルザは自分達が眠っていた方角を指差し避難できる場所を尋ねる。その言葉に村人達は驚きながらも、直ぐに意識を切り替えて相談し合う。
最初に意見を言ったのは大柄で身体つきから力強そうな男性。その右手にはやや小振りの斧が握られている。
「離れた場所に高台があるけどよ……この時間じゃ逆に危ないだろ」
「なら、村長の家か。あそこには地下室があったはず」
次に答えたのは細身の男性。とは言え、それは隣に大柄の男がいるからそう見えるだけで、引き締まった無駄の無い肉体である。
そして最後に指示を出したのは鋭い目付きの老人。
「ではリューが魔物の規模を確認、直ぐに報告に戻ること。嬢ちゃんはワシ等と共に、皆を起こすのと避難を手伝ってくれ」
「分かった。それと、さっき空に魔法を撃った私の仲間が、魔物の規模とか見てるかもしれない」
老人がテキパキと慣れた様子で指示を出し、リューと呼ばれた細身の男性が動き出す前に、エルザがレオの特徴と居る位置を伝えた。
そして、リューは近くの馬小屋から馬を連れ出すと、右手に三叉のピッチフォークを握りながら左手で器用に馬を操り駆け出した。
◇
明かりと音のために空へとディンクスロアを放ったレオだが、例え連続の爆発とはいえ光など直ぐに消えてしまう。
そのため、もう一度空へと同じ魔法を放つが、今度は村の直上ではなく魔物に近づけての発動。村人を起こすのはエルザに任せているからで、今度は状況確認を優先するためである。
「分かる範囲で数はどれ位だった」
「た、多分、百以上は居るんじゃないかな」
ある程度の想定を立てながらジャンニにも確認すると、その数はレオと同じく百以上。纏まっての移動ではなく、少し縦長に連なって移動していた。
レオは三度、確認と目覚ましのために魔法の詠唱に入りながら、闇を照らすのに最適な魔法を考えていた。
暗闇を大規模に照らす魔法も存在しているが、レオには使えず先ほどのライトが精一杯である。それを無数に投げれば、明かりの問題は解決するだろうが、今はそれを行うだけの時間が無い。
詠唱を唱え終えたレオは、直ぐに魔法を放つこと無く待機させると、空に狙いをつけながらジャンニに話しかける。
「ジャンニさん、今度は種族だ――ディンクスロア」
放たれた魔法の角度が低すぎると、爆発によって魔物が見え難くなってしまう可能性がある。もちろん、レオはそれを考えて狙いをつけていたので、そういった失敗をすることはなかった。
そして、今度は規模や隊列ではなく、魔物の種類を確かめるために目を凝らす。
ただ距離が離れている上に、少しばかりの明かりでは、詳しく見ることは出来ない。しかし、姿形さえ見えれば一つの魔物の群れではなく、複数の魔物が入り混じった集団だということは分かった。
「ここら辺に居る魔物ならフォーゲル、デントウルフ、マウプルルとかかな」
ジャンニから聞いた魔物の特徴を思い出しながら、レオは四度魔法の詠唱に入った。
暗闇を照らすだけなら、爆音の無い火の魔法で良いのだが、一応エルザか村人が来るまでは目覚まし代わりを続けるつもりである。
しかし、それを放つ前に馬に乗った男性、リューが駆け寄ってきた。
「君がレオ君か。魔物の規模は?」
「――規模は最低でも百以上、縦長に移動をしていて、複数の魔物が混合しています」
詠唱を途中で止めると、今現在で分かった範囲のことを伝える。
するとリューはレオから視線を外し、暗闇の中をじっと見つめて頷く。
「確かにその規模の魔物が動いてるみたいだ」
「凄い、見えるんですか?」
「夜目遠目はきくから。それと俺は直ぐに報告に戻るけど、もっと詳しく見ておきたい。もう一度照らしてくれるか?」
ジャンニの賞賛の声も軽く受け流すと、レオに魔法を使うように頼む。そして、馬から降りると柵に近寄り、左手で手綱とピッチフォークを握りながら、右手で目の上を覆った。
村人が気付いた以上、破裂音の無い魔法を使おうかとも考えたレオだったが、何を使うか考える時間も惜しかったので、結局使ったのは先ほどと同じ魔法。
四度、光で照らし破裂音を鳴らしながら、先ほどよりも近付いている魔物たちを照らし出す。
「確かに、そんな感じか……だが妙だな」
「何が妙なんです?」
リューの呟きに聞き耳を立てていたレオがすかさず聞き返し、これには聞かれていると思っていなかったリューは少々驚いた様子である。
「あぁ、最近魔物が暴れてるとは言っても、こんな場所にまで来ていない」
馬に跨りながらリュー自身が感じていたことを、再確認するようにレオへと伝える。
実はメチッカ村の近場に魔物が居るような場所はあまりない。もちろん草原にも魔物は居るが、近場の魔物は狩りをすることで数を減らしているのだ。
他に魔物が居る場所と言えば、リューが思いつく限りでは三キロほど離れた場所にある森。だからこそ、余計妙に思えるのだ。
「それに種族の違う魔物が、何事も無くああも同じ方向を目指しているのは不自然に思える」
魔物同士とは言え、そこには天敵というものも存在している。先ほどジャンニの上げたフォーゲルとマウプルルもその一つ。
フォーゲルの好物がマウプルルであり、マウプルルはフォーゲルから睨まれると動くことも出来ずに固まってしまうほどである。
そこまで顕著ではないにしろ、他の魔物たちも争うこと無く移動しているのが、リューには妙に思えたのだ。
これは単に興奮して暴れまわっているのではなく、何らかの意図を持って行動しているということが考えられた。とは言え、それが何であるかを考える前に、やらなければならないことがある。
「君らは魔法で村の守備を固められるか?」
「僕は、そういった魔法は使えないんです。すみません」
「……土魔法は得意じゃありませんが、やれるだけのことはやってみます」
レオの返事を聞たリューは静かに頷くと暗闇の中を睨む。まるで魔物の向こう側に居る何かを見つめるように。
そして、最後に魔法によって防衛力を高めることを頼むと、一度報告に戻るために馬を走らせるのだった。
◇◇◇
レオが放ったディンクスロアの光や音に気付いたのは村人だけではなかった。その集団が居たのは、メチッカ村から十数キロほど離れた場所。
見張りで起きていた二人は、上へ報告するために方角や位置を確認しようと地図を広げていたが、報告するよりも早く上役があくびを隠すこと無く近寄ってきた。
「今のふわぁー、何の音だ」
「はい、あちらの方角の空に爆系統の魔法が打ち上げられました。地図によるとメチッカ村の辺りと思われます」
「我らの連絡手段とは違いますが、何者かが緊急を知らせているのかもしれません。如何されますかクルト分隊長」
クルトと呼ばれた男性は、眠そうに焦点の合っていない金色の瞳を隠すように瞬かせ、くすんだ栗色の短髪には既に白髪が雑じっていた。そして無精ヒゲを生やし、露出した肌には数多くの傷跡が見える。
「おいおい、今の状況でか」
服の下に手を突っ込んで腹を掻くと、クルトは困ったようにため息を零す。
しかし、次の瞬間には零した以上の空気を吸い込み、未だ眠ったままの部下達に向かって声を張り上げた。
「起床だッ。急いで支度をしろ、メチッカへ向かうぞッ」
その大声に部下達も飛び起き、クルトと見張り役も直ぐに移動できるよう準備を始める。
「ラザシールが現れたのでしょうか?」
「さあな。だったらこの人数じゃキツイだろうぜ」
鎧を着込みながら見張りの一人が尋ねるが、当然クルトにもそんなこと分かるはずもない。
クルトは命を預かる九人の部下達を見渡す。見張り二人と眠っていた七人、それに自身を加えた十人。これが今この場に居る全員である。
「だが、俺らこの国の騎士だ。国民が困ってんなら、命張ってでも助けるってもんだろうが。分かってんだろうな、十七分隊ッ」
「はっ、当然ですっ」
その鼓舞に部下達は準備の手を止めること無く答える。それはクルトの教えであり、自分の教えどおりに動く部下達を見て、満足そうに頷く。
彼らはラザシールの探索と住民に注意を喚起している、第三部隊所属の分隊である。当然、分隊一つではラザシールと戦って勝てるはずもない。
中には怯えている感情を隠せていない兵士もいる。それでも彼らは弱音を吐くこともなく、戦いのための準備を止めようとはしなかった。