第三十六話
シアンと呼ばれたライナスが告げた、現在行っているのが国家運営だと聞いても、ルヲーグが気にした様子は全く見られない。
そもそもいろいろな事をやりたがるシアンの現状を、きちんと把握しきれていないから聞いてみただけである。
「どうして力を使わないで、そんな面倒なことしてるのさ。洗脳とかしちゃえば楽なのに」
「ルヲーグには分からぬか。そんな事をしても面白くも何ともなかろう」
ライナスは近くにある椅子に腰掛けて、ルヲーグも不可思議そうに眉を顰めながら、ベッドの淵に座りライナスと向き合う。
「ふーん、まあどうでもいいや。そんな事より……その喋り方が気持ち悪い」
「ふむ、この口調がライナスの喋り方なのでな。名前も呼ぶのなら、ライナスとしてくれ」
そして痛烈な毒を吐くが、今度はライナスが気にした様子は全く見られない。それどころか、次の瞬間には笑顔を浮かべて、今の状況を楽しそうに話し始めた。
「それでな、今もノア王子と王権をめぐって争い中なのだが、特にアイナという女がなかなかやりおる。それを大臣は引き込めなどと、味方になってはつまらぬではないか」
「あー、その人、君に目付けられたんだ。かわいそう」
いろいろ言って面倒そうにしながらも付き合うルヲーグである。
ライナスの話は続き、政治経済の話から出される夕食の話にまで及んだ。そして治水や治安の話になった頃、何かを思いついたのか突然ライナスが膝を打つ。
「そうだルヲーグに一つ頼みがある」
「いやだよ。何でボクが頼みを聞かなきゃならないのさ」
頼まれごとをされたルヲーグだったが、その内容が何であるかを聞くよりも早く断った。
しかし、ライナスはルヲーグが断るであろうことを予想しており、これから始まる楽しい時間に思わず笑みが零れる。
「何故か、だと? それは……お前が俺に何か聞きたいことがあるからだろう?」
笑顔と共に自身が訪ねてきた理由を言い当てられ、ルヲーグは苦々しく顔を歪める。
それは理由を当てられたことよりも、これからライナスの思い通りに事が進むと確信しているから。
「確か人間を魔物に変える研究を行っていたな、それが上手く行っていないのだろう」
見下すように目を細め口元は歪んで笑っており、それは普段のライナスがするような表情ではない。
しかし、そこに不自然さを感じることはなく、乗り出した身と表情が全て禍々しい空気で一つに纏められている。
「それ以外の用事なら、わざわざルヲーグ自ら俺のところに来るはずがない。緊急の案件なら直接話しかければ良いだけのこと」
そもそもルヲーグはライナス、シアンが苦手だった。嫌いと言ってもいいだろう。
性格は気まぐれで残忍。この残忍と言うのは、直接的な暴力のことではない。
正論で道を塞いだ上で、相手に反論させることなくいたぶる精神的なものだ。
「そして、研究が上手く行かない程度のことでも会いには来ない。考える時間は有る上に、そういったことを考えるのが好きだったはず」
ラザシールに襲われて部隊が壊滅した騎士との謁見の時、あれは激高などしていない。ましてや避難させなかった住民を心配などもしていない。
ただ、そうすれば周囲が騎士の敵となり、騎士を助けるようなことがないと考えたからだ。
「つまり何か不測の事態が起こったというわけだ。それは実験の失敗で人間の数が減った? それ位なら再び揃えれば良いだけのこと」
そして、気まぐれなので何を仕出かすかが分かりにくい。
最初この部屋で起こった寸劇も、実はルヲーグが想定していた中ではマシな部類である。
シアンなら他にも結界を破って兵士に助けを求める、可愛がってお菓子を食べさせる、本気で殺しに来るなどが起こる可能性もあったのだ。
「ならば不測の事態とは事故ではなく、戦闘……しかも相手が問題だった場合。現状それに当たるのは――」
「そう、大陽の巫女だよ。彼女とその仲間に負け負けで、本当に使い物にならないから少しでも改良したいの」
言葉を打ち切らせるようにルヲーグはベッドを叩き、そっぽを向いて不貞腐れてしまう。
ここでシアンは禍々しい笑みを引っ込めると、急に優しく気遣うような眼差しで儚げに微笑む。
「俺とて物を頼む立場だ、何もタダでという訳ではない。牢に居る人間を連れて行くと良い、何かと入り用であろう」
「もう、分かったよっ。それで、何をすればいいのさ」
そんなわざとらしい笑顔を見たルヲーグは、大きな純白の枕に飛び込んでうつ伏せで顔を埋めた。
半分やけくそ気味で依頼を引き受けたルヲーグとは言え、ライナスに話を聞きたいのも実験体が必要なのも事実なのだ。
「実は魔王襲来に託けて軍備を拡張しようとしたのだが、思いのほか反対や様子見の者達が多くてな」
ライナスはどことなく楽しげに、笑いを堪えながら頭を左右に振った。
そして要件を話し始めたことで、ルヲーグは枕を抱えたまま起き上がりライナスに向き直る。
「その考えを変えさせる為に、この間ラザシールを連れて来たところなのだ」
「ラザシール? あぁ、何か掃除に来たメイドさんと洗脳して聞いたよ。部隊が壊滅したけど、今度は強い人が率いるから安心だって」
部屋を掃除に来たメイドだったが、その場に居たルヲーグを疑問に思うことなく、会話をしながら仕事を終えたのだ。今頃はルヲーグと話したことすら覚えていないだろう。
その時の会話を思い出したルヲーグは、メイドから王の雰囲気が昔と変わったと言っていたことを伝える。
「ボロが出てるんじゃないの」
「昔のままであれば国を自由に動かすことが出来ぬからな。それでも、王としての責務に目覚めたのだと思われるよう、注意を払っているのだぞ」
それもまた楽しいと笑うライナスだったが、本来の話を思い出すと椅子から立ち上がり、机の引き出しから束になった地図を取り出す。
「そんな事より、部隊はラザシールを国内で仕留めろという俺の命令で、国境沿いから部隊を展開している状態だ」
そして、国境付近の地図を机に並べてチェスの駒を置く。これによって展開している部隊の位置を表したのである。
報告によれば、現在部隊は二つの部隊が国境沿いに広く展開。残りの一つの部隊が各地の村へ分かれて移動し、注意を促しながらラザシールを探しているとのこと。
「本来なら今から俺が行こうと考えていたのだが、ルヲーグが居るのなら話は早い」
ライナスはニヤリと不敵に笑い、地図の一点を指差す。
「ラザシールに王都を襲わせよ」
◇◇◇
日が暮れ始め、魔道具で道を照らしながら移動していたレオ達は、ようやく次の村へと到着した。
この村は周囲に何も無い平原の中にあり、イッチ村と同じように宿屋が無いであろうことは、村に入って直ぐに予想出来たこと。
試しに村人に聞いてみても予想通りで、今夜は誰かの家に泊めてもらうか、馬小屋などを借りるということになる。
そんな話しをしていたレオ達だったが、ジャンニは既に寝る場所を決めていた。
「僕は荷物を見ておかなくちゃいけないから、外で馬車と眠るよ」
「あっ、それなら私達も……」
「いや二人は無理せずにどこか家に泊めてもらった方が良い。これからも旅を続けるのなら、少しでも疲れを癒せる時は癒しておくべきだよ」
馬車で眠ることに付き合おうとしたエルザだったが、ジャンニは行商人という旅を続ける立場から助言を行う。しかし、それでエルザが納得するはずもない。
「それはそうですけどー、ジャンニさんはこれからも行商を続けるんですよね」
「そうだけど、僕の場合は移動する範囲が決まってるからね」
旅をしながら商売を続けるジャンニだが、その路は決まっていてアゼラウィルの王都からカカイの王都を通ってクォムルクの王都へというもの。これを往復しているのである。
途中に通る村を変えることもあるが、ジャンニが今広げられる商売範囲がこの広さなのだ。
それに、カカイの王都にはゆっくり休める自宅も存在する。気の抜ける場所で眠れるだけ、レオ達と比べて環境はかなり良いと言えるだろう。
「馬車に乗せてもらい、ラザシールの話も聞かせてもらいました。それに、出来ればクォムルクまで乗せて欲しいので」
「あははっ、レオ君は素直だね。それに交渉も中々上手だ」
一緒に寝泊りするのが同情や親切心ではなく、移動手段の確保という打算的なモノ。そう言われた方が商人であるジャンニも納得はし易い。
そんなレオの意図に気付いたジャンニではあるが、気分を害する事無く笑いながら何度か頷いている。
「でも、実は僕が悪い商人で二人を何処かに売り飛ばすかもしれないよ」
「うーん、これでも人を見る目は有るつもりですけどね。バネッサ達と一緒に居なくても心配してくれましたし」
視線を真っ直ぐジャンニの瞳へと向けながら、エルザは再び確信したように腕組みをしながら何度か頷く。
もちろん一緒に眠るほどに気を許していても、それは気を抜くという訳ではない。しかし、それをわざわざジャンニに伝えるつもりはなかった。
「それに、俺達の知り合いに大陽の巫女だけでなく、他の巫女が居る事も知っているのでしょう?」
巫女を敵に回す。それは簡単に言えば世界を敵に回すようなもの。そんな事を仕出かしそうなのは、邪教徒と呼ばれる魔王を崇拝している存在ぐらいだろう。
その言葉を聞いて、ジャンニは両手を挙げておどけながら負けを認めた。
「分かったよ。でも、エルザさんが寝るのは荷台にしてほしい。一緒に地べただと心置きなく眠れそうにないからね」
「えっと……もしかしてジャンニさんが荷台で眠る予定でした?」
「ん? あぁ、気にしなくて良いよ。僕は最初から地べたで眠る予定だったから」
もし寝ている最中に荷物が崩れてくれば埋もれてしまう。その為、ジャンニはいつも外で寝ていたのだ。
だから今回エルザが寝るために、外に出しておいて大丈夫な武器などを出して空きを作るということを伝えると、エルザは少し申し訳なさそうに手伝いを申し出るのだった。
◇
村の中での野宿は、村長の許可を貰ってから準備が進められている。火は細心の注意を払っての使用が許可され、眠る前には汚れを落とす為に水を用意してくれるらしい。
また村長に会いに行く時に、ジャンニから口調をいつも通りで良いとの話になり、レオとエルザはその言葉に甘えることにしている。
そして問題の眠る場所は村の外れ、木に馬を繋いで荷台から荷物を降ろすのだが、問題は何を降ろすのか。
一番大事な天気を予想する為に空を見れば、雲一つ無く星が煌き今夜は雨が降らないだろうと考えられた。
「じゃあ武器防具、花瓶とかは箱ごと外に出して」
「バネッサ達と見てたときから思ってたけど、本当ジャンニさんのお店っていろいろ扱ってるよね」
自分の寝床の為に率先して動くエルザは、馬車の中に積まれている荷物を覗き込む。そこには武器防具以外にも本や絵画などさまざまな種類の商品が、所狭しと積まれている。
「まあ、僕の場合は基本的に種類を多くして、欲しいものがあれば今度来る時にって感じだから」
巨大な水瓶をレオと二人で置くと、ジャンには片手で腰を叩きながら流れる汗を拭う。
これも商品で水は入っていないが、馬車の中では今エルザの持っている剣が何本か入れられていた。
「そうだ、ジャンニさんに聞きたいことがあるんだが、今のカカイの後継者問題をどう思う?」
「うーん、難しいね。一般のお客さんはそんなに気にしてないけど、僕らみたいにお城に出入りする人達を相手にしてる場合は、どうしても動向を注視する必要がある」
答え辛いレオの質問に対して、盾を荷台に立てかけたジャンニは、頭を軽く掻きながら眉を顰めて考え込んだ。
しかし、そんなジャンニを軽い調子でエルザが褒める。
「ジャンニさんって、貴族とか相手に商売してるの? すごーい」
「いやいや、僕はそこまで凄くないよ。ちょっと贔屓にして下さる方が居るってだけでね」
変に考え込ませないというエルザの気遣いと受け取ったジャンニは、王家を批判的に話すことが出来るはずも無く、考えた末に出した答えは言葉を濁すことだった。
「まあ、何も変なことが起こらない、平和なのが一番だと思うよ」
苦笑しながら二人を促し、荷物の整理へと戻る。そして荷物を出し終えると、寝床を整えてから夕食の準備。
「今夜は村長さんの家で譲ってもらったパンと新鮮な野菜とスープが付きまーす」
エルザが取り出したのは村長宅で幾ばくかのお金と交換してもらった食材。スープの入っている鍋は借りているだけなので、明日返す必要がある。
スープを温めなおし金網で魚と干し肉を焼けば、煙と共に香ばしい匂いが辺りに漂う。
普段食べている塩気の強い干し肉も、新鮮な野菜で包めばそれだけで美味しく感じられた。
「あー、スープで温まるー」
「ジャガイモをこした家庭の味だな」
「干し肉を薄く切って入れるのも良いかもね」
ジャンニの言葉をエルザが実践してみるなど、食事中の会話は小難しいことは話題にならない。他にも貴族との面白い話や取り扱ったことのある商品など、楽しい食事は何事も無く終わった。
そして、夕食の後片付けと眠る為の身支度を終えると、エルザは荷台にレオとジャンニは微かに燃える薪を挟んで眠りにつく。
星が煌く空の下で静かに眠るレオ達。しかし、静寂を切り裂く足音は確実に迫っていた。