第三十五話
ライナス・ベレスフォード・ジンデル。カカイの現国王であり、前王の弟。
性格は大人しく控え目で、自分の意見を言うときも提案という形を取るなど、周囲との和を大切にしていた。
しかしそれだけでなく、必要に応じて語気を強めるなど、陰日向にと兄の王を支え賢兄賢弟とまで呼ばれていたのである。
だが王となってからのライナスは、積極的に意見を言い一人で決断するようなことも多くなっていた。
もちろん、それは悪いことではない。
ただ、その意見には過激なモノもあり、落ち度の有り無しに関係なく任務を失敗した者を投獄させることもあった。
「何と、申した」
現在ライナス王は謁見の間の玉座に深く座り、顔を伏せて身体を震わせる騎士を見下ろしていた。
赤茶色の髪は短く綺麗に揃えられ、黒みの強い青色の瞳は鋭く騎士を貫く。
そして少し痩けた頬には、威厳を出すため王になってから伸ばし始めた赤茶色のヒゲが、見事に蓄えられていた。
「もう一度報告せよ」
この騎士は討伐部隊を率いていた部隊長であり、自身の治療もそこそこに謁見を行っているのだ。
そして震えているのは、ライナスが失敗した者に容赦が無いことを知っているからである。
「ま、魔物討伐はラザシールの奇襲に遭い失敗。討伐部隊は半壊状態にあります。至急、新たな部隊を編制し、討伐――」
「任務の失敗だとッ。それで、ラザシールには最低でも手傷を負わせるか、近隣住民の避難は行ったのであろうな」
「奮戦むなしく、手傷を負わせることは出来ませんでした。避難に関しましては、王都へと続く村々は避難をさせましたが、それ以外を誘導する人手も余裕もなく――」
ライナスは玉座から立ち上がると、手に持っていた扇を騎士に向かって投げつけた。
扇は直接騎士に当たることはなかったが、それでも騎士は身体をビクつかせてさらに縮こまる。
「キサマの失敗で国民にどれほどの犠牲が出るのか分かっているのかッ」
ライナスの言っていることは、国民に被害が出る可能性もある以上間違いではない。
しかし、もともとの任務はそれほど強くない魔物の討伐であり、部隊の規模も兵士の質もそこまで高くは無かったのである。
怒りを向けられる騎士は当然、側に仕える騎士や大臣もそれは分かっているが、それを言い出すことはなかった。
それは相手が王だからというのもあるが、ライナスの言い分もやはり正しいからだ。
最低でも避難誘導は行うべき、それが大臣達の意見である。
「この者を牢へ閉じ込めておけッ」
「ですがライナス様、先ずはラザシールの詳しい情報を聞き、傷の治療をさせるのが――」
「くどいぞ」
大臣の取り成しも、いつもの様に効果は無い。
大臣は心の中でため息を零すと、警護をしている騎士に連れて行くよう命じる。
「ら、ライナス様っ、何卒名誉を挽回できる機会をっ」
「さあ、行くぞ」
両脇を抱えられ退席させられる騎士は、何とか顔だけをライナスに向け懇願するが、その声が聞き届けられることはない。
騎士が涙を流してまで訴えるのは、死刑にされる可能性もあるからだろうが、今思っているのはそれよりも確実に起こること。
それは死刑にならず牢から出たところで、出世の道が閉ざされてしまうことだ。
しかし、叫び続けた騎士の声は、重い扉の閉まる音を最後に謁見の間から聞こえなくなっていった。
「それで、討伐の編制は行っているのか?」
重苦しい空気が漂う中、ライナスは意に介せず大臣に話しかけた。
「はい。現在、第一軍団の第一、第二、第三部隊が出陣の準備を進めております。それと指揮はアイナが執るとのことです」
「ほぅ、アイナか……」
アイナの名前を聞いて、ライナスは何かを考えながら顎鬚を触る。
例えアイナが王子側であったとしても、騎士や国民などからの人望や人気は高く、出来れば引き込みたいというのが大臣の考えである。
その為、何度かそういった進言を行っているが、現在のところライナスが引き込み工作を行っている節は見られなかった。
「ふむ、指揮の内容はアイナに任せるが、ラザシールは国内で仕留めクォムルクに進行させるなと伝えよ」
「……国境沿いですので、ラザシールが逃げ出す可能性もありますが」
ライナスの命令を聞いた大臣は、直ぐに動き出すことはせずにもう一度聞き返す。
これは立場上、言っていないことにするかどうかを確かめるためである。
「それはならん。何としても国内で仕留めよ」
ライナスが大臣の言う可能性を認めれば、それは暗にそうしろという命令であった。
しかし、その答えは否定。つまり、国内で倒すことは本気で言っているということ。
ここで大臣は眼を微かに開き驚きの表情を一瞬だけ見せた。ラザシールをさっさと国外に追い出し、逃げられたことにすれば被害は少なくて済むからだ。
「アイナとてその心積もりであろう。ラザシールを追い出すだけなら、第一軍団から三部隊も動かしはせぬ」
「ライナス様の命によって動いたことが重要なのですね」
「うむ、そうだ」
その考えに納得した大臣は命令を伝える為に動き出す。
しかしこの時、ライナスが顎鬚を触りつつ隠した口角が微かに上がっていたのを、誰も気付くことはなかった。
◇◇◇
バネッサ達と別れた翌日、カカイの王都に寄らないことを決めたレオ達は、そのまま次の国クォムルクに向けて進んでいた。
陽射しは真上を通り過ぎ、今回の昼食は路銀の少なくなったレオのために狩りを行い、食事や後片付けは既に済ませてある。
アゼラウィルとカカイが密接ではなく、今通ってる道も本道ではないとは言え、そこを行きかう人々は居る。
二人は前方からやって来る人と、すれ違えば挨拶を交わしていたが、馬車の場合はすれ違っても挨拶をする時間さえない。
「おや君達は……」
だからこそ、後方から来た馬車に声を掛けられるとは、思いもしなっただろう。
そこまで広くない道幅。馬車が来れば脇に避けていた二人の前で、わざわざ馬車を止めて話しかけてきたのは、二頭の馬を御していた男性。
馬車を特に気にもしていなかった二人は、そこで初めて御者の顔を見る。
「あっ、行商人さんっ」
「あぁ……あの時はお世話になりました」
エルザは両手を叩いて驚き、レオは思い出したのか一度頷いてから頭を下げた。
そこに居たのはエルザ達がリボンを買った時の行商人。レオもそれほど会話をしていないが、椅子を出してもらっていたので多少は覚えていたのである。
「綺麗な赤髪に映えた、見覚えの有る黄色のリボンだったからね。後ろから見てそうじゃないかと思っていたんだ」
そう言って浮かべる人の良さそうな笑顔は、バネッサが居ないことで緊張から硬くはならず、膨らんだお腹同様柔らかな雰囲気。
ただ行商人は周囲を見渡し、少し表情を引き締め真面目な顔になると言葉を続ける。
「バネッサ様方とは一緒じゃないのかい?」
「はい、ディベニアを出てから直ぐに別れました」
「最初から直ぐに別れる予定だったからね」
二人の返答を聞いた行商人は、鼻の辺りに手を当て何かを考え込む。その様子は少し真剣で、何か有るのかと感じたレオは警戒を強めた。
「……立ち話も何だし、良かったらご一緒するかい?」
「えっ、良いんですかっ」
「うん、少し伝えておいた方が良い話もあるから」
その言葉に甘えて二人は行商人の左右に分かれて座り、歩み始めた馬車に身体を揺らしつつ、先ず初めにエルザが話を切り出した。
「じゃあ、まずは自己紹介から。私はエルザ・アニエッリで、そっちが……」
「レオ・テスティです」
「あぁ、君達が……僕はジャンニ・コロンナ、よろしくね」
行商人、ジャンニは深い緑色の髪に金色の瞳。お腹だけでなく身体全体が丸っこく、どこか愛嬌を感じさせる体つきで、その愛嬌を最も感じられるのは、やはりジャンニの笑顔だろう。
ジャンニに釣られるようにエルザも笑顔を浮かべている。
「ディベニアでの売れ行きはどうでした?」
「うん、有り難いことにね。バネッサ様の影響も有って、雑貨は直ぐに売り切れたよ」
巫女様の影響力を感じられた、とかなり機嫌は良さそうだ。
「ジャンニさんはカカイの王都には寄らなかったんですか?」
そんなジャンニにエルザは出会ってから思っていたことをぶつけてみた。
そもそもカカイを通るのなら、王都を経由した方が道が補整されてるなど何かと便利で、特に商品を扱う荷馬車ならそちらを通ることが多い。
しかし、今通っている道は狭く、補整の行き届いていないデコボコ道。
「それがね、商品を渡す予定のお客さんが船で旅立つのが早まって、なるべく早くクォムルクに来て欲しいとの要望なんだ」
「クォムルクなら、行き先は同じですね」
同じ道を進んでいる以上、ある程度の予想は付いていたレオは驚く事無く頷いた。
そして会話も一瞬止まり、再び真面目な表情をしたジャンニが本題を話し始める。
「そのお客さんが急ぐ理由のには訳があって、実はカカイとクォムルクの国境付近でラザシールが目撃されているらしい」
「ラザシールかー、馬車でも襲われたら逃げらないね」
口調は軽いが、エルザは心配そうに二頭の馬を見つめている。
ラザシールは筋肉質な上半身に目が行き、腕力にモノを言わせる魔物かと思われるが、実は一番厄介なのはその足の速さ。
馬よりも体力があり速く、そして力強く駆ける。もちろん、上半身は見た目どおり力が有るので、そのままぶつかられれば馬車など一撃の粉砕させてしまうだろう。
ジャンニも同意するように頷き、言葉を続ける。
「それにラザシールが現れたことで興奮してるのか、魔物の動きも活発になってるらしくて、数日前にラザシールの討伐の為に三部隊が派遣されたって話だよ」
「私、カカイのことあんまり知らないんですけど、それって多いんですか?」
騎士団が違えば部隊の人数も違ってくる。カカイの騎士団を知らないエルザが質問した内容は当然と言えた。
その質問にジャンニは少し考えてから返答する。
「少なくは無い、かな。場所が場所だけに、あまり多くの部隊を動かせないって理由もあると思うよ」
「あとは速さを重視したのか、ですね」
部隊を多くすれば、それだけ準備も移動速度も遅くなる。
その事を指摘したレオにジャンニも同意するように頷くが、それだけだと拙速とも取られかねないので、少しばかり補足をすることにした。
「騎士団の第一軍はカカイで戦闘に関して右に出る者が居ない軍団。そこから三部隊を動かしたのなら、無事にとは言えないだろうけど勝てるとは思う」
そう胸を張って言い切るジャンニは自国の騎士団を誇りに思っていて、当然それは率いている将にも当てはまること。
手綱を持つ手に自然と力が入りつつ、ジャンには誇らしげに話す。
「それに、率いてるのはアイナ様だしね」
「アイナ? あっ、ピアのお姉さん?」
聞き覚えのある名前にエルザは思わず聞き返し、その二人が一緒にお店で買い物をしていたのを覚えていたジャンニは静かに頷く。
ただ、ジャンニを始めとするカカイの国民からすれば、いくらピアが近衛師団の団長でも『アイナ様の妹』と見ているので、エルザの言い回しを少し面白く感じていた。
そんなジャンニの内心とは関係なく、レオもバネッサ達が優秀と称したアイナなら、と部隊の多さなどよりも重大な問題点を挙げる。
「問題は被害が大きくなる前に見つけて抑えられるか、ということですね」
「そういうこと。ただ、どこで何をするのか分からないし、もしかしたらもうこの国を出たのかもしれない」
それはあまりにも都合の良い考え方であり、ジャンニ自身そんなことを本気で思ってはいない。
しかし、縄張りにこもらない魔物が何をしでかすのか分からず、強い魔物と戦う術の無い人間からすれば、そう考えた方が気持ちが楽なのだろう。
ジャンニは恐怖心を吐き出すようにため息を一つ零すと、手綱を叩いて気持ち速めに馬を駆けさせるのだった。
◇◇◇
アイナ率いる討伐部隊が出発して数日。既に国境沿いに近付き、部隊を展開しているとの報告があった夕時。
ライナスは少し熱っぽいと訴え、本日の公務を切り上げて早めに自室へと向かっていた。
ライナスは現在独身で、数年前に妻を流行り病で亡くしてからは、今まで独り身を貫いていたのである。
しかし、それも王となったからには話が変わり、新しく妻を娶る必要があるという話しが何度かされていた。
「お疲れ様です」
「うむ」
部屋を護るように扉の脇に立つ二人の騎士と挨拶を交わし、ライナスは他の誰も居ない部屋へと戻ってきた。
中央へと歩みを進めると、後方で微かに扉の閉まる音。いつもの様に騎士が静かに扉を閉めたのである。
公務で着る重苦しい服は自室に戻る前、隣の部屋で着替えてあり、今はローブを羽織っているだけの軽い服装。
肩に手を当て頭を左右に傾ければ、コキコキと疲労具合を感じさせるような音だけが聞こえてくるはずだった。
「何やってるのさ」
「な、誰だッ」
しかし、誰も居ないはずの部屋から聞こえてきた声。子供特有の幼さの残る高い声で、男か女かの区別は付かない。
ライナスは身構えると部屋中を見渡す。
「だから、何やってるの?」
「子供? だが、ここの警備を掻い潜るとは、ただの小僧では無いなッ」
見つけたのは大人数人が寝られるほど大きなベッドの中央で、足を投げ出して座っている少年。
その少年を見つけて、わざと先ほどより声を張り上げるが、扉の前に居るはずの兵士が現れる気配は無い。
結界か何かを張っているのだとライナスは考え、扉から逃げ出すことはせずに、少年から目を離さないようにしながら、少しずつ壁に掛けられた剣へと近付く。
だがその時、口から息を吐き出した少年はベッドの上に立ち上がり、そっと左手をライナスに向けた。
「ぼくは魔族だー、きさまの命をささげるのなら、願いを一つかなえてやろー」
「ふざけるなッ、俺は王だ。キサマの様な得体の知れぬモノの言うことなどっ」
「そうかー、ならばしねー」
剣へと駆け出したライナスだったが、少年の手から放たれた光はライナスを包み込む。
すると身体から徐々に力が抜けていくのか、足がもつれるようになりながら腰が落ち、剣を触る事無く床へと倒れ……ない。
「あぁ、つまらぬ。相変わらずルヲーグは付き合いが悪すぎるな」
ライナスは腰が落ちたところで止まると、何事も無かったかのように立ち上がった。
そしてベッドに立っていた少年、ルヲーグへと身体を向ける。
「あっそ……で、最初の質問」
付き合いの悪さを指摘されたルヲーグだが、それを気にも留めずに一言で受け流すと、どこか呆れたような冷たい眼差しをライナスに送った。
「今何やってるのさ、シアン」
ルヲーグの問いに、シアンと呼ばれたライナスは肩を揺らして笑い、一言だけ告げる。
「ちょっとした国家運営だ」