第三十三話
その日の夕食は、少し豪華にディベニアの高級料亭へ行くことも考えたが、フォルカーがたくさん食べられ、堅苦しくない場所ということで大衆食堂に変更。
それでも個室のある店を選んだので、周囲の視線が気になることは無かった。
「それじゃあ、また会えるだろうけど、一時の別れと旅の無事を願って……カンパイっ」
「カンパイっ」
バネッサの簡単な挨拶から始まった夕食は、特別なことはそれだけで、それ以外は特にいつもと変わらない食事風景である。
フォルカーの前に置いてある、山盛りのポテトサラダもいつも通り。
「あっレオ、テメェそれは俺が狙ってたッ」
「他の者はお主ほど大量に食わぬ。残しておくから安心せい」
から揚げを取ったレオに文句を言うフォルカーも、それを宥めるダルマツィオもいつも通りである。
実は大食漢であるフォルカーは、本格的に食事を始める前にポテトサラダを食べる事が義務付けられていた。
それが決まったのは旅を始めてしばらくたってから。
当初は「仕方ない」と嫌々ながら受け入れていたフォルカーだったが、今では店ごとに違う味に楽しみを覚えてきたらしい。
「おっ、こいつぁリンゴ入りか。シャリシャリして甘味があって美味い、デザートっぽくなるな」
フォルカーは大食いとはいえ、暴食してる訳ではない。料理を味わい、楽しみながらの食事である。
男性陣が話をしながら食事を楽しんでいる中、女性陣は食事をしながら買ったリボンの話で盛り上がっていた。
「リボンは明日付けるから」
「それは良い考えなのです。私もそうします」
エルザの提案にピアも乗り、そこで二人は当然もう一人に視線を送る。
「それじゃあ、当然バネッサも」
「うっ、私もっ? い、いいよ私は……」
ピアからバネッサへの贈り物もリボンで、バネッサは髪が短く結ぶ予定は無かった。
だが、エルザに「皆で合わせて買おう」と言われ、素直に賛同したのである。
しかし、それはエルザの罠。あまり飾り気のないバネッサをおめかしさせようと言う魂胆であった。
「そっか、やっぱり恥ずかしいよね。私と一緒にはしゃいだりするのは」
「残念、なのです」
「別れの日ぐらい、って思ったんだけどな」
どこからどう見ても気落ちしていながら、健気に笑顔を浮かべるエルザと心底残念そうなピア。
エルザの胡散臭さがピアの純粋さで調和され、普通に悲しんでいるように見える。
「う、うぅ……分かった。髪を結ぶくらいな――」
「やったー、じゃあピア、明日の準備は任せたっ」
「はいっ、頑張ります」
遂にはバネッサが折れて受け入れるのだった。
◇
すでに出された料理もほぼ食べ終わり、食事よりも会話が多くなってきた頃。
お茶で喉を潤していたフォルカーは、壁に貼られている世界地図を見て、何かを思い出したのかレオに話しかける。
「あっと、そういやレオ達はメーリさまに会いに行くルートは、やっぱカカイを抜けるのか?」
カカイ王国とは聖王国アゼラウィルの隣国で、国土は半分以下でしかないのだが接している面は多いため、カカイを通らないとだいぶ遠回りになってしまう。
「そりゃ、そこを通らないと時間が掛かっちゃうでしょ」
隣の国を通らず、わざわざ遠回りする理由も無く、エルザはそう聞かれた事に不思議そうに小首を傾げる。
ただ、レオはその言葉で気付き、バネッサ達もその事を思い出して表情を顰めた。
「そういや、カカイは今ゴタゴタしていたな」
「ゴタゴタって、こんな時に?」
「まあ、その問題自体は魔王が現れる前から始まっておったしの」
魔王が現れていることも気にせず、内輪で揉めているカカイにエルザは呆れた様子で、ダルマツィオもその考えを特に改めさせるつもりは無いらしい。
しかし、今の会話で明らかに表情を曇らせる人物がいた。
「確か後継者争いだったか?」
「そう、前の王様が亡くなった後、幼い王子の繋ぎとして王弟ライナス様が王位を継いだんだけど、自らの地位を固めるとノア王子とその側近を政権から遠ざけ始めたんだ」
バネッサはそこまで言って、チラリと顔を俯かせている人物に視線を送る。
「そして、その側近の中に騎士団でも位の高い人間。第一軍団長クスタヴィ様と、その副団長であるアイナ……私の姉がいるのです」
王子の側近に姉が居ることが、バネッサ達が表情を顰めた理由ではない。レオとエルザはそう考えるも、自分達から尋ねることはしなかった。
そして、再びピアが口を開く。
「第一軍団が中心となって、反乱を起こすという噂も流れています」
内乱までは起こっていないが、カカイにはその火種が存在しており、しかもその首謀者になると噂されている一人がピアの姉。
バネッサ達からすれば話題にし難く、ピアも余り話したいことではなかった。
その話を聞いてエルザが一番最初に思い浮かんだのは、イッチの村に向かう途中に聞いた話のこと。
「ピアのお姉さんって、よく抱き付いてたとかお風呂に入ったとか言ってた?」
「いえ、それは二番目の姉で、騎士団に入っているのは一番目の姉なのです」
「なるほどー、それじゃあアイナさんってどんな人なの?」
内乱を起こしそうな人物であり、ピアの姉に興味を持ったエルザはその人となりを聞いた。
何気ない質問だったが、姉の事を聞かれたピアはというと、興奮からか頬を赤らめ熱く話し始める。
「姉様はすごく頭が良くて、私よりももっと強くて、とってもとってもすごい人なのですよっ」
「……ピアが尊敬してることは伝わってきたな」
両手を握り締めて前のめりになって語るピアに、さすがのエルザも勢いに押され気味である。
レオの直訳すると「何も分からない」という感想に、フォルカーが笑いを堪えながら自分が聞いた話を伝える。
「嬢ちゃんの実家カルレオン家はカカイで代々騎士として仕える貴族でな、アイナさんは家に男児が見込めなくなると、長女としてその後を継いだってぇ話だ」
「私も一度お会いしたことがあるけど、姉さんと感じが似てて好感の持てる女性だったよ」
そしてバネッサも当時を思い返しながらそう言った。
イーリスを尊敬しているバネッサがそう感じたのなら、その評価はかなり高いと言えるだろう。
ダルマツィオもアイナ自身には好印象を受けたが、その反乱の首謀者との噂が好意的に受け入れられる土壌が無いことを知っていた。
「問題なのは、今のところライナス王が圧政を敷いておらぬことであろう」
そうライナスの行為は、事前の決まり事を反故にするようなものだが、そこに暮らす人々からすれば、まともな政治を行うのなら誰が王でも関係無いのだ。
これが人気も高く、国民から支持されてる王子なら話は別だろう。
しかし、まだ幼い王子と今政治を取り仕切る王弟。どちらも王族である事に違いはなく、それ故に国民からすればどちらでも問題ないのである。
「今のところ? 何か問題でもあるのか?」
「それは――」
「しばし待てフォルカー」
ダルマツィオの物言いに引っかかりを覚えたレオが聞き返すと、それにフォルカーが答えようと口を開く。
しかし、それをダルマツィオが止めると、念の為個室に防音の結界を張ってから頷いた。
「どうもライナス王は気難しぃ人みたいでな。気分を損ねっと家来でも牢屋に閉じ込めたり、最悪なら死罪にまでするって話だ。まぁ、その中で特に多いのが王子側だな」
そして、今は魔者対策として軍備に力を入れているらしく、明君でも暗君でもない王。それが今のライナスの評価となっている。
「なるほどな、それでピアの姉さん達が反乱を起こすんじゃないかと言われてるわけか」
「……確かに、そういう噂はあります」
納得したように頷くレオを見て、胸を押さえて悲しげに俯いたピアだったが、直ぐに顔を上げて澄み切った瞳でレオを射抜く。
「ですが、姉様やクスタヴィ様は市民が悲しむようなことを、反乱を起こすような方ではありません」
毅然と言い切るピア。その雰囲気は近衛師団の団長であり、カカイ貴族の娘であり、アイナの妹であった。
先ほどエルザを押し込むような、姉自慢をしていた人物にはとても見えない。
レオはピアを傷つけた事を誤り、ピアも意図せずに誤らせてしまった事に驚き誤った。
そんな二人のやり取りを見つつ、エルザが変な空気を変える為にレオに話しかける。
「王族とか権力争いでドロドロしてそうだよね」
「まあ、今の現状もそれが原因だしな」
一つの席を巡っての争い……そこに届きそうな位置にいる人ほど、それを諦めきれないのだろう。席に着けさえすれば、富と名声と権力が手に入るのだから。
そこまで考えて、エルザはふと思った。
「今の巫女制度って候補生を集めてるんだよね。じゃあ、そこでもドロドロでグチャグチャな権力争いとか……」
「それは無いな」
どこか楽しそうに語ったエルザの疑問は、現職の巫女であるバネッサがあっさりと否定し、候補生だったピアもその意見に賛同するように頷く。
呆気なく否定されて不満そうなエルザの顔を見て、バネッサは当時の事を思い出し、さまざまな感情を込めて微かに笑う。
「あの頃はそんな事を考える余裕も無いからな。戦闘技術はもちろん、儀式のやり方や神楽の練習。それ以外にも礼法に歴史、語学、地学……いろいろ学ぶことが多かった」
「だからこそ仲間意識が芽生えるのですよ。むしろ余計な事を考えさせない為に、あえて厳しくやっているのかもしれませんね」
勉強勉強と聞いてエルザは嫌そうに顔を顰めて、自分の時代はそれほど言われなかった事に、ほっとため息を吐いた。
まあその代わり、戦闘の訓練は今以上に厳しかったのだが……。
そんなエルザを横目で見つつ、レオは先ほどの話を思い返す。
問題を抱える国を抜ける最短のルートか、他国を抜ける遠回りのルートか。
「……で?」
「もちろん、カカイに決まってるでしょ」
文字通り一言だけの問いにあっさり答える辺り、エルザはレオの考えが分かっているようだ。
そしてそれはレオも同じく、エルザならカカイを選択するがという事は分かっていた。
「同じ隣国って言ってもさ、時間はだいぶ掛かるでしょ」
「『祭りの表道、駆ける裏道』って言葉があってだな」
「バカね、そんなの屋根の上を走った方が速いに決まってるじゃん」
自信満々に清々しさすら感じるほどに言い切ったエルザに、その場に居るレオ以外が何故か感心しながらも、今後の進路は当初の予定通り、問題を抱えるカカイ王国に決まったのである。
◇◇◇
翌日の早朝。太陽が出た頃には、既にディベニアを旅立つ準備を終わらせて門を出ていた。
人が多い街から出発するのはいろいろ面倒だと昨日話し合い、朝早くから出発する事を決めたのだ。
「どう、似合ってる?」
クルリと一回転してみせたエルザのポニーテールには、昨日贈られた黄色のリボン。
いつもは細い物を好んで使っているが、今回のはそれよりも太くリボン自体も存在を主張している。
「はい、思ったとおり似合ってますっ」
「ありがとー、そう言うピアも似合ってるよ」
そう褒められたエルザは、今度はピアのリボンを結んだ髪型を見つめる。
ピアはいつもどおり短いツインテール。赤を主体に白いラインの入ったリボンを、肩に付きそうなほど長く結んでいた。
「うん、可愛いっ……そして本題」
思わずピアに抱きついたエルザは次にニヤケた表情を浮かべ、キョロキョロと落ち着きの無い女性に視線を送る。
「な、何っ」
エルザの視線を受けて、バネッサは思わず一歩後退りしてしまう。
ショートカットのバネッサは、後ろを明るいオレンジ色のリボンで結んだだけである。小さな髪の束がちょこんと飛び跳ねていた。
そして、見て分かる程度に抑えられた化粧。目や顔立ちをハッキリとさせ、唇には薄く潤いを見せる紅。
美しく可愛らしく見せる化粧ではなく、バネッサという個を引き出す化粧である。
「素晴らしい出来栄えだわ、ピア」
「はい、頑張ったのです」
エルザはその出来栄えを褒め、ピアも自慢げに胸を張っていた。
髪を結ってもらうことや化粧をしてもらうことはあっても、やってあげることの無かったピアは、鼻歌交じりに楽しんでいたという。
「はぁ、巫女としてじゃなく化粧をするのって、初めてかも」
ため息を零すバネッサも、巫女として重要な場に出るときは化粧をしたことがあった。
しかし、その時でも髪を結っておらず、ましてやそれ以外で綺麗に見せようと化粧をしたこともない。
その為、少しばかり落ち着きがなく髪を何度か撫でている。
「何か、後ろに引っ張られてる気がする」
「まあまあ、そのうち慣れるって……それで、どーよ男性諸君」
エルザはバネッサの手を取り、ピアを呼んでレオ達の前に横一列に並んだ。
そして感想を求め、レオ達はエルザ達を眺めた後でそれぞれが感想を述べる。
「うむ、それぞれが持つ個を引き出し、皆美しくなっておるぞ」
「似合ってるんじゃないか」
「良ぃんじゃね」
ダルマツィオの言葉に頷いて聞いていたエルザだったが、その後のレオとフォルカーの言葉に思わず呆れたようにため息を零す。
「はぁ~、二人ともそんなんじゃモテないよー」
その表情からは落胆の色が見えるが、元からそれほど期待していなかったらしく、早々にレオの側に移動するエルザ。
ダルマツィオとフォルカーの二人も、これで最後のはしゃぎ合いが終わりと感じバネッサとピアの下へ。
しばらくは全員が共有する空気を楽しむように無言で歩き、そして分かれ道。
「じゃあ、ここでお別れだな」
いろいろな思いが脳裏を過りながら、バネッサはその一言を発した。
予期せぬアゼラウィルへの転移。しかし、そこでの出会いは、バネッサ達にとっては掛け替えの無いもの。
特にダルマツィオにしてみれば、後継者候補が見つかったのだ。皆、出会いの喜びと別れの物悲しさを込めた笑顔を浮かべている。
「あの、う」
そんな中、ピアが何か言い難そうに言葉を零すが、その続きは出てこなかった。
手は落ち着きがなく、肩から下げた鞄を触っている。
その様子を見たバネッサは、浮かびそうになる笑みを押さえ込みレオとエルザに話しかけた。
「……二人とも、カカイで何か困ったことがあったら、ピアの実家を訪ねるといいよ。ほら、住所教えてあげて」
「えっ、あ、これです」
そう言って鞄から取り出したのは封書と紙。紙には住所が書かれている。
「手紙を見せれば、私からだと分かるはずです」
「分かった、何かあれば寄らせてもらう」
ピアから封書と紙を受け取ると、レオは礼を言ってバッグの中の本に挟んで仕舞う。
「また、姉さんやマリア達とも一緒に会えたら良いな」
「はっはっはっ、何をそんな分かりきったことを。バネッサ達とまた会うのは当然、マリア達と会うのは必然ってものよ」
どこにそんな根拠があるのか分からないが、自信満々に笑って言うエルザを見て、バネッサもそうなんだろうなと思ってしまう。
気の持ちようで何とか成る、父グウィードの言葉を思い出しつつ、自身の気持ちも引き締めなおすと、静かに右手を差し出した。
「じゃあ、一先ずはここでさよなら、だな」
「そうだね、また会える時まで」
エルザも満面の笑顔を浮かべて差し出された手を握り返すと、レオ達が握手を交わしている輪の中に加わった。
そして、全員と握手を交わし終えると、レオ、エルザとバネッサ達は別々の道を歩き始める。
そんな彼らと道のりを、光輝く太陽が分けることなく照らしていた。