第二十九話
模擬戦の後は怪我の治療。回復魔法は水属性が得意にしており、大陽の巫女であるバネッサのパーティーには居ない。その為、回復役はピアとダルマツィオの二人が務めていた。
しかし、折れてズレた骨はフォルカーが合わせ、慣れた手付きで木の棒と固定させている。
「あぐっ、つうぅ」
「しばらくは大人しくしとけや」
これはピアは回復薬、ダルマツィオは外傷にしか対応しておらず、骨折など内部を治す魔法は使えないからだ。
もっとも、使えたとしても魔法による回復より自然治癒の方が身体には良いので、結局は使われなかっただろう。
「後はこの薬を飲んでおいて下さいなのです」
そう言ってピアがコップに注いだそれは、果物の甘い香りがして薬というよりはジュースにしか思えない。レオが飲んでみてもやはりジュースだった。
ただ、味や香りはジュースでもこれはピアが作った薬で、効能は痛みを和らげ回復を促進させる程度である。
「悪かったレオ、ちょっとやり過ぎた」
「模擬戦ならこれ位珍しく無いだろ……もしかして、そんな訓練しかしてないのか?」
明らかに気落ちしたバネッサを見て、レオは逆に巫女の訓練内容を心配するが、それは本人が直ぐに否定した。
「いや、そんな事は無いよ。ただ、訓練するのが部下や兵士、模擬戦も挑まれたならまだしも、学生相手にこっちから頼んだとなると……」
そこで大きくため息を零し、肩と視線を落とす。
「それに、最後の方は本当に楽しくなってきて」
どうやら骨折させた事よりも、自制出来なかった事を後悔してるらしい。
確かに砂塵から現れた時の笑みは、どこか獰猛さを秘めた笑みだった、とレオは思い返す。
「いやいや、しっかし良ぃ戦いだった。姐さんの最後の一撃は結構本気だったし」
「うっうぅ」
「グウィードさんが何も出来なかった、って言うのもわかる気がするっすね」
話題を変えるため、バネッサを笑顔で苛めるフォルカーは、話に乗ってくれるであろう人物に話しかけた。
「ダル爺さん?」
しかし、ダルマツィオは話に乗らず、白くなった顎鬚を触りながら、何事か考えている様子。
これには一緒にからかわれると思っていたバネッサも疑問に感じ、ピアと一緒に小首を傾げている。
「のうレオ、先ほど陽姫殿を包囲した時、左右は何も無かったが……」
「あれはイーリスから事前に話を聞いてたみたいだし、バネッサにいろいろ考えさせる罠。左右に行けば術印入りの標魔石を投げて発動、エルザがってところか」
レオの説明を聞いて、ダルマツィオは一つ頷くと話を続ける。
「ほう、ではあの土壁も」
「あれはねー、踏み台……アースシールドを使えってのは、目隠しとして使えって意味なのよ」
次の疑問にはエルザが答えるが、その表情には苦笑いが浮かんでいる。
「私が使っても強度が無くて盾には使えないけど、気配を消して隠れられるからね」
実体のある土属性らしい魔法の使い方である。
どうやら事前に決め事があるらしく、二人の連携の良さの一環を知ったバネッサ達。特にダルマツィオは納得したように頷きながら、未だ何事かを考えている。
「お姉様、脇道には逸れるのですが、近くに村がありましたのです。もう今日はそこで休みませんか?」
今は昼食を食べ終えて数時間。
本来の目的地である次の街にも、夜までには辿り着けるだろうが、レオの腕のこともあってピアは無理のない提案をした。
もちろん、その意見に誰も反対することはなく、バネッサ達は左腕を吊ったレオを気遣いながら移動を始める。
◇◇◇
レオ達が進むのは、獣道よりも多少は補整された木々が生い茂る森の中。
何度かアゼラウィルに行ったことのあるバネッサ達も初めて通る道で、周囲が見え辛い事から警戒を強める。
ただ、彼女達が警戒しているのは、何も周囲が見え辛いからだけではなかった。
「まぁた、ナイドリスみたいな事にはなってねぇだろうな」
ナイドリス村に向かった時も、今と同じように人里から離れた山中を進んだのだ。
あのような出来事を直ぐに忘れられるはずもなく、どうしてもその事が頭を過ってしまうのである。
「そういや、目的の村ってどんなとこ?」
「ごめんなさいです。名前はイッチって地図には書いてあったのですが、それ以上詳しいことは分からないのです」
名前以上の事が分からずピアは頭を下げるのだが、その可愛らしい仕草を見て、エルザは思わず抱きしめてしまう。
「良いよー、仕方ないよー、普通分かんないもんねー」
「にゅううぅぅ」
「ピアは可愛いもんなー。私も時々抱きしめるし、エルザの気持ちも分かるよ」
顔を真っ赤にして抜け出そうとするピアと、そんなピアを慈愛の眼差しで見つめる女性二人。そして、そんな女性陣を個人様々な視線で見つめる男性陣。
「どこ行っても、ピアはあんな扱いだな」
「そいつはご愁傷様」
「本人も幼少から慣れておるらしく、そこまで嫌がってはおらぬよ」
ニヤニヤと楽しげに見つめるフォルカー、呆れた様子で見つめるレオ、微笑ましく見つめるダルマツィオである。
どうやらピアはダルマツィオの言うとおり、抱きしめらて息が出来なかった事からもがいていたらしい。
エルザが一度手を離し、後ろから首の横を通し胸元で腕を交差させるように抱きつくと、歩きにくそうにしながらも振り払う事はなかった。
「親から見たら、もっと可愛いのかもねー」
「私によく抱きついていたのは、両親よりもお姉ちゃんなのですよ」
ピアが言うには、抱き付くのは当たり前でお風呂や寝るのも一緒と、両親が呆れるほどの溺愛っぷりだったという。
◇
そんな歩きにくい格好のまま森を進み、やってきたのはイッチの村。フォルカーが懸念していたような事はなく、ちゃんと村人が出歩いている事に安堵する一同。
バネッサは休める場所を聞く為、何やら深刻そうな表情で立ち話しをしている、ちょっと恰幅の良い女性二人に話しかけた。
「お話中悪いな、この村に宿屋はあるかな?」
「ば、バネッサ様っ!? も、申し訳ありません、この村はご覧の通り何も無い村でして、宿というものは……」
予期せぬ大陽の巫女の訪問に驚き、思わず女性は声を張り上げるが、申し訳なさからか声は直ぐに弱まってしまう。
ただ、その答えはバネッサ達も予想出来ていた。
一目見ただけだったが、この村の印象は家と小さめな畑があるというだけで、近くに森や山があることから山の幸には困りそうに無い、というだけ。
「そう、なら軒先でも貸してくれる人を探すか」
「あの、村長の屋敷でしたら、旅人をお泊めすることがありますよ」
もう一人の女性が指差す先には、確かに他の家よりも大きな屋敷が見える。バネッサ達は二人に礼を言うと村長の家へと向かう事にした。
その途中、何人かの村人が家から出て遠巻きに眺めているが、大陽の巫女の突然の来訪に驚いているのか、話しかけてくることは無いかった。
やって来た村長の家の前には、バネッサの事を遠巻きで見ていた人が伝えたのか、村長一家が出迎えていた。
老夫婦と中年の男女二組、それと小さい子供が五人である。
「バネッサ様、ようこそ御出で下さいました。私がこの村の村長チーモと申します」
その中の小柄な男性老人が一歩前に出て名乗った。
白くなった髪を短く切り額は広くなってるが、背筋は伸びており足下も確りとしている。
「バネッサ・ハル・セラーノだ。村長、良かったら今夜部屋を貸してくれないか?」
宿泊の事を聞くと、村長は瞳を一瞬輝かせてバネッサ達を見つめ、その背後では中年の男女が微かに頷き合う。
「もちろん宜しいですよ、どうぞ中へお入り下さい」
村長の快い返事にバネッサ達は礼を言うと屋敷に入り、村長の案内で客間へと進んでいく。
それを見送った村長の家族は、中年の男女二組がバネッサ達に気付かれぬよう静かに、だが忙しなく動き始めた。
「や、やっぱり泊まられるっ、先ず家を建て直すべきかっ?」
「あ、あたしは部屋の掃除をっ」
「料理は何を作ればぁぁーー」
「母さんは子供達の面倒を……って居ねぇーー」
寂れた村の村長でしかない家に、いきなり世界のトップが泊まりに来たのである。
ヨーセフのように接待慣れしてるはずも無く、中年夫婦二組は多少混乱しながらも、最高のもてなしをしようと村中を駆け巡るのだった。
◇
客間に案内された一同は、村長の妻の出したお茶を飲みつつ、聞きたがってるであろうこの村にやって来た理由を話した。
バネッサの不注意でレオの腕を折ってしまったという、事実のような少し違うような言い分である。
「それは大丈夫ですかな?」
「はい、フォルカー様が手当てをして下さり、ピア様にもお薬を頂きましたので」
そう答えたレオに対し、フォルカーは顔が引きつりそうになるのを奥歯を噛み締めて堪えた。
地のレオを知っているからこそ、今の言葉遣いを気持ち悪く感じているのだろう。今は村長の手前、敬語で話すようにしているのだ。
「ご滞在は何日ほどで?」
「いや、今夜だけで良いのだ。まこと急に済まぬな」
少し残念そうにする村長にダルマツィオが謝り、今度は逆に村長が恐縮して頭を下げてしまう。
ただ、ダルマツィオはそうなると分かってやっているので、バネッサはあえて声を上げて明るく笑う。
「あはは、ダル爺みたいな怖い人が謝ると、逆に村長さんが恐縮してるじゃないか」
「ぬ、そいつは失礼……おっと、これ以上言っては意味ないの」
「いえ、そのような事は。私共も精一杯おもてなしをさせてさせていただきます」
村長も二人に釣られるように笑った。
実はこれ、巫女であるバネッサに親しみを持たせる為の、ダルマツィオ毎度の手なのだ。当然、バネッサもそれを知っていたのである。
狙い通り話しは和やかに進み、バネッサ達の苦手な食べ物などに話が移った時、部屋に突然の乱入者。
「おじいちゃん、お話し終わったー?」
「わたしも巫女さまとお話ししたーい」
子供達が部屋へと入ってきたのである。この時に騒いでいないのは教育の賜物だろうが、村長は困ったように慌て、横に座る妻はにこやかに微笑んだまま。
しかし、子供達はそんな村長の姿が目に入る訳も無く、バネッサを見て目を輝かせているが、中々声を掛ける事が出来ない。自分の指や服を何度もを触りながら、他の子が話しかけるように押し合っていた。
そんな子供達の様子に、当事者であるバネッサは静かに微笑み、そして満面の笑顔で声を掛ける。
「よし、それじゃあ、お話ししようか」
「お姉様、私もみんなとお話ししたいのですよ」
ピアも少し屈んで子供達と視線を合わせ、笑顔で「いいかな?」と優しく声を掛けた。
これには子供達も喜ぶ。巫女だけでなく護衛団の団長も有名で、もちろんピアの事を知っていたからである。
それを見つめるレオ達も自然と表情を綻ばせ、村長も子供達が粗相をしないか緊張しながらも、ここは見守ることにしたようだ。
「これも巫女の役目か」
「まあ、役目だからと思い、やっておる訳ではないがの」
「ピアの場合はガキ共とそんなに違わねぇしな、身長とか」
「さすがにそれは酷いと思うなー」
嬉しそうにはしゃぎ、二人の手を取ってソファーに導く子供達。
大陽の巫女一行だけでなくレオとエルザも近くのソファーに座り、バネッサ達の話に茶々を入れたり、自分達の行った事を話して一緒に騒いだのだった。
そして、レオ達の話しが終わり一瞬の間が空いた時、子供の一人が少し不安げにバネッサに話しかける。
「ねぇ、巫女さま。コバレノ達を倒してくれるの?」
「コバレノ?」
コバレノとは、棍棒や奪った人間の剣を用い集団で人を襲う二足歩行の魔物で、町や村など狙いを決めたら近場に拠点を作り準備を整える習性がある。
集団を作るという点はライオウルフと同じだが、凶暴で執念深い性格をしていて危険性は高い。
その名前が出たということは、この村が狙われている可能性があった。
「村長?」
「……実は先週頃から裏山で目撃情報がありまして、国に討伐を依頼したのですが、エンザーグドラゴンが動く危険性があるので動けない、との返答がありました」
そう話す村長は、国の返答に憤ってる様子は無い。
エンザーグが動けば、最悪国が滅びる可能性があるのだ。そうなれば戦力や人手を簡単に動かせない事ぐらいは理解できていた。
それにコバレノは集団で襲うが、個々の強さはそれほど強く無く、村から避難しておけば食料などが奪われるだけで済む。
「ギルドにも依頼はしておりますが、報奨金もあまり出せず、未だ受けて下さった方はおりません」
強くないから逃げ出す、集団だから逃げられやすい、そして執念深いので別働隊がいれば再び村を襲い任務失敗。
それでていて報酬は安いので、依頼を受ける人は少ないのである。
「バネッサ様がご滞在と聞いて、当初は討伐をお願いするつもりでしたが、滞在は一日とのことでしたので……」
魔王討伐中であり無理に引き止めるのは悪いと思った、村長のその言葉を聞いて、バネッサはため息を零す。
「まったく、それ位頼ってくれても良いのに」
「そうなのです。私達が旅をしているのは、魔王のせいだけでなく困ってる人達を助ける為なのですから」
ピアはバネッサのそういった考えを誇らしく思っていた。
例え修院に様々な思惑があろうと、その旅の途中で巫女がどう考えて動こうと問題は無いのだ。
バネッサは立ち上がり子供達の側に立つと、安心させるように胸を張って堂々と宣言する。
「大丈夫だよ、怖い魔物はお姉さん達が退治してあげるから」
「本当っ、巫女さま」
「村から離れなくていいのー」
コバレノを退治するとバネッサが宣言し、それを聞いた子供達も安心した様子である。次々とバネッサに近付いて手や腕に抱きついていく。
そんな様子を巫女一行は微笑ましく見守り、村長達は深い感銘を受け瞳を潤ませながら何度もお礼を言うのだった。
そして、エルザとフォルカーにとって待ちわびた、準備した側からすれば胃の痛むような宴のような夕食の時間となった。
「わぁお、すっごいねー」
「この量は凄いな」
十人は座れる長いテーブルを埋め尽くす料理の数々に、エルザは瞳を輝かせ鳴りそうになるお腹を静めるように力を入れ、レオも感心したように置かれた料理を見渡す。
赤緑黄、色々な食材を使い、様々な料理を作る……それが、巫女を持て成す方法が分からなかった、中年夫婦が考えた方法。少しでも気に入る料理の有る可能性を上げたのである。
その為に村中を駆け回り、食材とそれを料理する人を集めたのだ。つまり、今回の晩餐は村長家だけでなく、村総出のもてなしと言えるだろう。
「うん、どれも美味しそうだ」
「フォルカーさんがたくさん食べても、大丈夫そうなのです」
「よっしゃ、いっぱい食ぅぜー」
「酒はほどほどにするのだぞ」
いくら大食いのフォルカーが居るとは言え、余りにも多すぎるとしか思えない量だが、持て成される側がそんな事を言うわけもない。
全力で出された物を全力で受け止める、それがバネッサ達の持て成され方であった。