第二十六話
グウィードがアゼラウィルの城へと運ばれたその日、この緊急事態に大地の聖大神殿を任せられている修員は集まり、これからのマリア達の方針を検討していた。
高級品で飾られた部屋の椅子に腰掛ける修員は十人。
「グウィードが倒れるとは、な」
「じゃが相手はあのエンザーグドラゴンよ」
この場にはエンザーグでは仕方ないといった空気が流れるも、他の巫女より早く脱落者を出したことなどから、苦々しく表情を歪めている。
「どうする? 代わりの者は行かせるだろうが、さて誰にしたものか」
「グウィードの代わりならば、火属性で足手まといにならぬ奴」
「あやつで良かろう。力量や地位、そして立ち位置の関係でも」
今回集まった最大の理由は、グウィードの穴を埋める人員選出ではあるが、実の所その選出はほぼ決定していた。
「既に隣の部屋に呼んでおる。君、キルルキを連れてきなさい」
一人の修員が壁際に立っている召使いに指示を出す。召使いが部屋から出て行ってしばらくすると、ドアを叩く音が響き許可を受けたキルルキが部屋へと入る。
「キルルキ・ミトウ・ナーブ参りました」
片膝を付いて顔を下げているキルルキに、円卓を囲む修員の目がキルルキに向けられる。
「さて、お主を呼んだのは他でもない。既に知っていると思うが、エンザーグドラゴン討伐の戦闘中にグウィードが負傷、意識不明の重体であるとの報告を受けた」
「その補充要因として貴様を呼んだわけだが……」
言葉は不自然に切られ、キルルキは伏せていた顔を上げた。
そこで見たのは、一様に不機嫌や苦虫を噛み潰したような修員の表情。
「キルルキ・ミトウ・ナーブ、お主は負傷したグウィード・セラーノの代わりとして、大地の巫女と共に魔王討伐の任に就け。そして……」
◇◇◇
キルルキがタウノの問いに「マリア様が着いてから」と返事をし、後で説明するということでトマーゾ達に帰ってもらってから数分。
マリアとダルマツィオが息を切らしながら到着し、マリアは予想通りキルルキが居る事に少し顔を強張らせた。
「では、先ほどの質問をもう一度、何故キルルキがここに居るんですか?」
「予想は付くでしょう。グウィード様の代わりとして私が選ばれた……ただ、それだけですよ」
当然、タウノはそれを予想、いや確信していただろう。表情が苦々しく歪む。
だが、キルルキを知らないレオとエルザからすれば、何をそんなに嫌がってるのか分からないので、近くに居たイーリスに訊ねることにした。
「なあイーリス、彼は?」
「彼はキルルキ・ミトウ・ナーブ。魔法部隊の副総括長、つまりタウノの部下という事になる」
「鏡名ってことは……」
「そう、キルルキは東方の出身者だ」
エルザの呟きにイーリスは反応した。
イーリスの言う東方とは、東の海に浮かぶ八つからなる群島国のことで、人口が一つの島に一万ほどの国連非加盟国である。
八つの島は人事、経済的な繋がりはあるのだが、国としての名称はなく、他国の人々は東方、または一番発達した島の名からミトウ諸島とも言う。
「それにキルルキ様は東方の神秘、符術師なのですよ」
「……符術師って何だっけ?」
「東方独自の奴だな。符に術印のような紋様を刻んで、それに魔力を溜めておくと、言霊と少量の魔力で魔法を発動出来る……だったか?」
エルザが符術師のことをレオに訊ねるが、それに答えるレオもはっきりとした物言いではない。それほど珍しく、謎が多いのである。
先ほどのトマーゾは、威力に反して魔力の高まりが感じられなかった事から、使用したのが符術師だろうと予想したのだ。
歯切れの悪いレオを肯定するように、ピアが頷き少し補足をする。
「私の使う魔銃もそれを目指して創られたのですけど、同じ紋様を刻んでも魔法が発動しないので、東方の血筋が関係すると噂されてるのです」
「あと、アイツぁ修院側の人間だしよ」
そう言われ、レオ達にもタウノの表情の意味が分かった。巫女と修院が対立とまでは言わなくとも、仲が良くないのはマリアから聞いているからだ。
「それに彼は符術師だから、父さんの代わりなら戦士系から選ばれないと、パーティーのバランスが悪くなるしね」
細めた目でキルルキを見極めようとするバネッサの言うとおり、これで大地の巫女パーティーは中衛が一で後衛が三になってしまった。
それ位は修院も気付いているだろう。ただ、それでもキルルキを加える理由があるということ。
「それと修院から言付けを預かっていました。『巫女が四人で旅立つ理由を考えよ』」
その言葉だけで全員が意味を理解できた。
ただ、その表情は驚いていたり、予想通りで苦々しく表情を歪める二つに分かれる。
「つまり……」
「そちらの二人と一緒に旅をするのは、許可できないとのことです」
キルルキが冷たい眼差しをレオとエルザに向けた。
二人を同行者から外すこと、これは修院から命じられたキルルキの任務の一つであった。
レオとエルザが召使いや下人と揶揄されているが、バカにされるのは二人だけではない。
大地の聖大神殿に勤める修員も、他属の修員から「召使いも居ないと何もできないのか」「遊びか何かと勘違いしてるのでは」などとバカにされているのだ。
それ故、見た目と裏腹に頑固なマリアを説得すべく、巫女が四人で旅立つ理由を挙げたのである。
巫女が四人で旅立つ理由。それはもちろん、魔王を倒した女神が四柱であったこと。
それだけと思うかもしれないが、女神を模倣する巫女にはそれで十分。むしろ言い返すことすら出来ない理由。
しかし、エルザ自身がその経験者である以上、反論の糸口は簡単に見つかった。
「それだったら、今の制度だってオカシイじゃんっ」
「女神様が四柱で倒したという理由から俺達が同行できないのなら、なぜ巫女は別れて討伐の旅をしているのですか?」
そう、女神が四柱で戦ったという理由なら、巫女四人が集まり戦うべきなのである。エルザ達がそうしたように。
レオに正論で返されたキルルキだったが、彼の表情が変わるは事は無い。
「確かにそうですね。しかし、前回の魔王討伐において、全ての巫女が亡くなられ時、修院は巫女という戦闘技術を守ることを優先しました」
その一環として、巫女候補生として教えを受ける人数を増やし、罠に陥った場合の全滅を防ぐために巫女を別けるなどがあると言う。
「そうしなければ、再び全ての巫女が同時に亡くなられた場合、魔王への対抗手段が無くなる可能性があるからです」
これもまた正論。レオは納得したように頷き、マリア達……特に当の本人であるエルザは黙るしかなかった。
ただ、それに納得できるかと言えば別の話しであり、他にも突っ込めるところは残っている。
だが、そんなエルザの思考を止めたのはマリアだった。
「……分かりました。その指示に従いましょう」
そう聞いた瞬間、マリアが何と言ったのか理解出来なかったのは、エルザだけではなかった。
そして理解すると、納得出来るはずもないエルザが問いただそうとするが、マリアはそれを目で押し止める。
「キルルキさん、先ほどの魔者のことなどを城にも説明する必要があるので、旅立つのは延期したいのですけど」
「それが妥当でしょう。ただ、再びヨーセフ氏の家に泊めてもらうのではなく、宿を取ります。余り一人の援助者を優遇するのは、他の方々の不満に繋がりかねませんから」
マリアはキルルキの返答に頷くと、宿の手配を頼んだ。
自分達だけなら安めの宿でも構わないのだが、修院は何かと体裁を気にするので、キルルキに頼めばそちら側の基準に達した宿を選ぶからだ。
「では、私も宿の手配に行くか。同じ宿ならば話しもしやすかろう」
「俺達も宿を取る必要あるか……エルザ、話しは代わりに聞いててくれ」
気持ちにふざける余裕が無いエルザは、無言で頷くだけだった。
三人がこの場を離れると、タウノが音を外に洩らさないように結界を張った。人が入れない様に強度のある奴である。
この時、人除けの結界を張らないのは、既に周囲に人垣が出来ているので、認識し難くなる程度では意味が無いからだ。
そして、エルザはマリアの側へ駆け寄る。
「ごめんなさい、勝手な事を言って」
「ううん、それよりどういう事か説明して」
マリアに誤られるも、エルザは首を左右に振って先を促す。
「これからキルルキさんが同行するなら、私達の行動は修院に知られるはず。だからエルザさん達には予定通り、他の巫女にダナトの事を話してきて欲しいの」
真剣な眼差しで、エルザから一瞬も目を離さずに語る。それがマリアのエルザ達との別れを受け入れた理由だった。
しかし、エルザからすればまだ疑問を感じる。
「でもさ、いくら修院との仲が悪くても、あっちだって状況ぐらい分かってるでしょ?」
「そうだね、修院が無いと四聖会が回らないくらい優秀だから、それぐらいは分かってると思う」
静かに頷いて修院が有能と認めるマリアだったが、その後静かにため息を零す。
「でも優秀な分、プライドも修院内の属ごとのライバル関係も強くて……」
全てを話して何もなければ問題はない。ただ、他を出し抜こうと修員が考えて、そのように動いてしまえば、それでもう協力関係は無くなってしまう。
最悪の場合を考えてのマリアの行動だが、その最悪の賭けに臨まずに済む理由がある。
それが、レオとエルザの存在。
「私達だけなら修院に話したかもしれない。でも、エルザさんとレオさんが居るから、二人を私達の仲間として頼みたいの」
エルザを見つめるその瞳が徐々に潤みだす。マリアも本心では別れたくないのだ。
しかし、信頼しているからこその選択。
「お願いできないかな?」
「うん、任せといてっ。他の巫女さん達に協力してもらえるよう、ちゃんと話し付けてくるから」
そこまで聞いては、断ることも別の案を出すこともしない。
エルザは握り締められたマリアの両手を取ると、自身の両手で包み込み大きく頷いた。
「ありがとう、本当に……あ、そうだこれを持っていって」
そう言って軽く目を拭うと、首に着けている銀色のネックレスを外しエルザに手渡す。
「厄払いをした御守りだから」
「えっ、いいの? ありがと。じゃあ私からは……特別な物じゃないけど、このリボンを差し上げよう」
お返しに、とエルザは今髪を留めているリボンを渡し、下りた髪を指で梳く。そしてイーリスとタウノが近付いた。
「……レオの事を頼んだ。二人なら上手くやれるだろう」
「もっち、任せなさいなっ」
「ははっ、頼むのは逆だと思いますけどね。エルザさんの事は、僕からレオ君に頼んでおきますか」
そう言って笑うタウノに、エルザは不満な表情を浮かべ文句を言おうと口を開く。が、タウノの後ろにバネッサ達の姿を見ると、途端に笑顔になる。
もちろん、タウノからすれば嫌らしい笑みであるが。
「そんな、私はタウノ先輩の事を信じているのにっ。例え先輩が――」
「さあぁーーて、ダナトのことでも話し合いましょーーかっ」
笑顔を見て嫌な予感が走り、その先を言わせない。タウノもエルザの性格や扱いが分かってきた証拠である。
そんなタウノの必死な抵抗に乗ってあげるべく、イーリスは空気を入れ替えるように両手を強めに叩いて息を吐き出す。
「そうだね、キルルキさんが戻って来る前に」
先ほどのマリアとエルザの会話にも出てきた、ダナトという名に聞き覚えないバネッサ達は首を傾げる。
そんな彼女らに、マリア達はエンザーグ戦で起こった事を話した。
ダナトがエンザーグの鱗を呆気なく貫通する技を使い、その身体を燃やし尽くす黒炎を放ったこと。そして、それほどの力を持つ魔者ですら魔王ではないことである。
マリア達から聞かされる理不尽なまでの力に、バネッサ達は驚きを通り越して唖然とするしかない。
普通ならそんな話しを聞いても嘘だと思うだろうが、イーリスがそんな嘘を吐く人間ではないことを義妹であるバネッサはよく知っていた。
「前回の魔王クロウにも三体の側近が居たそうだし、多分ダナトもそれなんだと思う」
「僕達がそれぞれ戦っても勝てる相手じゃないんですよ、ダナト・グランセットは」
「グランセットっ!」
ダナトの名に聞き覚えはなくとも、グランセットの名にはあるバネッサ達は大きな反応を示した。
「その名前、ナイドリスに居た魔者と同じなのです」
ここでバネッサ達は自分達がアゼラウィルに跳んで来た経緯を話した。もちろん、先ほどのダグが元人間であることも話し、ルヲーグという魔者に対しマリア達は顔を強張らせた。
それは怒りからというのは当然として、ルヲーグの魔力吸収という能力も厄介だからである。
「僕らが強くなるのは当然ですが、そう簡単に実力が上がるとは思えません」
「だからこそ、他の巫女とも協力して同時に魔城に突入しようと考えた訳だ」
「バネッサさん、私達と一緒に戦ってくれませんか? お願いします」
下げられたマリアの頭を見つめながら、バネッサは考え込む。
一緒に戦う、連携するということの善し悪しで考えれば、悪いことはほとんど無い。せいぜい修院からお小言を言われる程度。
しかし、マリア達が自分達を囮として使い、魔王を討伐しようとするなら話しは別である。
「そうね、いいよ」
もっとも、それらは尊敬する義姉や友人なら無いと思えること。バネッサは誰と相談することなく、マリア達との共闘を受け入れた。
ダナトの実力がどの程度か分からないが、用心するに越したことはないのだ。
「ありがとうっ」
「そんなに気にしなくてもいいよ。こっちも楽になるって考えだから」
了承してもらえたことで、頭を上げたマリアは満面の笑顔で再び頭を下げた。
そして、バネッサも朗らかに笑いマリアの頭を一撫ですると、思わず身体を起こしたマリアに手を差し出して握手を交わす。
「それでマリア様、同時に突入と仰りましたけど、具体的にはどうするのですか?」
「今の状況で考えられるのは、霧の範囲外で通信して集まり一緒に行動だろうな」
魔城が現れる辺りには、転移や通信などの魔法を打ち消す霧が発生していて、その中を進んで魔城を見つけださなければならない。
ただ、そう言ったイーリスも最善だとは思っていないのか、どこか納得のいっていない表情である。
「でもさ、それって中央突破だよね。相手も数揃えたら不味くない?」
「ルヲーグにダナトってぇ野郎、他にも居て一気に攻められたら終わりかもな」
「ただ各巫女で行動して、例えば私らだけでダナトって奴を倒せるのか?」
次々と意見を出していくが決まらない。
当然である。敵の戦力も分からず、他の巫女が一緒に戦うのかすら分かっていない今の状況で、作戦を立てられるはずがないのだ。
「とりあえず、霧に入る前に連絡を取ろう」
結局、戦いのことはそこで終わったがり、エルザが何かを思い付いたのか、挙手して意見を述べる。
「はい、マリア先生。先生からも他の巫女さんに伝える手紙、書いておいた方がいいんじゃないでしょーか」
「確かに、本当に僕らの仲間だという証拠も必要でしょう」
これでダナトに関しての話し合いは終わった。後は世間話をしながら、レオ達の帰りを待つだけである。
仲間内ということで話しが弾んでいる中、一人そわそわと落ち着かない女性がいた。
「えっと、その姉さん父さんは……」
バネッサである。やはり父グウィードが気になるようで、その声はどこか心細気だった。口調もいつもと違い幼く感じるが、それだけイーリスに甘えているからだろう。
「そうだな、マリア行ってきて良いか?」
「うん、先生によろしく伝えておいて」
嬉しそうに笑みを深め、イーリスの手を引いて歩き出したバネッサを見て、マリアはふと思う。
どんなに離れ話すことが少なくなっても、人との関係はそうそう変わりはしないのだ、と。
エルザ達と別れるマリアにとって、イーリス達姉妹の様子は非常に心強いものだった。
◇◇◇
その頃、宿を探しに行った三人は、場所を知っているキルルキとダルマツィオが先頭を歩き、その後ろからレオが付いて行っていた。
既にマリア達と別れ数分、今までの道中は無言で歩んでいたが、おもむろにダルマツィオが口を開く。
「しかし、キルルキよ。地姫殿とあのエルザという娘は、だいぶ仲良さそうだったの」
「そうでしたか? よく見ていないので私には分かりませんが、身元も知らぬ下々と仲良くなられるのはどうかと思います」
朗らかに放った言葉は、冷たい壁にぶつかって落とされてしまう。
それでもダルマツィオは「困ったものだ」と笑うだけで、怒った様子は見られない。
その様子を見て大丈夫と考えたのか、レオはダルマツィオに話しかけた。
「四聖会のことは詳しくないのですが、剣士の部隊の総括長などはおられないのですか?」
「うむ、居らぬ。言うなれば総括長とは、魔術師や弓士などを集めた後衛団の団長と言ったところか」
レオは納得したと頷きダルマツィオに礼を言った。それならば、階級順でキルルキが来たのは当然とも言える。
そうこうしている間に、キルルキは手入れされた木々の植えられた、汚れ一つ見当たらない立派な高級宿の前で止まる。
今、歩いていた通りにもレストランや貴金属店、高級衣類店などが並び、ある程度予想していたレオはため息を零すと踵を返した。
もともとレオは、マリアがキルルキを遠ざけたので、彼が直ぐに戻る事がないよう付いて行っただけである。
そして、それはダルマツィオも同じ目的だったようだが、彼らにはこの宿に泊まるだけお金があり、レオ達には無いのだ。
「お前さんは泊まらぬのか?」
「はい、持ち合わせが有りませんので、安宿にでもしておきます」
そう言って、再び歩き出そうとするレオをダルマツィオが止め、何やら思案顔であごに手をやる。
「よし私達と一緒に泊まるか?」
「いえ、お気になさらずとも……」
「何、友との別れの晩ぐらいは一緒に居てもよかろう。それに、キルルキほど高い部屋を取る予定も無いしの。逆に落ち着かぬよ」
キルルキは早々に宿に入ったが、入り口ではレオとダルマツィオの押し問答が始まる。とは言え、何度か断った後で、レオは一緒に泊まることを受け入れた。
それは何度か断ったことで、ダルマツィオが本気だという事が分かり、何よりレオはそれほど遠慮するタイプでは無かったからである。