第二十五話
グウィードとの別れを済ませ、マリア達は城下町を護る門前の広場にいた。そこには、出立の儀の時と同じように、数多くの見送りの人が集まっている。
そんな中でレオとエルザの二人は、好奇の視線に晒したくないというマリアの意見もあり、広場から少し離れた門の側から周囲を見回していた。
広場には人垣が出来ていて、その前には兵士が立って近づけないよう規制している。そんな中でも、巫女に近づけるのは主に二人。
四聖会に多額の寄付をして、エンザーグドラゴンを倒す依頼をし、滞在の際には屋敷を貸したヨーセフ。それと、城からの代表者トマーゾである。
二人は事前に調整し、別々に話しかけることにしていた。先ずはヨーセフとそのお供のメイドから。
「エンザーグの討伐、ありがとうございました」
「ダザンの村人からも感謝の言葉がございました」
「皆さんの為になれたのでしたら、ワイズ様もお喜びになられるでしょう」
一分程度の短い世間話で終わったヨーセフだが、内容は特に何だっていいのだ。ここに集まった人達に、巫女と仲良く話している姿を見せることが出きれば。
そして、それはヨーセフと入れ替わりで近付くトマーゾとて同じこと。こちらの場合は国が後ろにあるだけに、周囲の人に仲睦ましく見てもらいたいだろう。
「昨夜振りですなマリア様。私共もマリア様方の旅の無事と、魔王討伐のご成功を祈らせて頂きます」
格式ばった挨拶は無く、トマーゾは人懐っこそうな笑顔と、飄々とした態度で軽いお辞儀だけで済ませる。
「……と、まあ私が言うのはこれだけですが、最後にこいつが昨日言ってた私の部下」
トマーゾの背後から出てきた部下は女性。動きやすいように短く整えられた赤髪に、空のように青い瞳。
全身を鎧に包むその姿は、この場に似つかわしくないほど清麗としていて、まるでこれから叙勲式でもあるかのような気合の入れようである。
美しく輝く鎧に意志の強そうな瞳……だが、何より目を引くのは、その顔の半面にも及ぶ大きな火傷の跡。
焼けただれた傷跡は、大昔に負ったのだろう。見る者によっては顔を背けたくなる、最悪彼女自身にも不快感を覚えそうな顔であった。
「お初にお目にかかります、マリア・ワイズ・エレット様。私はメロディ王女の近衛兵、バレンティナ・ハイメスと申し――」
女性騎士が少し潤んだ瞳でマリアに挨拶した時、雷でも落ちたような激しい爆音と揺れが、門の外側から広場まで響き渡る。
「な、何の音よコレ」
「転移妨害ッ」
王都など主要都市には、転移装置などで決められた場所以外に跳べないよう、結界が張られている。
そして、今のは何者かが跳んで来て、結界に接触し弾かれた音。
門の近くにいたエルザは、両耳を塞ぎながらも足下が少々覚束ない。それに対してバレンティナとトマーゾは即座に駆け出す。
そして、マリアとイーリスにタウノとレオが、少し遅れてエルザが耳を押さえながら続いていく。
◇
身体に衝撃を感じ、次の瞬間には地面を転がっていたバネッサ達は、そのまま身を屈めて周囲を見回し警戒する。
それはダグの存在もそうだが、足場の悪い場所だったり、新たに敵となる存在がいないか確認する為。
そして周囲を確認すると、空を飛んでいたダグが付いてきて、今は瞬時に場所が変わった事に驚いたのか、空高くで旋回している。
さらに都合が良いか悪いか判断し難いが、直ぐ近くに巨大な門が見えた。城が見えることから城下町なのだろう、もしかしたら街に被害が出る可能性もあるが、助けが来てくれる可能性もあるので、一概に悪いとも言い切れない。
「お姉様、ここは何処なのでしょうね?」
「ここは……もしかして、アゼラウィルか」
衝撃による怪我もなく、敵に囲まれた状態から抜け出し、気の緩んだピアが小首を傾げる。それにバネッサは門や城を見ると、直ぐに答えを導き出した。
アゼラウィルは巫女として何度か訪れているが、そんな場所は他にも沢山ある。バネッサが答えを直ぐに出せたのには、別の理由があった。
「姐さん、よっぽど親父さんの事が気になってたんだなぁ」
「うっっ」
魔法とは想像力。それは何も攻撃魔法に限ったことではない。
場所を設定せずに跳んだとはいえ、使用者の中に明確な意思があれば、自然とそこを目指そうとするのである。もっとも、その意思も生半可な物では意味をなさないが。
「そ、そんなことより、街に被害が出る前にあいつ等を何とかするよっ」
照れ隠しで話しを逸らしたのは全員分かったが、その内容は結局やらなければならないこと。
早速、ダグの一体が街に向かおうとするのをピアが魔銃で牽制し、バネッサとフォルカーは得意ではない魔法で牽制するため、なるべく距離を縮めようと駆け出す。
そして、ピアの背後にいるダルマツィオは、身の丈はある杖で地面に術印を描いて魔法を放つ。
「【―――】サンダーボール」
振るったり杖先から人の顔大の雷の弾が空に放たれ、空中に留まり小さな放電を開始する。
ダルマツィオはこの風属性の眷属性である雷魔法を得意としていた。
彼が本気でこの魔法を使えば、それこそ何人も人が入れるほど大きな雷弾を作れるが、そうなるとアゼラウィルに爆音や雷光で迷惑がかかってしまう。
その為、小さい雷弾を何十個と放ち、敵が近付いた場合にのみ襲わせる。この魔法の使い方や周囲の状況把握こそ、ダルマツィオが未だ第一線で戦い続けることの出来る、経験という二文字の武器。
「忘れねば経験は蓄積していくからの」
老化による忘却は今のところまだ無い。
一仕事を終え、ダグに睨みを利かせるダルマツィオは、複数の気配が近付いてくるのに気付く。
街の関係者だと考えたダルマツィオは、戦闘が終わるまで待ってもらうことを伝えるため、背後から近付く人達の方へと振り返った。
◇
門を抜けたマリア達が見たのは、少し離れた場所で何者かが戦っている光景。
一先ず戦場に駆け寄ると、一方が人間で一方が魔者ということが分かる。しかも、全ての魔者が空を飛び回るなど、戦い難そうな相手であった。
ただ、人間側の魔術師は白髪をなびかせると、迷う事無く複数の雷弾を空へと放つ。マリアは後ろ姿や魔力から気付けた、その人物の名を呼ぶ。
「ダルマツィオ様っ」
「……地姫殿か」
振り返ったダルマツィオは名前を呼ばれた事に驚いた様子だったが、それが知り合いのマリアだと分かり、納得したように頷く。
「さて、そちら方もいろいろ聞きたかろうが、奴らを何とかするのが先決」
マリアの側にいるトマーゾ達にそう伝えると、サンダーボールの雷撃を喰らっているダグを見やる。
ダルマツィオが魔法を放つ前に書いた術印に乗ってる以上、魔力は常にサンダーボールへ送られ、何度電撃を放とうと消えることはない。
マリア達も連れて空を仰ぎ見ると、五体居た魔者の一体が螺旋を描きながら落ちていくのが見えた。
「む、ピアが一体落としたようだの。どれ私も、【―――】サイクロン」
魔銃を活かす為に距離を縮め敵を落としたピアを見て、負けられないとばかりに巨大な竜巻を発生させる。
それにより空中のサンダーボールも巻き込まれ、威力を抑えてあるが雷を放つ竜巻の完成である。
これはダルマツィオの十八番で、威力もそうだが敵を逃がさない事に秀でた使い方なのだ。竜巻で周囲に近づけて雷で痺れさせ、そしてまた竜巻に巻き込ませるというかなり厄介な魔法。
「ねぇねぇレオ、フォールスにあれ加えよう、かっこいいよっ」
マリア達の後方で、エルザが模擬戦で使った偽サイクロンの改良話しをしている間にも、砂埃や雷光で見難いがダグはサイクロンに飲み込まれていく。
そして、前線で戦っていたバネッサ達も走り戻ってくる。
「姉さん、父さんの容体はっ」
「バネッサ……今は落ち着いていて、命に別状はない。ただ、治療には数ヶ月かかって、目覚めるのもそれ以降だそうだ」
駆け寄っての開口一番がグウィードのことで、バネッサと初めて会うレオ達も、どれだけ父親を大切に思ってるかが分かるというもの。そして、以前から知り合いのマリア達には、予想できた行動である。
「姉さん、後でバネッサさんをグウィードさんの所に連れて行ってあげたら?」
「良いのか?」
今から旅立つ予定だった故の確認に、マリアは笑いながら頷いた。
久しぶりに家族で話しをさせてあげたいのは当然だが、それ以前にダナトの事をバネッサ達に話さなければならない。どの道アゼラウィルでの滞在を伸ばす必要があるのだ。
「私達の目的、忘れてない?」
からかう様に笑うエルザに言われ、思わずイーリスの頬に赤みが増す。
実は予期せぬバネッサとの再会に、ダナトの話しをするという考えが、頭からすっぽり抜けていたイーリスであった。
そしてバネッサは、姉と親しげに話すエルザを見る。
「お前は……」
「あっ、初めましてだね、私は――」
「エルザ・アニエッリさんですね」
エルザが名乗ろうとするより早く、バネッサの背後から姿を見せたピアが言葉を遮った。
当然、名前を知ってるとは思わなかったエルザは、不思議そうに小首を傾けている。
「あっれー、何で私の名前知ってるの?」
「有名ですよ、貴方もレオ・テスティさん。大地の巫女に付き従う召使いである、と」
召使いという言葉に反応したのは、やはりレオ達よりもマリア。
両手を握り締め、ピアに鋭い視線を向けた。
「召使い何てっ、エルザさんもレオさんも、私達の大切な仲間ですっ」
「世間ではそう広まっておる、ということだ」
「嫉妬とかだろうが、口の悪い奴ぁ二人を下人とか言ってるしな」
本人の知らない所で、噂が勝手に歩き出すのはマリアも知っていること。苦々しく思いながらも、ダルマツィオの言い分に反論することはなかった。
ただ、それよりもフォルカーの言った『下人』。これには怒りや悲しみ、そして二人に対し申し訳ない気持ちから、思わず息が詰まってしまう。
「まあ、姉さん達が認めたのなら、私は別に――」
「グギャアアァァァーーーー」
竜巻も消えて静まった空に、一体のダグが雄叫びと共に再び空へと舞い上がり、全員が揃ってる方に向かって飛び始める。
その姿を見て、ダグが元人間だと知ってるバネッサ達は悲しくなった。これが人間なら、いや動物ですら勝てない相手に、無意味に挑んだりはしないのだから。
「ガアアァァァ」
ダグはサイクロンを警戒してか、先ほどより高い高度を維持して向かってきている。上空から勢いを付けての攻撃、そう浮かんだ考えは、直ぐに違和感を覚えた。
ダグに理性という物は存在しないだろう。だが、生きている限り本能は存在するのだ、人よりも更に劣った本能ではあるが。
ボロボロにされたバネッサ達に怒りは覚える。しかし、戦って勝つことは不可能……それでも憂さは晴らしたい。
「えっ、もしかして」
「アイツ、街を狙ってるのかっ」
自分達に向かってると思いきや、実は後方にある街を目指していることに気付く。
空中にいる敵を止めなければならないが、相手は前よりも空高く飛び、直ぐに何とかするのは不可能。
「ダル爺はこの場で呪文を、ピアは降りてくるのを狙いながら付いてきてっ」
「タウノさんは魔者の動きを見ながら姉さんと一緒にっ」
それぞれタイプの異なった巫女が仲間に指示を出した。
術師としてのマリアはダルマツィオと一緒に残って呪文を唱え、戦士のバネッサは街に向かって駆け出す。当然、仲間もそれに応え、言われてないがレオとエルザも街に向かって走り出した。
「ちょっ、速くなってない?」
だが、そんな連携の取れたマリア達を嘲笑うかのように、ダグは飛ぶスピードを上げて街に向かう。いや、正確に言えば元の速さに戻ったと言うべきか。
実はこのダグには再生能力があり、生き残れたのもその能力のおかげなのだ。そして、今その時の傷から回復し、最初の頃の速さで飛べるようになったのである。
もっとも、そんな事を知らないマリア達は、ダグが力を隠していたと思い、裏をかかれた事に苛立ちと焦りを覚えていた。
「私よりも速い、か」
悔しげに呟くのは、街に向かう巫女メンバーで一番速く、先頭を走るバネッサ。それに次いでイーリス、エルザは闘気で強化していても三番手。そして、レオはタウノやピア魔術師組みと一緒である。
このままでは、ダグが街に入るのを防ぐことが出来ないだろう。
しかし、それが街に向かってるメンバーともなれば話しは別で、巫女であるバネッサが悔しがるほど、速く駆ける存在がいた。
それは、トマーゾの部下バレンティナ。鎧を着込んでるにも関わらず、その動きには全く支障が無いように感じるほど軽やかで速い。
「あの闘気……」
「あの動き……」
レオとエルザは何かに気付いたのか、バネッサとの距離を広げるバレンティナを見る。
その彼女は数十メートルはある門の上に飛び乗ると、街を背にして振り返った。そう、バレンティナはダグをも抜き去っていたのだ。
そして深くしゃがみ込むと、視線は飛んでくるダグに鋭く向けられ、タイミングを見計らい一気に跳び上がる。
凄まじい勢いで空中のダグに接近するバレンティナは、腰から下げた剣を引き抜くと脇を締めて胸元に構えた。剣先は頭から拳一つほど出ている。
もちろん、その様に急速に近付く物体に、ダグが気付かないはずがない。両腕を大きく広げ、一直線にバレンティナへと襲い掛かる。
ダグは自由に空を飛べるのだから、横や下から襲えばいいのだが、考え事の苦手なダグには思い付かなかったらしい。
「ハアアァァァーーッ」
向かってくる敵の速さも考えてダグは腕を振りかぶった……が、伸ばされたバレンティナの剣に、呆気なく脇腹を貫かれてしまう。
どうやら、腕を伸ばして攻撃するということを、全く考えてなかったようである。
「グビャアアァァァ」
そのまま腹を引き裂き、二人は重力に引かれて落下を始めた。
ダグの落下がズレれば、塀を越え民家に被害が出るかもしれない。そう心配するバレンティナだったが……
「ルギャアァァーー」
ダグは生きていた。
その元気な声に驚いたバレンティナが空を仰ぎ見ると、半分以上は引き裂かれたダグの腹が徐々にくっついていく姿。
ダグを仕留めたと思っていたバネッサ達もこれには驚き、マリアとダルマツィオが唱えていた魔法では、バレンティナまで巻き込んでしまう。
タウノも急いで新しい呪文を唱え始め、ピアは魔銃を構えるが位置的に悪く、バレンティナが斜線上に居て狙い撃つ事が出来ない。
「ギャウギャウ」
「くっ」
やられた分をやり返そうとバレンティナに襲い掛かるダグ。その腕が再び振り上げられ、バレンティナは地上に降りるまでは防御に徹しようと剣を構える。
そして、ダグの微かな動きも見逃さないように睨みつけ、その身体に閃光が通り燃え上がるのを見た。
「えっ!? あっ?」
「グルギャアァァーー」
何が起こったのか分からないバレンティナだったが、地面が近付きつつあることを思い出すと、急いで体勢を整えると見事に着地した。
そしてダグを見れば、落下の最中で燃え尽きて灰へと変わっていく姿。徐々に原形は無くなり、終にその姿は消え去ってしまった。
「ティナ、誰が放ったか分かるか?」
「申し訳ありません」
バレンティナに駆け寄るトマーゾの視線は、門の側で見守る群衆へと向けられていた。
「お城からの助っ人とかじゃないの?」
「いや、あれほどの魔法を、しかも気付かれずに使える人物は我が国にはいない」
エルザの一番確立が高いであろう意見は、トマーゾが即座に否定した。
そもそも彼らが驚いているのは、ダグの身体に閃光が走るまで、誰も魔法を放った事に気付けなかったからである。
あれだけの威力の魔法を放つには、それだけ魔力を高める必要があり、普通ならその時に気付けるのだ。
ただ、誰が使ったのかは知らずとも、どういった人が使ったのかは予想できていた。
「今のは……」
そして、そう呟くタウノだけでなく、イーリスやここにはまだ到着していないマリアには、その人物にまで心当たりがあった。
「全く、何をやっているんですか」
人垣をふわりと飛び越えて現れのは、長身で小顔な男性。年の頃は三十前後、艶のある黒髪は小奇麗に整えられ、赤茶色の瞳は鋭く冷静にタウノ達を貫く。
そんな冷たく鋭い視線を向けられても、喜ぶ女性は多いと予想できるほどに美しい。
「キルルキ、何故ここに……」